カテゴリー「22)コンシャス・マルチチュード」の105件の記事

2014/07/27

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<51>「コンシャス・マルチチュード」カテゴリについて

<50>よりつづく 

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<51>コンシャス・マルチチュードカテゴリについて

1)「来たるべき地球人スピリット」カテゴリの後継カテゴリだった。意味的には同じこと。より具体的なニュアンスを加えてみた。

2)書かれたのは2014/05/19から2014/07/27まで。

3)別段に結論めいたものはなかったので、このまま次のカテゴリは「コンシャス・マルチチュード2」としようかな、と思っていたところ、たまたま、ニュートンの蔵書市があり、またまたニュートンのことを思い出した。

4)そもそも、以前のカテゴリはニュートンの「畢竟の三部作」から、「時の葦舟」や「無穹のアリア」を借りたところだった。この次のカテゴリは、その続きで「さすらいの夏休み」を借りることにした。ちょうど、ニュートンを思い出したところで、夏休みが始まったのも、何かのタイミングかな、と。

5)このカテゴリでは、フーゲツのJUNが編集するHP「電脳・風月堂」をナビとして、新十k風月堂の流れを追っかけたのは大きいイベントだった。

6)そもそも「コンシャス・マルチチュード」のタイトルは、当ブログの造語(あるいは独自の組み合わせ)であり、そのニュアンスが、すこし深まった。というのも、じつはSNS繋がりで、ある一つのプロジェクトが始まったからだ。今はアンダーグランドだが、いずれ陽の目をみるだろう。

7)「再読したいこのカテゴリこの3冊」はつぎのとおり。

「お産の学校」 私たちが創った三森ラマーズ法
お産の学校編集委員会 編 1980/3 BOC出版部 単行本 444p

「みんな八百屋になーれ」 就職しないで生きるには 3
長本 光男   (著) 1982/07 晶文社 単行本 205ページ

「『たべものや』の台所から」シリーズ食生活の再発見 
たべものや編著 1982/12 柴田書店 単行本 
284ページ

<52>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「コンシャス・マルチチュード」編

前よりつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊

「コンシャス・マルチチュード」編 

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「お産の学校」 私たちが創った三森ラマーズ法
お産の学校編集委員会 編 1980/3 BOC出版部 単行本 444p

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「みんな八百屋になーれ」 就職しないで生きるには 3<1>
長本 光男   (著) 1982/07 晶文社 単行本 205ページ

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「『たべものや』の台所から」シリーズ食生活の再発見 
たべものや編著 1982/12 柴田書店 単行本 
284ページ

<後>につづく

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「石川裕人蔵書市」 ひやかし歓迎! 7月27日(日)~28日(月)<2>

<1>からつづく 
Kuradashi_2                            
「石川裕人蔵書市」ひやかし歓迎! <2>

日時: 2014727()10001700 2014728()10001500 
場所:
せんだい演劇工房10-BOX BOX3 
新書・文庫・雑誌・CDなど オール100円ハードカバー オール500円 
劇作家、演出家、シナリオライター、ある時はシンガーソングライターで詩人の故石川裕人氏が所有するおびただしい数の本を蔵出しします。 文庫や新書、貴重本や豪華本、演劇関係や戯曲の資料となったであろう、本屋では入手できない逸品が並びます。
主宰/石川裕人蔵書の会(仮)
協力/萬開堂書店、ThetreGroupOCT/PASS”、せんだい演劇工房10-BOX
お問い合わせ/せんだい演劇工房10-BOX 022-782-7510 
 

1)ということで(どういう事じゃ)、さっそく出かけてみることに。キチンと開店に間に合う予定で出かけたのに、途中で仕事の連絡が入り長電話。15分ほど遅れて会場についた。10人ほどの先客があり、すでに品定めしながら、腕の中に何冊も抱えている。あ~~、遅れちゃった~。 

Imgp1743

2)さっそく、アレアレ、あの本を探さなきゃ。簡単にグルッと一巡してみたが、どうもない。ああ、やられたかなぁ。遅れたのだから仕方ない。それにしても、そんなに早く足のつく本だろうか。 

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3)と、うろたえているところに、「第二便、到着!」の声。ああそうだったのか。第一便が2000冊ほどで、第二便が1500冊ほどだという。全部で約3500冊。さらに一巡しながら、探していると、あれ~、やっぱり先客のお買いものコーナーに入ってしまっていた。(涙)

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4)ここは、仕方ない、恥ずかしがらないで、事情を話してみよう。と、そのお客さんに「この本、譲ってもらえませんか」と、お願いしてみる。若くて、ちょっとインテリ風な長身の男性、振り向きざまに、「ああ、いいですよ」と、すぐに渡してくれた。やったー。Osho「ダイヤモンド・スートラ」。幸いにして、彼にはそれほど想い入れが無かったのかもしれない。あるいは、こちらの鬼気迫る表情に恐れをなしたのか(汗)。何はともあれ、これで、私の側からの、ニュートンへの思い入れは、まずは一つ繋がった。 

