2017/04/23

「アバター」 監督: ジェームズ・キャメロン

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「アバター」
監督: ジェームズ・キャメロン 出演: サム・ワーシントン, ゾーイ・サルダナ, シガーニー・ウィーバー, スティーヴン・ラング, ミシェル・ロドリゲス 公開2009年 販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン DVD 時間: 162 分
No.3957★★★★★

1)そもそも小説や映画というもの自体が、バーチャルなものであるが、足に障害を負った元・海兵隊員が、科学自術を使って、別な生命体(だろう)に入って融通無碍の動きを獲得する。その意味では、「マトリックス」と同じような基礎テーマである。

2)「セカンドライフを読む。」(ティム・ゲスト 2007/11 エンターブレイン)の中では、バーチャル・ーム・セカンドライフのに夢中になっているのは体に障害を持つ若者たちだった。

3)最近、高齢者の交通事故が話題になることが多いが、ある70歳のご老人がこういっていた。「最近、歩くのは大変だけど、クルマの運転なら大丈夫。どこでも行けるわ。車がないとどこにも行けない」。うーん、そういう時代だ。

4)この映画、バーチャルリアリティや、恐竜、CG、アクション、バトルと、なんでもありのエンターテイメント映画に仕上がっている。ストーリー性もあり、まぁまぁ、こんなものかな、と思うが、後半のバトルシーンの連続は私の好みではない。もうちょっと、のんびりと見させてくれないかなぁ。

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「如来さまにみちびかれ」 三角定義油揚げとともに 庄司 勝壽

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「如来さまにみちびかれ」 三角定義油揚げとともに
庄司 勝壽 2016/11 ブレインワークス 単行本 161p
No.3956

1)図書館の新刊コーナーに入っていた一冊。そうでなければ出会うことはほとんどなかったでだろう。調べてみると県内の図書館の半分には在庫されているが、ネットではほとんどなんの情報もない。出版元のブレインワークス社(仙台市)のHPにも新刊にもかかわらず、何もないというのは、ちょっとかわいそうかな。

2)「如来さまにみちびかれて」というタイトルなら他にもいろいろありそうだ。だが、「三角定義あぶらげとともに」とくれば、知る人ぞ知る、ググッとくるサブタイトルである。ここで「さんかくじょうぎ」と読んでしまう人にはますますわからないであろう。

3)仙台市の山岳地帯にある西方寺は、近年パワースポットとかで若者世代にも人気の観光地で、その門前に揚げたてのアツアツの三角形の油揚げを食べさせるお店がある。そこの社長のお話である。

4)当寺には、平重盛の重臣である肥後守・平貞能(たいらのさだよし)が、壇ノ浦の戦い後に当地に隠れ住んだとされる平家落人伝説が残る。貞能が安徳天皇と平氏一門の冥福を祈って阿弥陀如来を安置し、また改名して「定義」(さだよし)と名乗った。この「定義」を「じょうぎ」と音読みして[6]、当地では阿弥陀如来を定義如来と称し、当地もまた「定義(じょうげ)[6]」「上下(じょうげ)」と呼ばれるようになった。wikipedia  

5)「定義如来 西方寺五重塔建立の軌跡」(1986/10 阿部建設五重塔建立記録刊行委員会)という本を思い出した。合わせて読んだら感心倍増。

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6)地元の私たちとしては、ジョウゲさんに行ったら、揚げたての三角あぶらげを食べて、お土産に3枚~5枚、買って帰るのは定番コースとなっているが、影にはこういう秘話があったとはね。

7)中学校も満足に出ることもなく、すぐに一人で山に入って一か月一人で炭焼きをするような生活をしていたという。営林署に務めて下草刈りをしている時代のお話は、どこか若い時代のゲーリー・スナイダーさえ連想した。

8)その後、家業の副業であった油揚げ店を基礎として、三角油げを販売することを思いつく。されどすぐに成功に結び付いたわけではない。さまざまな葛藤があり、行商や店頭販売を重ねながら、今日の成功を勝ち取った人なのだった。

