2018/04/25

「パソコン最強購入ガイド 2018」100%ムックシリーズ

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「パソコン最強購入ガイド 2018」
(100%ムックシリーズ)2018/03 出版社: 晋遊舎 ムック 97ページ
No.4181★★★★☆

1)またまた、パソコン環境を更新しなければならないタイミングとなった。2年前だったか、3年前だったか、最後のPCを買えた時は幸せだった。ほぼ希望どおり、予算もあるし、コスパも考えなければならない。スタイルもあるし、性能もある。ブランドもあるし、他のPCとの相互関係性もある。その点では合格点だった。

2)さて、今回もねらい目は同じである。同じではあるが、同じPCは買えない。すでに同じ製品は流通していないし、周辺機器へのアクセス方法も違っている。他社の商品ラインナップも変わっている。その中で、さて、自分の「安くて良いPC THE BEST」をどう選び出せばいいのか。

3)決して急いでいるわけではない。いずれやってくるXデーに間に合えばいいので、その時にベスト機が定まっていればいいのだ。だが・・・・、今のところまだ見つかっていない。

4)まず、今回の目標は二つ。ひとつは、同じブランドであること。お好みのブランドがあるのだ。そしてPCとしての機能はそれほど、大きく違ってはいない。ただ、ノートPCであって、ヒンジの部分が360の可動性が欲しいのである。そしてタッチパネルができて、軽いPC。それがない。

5)単にまだ探し出していないのか、やっぱりないのか。そこんとこ、これから何か月かかけて、探していこうと思う。

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「週刊ダイヤモンド」 11年ぶり大改定 保険を見直せ!

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「週刊ダイヤモンド」 11年ぶり大改定 保険を見直せ!
2018/04 ダイヤモンド社 2018年 4/28・5/5 合併号 雑誌
No.4180★★☆☆☆

1)この手の雑誌を購入することはなくなったなぁ。昔は毎号毎号各誌を買い揃えていたものだが、最近はとんとそういう傾向はなくなった。店頭で見つけても、手に取って開くことも本当にまれになった。

2)何が面白くないのだろう、と思う。いつからそうなったのだろうと思う。確実に何かが変わってしまっているのである。

3)各社比較販売は禁止と言われながら、雑誌はこれでもか、と比較検討。雑誌の記事は顧客に提供してはいけないと言われ、まるで見てはいけないもののオンパレードのようにさえ見えてくる。

4)目標を持って、右肩上がりの時代にはそれなりに面白かった。利のある記事も多かった。大変ためになった、と思う時もあった。なるほど~、という納得感もあった。

5)だけど、最近はどうだろう。確かに良薬は口に苦し、ある意味、褒め殺しされるよりはいいのだ、と思うことができれば、いいのだろうか。

6)今回、この号を手に取ったのは、業界の友人が話題にしていたからだ。なるほど読んでみようと思った。パラパラしたのだが、本当の意味で自分に関連がありそうなところもあることはあったが、ごく一部だ。店頭の立ち読みが終われば、それで終わり。

7)たしかに業界の、ああでもない、こうでもない、という情報はあふれている。だけど、ピンポイントで、これこそは、というこちらを喜ばしてくれる楽しいニュースはない。下手すりゃ、私はうつかしら、と言うほど、落ち込む内容が多い。

8)それでもやっぱり生きていかなければならない。つらいことも多けれど、前に歩いていかなければならない。

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OSHO ZEN TAROT TRUST(信頼)

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OSHO ZEN TAROT 

29. TRUST(信頼)

 いずれ取り去られてしまうものを求めて自分の生を無駄にしてはいけない。生を信頼するがいい。信頼して初めて、あなたは自分の知識を落とすことができる、自分の心(マインド)を脇に置くことができる。

 そして、信頼と共に、なにか途方もないものが開け放たれる。そうなったら、この生はもはや普通の生ではない。それは神で満たされ、あふれるようになる。

 ハートが無垢で、いくつもの壁が消えたとき、あなたは無限と橋渡しされている。そして、あなたは幻惑されてはいない。あなたから取り去ることのできるものはなにもない。取り去ることのできるものには、取っておくだけの価値はない。

 そして、取り去ることのできないものであれば、それが取り去られてしまうことをなぜ怖れなければならないのかね? それは取り去ることができないのだ。そんなことはありえない。自分のほんとうの宝を失うことなどありえない。Osho The Sun Rises in the Evening Chapter 9

解説:

 今こそバンジー・ジャンパーになるときです。紐を結ばずに!そして、なにかを取っておいたり、秘密の安全ネットを張ったりしない、絶対的信頼というこの質こそが、「水のキング」が私たちに要求するものです。

 ジャンプして、未知なるものへ入っていけるとなったら、考えただけでも死にそうなくらい怖いのですが、それでも、この上なく愉快な感じがします。そして、信頼を量子的(クォンタム) 跳躍(リープ)のレベルにまでもってくると、私たちはもはや念入りな計画を立てたり用意したりはしません。

 「いいだろう、これから自分がなにをするのかわかっているのだから、信頼しよう。ちょっと片づけ、スーツケースに荷物を詰めて、持って行こう」などとは言いません。そうではありません。

 次になにが起こるのか考えもせずに、私たちはただジャンプします。その跳躍、そして虚空を自由に落ちていくときの、そのスリルが肝心なのです。Copyright © 2012 Osho International Foundation

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「戦国武将を育てた禅僧たち」小和田哲男<3>

<2>よりつづく


「戦国武将を育てた禅僧たち」<3>
小和田哲男 2007/10 新潮社 全集・双書 221p
★★★★☆

1)この本はなかなかに面白い。だいぶ前に仕込んだシステムが10年を経過して、ようやく動き出した、と言うべきか。

2)この本を読みこなすには、まだまだ準備が足りない。面白ところだけ抜き出しては置いたが、全体を読むには、この本をさらに包括する戦国時代を挟む大きな歴史観が必要となる。

3)禅と儒教とのからみなど、実に興味深い。各武将たちの活躍の影には、必ずと言っていいほど、そのコンサルタントがいたのだ。サムライとZENの絡みは、現代のビジネスマパーソンとマインドフルネスの絡みなど、比較して考えてみるのも面白いかもな。

4)伊達藩の初代から三代目までの菩提は瑞巌寺にある。その後、四代以降は大年寺にある。だが、その黄檗宗であった大年寺は、幕末から明治期の廃仏毀釈のなかで、伊達家が神道に帰依したので、大年寺は衰退した。

5)現代には現代を活動する現代人がおり、それを育てる現代のZENがまた必要なのであった。

5)伊達藩はその長い歴史のなかで、多くの古代遺跡などを復活させたが、伊達藩そのものを復活させるには、また別の、新たなエネルギーが必要となるのであった。

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「Cal(キャル)」「小屋」Vol.15「小屋」のある毎日

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「Cal(キャル)」「小屋」のある毎日
Vol.15 2017年 05 月号 雑誌   2017/03 徳間書店; 不定版
No.4179★★★☆☆

1)Fujisanは、既刊の雑誌をチラ見やタダ見ができるアプリないしはサイトである。時には、私もチラチラ見る。大体において、世の中に、ましてやこの日本の中に、これほどの種類の雑誌があるのか、とビックリする。

2)この「Cal(キャル)」も、店頭でも見かけるが、おそらくほとんどは気にもしたことのない雑誌である。このサイトで見てから、店頭でも手に取って立ち読みすることもあった。

3)Calとは、Californiaの略称から取ったネーミングかな、と思うが定かではない。いつもはアメリカ西海岸の風景の取材が多い。今号は「小屋」がテーマだ。

4)当ブログにおいても、「小屋」がメインテーマの時期があった。「山の椒」を「Ya Man Osho」と読み替えて、かなり入れ込んだ。当ブログにもだいぶ書き込んでおいたが、今は、訳あって、アクセス不能にしている。

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5)もう終わってしまったプロジェクトだが、だいぶ楽しかったので、そのうち、当ブログの記事だけで再解禁しようかなとも思う。

6)ただ、なんとなく、「小屋」の時代は、終わったな。「方丈記」の鴨長明にしても、「森の生活」のヘンリー・デイヴィッド・ソローにしても、決して森に留まったわけではない。小屋にいたのは、人生の時期としたならば、ほんの一時期だったのである。

7)小屋を終の棲家とするむきもあるだろうが、私はそうしない。私には私の家がある。そう思うようになった。

8)だけど、「小屋」に遊ぶことはたのしい。これからも、だれか友人たちの「小屋」にでも誘われたら、私は必ず行くと思う。

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2018/04/23

OSHO ZEN TAROT けち(THE MISER)

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OSHO ZEN TAROT 

71. けち(THE MISER)