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5)彼からの繋がりとしては 「八〇年代・小劇場演劇の展開」 演出家の仕事③」日本演出者協会+西堂行人 2009/10 れんが書房新社)を確保したから、まずは彼の置き土産として受け取ることができるだろう。ここには彼が顔写真つきでプロフィールが紹介されている。

Imgp1715

6) シリーズの①である「演出家の仕事」六〇年代・アングラ・演劇革命」 日本演出者協会/西堂行人(2006/02 れんが書房新社)も確保したが、②である「演出家の仕事②」 戦後新劇(2007/05 れんが書房新社)は見つけることが出来なかった。陳列されていた場所から考えて、おそらく最初から②はなかったのかも知れない。そう納得する。「戦後新劇」だしな・・。

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7)さて「<帝国>」「マルチチュード」(2005)も確保。ぜいたくだよなぁ、こんなに高価な本をどんどん買えた彼がうらやましい。その10分の1で手に入れることができたのは、彼のおかげか。ただ、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハートの他の本はないようだった。彼のマルチチュード追っかけはここまでだったのか。

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8)当ブログが最初に「マルチチュード」に気付くことになった柄谷行人「世界共和国へ」 本=ネーション=国家を越えて(2006/04)も確保。奥付の彼のサインをみると2006/04/25の日づけが見える。発売直後に読んでいるようだ。早い。彼はアンテナをバリバリ張り続けていたようだ。

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9)彼の誕生日は9月21日。それは宮澤賢治の命日でもある。それゆえでもないだろうが、冗談で彼は宮澤賢治の生まれ変わりだ、なんて言っていた。賢治関連は、全集から評論、単行本など、おびただしい冊数だったが、まずは宮沢清六「兄のトランク」(1987/09 筑摩書房)を確保。もちろん押野武志「童貞としての宮沢賢治」(2003/04/01 ちくま新書)もいただきましたよ。

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10)そして、コリン・ウィルソン中上健次も数冊づつ、伊東竜俊もきちんと私が保存いたしますよ。そうそう、びっくりしたのは「黒の手帖」(檸檬社1969/01~1972/09) が数冊あったこと。これは、正直言って、きょう一番の収穫かな。そもそも彼がこの雑誌を、私と同時代にこれを読んでいたのだ、ということを今日確認することができた。

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11)このほか、私の嗜好とはだいぶ違っているので、まだまだ貴重な本が山積みになっていた。あれこれ手を出して、結局、気がついてみれば、本の厚さにして1メーターを超える量になっていた。みんなあれだけ買っていったのに、まだまだある。一冊一冊が、私にとっては興味深い。だいぶ長いこと会場にいたから、今日は一旦、退散。まだまだありそうだから、明日も行ってみようかな。

<3>につづく

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2014/07/26

今日の気分はこの3冊<4> 小屋、恐竜、風力発電

<3>からつづく

今日の気分はこの3冊<4> 小屋、恐竜、風力発電

「可笑しな小屋」 ジェィン・フィールド=ルイス(2013/12 二見書房)

 この本はお気に入りである。最近読んだ本のベスト本を作れ、と言われたら、まず、この本がトップにくるだろう。たった一冊に絞り込め、と言われれば、まずこの一冊で決まりだろう。とにかくお気に入りである。

 何がお気に入りなのか、自分でもよくわからない。しかし、この本が手元にあると、元気になる。本当は、気に入らないところも多くある。まず、タイトル。原書は「My Cool Shed」である。さしずめ日本語の語感でいえば「ぼくのカッコイイ隠れ家」のようなものであろう。小屋は小屋なのだが、もう少し思い入れがある。クールなのである。

 この本の何がお気に入りなのかというと、この本を見ていると、創造性がかきたてられることだ。すでにメモしたように、ガレージを改造してオフィスにし、自転車置き場を改造してアトリエとし、天井裏を改造してロフトとした。その際のイメージの多くはこの本から借りた、と言っても過言ではない。

 そして、その作業はまだまだ続いているとは言うものの、一段落したところがある。まだまだ手を加えたいのだが、あり合わせの材料を使いながら、いつ進化するともわからないわが「My Cool Shed」たち。柔軟な態度で、次のステップを待っている。

__

「恐竜の世界へ。」ここまでわかった!恐竜研究の最前線 (2011/07 阪急コミュニケーションズ) 

 この本もお気に入りである。もう何度も読んだ。一年ちょっと前に偶然手にした「チキンの骨で恐竜を作ろう」(クリス・マクゴーワン 1998/08 青土社)にハマった。すでに、我が手を通じてこの世にやってきた「恐竜」たちは、30体にも及ぶ。

