2018/02/19

「百寺巡礼」 第七巻 東北 五木 寛之 <2>

<1>からつづく

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「百寺巡礼」 第七巻 東北 <2>
五木 寛之 (著) 2009/03 講談社 文庫: 280ページ 単行本 2004/12
★★★★★

1)思えばこの巻に登場する寺院の大半はかつて参拝している。一度ならず数回訪れている寺院もある。まだ訪れていない寺院もまた、周囲の風景がどことなくつながって行って、すでに参拝済みのような気分になる。

2)しかしまた、逆に、かつてすでに参拝済みとしてしまっている寺院には、さてこのような云われ因縁があったのかと、新たに知らされ、自分は一体何を見てきたのやら、とあきれてしまう場面にもたびたび出くわした。

3)私たちのこころのふるさとはどこにあるのか。
それを探しに今日も旅に出る。
百寺巡礼。
日本列島の北から南まで、
二年間に百の寺を訪ねる旅。
旅の終わりに何が見えてくるのか。
風に吹かれて、今日も寺への道を歩く。
表紙見返し

4)テレビ番組でも毎回流れるキャッチフレーズ的なナレーションである。どこか良いようでもあり、どこか引っかかる言葉の流れでもある。番組として、連載記事として、シリーズ単行本として、あるいはガイドブックのムックとして、数を重ねる口実に使われているだけではないか、とさえ思える。

5)こころのふるさと、とは何か。それをなぜに旅に探さなければならないのか。なぜ百寺なのか。神社じゃだめか。なぜ日本列島なのか。なぜ二年間なのか。二年がたてば旅は終わるのか。言い出したら切りがない。まんまと引っかけられているわが好奇心に気づき、ヒヤッとする。

6)地球人としてのスピリチュアリティとは何か。
それを探しに今日も書を手にする。
読書ブログ。
図書館から借りだした四千冊を、
十数年に渡って読み、書き綴る、日々。
その終わりに何が見えてくるだろう。
ちょっとした好奇心にかられて、今日も図書館に足を運ぶ。

7)百寺巡礼のキャッチコピーをお借りして、当ブログのスタート地点を言葉にすれば、以上のようなセンテンスになるだろうか。最初の最初はこれほど明確ではなかったが、おそらく300冊とか400冊目あたりになった時は、そのような心境であったことは確かだ。

8)当然最初は十年間とか、四千冊などという具体的な相はなかった。結果としてそうなったというだけだ。そして、「旅の終わりに」見えてきたものは、確かにある。旅は終わりに近づいているのだ。いや、終わったと言っても言い過ぎではない。あるいは、終わらせなければならない。

9)今見えている相は三つ。時間であり、空間であり、存在だ。もちろん、かなり具体性を伴った、緊急性を帯びたそれぞれの三つの相だ。

10)なんだ、まだ絞り込めていないのか、とも思うが、3・11前後の七つの相に比べたら、はるかに簡略化され、より具体化されている。相互に関連しているのは当然のこととして、ひとつひとつがはるかに隔たっているとも言える。

11)私ひとりの視座はほぼ固まっている。固まらざるを得ない。そしてそこから、その一点から広がり、湧き出るものがある。それは広く、高く、深く、あるいはどこかで無限性へと接触する。

12)この書を括りながら、またまたいつものように付箋をたくさん張り付けてしまった。その中から、重要と思える部分を抜き出しておこうか。手間がかかるとするなら、そのページの画像を張り付けておこうか。しかし、今夜はどうも面倒だ。手作業で行う旅とは別の次元に、書を閉じたあとの私の想いは漂っている。

つづく

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「永平寺の般若心経 回向」

「永平寺の般若心経 回向」

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2018/02/18

「把不住述懐」<20>把不住述懐

<19>からつづく  

把不住述懐<20> 把不住述懐

1)これから書こうとしていることは、本来、編集日記に書き込む内容だ。だがしかし、ちょっと長文になりそうだ。最近の当ブログの編集日記は長文が似合わない。ワンセンテンスにまとめてしまっている。でも、今日はちょっと長い。

2)現在の「Mindfulness in the Modern World vol.6」も残すところ、10数個の記事になった。当然、次のカテゴリ名を考えるタイミングになってきた。本来、vol.7と続けていきたいところだが、どうも、次なるカテゴリ名「把不住述懐」が浮上してきている。

