カテゴリー「25)時の葦舟」の108件の記事

2013/12/31

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<48>「時の葦船」カテゴリについて

<47>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<48>「時の葦船」カテゴリ について

 一度はやめることを考えたブログだったが、結局、私は、読書をやめることはなく、またそれを書きとめておくブログも、ほそぼそとながら、続けていく効用はあるだろう、と思い直した。

 最初は、とくにテーマもなかったので、流行りのつづり方で、「ESJ47」カテゴリとした。ESJはアース・スピリット・ジャーナルの略称、47は、ちょうど47番目のカテゴリにあたっていたからである。

 このカテゴリを大きく変えていったのは、ふたたび孫たちと暮らすことになった日々の生活だった。家族が増えることで、考えることはいろいろ増え、あるいは制限され、はたまた方向性は大きく変わった。

 読書の傾向では、飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」2013/03 鳥影社)の精読モードにはいり、3・11と郷土史の組み合わせという不思議な空間に入っていった。

 あたかも、故石川裕人畢竟の戯曲集三部作「時の葦舟」(2011/02 Newton100実行委員会)の、「未来」、「古代」、「現代」の時代区分に、何事かの関連を見つけ、それを一つのリンクとして、「虚構」、「寓話」、「事実」の、相互検証が始まった。

 それを機に、カテゴリ名を石川戯曲にあやかって「時の葦舟」と改題した。

 したがって「再読したいこのカテゴリこの3冊」、石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作 、飯沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」、千葉 富三「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩、の3冊となった。

 書かれたのは、2013/10/11から2013/12/31まで。

 流れとしては分かりやすいカテゴリだったが、抱えてしまったテーマは、当ブログとしては、ちょっと重すぎる。

 Kindle編集や、郷土史的散策、天井アトリエ改造など、いろいろな具体的な派生ラインが生まれそうな可能性に飛んだカテゴリではあったが、まだ、大きな成果はなく、今後につながることで、その成り行きが変わってくるだろう。

<49>につづく 

 

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2013/12/30

再読したいこのカテゴリこの3冊「時の葦舟」編

前よりつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「時の葦舟」

Asi
「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会

 
「解き明かされる日本最古の歴史津波」  
飯沼勇義 2013/03 鳥影社

Tiba2
「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩
千葉 富三  2009/7/1 文芸社

後につづく

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2013/12/29

OSHO「英知の辞典」 <32> 関連リスト

<31>からつづく
Eiti
「英知の辞典」 <32>
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本  579p

新しい人間 NEW MAN       
意識 CONSCIOUSNESS       
エコロジー ECOLOGY
演じる ACTING    
科学 SCIENCE     
革命 REVOLUTION      
寓話 PARABLE    
群衆 CROWD     
芸術 ART     
<個> INDIVIDUALITY     
コミューン COMMUNE       
自然 NATURE  
受容性 RECEPTIVITY   
真実 TRUTH      
神秘主義 MYSTICISM       
心理学 PSYCHOLOGY 
生 LIFE     
政治 POLITICS  再掲       
セラピー THERAPY     
禅 ZEN     
沈黙 SILENCE      
東洋/西洋 EAST/WEST    
七つの谷 VALLYES    
人間 MAN     
ブッダフィールド BUDDHAFIELD    
文明 CIVILIZATION    
瞑想 MEDITATION

<33>につづく

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2013/12/28

OSHO「英知の辞典」 <31>生 LIFE

<30>からつづく 
Eiti  
「英知の辞典」 <31>
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本  579p

生 LIFE

 私はあなた方に言おう。生こそが唯一の真実である、と。生よりほかに神はない。だから生に身を任せて、自分がありとあらゆる形や色や次元---虹のすべての色、音楽のすべての音に乗っ取られるを許しなさい。

 この単純なことをやることができたら・・・・・それは単純なことだ。なぜなら、それはたんに手放しの問題でしかないからだ。川を推し進めてはいけない。海まで川に運ばれていきなさい。それはすでに途上にある。

 あなたはリラックスして、緊張したり、ことさら精神的になろうとしてはいけない。物質と精神のあいだにどのような分離もつくりださないこと。<存在>はひとつであり、物質と精神は同じコインの裏表にすぎない。

