2017/05/22

「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版<6>

<5>からつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版

<6>三つづつに絞る    目次

1)そしてさらにはそれぞれのジャンルから、三つずつ抽出してみた。

科学
「ブログ・ジャーナリズム」
「シンギュラリティ」
「One Earth One humanity」

芸術
「地球人として生きる」
「Meditation in the Marketplace」
「Mindfulness in the Modernworld」

意識
「地球人スピリット」
「地球人スピリット宣言草稿」
「来るべき地球人スピリット」

2)ここに残されて表されてきたのは、同義反復のような、現実であった。私はなんであれ、当ブログを通じて、この周辺を、この10数年、うろうろと動き回っていたのである。エッセンス版というなら、もうここに絞っていくしかないのである。私はこれを言いたかったのだし、これを言うしか、このブログには他になんの目的もないのだ。

つづく

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「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版<5>

<4>からつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」エッセンス版

<5>4000冊目     目次

1)あと10冊メモすれば、当ブログとしては4000冊目の記録となる。本以外に、映画や音楽、芝居などをメモしてきた限り、正確な4000冊目ではないが、おおよそその周辺にあることは間違いない。

2)その記録に向かって、果てその4000冊目とやらは何が来るだろうと、自分でも興味深々だったのだが、当ブログとしては何を持ってきても4000冊目にはふさわしくないだろう。たった一冊に当ブログを象徴させることはできない。OSHOの本であっても、どんなにまれな本であっても。

3)むしろここは観念して、敢えて「地球人スピリット・ジャーナル」ダイジェスト版を提示するのが、もっとも正しい誠実さだ、と思えるようになってきた。

4)そこで敢えて、66ほどに重なったカテゴリ名だけでも整理してみようと思った。当ブログにおけるカテゴリ名は、必ずしも純粋な分類にはなっていない。その時期に最も関心のあったテーマをカテゴリ名としてその期間を切り取ってきたのだ。それらを敢えて、科学、芸術、意識の三分類してみようとした。あるいは既知、未知、不可知、の意味も重ねている。サイエンス、アート、コンシャスネスと、英語で洒落たとしても同じことである。

5)ざっくり分類してみると、意外や意外、圧倒的に科学に分類されるものが少なかった。そして純粋に意識へと純化されたカテゴリ名も決して多くなかった。敢えていうなら、芸術と目された範囲に半分以上のカテゴリ名が分類されたのである。

6)それはある意味妥当なことであった。上と下と、中と外と、ちょうど中間にいようとすると、真ん中、中間にいることで全体であろうとしているわけだから、当然と言えば当然だ。そうならざるを得ない。

7)しかしながら、ここは敢えて、分量的に三分してみることにした。

科学                                            

03)「ブログ・ジャーナリズム」
05)「ネット社会と未来」
07)「シンギュラリティ」
08)「マルチチュード」
10)「2ndライフ」
12)「シンギュラリタリアン」
14)「OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2」
15)「マーケットプレイス」
28)「クラウドソーシング」
31)「One   Earth One Humanity」
32)「No   Earth No Humanity」
33)「No   Books No Blogs」
35)「森の生活」
38)「センダード2011」 
47)「46億年目の地球」 
51)「コンシャス・マルチチュード」   
54)「Yahman   Osho」 
56)「空と緑」 
57)「ボタニカル・スピリチュアリティ」
63)「Fintech」 
64)「イノヴェイション」

芸術

                                           
26)「表現からアートへ」
27)「地球人として生きる」
36)「3.11天地人」
37)「3.11後を生きる」
40)「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 
42)「Meditation   in the Marketplace1」 
43)「Meditation   in the Marketplace2」  
44)「Meditation   in the Marketplace3」
45)「Meditation   in the Marketplace4」 
46)Meditation in the Marketplace5」 
48)「時の葦船」
49)「無窮のアリア」
52)「さすらいの夏休み」 
53)「絆の都」
55)「Zorba   The Buddha 」 
58)「ねぇ、ムーミン」 
59)「じゃこうねずみ」 
60)「すべてがムダであることについて」 
62)「Oh   my Love 」 
65)「Mindfulness   in the Modern World」
66)「現代世界におけるマインドフルネス2」
67)「現代世界におけるマインドフルネス3」