9)妹の歌手の庄司恵子さんがラジオ等で話題にしたことも大きな助けになったという。

10)本としては、結論が中ほどにあり、後半はやや冗漫な感じもしたが、この出版元が必ずしも出版社としての専業でないところが影響しているのであろう。おそらく影のライターが聞き取りで書いているのだろうが、まぁ、ちょっと稚拙な雰囲気を持っていることさえ、なぜかこの本の魅力の一つになっている。

11)決して、表面的なマーケティングでできた地元の名産品ではないのだ。生活の中で、必死に暮らした人々の中から生まれてきた名産なのである。今度、ジョウゲさんに行った時は、それと知って、もうすこしゆっくり味わいながらいただこう。もし同行の人がいたら、この話教えてあげようかな。

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「亡国のイージス」福井晴敏原作 : 阪本順治監督

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「亡国のイージス」
原作 福井晴敏 監督: 阪本順治 出演: 真田広之, 寺尾聰, 佐藤浩市, 中井貴一, 勝地涼 発売日 2005/12 販売元: ジェネオン エンタテインメント DVD 時間: 127 分
No.3955★☆☆☆

1)今をときめくイージス艦だが、この原作はすでに10数年前に書かれたもの。某工作員とか、秘密兵器だとか、現在の世界情勢に対応して見ることもできないわけではないだろうが、まったく関心がない。

2)例によって、この作品を見ながら寝てしまったので、この手のストーリー物のファンである奥さんが結論まで見続けたので、そのストーリーを翌朝聴くことができた。

3)この手の作品を一生懸命作っている人々がいるんだなぁ、ということを認識。

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2017/04/22

「80日間世界一周」ジュール・ヴェルヌ原作 マイケル・アンダーソン監督

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「80日間世界一周」 

ジュール・ヴェルヌ(原作) マイケル・アンダーソン (監督) デビッド・ニーブン (出演),    カンティンフラス (出演), 2015/12/16 販売元: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント  DVD 時間:  182 分
No.3954★★★☆

1)突っ込みどころ満載jの作品だが、今更どうのこうの言ってもしかたない。この作品の原作は1872年、145年前の出版なのだ。テレビもインターネットもない時代なら、この作品は驚愕の絶賛をあびたことだろう。気球、蒸気船、大陸鉄道、を使って世界の旅をする。

2)フランス、スイス、スペイン、インド、香港、と来て、明治5年の日本風景も活写される。この当時の世界感覚で日本を見るのも面白い。これが日本かとも思うが、やはり世界から見たら、これが日本なのだ。

3)アメリカ大陸では、先住民、ネイティブ・アメリカンの平和のパイプを吸い、バッファローの群れに蒸気機関車が足を止められる。

4)いやはや、DVD2枚の三時間を超える作品だが、コメディというか、パロディというか、エンターテイメントとして見る分には、結果的には面白いね。

5)こうして、世界が一つにまとまめてみることができた、ってことか。

6)現在「オンザロード1972」を書いていて、その参考に覗いてみた一枚、いや二枚だった。

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「2010年」 監督:ピーター・ハイアムズ<5>

<4>からつづく 

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「2010年」 <5>
監督:ピーター・ハイアムズ  1984年製作 米113 min 日本公開1985年

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「その男ゾルバ」 ニコス・カザンザキス アンソニー・クイン<6>

<5>からつづく

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「その男ゾルバ」<6> 
ニコス・カザンザキス (著),      アンソニー・クイン (出演),    アラン・ベイツ (出演),    マイケル・カコヤニス (監督)    発売日 2016/01  20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 形式: DVD 時間: 143 分

 

ბერძენი ზორბა / Zorba the Greek

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2017/04/21

「柔らかヒューマノイド」 ロボットが知能の謎を解き明かす細田 耕

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「柔らかヒューマノイド」 ロボットが知能の謎を解き明かす
細田 耕 (著) 2016/05 出版社: 化学同人 (DOJIN選書70) 単行本(ソフトカバー)208ページ
No.3953★★☆☆