 けちになるやいなや、あなたは生の基本的な現象——広がること、分かち合うことに対して閉じてしまう。

 ものに執着しはじめるやいなや、あなたは的を外してしまう——あなたは外しているのだ。

 というのも、ものが的なのではなく、あなたが、あなたの最も奥深い実存が的だからだ——素晴らしい家ではなく、素晴らしいあなた、多額の金ではなく、豊かなあなた、多くのものではなく、開かれた実存、無数のものに通用する実存だ。Osho Ancient Music in the Pines Chapter 2

解説:

 この女性はまわりに要塞を築き、自分の宝だと思い込んでいる持ち物すべてに執着しています。実際には、彼女は自分を飾るひじょうに多くのものを——生きものの羽や毛皮もいっしょに ——蓄め込んでいるために、結果として自分を醜くしています。

 私たちが執着しているもの、そして、自分たちの持ち物はとても貴重だから要塞で守らなければならないと感じていること、それをよく見ることをこのカードは促しています。

 その宝はかならずしも多額な預金や箱に満ちあふれている宝石とはかぎりません―自分の時間を友人たちと分かち合って過ごすことや、自分の愛をほかの誰かに表現するリスクを負うことのような、単純ななにかでもありえます。

 もし私たちが分かち合うのを拒否したら、ふさがれ、使われずに澱んでしまう井戸のように、私たちの宝は色あせて価値を失ってしまうのです。

 あなたがなににしがみついていようとも、それを持って行くことはできないことを覚えておきましょう。握り締めている力をゆるめて、分かち合いがもたらす自由と広がりを感じましょう。Copyright © 2011 Osho International Foundation 

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「戦国武将を育てた禅僧たち」小和田哲男<2>

<1>よりつづく


「戦国武将を育てた禅僧たち」<2>
小和田哲男 2007/10 新潮社 全集・双書 221p
★★★★☆

1)前回12年前この本を開いたのは、どのようなタイミングだったのか。おそらく「禅と戦争」 禅仏教は戦争に協力したか  ブラィアン・アンドルー・ヴィクトリア著 光人社 2001/05 原著1997)を読んだタイミングだったと思う。

2)しかし厳然とした歴史を見る限り、戦争と禅は、深く相互に関わってきたことは事実である。それでこそ当ブログはその歴史的禅から距離を置きたがった心理があった。

3)従来の禅が武士たちの世界で発達した男性的な禅であるのに対して、OSHOの禅は現代の知的に発達した、柔和な、一方で脆弱な人類にふさわしい女性的な禅でもあります。 

 もしかするとそれは、より母系制的な傾向を持った、平和で理解力に富んだ未来の社会を志向しているのかもしれません。プラブッダ「究極の旅」p8「21世紀の禅」

4)1975年ごろ、インドに渡る前に参禅していた仙台・輪王寺に、一年後に帰国して参拝した時、とてつもない血なまぐさいものを感じて、それ以降、まったくいけなくなってしまったことがある。

5)21世紀においてはマインドフルネスと言う名の禅が横行しており、その功利性ばかりか、女性性なども強調される時代になってきている。これはこれで意義深いことであろう。

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「心が強くなるマインドフルネス」 PRESIDENT WOMAN(プレジデント ウーマン)<2>
2017年11月号 プレジデント社 雑誌

6)現在、当ブログは伊達政宗おっかけを初めており、その墓所である瑞鳳殿の観光ボランティアガイドとして関わりつつある。これからどんな展開になるか楽しみである。関連のあるページを張り付けておく。

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<3>につづく

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「渥美清・生誕90年」~知られざる寅さんとの闘い~

      

「渥美清・生誕90年」~知られざる寅さんとの闘い~
朝日テレビ ドキュメンタリー 2018年4月21日(土) 放送

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No.4178★★★★★

1)寅の本心はそれなりに分かっていたつもりだが、あらためてこのようなドキュメンタリーの新作が出ると、やっぱり面白く、新発見も多い。

2)田所康雄→渥美清→車寅次郎。

3)高倉健の映画の端役で、獣医や交番の所長などにもでたけれど、ほとんど寅に専念した渥美清。

4)生きていれば、今、90歳か。やっぱり生きていても、この年齢で寅を演じていることはないだろう。

5)あの時、ああいう形で引退するしかなかったのだろう。尾崎放哉とか、山頭火とか、役者として演じてみたい役どころはあったのだろうが、やはり観客が要求したのは寅だった。

6)渥美清 享年 68歳。

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2018/04/22

OSHO ZEN TAROT  SCHIXOPHERENIA(精神分裂症)

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OSHO ZEN TAROT 

59.SCHIXOPHERENIA(精神分裂症)