 くつろいで、休み、川とともに行きなさい。ビジネスマンではなく、ばくち打ち(ギャンブラー)になりなさい。そうすれば、神のことをもっと知ることができる。なぜなら、ばくち打ちは危険を冒すことができるからだ。

 ばくち打ちは計算高くはなく、自分の手持ちをすべて賭けることができる。すべてを賭けて待つときの、ばくち打ちのスリル・・・・・吉と出るか、凶と出るか? まさにこの瞬間に、窓が開くかもしれない。まさにその瞬間が、内なる視点(ゲシュタルト)の変容になるかもしれない。

 酔っ払いになりなさい。生に、<存在>のワインに酔いしれなさい。しらふでいてはいけない。しらふの人は死んでいる。生のワインを飲みなさい。そこには多くの詩、多くの精髄(ジュース)が満ちあふれている。春はいつでもやって来る。ただ春を呼び、太陽と風と雨を自分のなかに入らせるだけでいい・・・・。

 私はあなた方に言いたい。あなたは生まれ、そしていつの日か死ぬが、あなたのなかの何かは誕生前からあったし、あなたの何かは死後も残るだろう、と。その何かとは生だ。永遠の生だ。  GULDA SPIRITUALE  OSHO p340

<32>につづく

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石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作<14>

<13>よりつづく

Asi
「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集<14>
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会 単行本 p262 石川裕人年表
★★★★★

 生命は宇宙の中で稀な現象であることは間違いないなかろう。おそらく生命は太陽系だけに限られており、われわれが主として問題にしている生命と較べられるような何らかの生命を考えるなら、地球だけに限られている。

 さらにまた、生命は時間的に限られた期間のものであって、地質時代の最初期以前には存在せず、やがて地球が再び生命の住まない焼けつくしたか或いは凍りついた一惑星になる時が確かに来る、と考えて間違いなかろう。

 この地球上において人間に類するものに限らずあらゆる形態の生命の存続を許している幸福な偶然事は完全な破壊的終末に至るのを免れないということは、いわれなくてもわかりきったことである。

 ある意味で確かにわれわれは死を宣告された一惑星上の難破船の乗客である。にもかかわらず、難破に臨んでも人間の体面と人間の価値とは必ずしも全く消滅はしない。

 そしてわれわれはそれらを十分重んじなければならない。われわれは滅びてゆくであろう。しかしわれわれはそれをわれわれの尊厳にふさわしいと思える仕方で迎えようと思う。

 ノーバート・ウィナー        p9 巻頭言

<15>につづく

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2013/12/27

「ホツマ辞典」―漢字以前の世界へ 池田 満 <1>

池田 満   (著) 1999/06 ホツマ刊行会 単行本 306ページ
Total No.3154★★★★★

 図書館から借りてきた本は、表カバーが外れてしまっていたので、素っ気ない顔をした一冊だった。ネットでこの本の表紙を見て、ああ、これならまた印象が変わるかな、と思った。

 いずれにしても、「辞典」だから、面白い面と、ちょっとなぁと思う面と、二つの面がある。

 面白い面は、とにかく、分からない、気になるホツマ(オシテ)にであったら、すぐ調べてみることができる、というところ

 ちょっとなぁと思うのは、配列が、いわゆるあいうえお順ではないので、お目当ての単語に辿り着くまで時間がかかる、あるいは、辿り着かないところ。ヲシテ文献の辞典だから、オシテ配列にしてあるところが、いいのかもしれない。

 そして、ひとつひとつの単語の意味を読み始めると、なんだか期待していないような内容も来るので、これもまた、なんだかなぁ、と思う面。

 つまり、ひとつの単語でイメージしている私の像と、この「辞典」が提示してくる像に、少なからず乖離があるのだ。どうしてだろう。

 私がまったくホツマ理解を頓珍漢に進めているのだろうか(たぶん、これに違いない)。あるいは、この辞典の編集方針が特殊なのだろうか。

 著者については、私は原理主義者とニックネームをつけている。ホツマなりに、原理はあるだろう。しかし、本当に「原理」なんてあるだろうか。ホツマ原理主義、ホツマ至上主義が過ぎると、どこか鼻がついてくることになりはしないか。