意識

                                           
04)「地球人スピリット」
06)「アガルタ」
09)「ブッタ達の心理学1.0」
11)「レムリア」
13)「チェロキー」 
16)「スピリット・オブ・エクスタシー」
17)「アンソロポロジー」
18)「環境心理学」
19)「スピノザ」
20)「agarta-david」
21)「mandala-integral」
22)「osho@spiritual.earth」 
23)「バックヤード」
24)「ブッタ達の心理学2.0」 
25)「意識とは何か」
29)「私は誰か」
30)「ブッタ達の心理学3.0」
34)「メタコンシャス   意識を意識する」
39)「地球人スピリット宣言草稿」 
41)「プロジェクト567」
50)   「来たるべき地球人スピリット」 
61)「把不住」 


<6>につづく

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「土偶のリアル」 発見・発掘から蒐集・国宝誕生まで譽田亜紀子他

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「土偶のリアル」 発見・発掘から蒐集・国宝誕生まで
譽田亜紀子 (著),    武藤康弘 (監修),    スソアキコ (イラスト) 2017/03 山川出版社 単行本: 200ページ
No.No.3991★★★★★ 

1)どことなく、先日目を通した一冊が思い出された。

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「月と蛇と縄文人」シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観<2>
大島 直行 (著) 2014/01 寿郎社 単行本: 280ページ

2)ついでのOSHOの動画をひとつ思い出した。

OSHO:Making Love --A Sacred Experience

(日本語の字幕付きです。字幕が表示されない時には、画面の右下の「字幕」表示のためのアイコンをクリックして日本語表示を選択してください。それでも表示されない時は「設定」でJapaneseないし「日本語」を選択してください。)

3)当ブログ「廃物アート」の中の縄文<木>偶で、縄文土偶と言えば、遮光器土偶で決まりだと思っていたのだが、どうやらそうでもなさそうだ。

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 このマップを見る限り、遮光器土偶はごく一部なのだ。 

4)そしてまた、縄文文化を遮光器土偶で決まりとした千葉ホツマへのあらたなる疑問も湧いてくる。で、あったとしてもやはり遮光器土偶は、縄文晩期に登場するのだから、弥生時代の日本の黎明期にバトンタッチする存在としては、実に象徴的である。

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「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩<2>
千葉 富三  2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ

5)この本の実に興味深いところは、いままで土偶と器を関連付けて考えてこなかったが、年代順に、器と土偶を並べて画像を張り付いているところ。なるほど~~。晩期になればなるほど、器というよりUFOに見えてきたりする(笑)

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6)女性らしいキラメキが随所に感じられる一冊である。

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「芸術と科学のあいだ」福岡伸一

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「芸術と科学のあいだ」
福岡伸一 2015/11 木楽舎 単行本(ソフトカバー): 320ページ
No.No.3990 

1)この本、確かに面白い。芸術と科学とはいうものの、ほとんどが各章の短いエッセイが中心。しかも面倒な科学噺ではない。むしろアートに関するものが多いのだが、そのアートは各章の扉に小さく切り取られたカラー画像が一枚だけ。

2)小さいくせに一枚一枚がかなりなインパクトである。メガトン級。フェルメールに関する章は再読したいかな。

3)タイトル「芸術と科学のあいだ」に、なにかイチャモンつけたい。なぜに芸術が先にくるのか。どうして後から科学が来るのか。

4)科学、芸術、意識。この三本柱を旨とする当ブログとしては、芸術と科学だけ取り出されては、なんとも片手落ちな感じ。なにかで埋めたい。

5)ここまでコンパクトにスマッシュを決められてしまうと、あとは、ひとつひとつ禅語でもくっつけて、「意識」とするしかないかもしれない。

6)でも「科学と芸術と意識のあいだ」では、ちょっと間延びする。

7)「ひとつとしての、科学、芸術、意識」。う~ん、これでもバラバラだ。

8)そして、最初から、キチンとこの三つを並べて一つの作品を構成したら、おそらくちゃんとしたタイトルが生まれるだろう。サブタイトルとして「科学、芸術、意識」だ。

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「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<10>

<9>よりつづく 

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「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<10>
生長の家 2017/05 日本教文社 小冊子 p66 
No.No.3987~3989★★★☆☆

1)もうほんとにやめようと重いのだが、ウォーキングの途中にあるので、ついついいただいてしまう。自由にお取りください、となっているのだから、いただいて、そしてキチンと読めば、失礼にはならないかな。

2)いただいたとしても、今回からはメモしないでおこうと決めていたのだが、どうも気になって、またメモすることになってしまった。

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3)この記事の中の水素自動車ミライに対する感性は、当ブログとはかなり近い。研究すればするほど、著者のおっしゃっていることが正論のように思う。

