カテゴリー「37)3.11天地人」の108件の記事

2011/10/07

東日本大震災全記録 被災地からの報告 河北新報出版センター

【送料無料選択可!】東日本大震災全記録 被災地からの報告 (単行本・ムック) / 河北新報社
「東日本大震災全記録」 被災地からの報告
河北新報社/河北新報出版センター 2011/08 単行本 255p
Vol.3 No.0482★★★★☆

1)当ブログのカテゴリ「3.11天地人」はこれで108冊目となる。恒例により、この本にて次のカテゴリに移る。

2)本当は、最後の本としてこの本でカバーするかどうかは最後まで悩んでいた。飯沼勇義 「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」がもっともふさわしいのではないか、と思ったり、 ジェームズ・ラブロック「ガイア 地球は生きている」(未メモ)がいいのではないか、と思ったり、いきなりはずして、ニュートンムック 「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」も悪くない、と思っていた。 

3)しかし、結局は、この本で締めくくることになった。

4)実はこの本、まだよく読んでいない。この手の本は、今、世の中に数多流通している。本当のこと言って、あんまり読みたくない。

5)この本は、新聞社が学校図書館にそれぞれ記録として贈呈したりしている。記録としては、この本はどの図書館にもあるべき一冊だろう。地元の新聞社だし、発行も8月になっている。かなりまとまったものだろう。

6)気を取り直して読み始めようとしたところ、家族が、どうせ読まないだろうと気をつかって、すでに図書館に返してしまったという。なんというタイミングか。

7)いずれは、私もこの本をじっくり読むだろう。だが、今はいやだ。読めない。被災地の惨状と、被災者たちのうめきを、いまだに私は直視できない。

8)3.11、というもの、私はそこから目をそらそうとしているのかも知れない。いまだに直視できないが、それでもやっぱり直視せざるを得ないもの、それが3.11なのだ。

9)「3.11天地人」カテゴリを、今、このタイミングで締めるには、この本がベストだろう。これ以上でも、これ以下でもない。ここから歩み始めるしかない。

10)「東日本大震災全記録」。それは無理だろう。このタイトルには無理がある。「全記録」と言ったところで、まだ進行中なのだ。ましてや、「全」などと言えるはずなど、最初からない。一冊の写真集に収まるほど、「東日本大震災」はコンパクトではない。

11)しかし、それでもなお、地元の新聞社は、このタイミングで、この名前で、この一冊を出さざるを得なかったのだろう。

12)そのことを諒として、この写真集を、当ブログ「3.11天地人」カテゴリ108冊目に置く。

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反欲望の時代へ 大震災の惨禍を越えて 山折哲雄/赤坂憲雄

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「反欲望の時代へ」 大震災の惨禍を越えて
山折哲雄/赤坂憲雄 2011/09 東海教育研究所/東海大学出版会 302p
Vol.3 No.0481★★★★☆

1)3.11以降の本を読み漁っても、「天」や「地」についての本は多けれど、「人」についての本は少ない。この本、赤坂という人は初めだが、山折哲雄という人の声は聞いておきたいと思った。

2)2011/09出版ということだが、残念なことに二人の対談が行われたのは震災後の一月半後の4月28日のことだった。だから、まだまだ生ゆでで、しかも量も少ない。「思想としての3・11」(河出書房新社編集部 )や「いまだから読みたい本ー3.11後の日本」 (小学館)に似て、どこか被災者の一人としての私のハートを打つ鳴らす力が足りない。

3)対談の量が不足しているのを補助するかのように、寺田寅彦、岡本太郎、岡潔、和辻哲郎、柳田國男、聖書、鴨長明、宮沢賢治、佐々木喜善の文章を再録することによって一冊の本を作っているが、どこか生半可だ。

4)そもそも、このタイトルはいかがだろうか。「反欲望の時代へ」という時に、すでに「へ」という「欲望」が見え隠れして、いまいち納得ができない。色即是空、空即是色、色不異空、空不異色、の呼びもどしがされていない。

5)赤坂宣雄は、福島県博物館館長、遠野市立遠野文化研究センターの所長であり、民俗学をベースとした地域学「東北学」を提唱(裏表紙・著者紹介)ということだから、もうすこしこちらの琴線に触れる言葉があるかな、と期待はしたが、その文章の量のせいなのか、あるいは、「東北」というものに触れた「質」ゆえなのか、こちらの琴線に触れる部分は少ない。

6)山折 いま震災後の世の中の気分としては、東北といえば千昌夫の「北国の春」なんですよ。NHKでも「北国の春」は歌われるけど、「俺ら東京さ行くだ」は歌われない。p28「植民地としての<東北>」

7)大学を東北ですごした山折哲夫だけに指摘はするどい。二つの演歌を並べて比較するところなど、秀抜である。当ブログにおいても、吉幾三の唄を思い出していた。しかし、それでもやはり、そこにある世界は、吉幾三ではなく、山折哲夫の世界である。

8)赤坂 「東北地方太平洋沖地震」という命名から「東日本大震災」へと変換するプロセスのなかにアメリカというファクターが影を落としている。p42「<フクシマ50>と西欧文化の『犠牲』」