 自分がこんなに「恐竜」にハマるとは思ってもみなかった。すごく創造性や想像性を刺激される。映画も本もずいぶん見た。生活空間にも、彼らがどんどん浸食してきているのである。

 だが、量的にはもうこのくらいで十分だろう。あれを修復し、あれをもっと正確に作り直し、あそこを保全して、と、リカバリーの案は浮かぶが、まず、今のところはこれだけの「恐竜」たちがいてくれたら、私としては満足なのである。

 しかるに、どうやら、私は誰かれにこのことを自慢したらしく2歳児、3歳児のかわいい孫たちに、この「恐竜」熱が伝染したらしい。この夏休みにはみんな一緒に、近くの科学館での「恐竜大研究展」に行ってくる予定。これで孫たちとのコミュニケーションもバッチリである。

「自分で作るハブダイナモ風力発電 +」 大人の週末工作( 川村康文2012/11/26 総合科学出版)

 そしてこの一冊。すでに太陽光は「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」(2011/08 ニュートンプレス)をガイドにして我が家の屋根にもシステム設置が完了したし、「ソーラーチャージライト MA-551」株)丸高 2011で、ちゃっかり生活の中にソーラーは根づいてくれている。

 水力発電も、いろいろ実験はやったが、一番のネックのところ、結局その水力をどこに求めるか、で頓挫しているところがある。キャンプの時などの臨時の手段としては考えることができるけれど、いまいち水源がないことには、水力発電は難しい、という結論がでている。

 ではというので風力なのだが、こちらも、安定した風力が望めない、ということで、一般的には、こんな街中の住宅街では無理でしょう、という結論が出かかっている。でもしかし、それなら、あのかき集めた材料、とくにハブダイナモたちはどうすればいいのか。もったいないじゃないか。

 それに、発電しても、それを使える電流に変え、蓄電しておくシステムが必要なのである。この電子工作の部分が、面白そうでもあり、面倒そうでもある。いつかはやらなければならないのだが、やるとするならいつやるの。今でしょ、と掛け声をかけてはみるが、いまいち腰が上がらない。まぁ、ゆっくり行こうよ。

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 とまぁ、この、今日の三冊、なかなかわが遊びごころをくすぐってくれる三冊なのだが、今日、この三冊が浮上しているのは、夏休みに突入したからなのだろう。小屋も恐竜も一段落はしているが、ハブダイナモだけは、ひょっとすると途中で挫折するかもしれない、という危機感もある。最後の一冊は、ちょっと荷が重いのだが、適当な負荷を感じながら、楽しんでいこうじゃないの。

<5>につづく

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2014/07/25

「終末期の密教」 人間の全体的回復と解放の論理 板垣足穂 梅原正紀 編著

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「終末期の密教」―人間の全体的回復と解放の論理 
稲垣足穂 (編集), 梅原正紀 (編集) 1973/09 産報 ハードカバー 349ページ
Total No.3302★★★★☆

1)SNSつながりの複数の友人からこの本のタイトルが飛び出した時、あ、それは面白いでしょう、と直感した。そして、それとともに、当ブログとしては、もう終わっているテーマではないか、とも思った。

2)当ブログの流れで言えば、終末期に現れるスピリチュアリティだからこそ密教なのであり、スピリチュアリティが密教としてしか存続し得ないからこそ終末期なのだ、とも言える。つまり、「終末期の密教」というのは修飾過剰、同じことを二度言っているに過ぎないのだ。

3)大雑把に言えば、当ブログでは、密教いわゆるタントラを、読書の中の三冊に集約してまとめてしまうことは可能だ。

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「チベット密教の本」(1994/12 学研)。これは一般的なチベット密教について、よくまとまっている本であり、画像やイラストが多い。

「裸形のチベット」(正木晃 2008/07 サンガ)。これは現在のチベットと、そこで何がおこったのかという歴史について、コンパクトながら、実に正確に教えてくれる。

そして、「反密教学」 (津田 真一 1987/09 リブロポート)。 つまり、ここで密教はトドメを刺される。終末が終末するのだ。そして、次なるものが生まれる以外になくなる。

4)まずはそういう予感がよぎった。さてさて、1973年に出たこちらの本は、どんな経緯で、どんな展開になっているのだろうか、と、中身を満足に忖度しないままパッと開いたところに、こんな画像があった。

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 あれまぁ、これはダダカンではなかろうか。「仙台市郊外で独自の生きざまを示すヒッピーのひとり」となっている。p93 1973年当時に、まぁさまざまなキャラクターが仙台にも存在したが、この人はあの人できまりでしょう。

D2
 それにほら、腕のしたあたりに「DADA」の文字が見える。

5)確信のないまま、ネットで検索してみると、竹熊健太郎氏のページに、ゼロ次元と一緒に映ったダダカンの写真がある。

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 後列中央がダダカンだということだから、よくよく見てみると、サングラスも同じ、ヘアースタイルも同じ、首から下げたネックレスも、上の写真と同じではないだろうか。ひょっとすると、同じ時に撮った写真のシリーズなのかも知れない。まず、上の写真もダダカンで決定だろう。