 私としては「ミライ」よりも「リーフ」が好きである。こういう言い方が個人的過ぎるならば、燃料電池車よりも電気自動車が好きだと言おう。理由は、前者よりも後者の方が自然エネルギーと親和性があり、エネルギーの分散利用にもつながると考えるからだ。 p69

4)ミライについては、当ブログもいろいろ感じてきた。

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「未来のクルマができるまで」 世界初、水素で走る燃料電池自動車 MIRAI岩貞 るみこ (著) 2016/06 講談社 単行本: 176ページ

 その開発話には感動した。

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「なぜ、トヨタは700万円で『ミライ』を売ることができたか?」-技術革新のメガトレンドが市場構造を変える
井熊 均 (著),    木通 秀樹 (著) 2015/09 日刊工業新聞社 単行本: 176ページ

 提灯記事ばかりではなく、真向からの否定もある。

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「『走る原発』エコカー」危ない水素社会
上岡 直見 (著) 2015/07 コモンズ 単行本  134ページ

 ドイツ車に追いつけとばかり、日本車にエールを送ってきた徳大寺有恒は、ミライを見て、日本車はようやくここに到達した、とミライを見届けてこの世を去っていった。本当か? 単に、その役を押しつけただけではなかったか。

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「2015年版間違いだらけのクルマ選び」 
徳大寺 有恒(著), 島下 泰久(著) 2014/12 草思社 単行本: 256ページ

5)この雑誌の記事においては、新幹線の開発話にも「ケチ」をつけている。まぁ、おそらくコピーライターの勇み足の部分もあるのだろうが、確かに「カイハツ」をやめられない科学的勇足も、戒められてしかるべきだろう。リニアモータカーなんて、本当に妥当性があるのか。必要性があるのか。経済界とマッドサイエンスの末路ではないのか。

6)エコロジカルな視点は確かなようだが、はてさて、この人、宗教界のリーダー足り得るのか。他人事ながら、心配になってくる。

7)科学に対する「意識」の在り方。注目には値する。

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マインドフルネスと坐禅・瞑想 「大法輪」特集<3>

<2>よりつづく

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「大法輪」マインドフルネスと坐禅・瞑想 <3>
2017/ 04 大法輪閣 雑誌 1934創刊 一般の人へ仏教をやさしく紹介 月刊版

1)私の中では、ゴータマ・ブッタが回した法輪が速度を失い、Oshoによって新たなる2500年の法輪が回り始めたのを「見た」ことは確かなことなのだが、それをあまり口に出して言ったことはない。でも、最近はもっと言おうかな、と思うようになった。だって、それは本当のことだから。少なくとも私にとってはね。

2)歓迎されて彼らとともに一ヶ月間その行に参加しているうちに、私の中では一つの理解が起こった。日本山の出家者たちはオレンジ色の衣を着るが、それは美しくもまぶしいが夕焼けの美しさであり死体を焼く炎のまぶしさだ。 

 OSHOのサニヤシン達もオレンジを着るが、それは朝日のまぶしさであり、誕生に伴う鮮血の鮮やかな美しさだった。仏教はその使命を終えつつあり、最後の法華経を奉じる彼らがインドに沈もうとしていた。その時水平線上からかすかに新しいOSHOの光が上り始めたのだ。 

 法華経や大集月蔵経にあるように、日の国・日本の仏法を月国・インドに返すために、1931年、藤井日達上人はインド・ボンベイに渡った。こうしてインドの誕生した仏法は中国・日本に渡り、二千五百年の後に日達上人によって再びインドに帰ったのである。この年、ボンベイの北部ウチワダでOSHOは最後の肉体を持って誕生した。 

 仏足山でうちわ太鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経」を唱えていた満月の夜、私はひとつの不思議なビジョンを見た。地球、月、太陽が一直線に並び、その延長線上に私は立っている。それは私とOSHOと日達上人のことであり、時に私23才、OSHO46才、日達上人92才、この数字の中に合わせ鏡の様に共振するエネルギーが存在していた。彼らは私の父であり、祖父でもあった。「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992

3)さて、マインドフルネスという観点から日蓮宗を考えた場合どうなるのだろう。その疑問にすこしでも答えてくれているのが、この雑誌特集にある「南無妙法蓮華経とマインドフルネス」(日蓮宗釈迦寺住職・影山教俊)という文章だろう。雑誌6ページにわたるちょっとした囲みものだが、最後にこうある。

4)唱題による瞑想体験がマインドフルネスである。この体験を仏教文献から読み取ると、唱題による成仏(仏界)は、それはスピリチュアル(不可思議)なことがらだから意識化できない。だから「信じる」ことで無分別の意識状態を誘導せよ、と信ずることの安らぎ状態(これを「以信代慧」という)を強調する。