 ホツマカルトにもなり得るし、ホツマ独裁主義にもなり得る。ホツマオタク、ホツマ読みのホツマ知らずにさえなりかねない、なんて老婆心ながら思った。

 いずれにせよ、こういう本があって、なにかの折には、ちょっと参考にしてみよう、という気にはなる。活用する時期が来るといいなぁ。

<2>につづく

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2013/12/26

新訂「ミカサフミ・フトマニ」―校合と註釈 池田 満


池田 満   (著) 2012/04 日本ヲシテ研究所 新訂版; 単行本: 262ページ
Total No.3153★★★☆☆

 ホツマなりヲシテ文献なりを調べていくうえでは、一連の著者の仕事は重要な位置を占めている。この本は「新訂」として2012年に発行されているが、旧版は1999年にでている。このように改訂、新訂版がでるということは、継続的な研究が続けられており、しかもその成果を支持する読者層があるということで、喜ばしいことである。

 しかるに、私なんぞは。この研究結果を自らの生活の中で生かしていこうとすると、かなり浮世離れした結果になってしまいそうだ。

 当ブログは現在、飯沼勇義史観 → 千葉富三ホツマ の過程にあり、千葉ホツマの理解を促進するために、池田満ホツマ原理主義を活用できるかどうか、の検討に入っているところである。

 ホツマ全体の理解が進んだ折には、どういう結果であろうと、この池田原理主義で検証、傍証していく必要があるだろう。

Moto

                 p130より

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2013/12/24

「謎の秀真伝」―神代文字で書かれた原日本の実像 佐治 芳彦<2>

<1>からつづく

Saji2
「謎の秀真伝」―神代文字で書かれた原日本の実像 <2>
佐治 芳彦 1986/06 徳間書店 単行本 306ページ
★★★★☆

 どうしたことであろうか。あちこちのホツマ本を漁ってみるのだが、結局、この30年近く前の本が、一番フィットするホツマ本であった。

 どうしたというのであろう。1986年発行だが、私が読んだのは1989年発行の第3刷。どうやら私の「ホツマ」観は結局ここから成長してはいないようだ。あれから20数年。新しい発見もあっただろうし、新しい研究結果もでたことであろう。研究者も増え、支持者の層も増えたものと推測されるが、私自身のホツマは、まずはこのあたりで停滞しているようだ。

 この本のいいところは、いわゆる佐治芳彦ワールドの「軽さ」と「腰の軽さ」であろう。ちょっとはスノッブな気分を助長させ、かと言って、決定的なドツボにもはまらない。適当に退却路を確保しながら、平坦なリンクを拡大する。

 当ブログは現在、飯沼勇義史観「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)から、千葉富三ホツマ「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩(2009/7/1 文芸社)にジャンプしようとしているところであり、そのジャンプ台として、池田満ヲシテ「よみがえる日本語」ことばのみなもと「ヲシテ」(2009/05 明治書院)を活用しようとしていた。

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 だけど、このトリニティは、どこか窮屈である。飯沼史観がすこし萎縮するのではないだろうか。もっと伸び伸びと、最初は自由に闊歩するには、むしろ、池田滿ホツマより、佐治芳彦ホツマを活用したようがよさそうだ、そんな気がしてきた。

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 「磯輪上の秀真国」とはもともと高く美しい山々を周囲にめぐらした秀れて美しい国---緑の日本列島ということになろう。さらに外八州史観をとれば、それは「緑の惑星」である地球の呼称ということになる。p19 佐治芳彦「ホツマは日本古代の一大叙事詩」

 一連のホツマのなかの「日本」という限定的なことばは、どうも当ブログの中では居心地が悪い。やはり、ホツマは当ブログでは「地球」と読み替えなければならない。

 この秀真伝を、史的文書とみた場合、ほかの古史古伝のように時代区分がなされていない。内容的には一応、天地開闢から歴史的古代である景行天皇の時代(日本武尊の生涯)にわたっているものの、時間軸(”時間”的配列)を無視した叙述形体をとっている。すなわち、後代に前代やはるか先代の事件(イベント)や逸話(エピソード)を回顧するという形式で唱いあげるというケースが多いのだ。p23佐治「同上」