6)不思議なこともあるものである。昨日、SNSでダダカンを訪問した時のことが話題になって、私も画像を二、三、アップしたのだった。2006/08のことである。

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Photo_57)それにしても、このダダカンの写真が挿入されていたのは、山尾三省の「部族を志向した聖集団---愛と自由と知恵によるむすびつき---」p87 の中だった、というところが、私にはなんとも不思議だった。三省とダダカンが、どの様に結びつくだろう。すくなくとも、ダダカンは部族志向ではなかったと思うし、三省がストリーキングをした、という話も聞いたことがない。

8)などなど、読みもしないうちから、いろいろ逡巡している。

つづく

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「映像をめぐる冒険vol.5」 記録は可能か。東京都写真美術館

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「映像をめぐる冒険vol.5」 記録は可能か。
東京都写真美術館  2012年12月11日 ( 火 ) ~ 2013年1月27日 ( 日 )

 先日来、読書の途中ででてきた宮井陸郎についての記述が断片的なので、当ブログにそのつど転記して貼り付けて関連リストを作成しておいたが、ネットでも彼の略歴があったので、拝借し、貼り付けておくことにします。

宮井陸郎

 1940年島根県生まれ、岡山/東京在住。映像作家。1960年代に「映像芸術の会」に参加するとともに「ユニットプロ」を主宰。拡張映画、環境映画としての映像作品を数々発表し、アンダーグラウンドシーンを牽引する。また、アンディ・ウォーホル展の企画などプロデューサーとしても活躍。

 1976年以降はインドに渡り、瞑想に入る。金坂同様にアンダーグラウンドシーンを牽引していた宮井の問題意識は、時代の全体像を「透視することが困難な時代において、現象が我々の前にあるのではなくて、我々自身が単なる現象として現前している」 として、それまでの映画作品に多くみられた外面性/内面性の二項対立という図式からより現象学的方向に向かっていた。 

 そして、自身の関心から当時ヌーヴェル・ヴァーグへ影響を与えていた「シネマ・ヴェリテ」の手法にならい、《時代精神の現象学》(1967)を制作する。映画では、ユニット・プロの一室からはじまり、新宿の繁華街、スーパー、映画館、ゼロ次元のパフォーマンスにいたるまで「計画されたハプニング」の一日が長回しで撮影され、最後は地下街に設置された時計の3分間の大写しで終わる。

 1967年の新宿の空気を切り取ると同時に、最後のショットによって映像に潜在的な時間性が意識される。計画された偶然性やパフォーマンス性をもった映像をコラージュする実験的な手法は、宮井が構成で協力したテレビ番組《クール・トウキョウ》(村木良彦演出、1967)でも用いられている。 

 「シネマ・ヴェリテ」的手法や、アンディ・ウォーホルの作品に見られる物質性や反復性を重視する「ポップシネマ」的手法に可能性を見出していた宮井は、作品の上映方法にも着目し、二つの同じフィルムを一面に重ねて投影するなど、後に「拡張映画」と言われるような、上映方法を提案した。《シャドウ》(1969)は、タイトルどおり自身の影の記録であり、反転したフィルムとオリジナルのフィルムを同時に2面構成で上映しており、宮井の問題意識を率直に反映した作品となっている。<参加作家プロフィール>より

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「ニュー・ライフ・ヴァイブレーション」 地球の子供たちから愛をこめて 今上 武蘭人 <4>

<3>からつづく

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「ニュー・ライフ・ヴァイブレーション」地球の子供たちから愛をこめて<4>
今上 武蘭人 (著) 1976/12 ブロンズ社 単行本  221ページ
★★★★★

1)この本、なかなか面白いのだが、ついに貸し出し期限が切れてしまった。本日返却しなければならない。本来であれば、さらに二週間延長できるのだが、司書さんたちの懸命の手配により県外である関東圏の図書館から転送されてきた本であるので、延長はできないのだ。

2)リアルタイムで著者の活躍を知っていた私としては、今回この本について書くことによって、もっと現在の著者についての情報が集まってくるものと期待していた。しかし、今のところ、まったく手掛かりなし。残された本が一冊。あとは、販売用の古書が二冊、売りに出ているだけだ。

3)この本、古書で4200円。微妙な値付けである。買いたいと思えば買えないわけではない。しかし、我が友ニュートンの蔵書のように、私がいなくなれば、いずれ遺品回収者の手を煩わせることになるだけだろう。もう蔵書は増やしたくない。