1)かつて当ブログがスタートした時点でかなり夢中になった本に「未来のアトム」(田中伸和 2001/07 アスキー)がある。かなりの大冊だったが、四つに組んで読みふけった。その時の結論からすれば、人工知能は身体を獲得しなければならない、という結論だった。

2)だから、本当は「2001年宇宙の旅」のHALのように、目としてのカメラと声としてのスピーカーしか存在しない人工知能というのは、中途半端な人工知能ということになる。

3)もちろん宇宙船ディスカバリー全体をHALの身体と考えることもできるが、永遠に進化しつづけ、柔軟な対応を繰り返し得るのは、もっと明確な身体を持つ必要がある。それはロボットとかサイボーグとか、ヒューマノイドと言われるものとなるのだろう。

4)この本はその延長線上にあり、最近情報を伝えてくれる。だが、一個人とした場合、その技術の進歩を楽しみにすることはできるが、もう何をどう取り組んでいいかまったくわからないことになる。

5)最近のオモチャ類はともかくとして、ほんの小さい時からロボットを作ってみたい、と思っていたことは確かである。されど、いつもすぐにその可動部分の動力について考え始まると、すぐに頓挫してしまったことを思い出す。---ーー6)さて、わが廃物アートもいろいろな変遷を経て、現在はまたロボットを作れないかなぁ、と思う時がある。まずスターウォーズのロボットたち。c-3poはつくれないものだろうか。

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7)そう思って、近くの100円ショップからデッサン人形を求めてばらしてみたりする。

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8)だがそう簡単にはいかない。頭部だけでも作れないかと発泡スチロールで骸骨を作ってみる。

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9)かつてはティラノザウルスとかプテラノドンとかも実際にチキンの骨でつくってみた。

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10)だけど、もっと金属質なものをつくってみたい。

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11)実際、材料は結構あつまってきているんだよ。

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12)せっかく作るんだから、なんとかハイクオリティのものにならないだろうか。

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13)なにか楽しいことないか、子猫ちゃん。

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14)リアリティにつづく、なにか。

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15)現実生活へとつづく、柔らかヒューマノイド。

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「プレ・シンギュラリティ」 人工知能とスパコンによる社会的特異点が迫る「エクサスケールの衝撃」抜粋版 

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「プレ・シンギュラリティ」 人工知能とスパコンによる社会的特異点が迫る 「エクサスケールの衝撃」抜粋版
齊藤 元章 (著) 2016/12 PHP研究所 単行本(ソフトカバー): 254ページ
No.3952★★★☆☆ 

1)1968年、北陸地方生まれの医師にして、スーパーコンピュータ開発者。WIRED誌などにも登場している。「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 ケヴィン・ケリー2016/07)でもそうだったが、自らの幼い時代の背景を開陳しており、そこにシンパシーがひきつけられる。

2)本書の主旨は至って簡単で、世界を開くのはスーパーコンピュータで、「シンギュラリティは近い」エッセンス版―人類が生命を超越するとき (レイ・カーツワイル 2016/04)が主張する2045年の特異点の前に、2030年前後に前特異点ともいうべきものがやってくるとする。

3)それがもたらす変化は素晴らしいことがたくさんあり、その図柄をたくさん提出するが、それらは妄想と紙一重の世界。確実なものとは言えない。そのスーパーコンピュータを開発するのは日本でしかない、と強調する。もちろん、それは自分が作るのだ、と豪語する。

4)そのビジョンが素晴らしければ素晴らしいほど、すっかり魅了されるが、本を閉じてみると、そのビジョンとはかけ離れた現実、そして決してそちらには向かっていない世界の風景にギャフンとなる。

5)下手すりゃ、スーパーコンピュータですらマッド・サイエンスとして座礁しかねない危機にあるのであり、また、それでは、本当の意味でのインターネットやシンギュラリティとは反する部分も多くある。

6)集中と分散。全体と個。たくさんの矛盾がある。一人の人間として生きるには、はて、スーパーコンピュータの到来をひたすら待ち続けることはちぐはぐなものとならないか。