3)今のところはまだわからない。読書ブログとしての記録機能も実は必要なのであり、まったくこれまでの機能が不要になったり、終焉してしまっているわけではない。

4)でも、まったくフォーマットを変えて新しいブログを別個立ち上げるべきタイミングでもあると思う。このところずっとタイミングを狙っているのであるが、まだ踏ん切りがつかない。

5)まもなく7年目の3・11がやってくる。このタイミングがチャネルを大きく変えるべきタイミングなのではないか。あるいは意図的にステージを大きく変えるチャンスなのではないか。

6)2006年3月に「地球人スピリット・ジャーナル」は、「Mindfulness in the Modern World」というより明確なテーマを拾った。そしてそこからさらに「把不住述懐」へと結晶化してきた、はずだ。 当ブログ12年後の結論と言ってもいい。あるいは、結論としたい。

7)2006年3月にスタートした当ブログは、2011年3月当時、七つのテーマを抱えていた。七つのテーマはそれぞれ具体的な相を与えられていた。あれから7年。それぞれに昇華が進んだ。一つ、二つ、それぞれの相は、ほとんど一つの相に集約された。禅。

8)7年サイクルも、やがて10番目のサイクルに入る。集約であり、終焉であってもおかしくない。命の運びは天が決めるものゆえ、自らではどうにもしがたいものがあるが、常に決意はしておかなければならない。

つづく

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「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北<2>

<1>からつづく

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「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北 (TRAVEL GUIDEBOOK)
五木 寛之 (監修) 2004/12 出版社: 講談社 単行本(ソフトカバー): 220ページ
★★★★★

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「中島誠之助先生、日本の美について教えてください。」<2>

<1>からつづく
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「中島誠之助先生、日本の美について教えてください。」 <2>
中島誠之助 (著) 2017/04 祥伝社 単行本: 256ページ
★★★★★

1)何千年ものあいだ、日本人は植物というものの生命力に身も心もゆだねてきたんじゃないですか。日本人の日常の生活、衣食住に対しての感性の根源がある。そこに不思議な力が宿ると考えられたものが、神なんでしょうね。

 ただ一本の木があって、あるいは森というものがあれば、その空間が神の宿る場になるわけです。紙は木霊(こだま)であって見えません。形がない。

 ですから日本の神社っていうものは、空間なわけですね。多くは森であって、飲本の木であって、その植物の力にいだかれるようにして、やがて石に神が宿る、あるいはもっと人間らしく建物をつくって神をお迎えしようとなっていったのでしょう。p108「木の文化」

2)西行しかり、芭蕉しかり、先人たちの築きあげた文化や思考の跡をもう一度実感しながら、噛みしめながら旅を続けていくというのが、一般的な日本人の旅人の姿なんですよね。再確認の過程に新たな発見があるんですよ。p174「日本人の旅のやり方」

3)「鑑定品に値段をつける番組に出ているくせに何なんだ」とおっしゃるかもしれないけれど、あれは美術や歴史をテーマにしたエンターテイメントなんです。だから面白おかしくつくってあるわけなんです。

 ものの向こうに見える持ち主の人間ドラマなんであって、美とは何かを追及する教養番組ではありませんよ。心の余裕のある人が笑って楽しむものなんです。p202「売るといくらくらいしますか」

4)東北地方に残されているみ仏たちもそうですが、いずれも部材を寄せたものではなく、一木でつくられたものです。クスノキとか、ケヤキとか、あるいはカヤやサクラの木でつくられたものもあります。

 もとは霊木だったんでしょうね。み仏の姿をこの特別な木にノミで彫り出していくんです。道ばたの石も拝めば信心になるとは言いますが、素材の段階から拝まれる対象だったわけです。p234「金剛仏から木彫仏へ」

5)あんまりマニアックになっちゃいけないんですね。人間ってものはね、ともすればマニアックになりがちなもんですが、昔はそれでよかったですよ。見るからにあの人はお医者さんだ、あの人は絵描きだ、あの人は骨董屋だ、あの人は見るからに物好きな収集家だとかって。