 飯沼史観においては、西暦紀元前何千年という単位が飛び出してくる。そして、それがどうやら千葉ホツマに依拠している風情があるので、どうも気になってしかたない。これらの時間軸を「確定」するのが、いわゆる「空白期」から算出した「歴史津波」の影響、とでもいうことになるのだろうか。

 この天成(あまなり)神道こそ、公害克服の基本的な姿勢として、現代に、そして世界に復活させることが、21世紀に対する私たちの責任ということになろう。p118佐治「天地創造と王朝の終焉」

 表現はどうであれ、このアマナリこそが、私たちの瞑想であり、私たちのホツマは、Oshoが言うところのTruthであろう。

 教えなどというものはない、真理は教えることはできない、と禅は言う。誰もあなたに真理を授けることはできない。真理はあなた自身の魂のなかにみつけられなければならない。それを教典から借りてくることはできない。それを伝えることすら可能ではなく、それは表現できないものだ。

 真理は言葉のない沈黙のなか、深い深い瞑想のなかであなたに起こる。思考がなく、欲望がなく、野心がない、その無心(ノーマインド)の状態のなかで、真理はあなたのなかに降りてくる---あるいは、あなたのなかに昇ってくる。OSHO「英知の辞典」p331

 当ブログにおいては、ホツマをいわゆる日本の古史古伝として、矮小なかたちで哲学化しようとは全然思っていない。むしろそれは、未来に向かって、大きく地球人スピリットとして開かれていくべきだと、考える。

 だが、私はそうした社会的・政治的要素以外にも動機---そして、おそらくそれが最大の要素だろうが---があったのではないかと考えている。それは何か。それは気候の変化だ。つまり、日本列島が寒冷期に入ったため、日高見高天原はかつてのように神々の楽園(エデン)としてふさわしくなくなってきたわけである。佐治p134「天地創造と王朝の終焉」

 この辺の「要素」を、飯沼史観では「津波」と見るわけである。気候の変化、と見るよりも、飯沼史観の「津波」のほうが、そうとうに妥当性が高くなってきたと思う。

 いずれが真で、いずれが偽とか、いずれの伝承が正で、いずれが邪などという判断は、簡単にできないし、またすべきではなかろう。いうなれば、この辺に古代史の困難さがあるのである。佐治p140「同上」

 この辺の幅広い視野と、柔軟性にこそ佐治ホツマの厚みがあるのであるが、これはほぼ30年前の視点であり、2013年となれば、また別の視点がでてきている可能性は十分ある。

 秀真国(ホツマコク)とは、日本の美称である。だが、この場合は関東以北、つまり日高見国をさす。日高見といえば、秀真伝では高天原であり、そこの山手宮(ヤマテノミヤ)(仙台)で、日の神アマテラスが天成神道を学んだという、いわば聖域にあたる。佐治p167「同上」

 ここは、発表のタイミングなどもあろうが、鳥居礼ホツマや池田満ホツマ、原田実ホツマなどでは、秀真国は関東圏と見なしており、東北の日高見国とは別と見ているようだ。山手の宮も、飯沼史観では、「仙台」ではなく、「多賀城」と見ている。佐治ホツマは、どことなく私好みではあるのだが、あまり鵜呑みにはできない。

 秀真伝には、前節で述べた「天然の暦」のほかに、もう一つ「人為の暦」ともいうべきものが記されている。

 それは、神日本磐余彦尊(カンヤマトイワレヒコ)が15歳のときに絶滅した暦木である「鈴木」の代りに、梓の木に堀り刻むことによって作成された暦である。諸神相集まって考案したわけだが、天児屋根命(アメノコヤネ)によって、それを「天鈴(アスズ)」と命名されたという(「天鈴暦(あすずれき)」の成立逸話)。佐治p174「同上」

 この天鈴暦ってやつも気になる。時間ってものの考え方だが、そもそもある精神領域に入っていけば、時間感覚はなくなる。だから表現としては、流動的な時空間のゆれとなるが、飯沼史観のように、歴史津波を「学」として研究していくとすれば、時間軸的配列は、かなり重要なことになってくるだろうし、また、歴史津波学が、ホツマツタエに「時間軸」を与えることができる、という可能性もある。