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2017/04/20

「さとり世代」 盗んだバイクで走り出さない若者たち 原田 曜平

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「さとり世代」 盗んだバイクで走り出さない若者たち
原田 曜平 2013/10 角川書店 新書: 243ページ
No.3951★★★☆☆ 

1)さとり世代、という言い方があるらしい。お、おもしろそうだな、と思ってこの本を取り寄せた。そして奥付をみてびっくりした。もはや三年半以上も前の本なのである。ガーン、私はこんな言葉、こんな世代論があることは、まったく知らなかった。

2)そして思った。そもそも、ほとんど一般的には知られていない世代論なんて、あんまり意味がないんじゃないか。私は私なりに、それなりにアンテナを張って生きている人間なのである。もちろん先端ではないが、ラガードでもない。まあまあ、マジョリティだろう。

3)そのマジョリティが知らない世代論なんて、私は認めない。あるいはそんなの知らなくていい。確かにネーミングは面白いが、それは面白さだけであって、あまり意味を持っていないのではないか。

4)著者は1977年生まれの博報堂の男。ふむふむ、だとしてももはや40男なのか。ああ、時代は流れているな。

5)最初の方の結論は、結局このさとり世代を決定づけているのは二つ。ひとつは長引く不況。そしてもうひとつはSNSの発達。特にLINEときた。

6)LINEについては、私は私なりにけっこう早くアプリをインストールした。しかし私向きではないとすぐに判断したので、使っていない。

7)かつてはパソコンは役立たない一部のマニアのただの函のように言われていた。はやく、パソコンで仕事をする時代が来ないかなぁと期待していた。そんな時代はすぐにやってきた。そして、いまやパソコンがなければ仕事はできない時代となった。

8)パソコンどころか、仕事をする上では、タブレットやスマホを要求するようになってきた。さまざまなアプリもどんどん投入されている。しかし、私は、もしLINEを使わないのであれば、仕事が遂行できない時代が来たならば、さっさと仕事をやめようと思う。もはやぎりぎりのところに来ているのだ。

9)私はもうひとつ、最近のはやりで、「なんとかGO!」とかいう奴も大嫌い。というか、まったくやったことがない。同年配でも、意外とこのアプリに夢中になっている奴も多くいる。ええ~~、そうなの~~、と私は顔をそむける。

10)ゲームだって、私の好みは単純にボードゲームをオンラインで、見知らぬ相手とやるだけだ。体感速度や反射神経を競うようなゲームはもともと大嫌い。古い男でござんす。

11)この本、最初は面白いかなあ、と思って読み始めたが、どんどん流し読みになってしまった。

12)私は別に、バイクを盗みもしなかったし、バイクで走るのも別段に魅力を感じなかったが、この本のサブタイトル「盗んだバイクで走り出さない若者たち」とバランスをとるために、尾崎の動画を張り付けておこう。

13)私は、中年になったり、還暦をむかえそうになった尾崎を見たかったが、それはかなわなかった。

14)段階の世代とかベビーブーマーと言われた第二次世界大戦後の世界代の世代論ほどの広がりを、このさとり世代とやらは持ちえない。不景気にあえぐ日本の、やたらとスマホが流通した、LINEつながりのジェネレーションを、揶揄的にマーケッター達が勝手に名付けたにすぎない。

15)所詮、世代論なんて皮相なものだ。

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OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <8>

<7>からつづく

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「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <8>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

 西洋哲学の父デカルトは、疑うことから始めた。彼は、疑うことができない何ものかを探すために、すべてを疑うところから始めた。実人生の基本において疑うことできないものだけを探し始めたからだ。 

 信じることができないものごとを真実なる人生の基礎とはできない。この基礎は沈みつつあり、あなたはその砂の上に家を建てようとしている。そこで彼はすべてを疑った。神は容易に疑い得る。世界は疑い得る。それはまるで夢のようなものだ。そして他のものは・・・・ 

 デカルトは全てを疑った。そして突然彼は、自分自身を疑うことはできないことに気づいた。それでは矛盾するからだ。 

 もしあなたがあなた自身を疑うとすれば、それは、疑いを持っている自分自身がいるということを信じなければならないからだ。あなたは、あなた自身についてだまされていると言うことはできるが、しかしだまされている誰かがいることになる。自分を疑うことはできない。 