 だけどいまは見るからにそういう職業だっていう人、いないんじゃないですか。

 ですからね、私の和装もテレビ用の衣装なんです。家にいるときも、近所を歩くときも洋服ですよ。書斎も洋室ですしね、自分ひとりかしこまってお茶を点てて、すすっているなんて日常生活はしたことないんです。ヒマさえあれば、趣味の登山をしてますしね。

 がっかりされた方、ごめんなさいね。p245「完成を高めるには、何をすればいいんでしょうか。」

6)エンターテイメントであれ、演技であれ、この人の本は、最初から最後まで読ませる力がある。それは柔らかい語り言葉で綴られているからだ。「そうですねえ」というような、彼独特の口調がそのまま展開されている。そこがいいのだろう。

7)それと、保守本流というか、日本文化の主流を決して見逃していない。あちこち傍流に色目を使いながら、キチンと合流地点へと流れていく。もちろん、時には反語的に、疑問を呈したり、否定をしたりする。だが、そこにキツさがない。柔らかく、聞く者の耳を潤す。

8)学者さんの全うな学説には、それなりの正当性があり、かしこまって傾聴すべき知識が詰まっているのだろうが、自分にとっては不要なこともかなり多い。ところがこの人の言葉には隙間は多いが、聞く人にとって、柔らかく自ら考える余地を与えてくれる優しさがある。

9)中島誠之助センセイ。力道山やタイガーマスクに通じる、正当なエンタテイメントである。それもこれも、実力と努力あってのことである。

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2018/02/17

「中島誠之助先生、日本の美について教えてください。」<1>

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「中島誠之助先生、日本の美について教えてください。」<1>
中島誠之助 (著) 2017/04 祥伝社 単行本: 256ページ
No.4155★★★★★

1)「お宝鑑定団」を見始めて、もう20年近いかな。別段に予定していて見ているわけではないのだが、偶然チャンネルが合うと、つい最後まで見てしまう。あの番組の面白さの要素は、さまざまあるが、まずは、このセンセイが鎮座していることも、大きな要素に違いない。

2)この男性が言うと、すべてが本当の思えてくる。番組の中に登場している時間はそう長くはないのだが、なかなかの存在感だ。

3)ただ、この眼鏡にちょび髭、和服に曲がり尺、なんて風情を見ていると、すっかりこのスタイルが決まっているようだが、一説には、普段はこのちょび髭の付け髭をはずして、Gパンで白いベンツを動かしたりしているとか、いないとか。

4)番組にはそれとなく台本がありシナリオがあり、演出も当然あるわけだが、まぁ、それはそれと理解した上で、番組を楽しむことはできる。

5)おそらく20年間欠かさず鑑定団を見続けても、日本の美について詳しくなどなれるはずはない。あまりにも範囲が広すぎるし、番組もまた、毎回目新しい材料を探してこそ番組が成り立つのだ。バラバラだ。あっちこっちいい加減だ。

6)だがしかし、よくよく考えてみれば、別段にそんなに詳しくなる必要などない。専門家になるわけでもないし、知識などあちこちバラバラでもいいのだ。

7)それに、別段、いまさら中島センセイに教えてもらうほどでもないのだが、でもなぁ、それはそれとして、番組をもうすこし楽しく見るためにも、センセイにレクチャーを受けてみるのもいいかもな。

<2>につづく

 

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「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北

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「五木寛之の百寺巡礼」 ガイド版 第七巻 東北 (TRAVEL GUIDEBOOK)
五木 寛之 (監修) 2004/12 出版社: 講談社 単行本(ソフトカバー): 220ページ
No.4154★★★★★

1)テレビ番組があり、単行本があり、そしてこのガイド版の写真集があるということは、かなり手の込んだ企画モノということになるが、まぁ、面白いから、この企画、許しておこう(笑)。

2)断片的な知識も、縦、横、繋いでいると、かなりざっくりではあるが、ひろがりのある世界が展開していくことがある。別段に、そのメッシュを細かく細かく詰めていこうなどとは思っていないが、ここんとこは知りたいなぁ、と思っているパーツに、思わぬめっけものの情報があったりする。