 その他、この本は、和田家文書とホツマの関連をこころみるなど、いささか試行錯誤にすぎる推理が随所に見られはするが、いずれそれらが、当ブログ好みの結論に終始する傾向があるので、なんとも捨てがたい一冊である。つまり、リンクしていけるところは数多い。 

 それと、三貴子に先立つヒルコが「葦舟」に流され、拾われて成長して「エビス」になったなど、もう一つの当ブログの進行軸、石川裕人「畢竟」の三部作「時の葦舟」ともリンクしてくるから、ふしぎワンダーランドとして遊ぶには、ホツマや記紀の世界も、まんざら捨てたものではない。

 徹底的に、この佐治ホツマを検討して見る価値はありそうだ。

<3>につづく

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OSHO「英知の辞典」 <30>真実 TRUTH

<29>からつづく

Eiti
「英知の辞典」 <30>
OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本  579p

真実 TRUTH 

 教えなどというものはない、真理は教えることはできない、と禅は言う。誰もあなたに真理を授けることはできない。真理はあなた自身の魂のなかにみつけられなければならない。それを教典から借りてくることはできない。それを伝えることすら可能ではなく、それは表現できないものだ。

 真理は言葉のない沈黙のなか、深い深い瞑想のなかであなたに起こる。思考がなく、欲望がなく、野心がない、その無心(ノーマインド)の状態のなかで、真理はあなたのなかに降りてくる---あるいは、あなたのなかに昇ってくる。

 真理の次元に関する限り、そのどちらも同じことだ。なぜなら、最も奥深い主観性の世界では高みも深みも同じものを意味するからだ。それはひとつの次元、垂直の次元だ。

 心(マインド)は水平に動くが、無心は垂直に存在する。心が動かなくなるとき---それが瞑想のすべてだ、心の停止、心の全面的な停止---あなたの意識は垂直になり、深みと高みがあなたのものになる。

 だからあなたは、パタンジャリ、バーダラーヤナ、カビラやカナーダのような多くの神秘家が言っているように、真理は降りてくると言うことができる。それはアヴァタラン---高みからあなたに降りきたったものだ。そのために人が自己を悟ったとき、彼は「アヴァターラ」と呼ばれる。

 アヴァターラとは、真理が彼のなかに降りてきたという意味だ。アヴァターラという言葉はたんに上方から、彼方から降りてくるということを意味する。

 だが、もう一方の表現も正しい。アディナータ、ネミナータ、マハヴィーラ、ゴータマ・ブッダ、これらの神秘家は真理は彼方からやって来るのではなく、それはあなたの存在の最も奥深い源泉から昇ってくるのだと言っている。それは降りてくるのではなくて昇ってくるもの、わき上がってくるものだ。

 どちらの表現も私にとっては正しく、同じことを二つの言い方で言っている。それはその次元は垂直だということだ。あなたは高みという語彙で語ってもいいし、深みという語彙で語ってもいい。だが、真理はけっして外側からやって来るものではなく、だから誰もがあなたに教えることはできない・・・・・・。

 禅は、真理を伝えることはできないのだから、それは師(マスター)と弟子の関係のなかでしか起こりえないと言う。それは教えることができないのだから、教える者と教えられる者の関係も成り立ちえない----教えというものはないのだから教える者も教えられる者もない。だが、それは伝えられる。直伝はハートからハートであり、教えは頭から頭だ。I AM THAT OSHO p331

<31>につづく

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2013/12/23

「猿田彦と秦氏の謎」―伊勢大神・秀真伝・ダビデの影 清川 理一郎

清川 理一郎  2003/02 彩流社 単行本 293ページ
Total No.3152★☆☆☆☆

 もはや、私はグロッキー、ノックダウンである。当ブログは、一時は「読書ブログ」を自称し、一般公立図書館の開架棚にある、ごく当たり前の本を中心に読み進めてきた。一部の希少本とか、トンデモ本とか、秘蔵本などは、なるべくさけてきた。

 この本もまた「秀真伝」検索で引っ掛かってきた図書館の本である。ごく当たり前に、こういう本がでてくることに、いやはや嫌気がさしてきた。

 すくなくとも、これらの中に、秀でた真が伝わっているとは、とても思えない。少なくとも、私は、読みとれない。

 駄目です。ギブアップ。

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