 マハビーラは神を信じなかった。彼は自分だけを信じた。というのもそれだけが確かなことだからだ。あなたは確実に成長できる。あなたは不確実に成長することなどできない。確実性がある時、そこに信頼がある。不確実なものがあるとき、そこには信仰があるだろう。しかし、信仰の影にはいつも疑いがある。 

 たくさんの有神論者が私のところに来た。彼らは神を信じる、しかし彼らの信仰は表面的なものだ。彼らをちょっと突っ込み、ちょっと押し、彼らをちょっと揺すると、彼らは疑い深くなり、畏れ始める。もしあなたがそんなに疑いのなかにあるなら、どんな種類の宗教があり得るだろう。何か疑うことができないものが必要だ。 

 信じることを強制することはできるだろうが、強制されて信じたは間違った信じ方である。あなた自身を説得し強制することはできるだろうが、それでは助けにならない。というのもあなたの説得やあなたの強制は、いつでもあなたのもので、心は揺れ続ける。だからこそ、仏陀やマハヴィーラは瞑想を強調した。 

 瞑想は全く違った技術だ。信じることは必要ない。他に移る必要もない。あなたは一人そこにいる。しかしあなたはあなた自身に気づいていなければならない。それはあの僧侶がやっていたことだ。 

 彼はラムの名前を唱え続けたりはしない、アラーを唱え続けたりはしない。彼は彼自身の名前を呼び続ける、そう自分自身の名前だけだ。なぜなら他のすべて確かではないからだ。彼は彼の名前を呼ぶ。「そこにいるかい?」。 そして彼はどんな神の答えなど待ってはいない。彼は彼自身に答える。「はい、師よ。私はここにいます」。 

 これこそが仏教徒の態度だ。あなたはひとりでここにいる。もしあなたが眠りこけていたら、あなた自身を呼び覚まし、答えなければならない。それは独り言だ。どんな神からの答えも待っていてはいけない。そこにはあなたに答えるものなどいない。 

 あなたの質問は空っぽな空に消えていくだろう、あならの願いなど聴かれることはないだろう。それを聴く人などいない。だからこの僧侶は馬鹿げて見えるが、真実ではある。すべての他の祈りを上げるひとたちは、この僧侶より馬鹿げてみえる。この僧侶のより確かなことは、彼自身に呼びかけ、彼自身が答え続けていることだ。 

 あなたはもっと自分自身に注意深くすることができる。教えてあげよう、あなたの名前はマントラなのだ。ラーマとかアラーとか唱えず、あなた自身の名前を唱えなさい。何回でも、あなたが眠くなったら、どんな時でも煮詰まったなあと感じたら、あなた自身に呼びかけなさい。「おい、いるかい?」と。そしてあなた自身が答えるのだ。 

 誰か他の人の答えを待ってはいけない。あなたに答える人など誰もいない。答えなさい、「はい、私はここにいます」と。そして決して声を出して答えてはならない。それを感じなさい。「はい、私はここにいます」。 

 そして、そこに注意深くいなさい。その注意深さの中で、思考は止まり、その注意深さの中でマインドはたちまち消え去る。そしてそこにマインドがない時、そこに瞑想がある。マインドが止まった時、瞑想が存在の中に入ってくる。 

 瞑想とはマインドによって行われるものではないことを覚えておきなさい。それはマインドの不在だ。マインドが引き下がった時、瞑想が起こる。それはマインドから起こってくる何かではない。それはマインドを超えた何かだ。 

 いつであれあなたが注意深い時、マインドはない。だから私たちはあなたの眠気はあなたのマインドだ、と断定することができる。あなたの不注意さはあなたのマインドだ。あなたの夢遊病はあなたのマインドだ。あなたは、酔っ払いのように動く、あなたが誰であるかわからないまま。どこに行こうとしているかわからないまま。なぜあなたは行こうとしているかを知らないまま。OSHO p7~9/254  (10~12/198)

つづく

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