 人間は分裂している。精神分裂症は人間の普通の状態だ——少なくとも今は。

 原始的な世界ではそうではなかったのだろうが、何世紀にもわたる条件付け、文明、文化が人間を群衆にしてしまったのだ——わかれた、分裂した、相反する群衆……。

 だが、この分裂は人間の本性に反しているのだから、どこか奥深いところに隠された統一が依然として生き延びている。

 人間の魂(ソウル)はひとつであり、条件付けはすべて、せいぜい人間の表層を破壊するだけだからだ。

 だが、中心は触れられずに残っている―人間が生きつづけていられるのはそのためだ。 だが、その生は地獄になってしまった。

 禅の全努力は、この精神分裂症を落とすにはどうすればいいのか、この分裂した人格を落とすにはどうすればいいのか、人間のこの分割された心(マインド)を落とすにはどうすればいいのか、どうすれば分割されず、統合され、中心に定まり、結晶化するようになるのかということにある。

 今のままのあなたでは、自分は在るとは言えない。あなたには実存がない。あなたはさながら市場だ——多くの声。たとえ「イエス」と言いたくても、そこにはもう「ノー」がある。あなたは「イエス」という単純な言葉ですら全一性をもって口にすることができない……。

 こんなことでは、幸福はありえない。不幸こそ、分裂した人格の自然の成り行きだ。Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 3 

解説:

 このカードの人物は、「前門の虎、後門の狼」という古い考え方に新しいひねりをもたらしています! しかし、私たちは心(マインド)の優柔不断で二元的な面に引っかかって身動きできなくなったとき、まさにこの手の状況にはまっているのです。

 手を放して頭から落ちるべきか、それとも、足を放して足から先に落ちた方がいいのか? こっちに、それともあっちに、どっちに行くべきなのか? 「イエス」と言うべきか「ノー」と言うべきか? しかし、どう決心しても、もうひとつの方の決断を下すべきではなかったのかと、私たちにつねに考え込んでしまいます。

 このジレンマから脱け出す唯一の方法は、残念ながら、両方を同時に手放すことでしかありません。解決しようとしたり、是か非の一覧表を作ったり、心(マインド)でなんとか結論を出そうとしたのでは、出口は見つかりません。

 もしハートを見つけることができたら、自分のハートに従った方がよいのです。見つけられなかったら、ちょっとジャンプしてみましょう―。ハートはたちまちどきどきしはじめますから、ハートがどこにあるのか、つかみそこねることはないでしょう!Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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2018/04/21

「柘榴坂の仇討」若松節郎 監督 <2>

<1>からつづく 

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「柘榴坂の仇討」<2>
中井貴一 (出演),    阿部寛 (出演),    若松節郎 (監督) 2014/09公開作品 販売元: バンダイビジュアル 形式: DVD 時間: 125 分

1)冒頭部分すこし録画ミスしてしまったテレビ番組を、何回か、繰り返し見た。名作だと思った。涙が出た。

2)思えばこの映画、アラ還の我が世代が見てこそ、面白いのかもしれない。映画館がサービス券を配るターゲットとしては、まさに、私にこそ見てほしい映画だったのではないか。オチャラケ映画や、アクションオーバーなCG映画などより、わが世代には、こっちのほうが、ず~っとふさわしいに違いない。

3)映画のストーリーもともかく、我がリアルな人生ドラマも、かなり煮詰まった活劇を展開中だ。映画とリアルな生活を、二重写しにして、関連性を見つけて、その意味を、どんどん近づけていくことも可能だ。だとするならば、私は映画を見ながら、はてさて、これから、どんな作戦を展開すべきか、などと、映画を見ていて、考えていたのだ。

4)私は暗殺役なのか、あるいは、仇討役なのか? 取りようによっては、どちらの役回りでも引き受け可能なようだ。しかし、この映画においては、暗殺役も、仇討役も、どちらにも、違いはない。生きようとして、自らの役を、命をかけて、生きようとした、だけだったのだ。

5)ある意味においては、これは一人の男の裏と表の、内面的な活劇でもある。表裏不可分だ。そしてそれは幕藩体制から文明開化へと時代が変わる中で、多くの武士や町人たちが体験していた、時代性そのものであったと言える。

6)そして、それはまた、かつての日本におけるサムライの話に留まらず、時代を超えて、今日の21世紀の中のストーリーとして受け止めることさえ、可能である。

7)命のあるかぎり生きよ。ひたむきに生きよ。そう、サムライの師は、語る。教える。そして、二人の、サムライは悟る。彼らを包む、風景が悟る。

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«「究極の旅」  OSHO 禅の十牛図を語る <5>