4)しかし、この本を買えない理由は、もっと他にありそうな気がする。少なくとも二つの点において。

5)一つは、やはり、本を作った当事者が2014年の現在、しかとした存在として認知できないこと。つまり宙ぶらりんなのである。どんないいことが書いてあっても、貴重な一冊であったとしても、そこからの発展経路が見えないと、面白くない。別段、当ブログは古書を愛しているわけではないのだ。そこから現在の地平までどう繋がっているのかを感じたいのだ。

6)二つ目は、この本は、どうも「夢」見過ぎている。つまり、貴重な情報がたくさん詰まっているのに、それをリアリティに置き換える時、やや恣意的にぼかし過ぎている。つまり、自らの方へ引きづり込んで、自分の味付けをしすぎているのだ。それもこれも、決して当時の一冊として見た場合、この本だけが責められるわけではない。しかしながら、原点に帰れば、やはり、書いている「主体」が見えてこないことには、やはり、夢まぼろしを見た一冊、と言ってしまうことになるのではないか。

7)この本は多くの協力者で成り立っているのだが、表紙を書いたとされる山崎某という人の存在も、実は気になる。この人はすでに10冊以上の著書を表している人でもあるし、また、メディアの中に一定程度の位置を占めているような存在である。しかしながら、大きく見れば、現在の彼の存在は、この本の延長線上にはないだろう。ある意味、そこに唾棄して、敢えてそこから「脱出」してしまった方である。

8)つまりだ。この本に取材されている人々の動きは、いまだに脈々と息づいているのに、取材した側は、悪いけど、全部腐っている、と言ってしまいたくなるのだ。当ブログは別に読書のための読書をしているわけではない。本が面白ければそれでいい、という訳にはいかない。むしろ、本やその他の表現物に表されなかった部分にさえ、もし共感できるものがあるとすれば、フォーカスし、小さな情報でも集めたい、と思っているのだ。

9)そもそも今上は一体、何をしているのだ。死んだのか、生きているのか。狂ったのか、病院にでも収容されているのか。もう別人格で世渡りしているのか。それが分からない。これだけのことをして、あとは知りませんでは、ああ、情けない。それは悲しすぎるだろう。

10)彼らの書いた文章はともかくとして、協力者達が提供した文献や画像は、貴重なものが多数収容されている。できれば、あと少なくとも数点、画像を当ブログにアップしたかった。多分、仲間内では大うけすること間違いない。みんな、まだまだ、「生きている」。この本が出てから40年近く経過しても、人間なんて、そう変わるものではない。あの当時の意識を携えて生きているのである。

11)ああ、どうも私の想いは空回りするばかりだ。今回はこの辺で終わりにする。再開を期す。だれか、この本について、あるいは著者について、もっと生きた、現在の情報があったら、教えてください。生きていく人間があってこその文化であり、アートであり、表現物である。表現者なくして表現はない。

12)ニュー・ライフ・ヴァイブレーション。このタイトルの意味を、活かすのか。殺すのか。笑い話にして立ち去るのか。あるいは、そこに命をかけて、生きるのか。問われる。もちろん、私も問われている。

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2014/07/24

「石川裕人蔵書市」 ひやかし歓迎! 7月27日(日)~28日(月)

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「石川裕人蔵書市」ひやかし歓迎! <1>

日時: 2014年7月27日(日)10:00~17:00 2014年7月28日(月)10:00~15:00 
場所: せんだい演劇工房10-BOX BOX3 
新書・文庫・雑誌・CDなど オール100円ハードカバー オール500円 
劇作家、演出家、シナリオライター、ある時はシンガーソングライターで詩人の故石川裕人氏が所有するおびただしい数の本を蔵出しします。 文庫や新書、貴重本や豪華本、演劇関係や戯曲の資料となったであろう、本屋では入手できない逸品が並びます。
主宰/石川裕人蔵書の会(仮)
協力/萬開堂書店、ThetreGroup”OCT/PASS”、せんだい演劇工房10-BOX
お問い合わせ/せんだい演劇工房10-BOX 022-782-7510

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1)あれから二年が経過するのか。 ニュートン。石川裕人。3・11東日本大震災の被災地を回った 「人や銀河や修羅や海胆は」PLAY KENJI♯6。満身の力を込めて書き上げ、遺作となった「方丈の海」。おびただしい劇作。畢竟の自信作と自ら評した「時の葦舟」三部作(2011/02 Newton100実行委員会)。数えあげればきりがない。

2)ネット上にも多くの記述を遺した。劇団ThetreGroup”OCT/PASS”のホームページを初め、「石川裕人劇作日記 時々好好調」「石川裕人百本勝負 劇作風雲録」、そして宮城県復興支援ブログ「ココロ♡プレス」。彼の残した足跡は大きい。

3)幼少時から無類の本好きで、小さな時からねだるのは本ばかりだったと、お母さんは述懐する。転居を繰り返し、最後の住みかとなったのは中一の時に父が建てた生家だったが、その部屋に収まりきれない蔵書は廊下や居間にもはみ出していた。3・11では、その本だなが倒壊し、あやうく一命を取り留めたとか。