 さらに唱題によるマインドフルネスは、慈愛の意識(菩薩界)までが、意識化の対象になるという。まさにこの慈愛の意識状態に気づくことによって、私たちは成仏(仏界への「気づき」)を志向し、成仏への信行が生まれるのである。

 これが伝統的な仏教の営み、「行学二道」「行学一体」の世界である。p107「南無妙法蓮華経とマインドフルネス」「結語にかえて」

5)なにはともあれ、この部分とリンク張っておけば、この雑誌の役目は終わる。

つづく、かも。

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「寅さん語録」 寅さんが教えてくれる今を生きるための50のメッセージ 轟夕起夫他<2>

<1>からつづく
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「寅さん語録」 寅さんが教えてくれる今を生きるための50のメッセージ<2>
轟 夕起夫  イソガイ マサト 2017/03 出版社: ぴあ 単行本: 151ページ
★★★★★

1)調剤薬局に風邪薬をもらいに行って、待ち時間5分の間てにしていた本。あんまり気になったので、図書館から借りだした。この手のきっかけで当ブログに一時代を切り開いた本に、「悪役レスラーのやさしい素顔」(ミスター高橋 2015/03 双葉社)がある。

2)そもそも私は寅が嫌いだった。フーテン、という言葉使いが嫌いだった。ヒッピーとかフーテンとかいう言葉は自尊の言葉であったり、侮蔑の言葉だったりした。私はテレビでこの映画の前作となる「泣いてたまるか」シリーズの大ファンだったので、受けに入って映画化したこと自体、反発した。



3) 主題歌だって、ずっと覚えていて、オレの主題歌だったんだ。テレビ番組だったのは中学生の頃だが。

5)高校卒業して、オレ自体がフーテンみたいになってしまってからは、この言葉使いが大嫌いだった。当時のヤクザ映画も大嫌い。横尾忠則がなんぼ健サーン、と叫んだとて、私は見向きもしなかった。

6)ところが、それら10数年もして、なんとか定職にもついて、家族も増えた頃、たまに仕事時間にサボってサウナ風呂にいくようになった。そしてそのサウナ休憩室で、初めて寅の映画を見たのだ。私はハマった。あの時の夏のスノコのシーンがいまだに忘れられない。

7)あれからテレビで再放送やるときは、焼酎をひっかけながら、必ず見た。残念ながら、映画館でみるという習慣は一回も身につかなかった。やはり寅はテレビだろう。

8)それこそ今世紀になったころに、寅全作品48作を一挙に放送したことがあった。あの時私は全部自前のDVDに録画した。録画すること自体大変な作業で、その後、整理していなかった。

9)おととしの春の連休に、エコビレッジ構想が頓挫して、一週間まるまんま一人で自宅にごろ寝する事態になった。この時思い出して、寅全作品を再視聴して、整理した。いやぁ、よかった。酒量も増えた。

10)最近もまたテレビでやっている時がある。必ず見る。だけど、悲しい。だって、もう寅はいないからな。寅だって死ぬんだ。寅だって、老いるんだ。あの日本の古い風景がますます涙を誘う。もう、全作48作を一挙にみよう、なんて無謀なたくらみはもうしないだろう。

11)最後の10作くらいは、寅の老いが見えて、ちょっと悲しすぎたなぁ。それがまたいいのだが。一番好きな作品と言ったら、最初の10作くらいかな。ミヤコ蝶々がでてくる二作がいいかもしれない。あと宇野重吉がでてくる奴もいい。

12)渥美清は、山頭火のファンだったとか。寅ではなくて、山頭火をやりたかったんだ、彼は。でも、寅を演じきった。エライと思う。ありがとう。

13)この本にでているアフォリズムは全部好き。でもやっぱり午前様のあのお言葉がサイコーでしょう。

14)私はもう積極的に寅を見たいとは思わない。この本も借りてまではみない。でも、今度、あの調剤薬局に水虫の薬でももらいに行ったとき、やっぱり5分間くらい手にとるんだろうな。面白いから。

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「遅読家のための読書術」 情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣
印南 敦史   (著) 2016/02 ダイヤモンド社 単行本(ソフトカバー): 208ページ
No.3986★☆☆☆☆

1)この本、0点。星なら一つ。面白くないわけじゃない。ほとんどが同意だからだ。同じようなテーマで書いたら、私はまったく著者と同じよう本になるんじゃないかな。だから0点。私にとっては、まったく「ため」にならない。まったくその通りだ、と同意の連続。