3)あせらず、あわてず、ちょこちょこ、あちこち蚕食していくのが楽しい。

<2>につづく

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    「百寺巡礼」 第七巻 東北 五木 寛之

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    「百寺巡礼」 第七巻 東北
    五木 寛之 (著) 2009/03 講談社 文庫: 280ページ 単行本 2004/12
    No.4153★★★★★

    1)最近の楽しみはテレビの深夜放送を録画して、あとから空き時間にゆっくり見ることだ。その中に、「五木寛之の百寺巡礼」がある。偶然に録画したものだが、すっかり気に入って次回も次回もと、10回ほど録画した。見終わったあとはすぐ消してしまうのだが、かなり印象に残っているお寺もある。

    2)このシリーズはテレビ番組でもあるらしいが、それらが何冊かの単行本となっているのだ。テレビのナレーションと似通った文章がつづられてはいるのだが、やはりニュアンスはちょっと違う。それぞれ視て読めば、ステレオ効果があがるというものだ。

    3)シリーズ第七巻は東北である。その中には松島瑞巌寺が含まれている。かなりざっくりした紹介だったが、テレビ番組の瑞巌寺もみた。いや、ざっくりしているところがいいのだ。別段に、そのことに精通する必要はない。ざっくりと言っても、知らないことがたくさんある。

    4)松島の雄島についても触れている。当ブログでわが雅号を把不住と勝手につけてしまった理由はこの雄島にある。この辺を、これからざっくり、ざっくりと、触れていきたいものだ。

    5)百寺巡礼とまではいかないまでも、これまでいくつかのお寺さんにはお世話になってきた。最初から巡礼などと洒落たものではないが、人生の時々、旅の時々で、ずいぶんとお寺さんにはお世話になってきたのだ。

    6)仏教史だとか、その奥深さだととか、本当はまぁ、どうでもいいのだ。ざっくり、ざっくりで間に合う。ただ、そんなことを少しづつしていると、いつかジグソーパズルのパーツが、カキっとハマる時があるから面白い。

    7)五木寛之もこのシリーズの当時はだいぶダンディでシャキっとしているが、ごくごく最近は、かなりの老齢な雰囲気になっている。なかなか、人生を感じる。

    <2>につづく

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    2018/02/15

    「そばにいるね」 [feat. SoulJa] 青山テルマ

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    「そばにいるね」 [feat. SoulJa]
    青山テルマ 2008/1  収録アルバム: そばにいるね 収録時間:  5:02
    No.4152★★★★★

    1)SNSのどこかの記事に、 日本における黒人差別の話が展開されていた。その一例として、楽天の野球選手とか、歌手としての彼女の名前がでていた。

    2)ああ、そうだよね。彼女がいたよね。あの歌好きだった。だけど、あれからあまり聞かないなぁ、どうしているんだろう、とちょっとググってみた。

    3)結局、あの曲はヒットして、テレビしか知らないが、私ですら口ずさめるくらいに一般的になったんだ。他にもたくさん曲はあるらしいが、ヒットしたのはあの曲が一番。あの年、彼女は紅白歌合戦にもでたんだ。

    4)あれから十年も経過しているのか。いい歌だな。その後も彼女はブラウン管から消えたのではないようだが、私の目にはほとんど触れていない。その前も幼児番組のお姉さん役もやっていたらしい(彼女はそのことを黒歴史と言っているとか)。

    5)このソウルフルな歌、他の誰かが歌ったのではヒットしなかったのかな。彼女だからヒットしたのかな。彼女の存在がこの歌の価値を際立たせているのだろう。癒される。よくよく聞くとバックの音楽がいい。さまざまな楽器が邪魔にならないし、キチンと歌が聞こえる。歌詞が分かるのである。

    6)心に響いてくる。

    7)他の彼女の曲も何曲か聞いてみたが、この歌が一番良かった。聞きなれているせいもあるだろうし、彼女のキャラクターが一番光っているのだろう。この歌を超える曲がまたまた出て来てヒットするかもな。そうなると、いいね。

     

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    2018/02/14

    「坐禅和讃」 Osho 白隠禅師を語る<4>

    <3>からつづく

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    「坐禅和讃」 Osho 白隠禅師を語る<4>
    スワミ・プレム・ラジヤ/ スワミ・アナンド・ヴィラーゴ/訳 1990/3 瞑想社

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