4)私はこの「蔵書市」で一番欲しいものがある。それは、中学一年時代に彼と私たちがつくった肉筆誌「ボーイズファイター」全五冊である。なぜかあの時も表紙は私が担当していた。ニュートンは、漫画やエッセイや特集を書いた。肉筆誌だから一品ものである。保存は彼が担当していたはずだ。

5)しかし、勉学の進捗を心配したお母さんが、他の漫画本と一緒にチリ交に出してしまった、ということになっている。すでに高校生時代のことだ。悪びれることなくそう言い切る彼の言葉に納得するしかなかったが、本当に惜しい。出来れば、間違ってまだどこかに残っているのではないか、と今でも思い出す。

6)彼は非常に誠実な男だったので、私は彼の言葉を疑ったことなど無かったが、彼が亡くなったあと、私は長い間、彼の虚構にまんまと巻き込まれていたことが二三あったことに気付いた。例えば、出身地のこと、あるいは名前の由来、あるいはひたいの傷。彼は彼なりのストーリーを生きていた。

7)亡くなったあと、彼の部屋をのぞかせてもらった。新書本から箱入全集まで、さまざまなジャンルに及んでいたが、やはり劇作に向けての資料が多かったように思う。宮澤賢治関連も多く、「童貞としての宮沢賢治」(押野武志2 003/04/01 ちくま新書)などは、あの本だなに並んでいたのを見つけタイトルだけ覚えてきて、私も別途取り寄せて読んでみたりした。

8)意外なところでは、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート「<帝国>」「マルチチュード」もあった。読むのも難解な論文集だが、その厚さも半端じゃない。値段だって、そうそう買えるものではない。私なんぞは、何度も図書館から借りては読み続けているものである。本道楽の彼は、こんな本もどんどん購入していたのだろう。うらやましいものである。

9)それと、彼がOshoの「ダイヤモンド・スートラ」 (1986/03 めるくまーる社)をも蔵書していたことには驚いた。彼はあまりそういうことに触れなかったが、キチンと蔭で読んでいたのかもしれない。この本は、私と彼の思い出の絆となろう。売れ残っていれば、私が引き取りたい。

10)互いの十代から友人のサキによれば、ニュートンは、若い時代に、当時の学院高校の裏手にひとつアパートを借りて、全室所狭しと個人図書館を作っていたらしい。もう人間が横になってようやく歩けるだけのスペースを残し、あとは全て本だけのアパートだったらしい。その本に囲まれて、ニュートンは、実にご満悦の表情だったとか。

11)彼の残した蔵書を一カ所にまとめておくのもよさそうだが、また、こうして、愛されるべき友人たちの手にわたり、そのスピリットが増産されていくこともよいことであろう。

 まずもろともに、宇宙の微塵となりて無方の空に散らばろう 宮澤賢治「農民芸術概論綱要」

<2>につづく

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2014/07/23

宮井陸郎「新宿・しんじく・シンジク」 『60年代新宿アナザー・ストーリー」タウン誌「新宿プレイマップ』極私的フィールド・ノート 本間健彦<2>

<1>からつづく 

 

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「60年代新宿アナザー・ストーリー」タウン誌「新宿プレイマップ」極私的フィールド・ノート
<2>
本間健彦 (著) 2013/06 社会評論社 単行本: 342ページ
★★★★★

 

 

 

1)宮井陸郎(シャンタン)の「新宿・しんじく・シンジク」という文章が収録されている。p178。

 

 転記しようとかなと思ったが、内容が内容だけに、むしろ画像で保存することとする。そもそもは「新宿プレイマップ」(第8号 1970/02)24~25pに掲載されたものである。

 

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2)タイミングいいので、ここで、関連リストをつくっておく。

 

宮井陸郎(シャンタン)関連リスト

 

「漱石の世界」 宮井一郎 1967/10  講談社

 

「新宿考現学」 深作光貞 1968/09  角川書店 

 

「季刊フィルム」第2号所収/1969/02

 

「新宿・しんじく・シンジク」 1970/02 「新宿プレイマップ」掲載

 

「芸術」の予言!!」 60年代ラディカル・カルチュアの軌跡 「季刊フィルム」コレクション 2009/05 フィルムアート社

 

「随(かんながら)神」意識の扉を開く鍵―(阿部敏郎 2010/5 ナチュラルスピリット)

 

「映像をめぐる冒険vol.5」 記録は可能か。東京都写真美術館

 

「60年代新宿アナザー・ストーリー」タウン誌「新宿プレイマップ」極私的フィールド・ノート (本間健彦 2013/06 社会評論社)