2)若干、目読の速度が落ちたのは最後の著者が小さい時に事故にあって、数週間意識を失っていた時のことが書いてあったところ。そういえば、ほとんど私はメモしてこなかったが、実は私にもツールド東北のような自転車レースを見に行って、観客の自転車にぶつかって、意識を失い、自宅に担ぎ込まれたことがあったのだ。

3)それと2歳の頃に、コンクリートの床に落ちて、この時も意識を失ったらしいこと。これらのことは、あまりにも幼少の時のことなので、よく覚えてはいないのだが、まったく忘れてしまっているわけじゃない。8歳の時の、風呂場の鏡事件に、なにかつながっていくのかな、と思った。

4)とにかく、評価はしないが、この人のこの本は、まったく賛成。私が書いた本、とウソついても、バレないかも(笑)

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「死ぬ前に後悔しない読書術」 適菜収

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「死ぬ前に後悔しない読書術」
適菜 収   (著) 2016/03 ベストセラーズ 単行本: 224ページ
No.3985★★☆☆☆

1)「死ぬときに後悔すること25」(大津 秀一 2009/05 致知出版社)と通じるものがあるかな、と手に取った一冊。この手の本、読まないわけではないが、おそらく再読はしないし、精読などもサラサラしないだろうな。

2)著者は1975年生まれの作家、哲学者、だとか。今更こんな「若造」の話、と一笑に付してしまいそうだが、まぁすでに42歳の一端の大人なのだし、一笑に付すのは、あまりに「大人げ」ない。まずは耳を貸そうじゃないか。

3)この本を読んだ当ブログとしては、まずはおっしゃるようにエッカーマン「ゲーテとの対話」くらいは続きで手にとろうと思う。当ブログは、すでに4000冊弱の本をメモしてきた。だからどうした、と言われればそれだけのことだが、ジャスト4000冊目に何が来るだろうと、興味津々というところ。あと残り十冊あまりの本の傾向はこの「ゲーテとの対話」に向けて進んでいくことになるだろうか。

4)そもそも雑読・濫読・乱読癖がなければ、この手の本には手が伸びないわけで、私は乱読は避けて通れないと思う。もちろん精読している本もあることはあるが、著者がいうような精読ではなさそうだ。

5)しかし、読書くらい、人にどうのこうのと言われたくはないだろう。各人自由でいいんじゃないかい。ご本人自体が、自由に読んでいるわけだし。死ぬ前に後悔云々は、まぁ、出版社の編集者のアドバイスもあるだろうな。本としては売らなければならないしね。

6)本は捨てる派らしいが、蔵書は200冊ほどあるとか。私は本は図書館で借りる派だが、蔵書はいまだに数千冊ある。全部必要かと言われればホントは必要ないが、資料としては、いつ必要になるかわからないからなぁ。

7)この方の言いたいことは、おそらく価値ある古典を繰り返し精読せよ、ということと理解して、そう遠くあるまい。私はこの本を再読はしない。

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2017/05/21

「大人を黙らせるインターネットの歩き方」小木曽 健

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「大人を黙らせるインターネットの歩き方」
小木曽 健 (著) 2017/05 筑摩書房 新書: 208ページ
No.3984★★☆☆☆

1)こちらもそれなりに練ったタイトルをつけてはいるが、どうも納得はしない。この本で想定されている大人より、私はさらに年配で保守的であると推測されかねないが、いやいやどうして、そうでもない。おそらく、私の周りの大人は、それほどわからずやでもないよ。

2)著者はグリーの社員らしいから、立場上、子供寄りの発言をする必要があるのだろうが、まずはネット・リテラシーを普及させようという態度はそれでいいと思う。ただし、ネットの本当の真価や危険性は、まだまだ未知数なので、断定的に子供たちの人気取りをして、口実ばかりを与えるのはどうかな。

3)個人的には、あの吹き出し型のメール機能だけは好きになれないので、使わない。本当に必要な打ち合わせ時間の変更とか、急用の確認などはSMSでもいいし、もちろん通話でも十分だ。

4)子供たちに口実を与えているというより、口答えされた大人たちが、この本を読んで反省する、という狙いがあるのかもしれないが、それもなんだか姑息だな。私は個人的には、そのような成長期にある子供たちの環境に直接の責任が発生しない年代になっているので、すこし肩の荷が軽いし、ああ、オレの問題じゃないや、と思いがち。

5)本当は、真剣にそのことについて考えて、いろいろ話し合って、お互いの考え方をすり合わせしておかなくてはならないことは多いよね。現役世代のみなさん、ご苦労さん。

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