「電脳・風月堂」芳名録、「マキタ」の項に、「宮井陸郎」の名前あり。

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追記2020/3/20

フーゲツのJUNという方のブログはとても関心深いものでした。この記事を書いたときはリンクしていたのですが、現在は切れています。即コピペしておけばよかったのだけど、あまりに微妙な情報だったので、リンクにとどめておいたのでした。あまりに貴重だったので、記憶が薄れないうちに、勝手に再現させていただきます。正しい情報を掴めたら、即訂正&削除させていただきます。なお、この断片的な情報を元に、もっと信用度の高いソースも存在するはずですが、今はそれを検索する余力がありません。

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宮井氏は60年代のある時期、マキタ(通り名でもあり、本名でもあるらしい)と称する同年配の男性と行動を共にしていたらしい。マキタ氏は 名のある企業(例えばM菱重工業とか)の経営陣の子息だったらしく、資金は潤沢であったらしい。宮井氏はこの男性と二人(だけ)で活動しており、時には法規から脱線した活動にも及んでいたとか。どうやらある時、マキタ氏個人が何かの事件の中心人物になってしまい、(おそらく当時のニュースは今でも検索できるはず)、関係は疎遠、終焉となった模様。その後、宮井氏は、新宿を去ったとか、インドに行ったとか、興味深く詮索する向きもある。編集中

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/牧田吉明

⇧この記事の中に、宮井陸郎の名前が見える。

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「縄文杉の木蔭にて」―屋久島通信 「増補新版」 山尾三省

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「縄文杉の木蔭にて」―屋久島通信 「増補新版」
山尾三省 1994/09 新宿書房 単行本: 251ページ
Total No.3301★★★★☆

1)三省の本は、すでに当ブログとしては、多少駆け足ではあったが、読み込み済みである。まだ完読できていなかったり、再読リストに載っている本も数冊あるが、それは、他の本との読み合わせのタイミングを見ているのであって、内容の概略はほぼ分かっている。

2)この「縄文杉の木蔭にて」(1985/07 新宿書房)も、「続・縄文杉の木蔭にて」としての「回帰する月々の記」(1990/07 新宿書房)も読み込み済みだが、実は「縄文の木蔭にて」は、94年に増版され、しかも増補されていることを今回知った。どんなことを追記しているのだろうか。

3)この85年から94年にかけてのあいだにある1991年に私は三省にあった。「スピリット・オブ・プレイス」でのことだった。そのシンポジウムについては、パネラーの一人として参加した三省は「一切経山」日々の風景(1997/02 溪声社)にその経緯を記している。

4)さて今回は、再読の機会でもあるので、全文読む方法もあったのだが、その部分を際立たせるために、新版として増補された部分だけに目を通してみた。

5)本文中にも記したように、この初版が出されてからすでに丸八年、そして九年の年月が過ぎて行った。この間に私の一身上には大きな変化があったが、それと同じく内面においても、遅々としてではあるが変化がある。

 その内のひとつには、アニミズムというものへの取り組みが私の中で本格化してきた、ということがある。ご承知のように、アニミズムは宗教の原初形態として一般的に受け止められているが、それはなにごとによらず発展史観というものが持つ欠陥であって、アニミズムは現在もなお十分に現実的な力を持っているにとどまらず、私達の未来を示唆するひとつの大いなる地平であり、希望であると私は感じている。

 自分のそのような感受を、最初私は新アニミズムと呼んでみたが、それではどうもしっくりしない。むしろ不変のアニミズム、あるいは普遍のアニミズムと呼んだ方が適当であると思う。p250「増補新刊へのあとがき」

6)私の拙い読書によれば、三省の「哲学」は、いよいよアニミズムに集約されていったと思う。それは晩年期に表された、私がアニミズム三部作と呼ぶところの次の三冊に、よくあらわれている。

「カミを詠んだ一茶の俳句」 希望としてのアニミズム(2000/09 地湧社)

「アニミズムという希望」 講演録・琉球大学の五日間(2000/09 野草社)

「リグ・ヴェーダの智慧」 アニミズムの深化のために(2001/07 野草社/新泉社)

7)私は、1972年の浜田光(あぱっち)編集季刊詩「DEAD」に掲載されていた「部族の歌」や、プラサード書店の槙田きこり但人編集の初版「聖老人」百姓・詩人・信仰者として(1981/11プラサード書店/めるくまーる社)以来の三省読者のひとりではあるが、決して、無批判的な三省の追従者ではない。また、山田隗也(ポン)が揶揄するような「三省教」の信者でも毛頭ない。むしろ私は、彼への深い敬愛を感じつつも、三省へのささやかな批判者の一人でもある。

8)わが家の便所は汲み取り式であるが、それがお盆前からほぼ満杯になっていて、位置にも早く汲み取らないと、用を足すたびに気分が良くなかった。p237 肥(こえ)汲み(中略)

 私としては江戸時代を真似するわけではないが、自分達の出すものが植物の肥料になり、その植物がまた私達を養ってくれるという限りない大循環の中に、いのちというものの広大な安心とやすらぎを感じる。文明の未来は、江戸時代とは具体的なシステムこそ当然異なるだろうが、直線ではなく大循環という思想にこそ根をすえなくてはならないと思う。p219同上

9)別に江戸時代まで遡らなくても、戦前まではほとんどがそうであった。あるいは戦後、ごく最近まで、汲み取り式で、しかもそれを肥料として使っていたのは、ごく最近までのことである。我が家でも、90年代の半ばまで(ということは三省がこの文を書いていると同時代)、そうであった。畑のない我が家ではそれを肥料として使ってはいなかったが、わざわざ、畑にバキュームカーを逆流させて、人糞を放流させてもらっていた農家さえあった。

10)しかし、それはそれ、メリットもあればデメリットもある。一つには悪臭。地区に畜産農家があったりすると、もうそれだけで、近隣に最近になってできた建売住宅の新住民などから苦情がきたりする時代である。人糞を播くなど、持っての他であろう。

11)それと、人糞といえど、それなりに病原菌も交じっている。人肥を追肥したりすると、野菜に付着し、新たなる病原となることも多かった。「にわか」百姓の詩人的な繰り言だけでは、「農業」は成り立たない。

12)「聖なる地球のつどいかな」(1998/07  山と溪谷社)において、三省と対談しながら、ゲーリー・スナイダーは、自らがパソコンやメール、あるいは太陽光発電などの、新しい技術を積極的に取り入れている姿勢を誇示している。それに対する三省は、決して積極的でないばかりか、原発をはじめとする、あらゆる科学技術に対する忌避を示しているかのように感じる。

13)三省は、対極に戦争や原爆や原発を置くあまり、極端なアニミズム回帰を夢見て亡くなっていったように、私には見える。

14)今日は旧盆の十六日。 昨日までは、鹿児島市に住んでいる二人の息子、一人は中学校教員をしており、一人は会社員をしているのであるが、その二人が盆帰りをしていて、わが家は大変賑やかだった。p227「チリハノブドウ」

15)浅学にして、三省のように周囲の人間関係をほぼ実名で語りまくった人を知らないのだが、いわゆる部族やヒッピーと言われた自らの青春時代のような形での、自分の子供たちの成長をみたわけではなかった。「市」に住み、「会社員」や「教員」である家族たちを、彼は決して咎めもしないでみていたであろうし、「独立した人間」として「尊重」もしていたであろう。

16)当ブログは現在、「60年代のカウンターカルチャー」から、21世紀、なかんずく今日の2010年代における「コンシャス・マルチチュード」までの流れを俯瞰しようとしているところである。しかしながら、「時代」と言っても、実にもろくはかないものであり、その千変万化は実に限りない。リアリティを一貫するなら、そこに生きた人間をこそ追いかけるべきだろうと思う所以である。

17)その時、多くの表現物を表し、そして残した山尾三省という「隣人」は、極めて、時代のスケールとしては有難い存在なのである。一人の詩人の生きた生き方を横目で見つつ、それを座標軸の一つとして活用しながら、自らの人生の進路を見極めるには、いたって都合のいい「共有財産」なのだ。

18)まるで方丈記か徒然草の時代の再来であるような、天変地異が打ちつづくこの頃、それは何よりも私自身の病いであると感じる一方で、より深く地球そのものが病んでいることを感じないわけにはいかない。希望がないといえばそれまでの、希望のない淵に私(達)は立っている。p228「樹木」

19)この文章は、阪神淡路大震災も、スマトラ島沖自身も、3・11東日本大震災をも経験する前の三省の直感である。今後も、これだけの大震災は繰り返されていくに違いないないのだ。それを地球が「病んでいる」とみるのか、そもそもそれは地球の「健康な」新陳代謝なのかは、人間のスケールを離れてみれば、分かったものではない。希望があるかないかはともかくとして、とにかく私はこの地球上に生きていくしかないのであり、また私の子孫についても同じことが言えるだろう。

20)この1938年生まれの三省に対して、1940年生まれの宮井陸郎を対置してみる。

宮井 ぼくなんかはコンピューターのほうがネイチュアなんです。ぼくらがガキだった頃、花や蝶がネイチュアだったような意味で、ジョン・ケージにとっては、やはりコンピューターがネイチュアなんだっていう感じがしますね。

 ケージがコンピューターを日本の水車と同じだと言ったのは、非常にオリジナルですばらしい。「芸術」の予言!!」 60年代ラディカル・カルチュアの軌跡(2009/05 フィルムアート社)p126

21)私は宮井の人生が実際にどうであったかは知らないが、少なくともすでに60年代において「デジタル・ネイティブ」を直感し、容認していた潮流が、「60年代」と括られる流れのなかでの、三省の直ぐ隣り合わせにあったということは明記しておくべきだろう。

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