9)ネーミングは、実はどうでもいいことでありながら、やはり大切なことではある。「東北関東大震災」よりは「東日本大震災」のほうが私は好きだが、「東北地方太平洋沖地震」という呼び名があったことには気づかなかった。

10)しかし、やはり「東日本大震災」でいいのではないか。あえて「東北地方太平洋沖地震」という時に、その裏にある意図があまりに露骨に突出してくる可能性があるのではないか。

11)赤坂 確かに「東北地方太平洋沖地震」は絶妙でしたね。東北が負わされてきた植民地性をむき出しにして、同時に太平洋沖が世界の巨大なイデオロギー的なプレートがぶつかり合う狭間であることが無意識に表現されていた。ところが、「東日本」と称することで日本列島のなかに呼び戻されてしまった。ごまかされてしまった。やはり「東北」なんですよ。p44「同上」

12)家を失い、家族をうしない、先祖の遺影や位牌ばかりか、墓の遺骨までも奪われて、着の身着のままで避難所の毛布にくるまっている人ならば、こんな戯言はどうでもいいことだろう。

13)赤坂 前向きに戦わないと、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ、あるはチェルノブイリ・フクシマとして歴史に刻まれてしまう。それどころか、道路や鉄道すら福島を迂回しかねない状態になっています。福島が通れない土地になってしまったら、東北にはだれも人がいかなくなる。p118「弥勒のような希望と救済を」

14)私は原発の名前に土地の名前をつけたくない。あえていうなら「東電原発」までだ。だが、やはりヒロシマ・ナガサキや、チェルノブイリと並び称せられることになるのは間違いない。かなしいことだ。

15)南相馬市の20キロ圏まで近づいてみた。あるいは西の東北道は何度も通ったし、南の常磐道からも接近を試みた。すくなくとも、私はあの地を棄てることはできない。

16)山折 復興でも再生でも構わないけれど、そう、まずは希望がなければならない。希望がなければ、福島の人たち、東北の人たち、あるいは日本人全体もみんな動き出せませんね。「モーゼ・プロジェクト」じゃないけれど、なにか神話知の名前をこのプロジェクトにも受けなければいけませんね。「もんじゅ」と「ふげん」は高速増殖炉に持っていかれたから、「ミロク(弥勒)」なんてどうだろう。未来において衆生を救済する菩薩だ。

赤坂 「ミロク・プロジェクト」ですか。いいですね。p119「同上」

17)この本、評価としては★5が正しいだろう。乱立する3.11本の中にあっては、際立った立ち位置を示している。しかしながら、読み手としての私の中には反発も異論もあるから、★をひとつ減らして★4とした。

18)この本を高く評価できないのは、「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」の飯沼勇義のような生き方があることを知ってしまったからだ。

19)山折や赤坂のような生半可な生き方を飯沼は好まない。「東北学」という言葉さえ、飯沼の前では色あせる。飯沼なら「ミロク・プロジェクト」とは言わないだろう。敢えて言うなら、「ヒタカミ・プロジェクト」あるいは、「アラハバキ・プロジェクト」というに違いない。

20)そしてそれは徒党を組むことで行われない。一人で行われる。地震と津波は必ずやってくる。それを実証するために、飯沼は仙台平野の沿岸部、海岸線から1キロのところにアパートを見つけてそこを住処とした。そこに16年間も住み続けて、命をかけて自らのプロジェクトの正しさを証明した。

21)山折においても、赤坂においても、「日本」という国が刺のようにささっている。世界---国---国民、という図式がある。「日本」という国をプラットフォームの真ん中において思考したのでは、脱原発も不可能だし、反核も不可能であり、戦争もなくならない。彼らの「反欲望の時代」への渇望は、絵にかいた餅として終わりかねない。

22)飯沼なら、地球---人間---日高見、と言う図式を描くだろう。地球と人間の間に介在するものはない。そして、その人の内面に存在する世界観はあくまでも精神性としてある。日高見、あるいは荒脛巾、蝦夷、縄文人など、いくつも換置できる表象はあるだろう。しかし、それはあくまでも精神性=スピリチュアリティに留まる。

23)この本の半分以上を占める上に上げた過去の文人たちの文章については、「3.11以後に読みたい本」としてリストアップしておこう。また、この本のお二人にしても、その後、さらにどんなことをおっしゃっているのか気になる。

24)大事なことはプロジェクトのネーミングでもなければ、徒党を組むことでもない。ひとりひとりが、地球人として、この地球の上で、今日から、ここから、どう生きていくか、なのだ。

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2011/10/06

3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ<2> 飯沼勇義

<1>からつづく

3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <2>
飯沼 勇義 (著) 2011/6 鳥影社単行本 208p

1)いやはや、とてつもない本である。あらためて読み直して、そのインパクトの強さに、心底、打たれる。圧倒される。驚愕の一冊である。

2)この本、図書館にリクエストするとすぐ読める。不人気本だからではない。大人気だからだ。この数カ月前に出版されたばかりなのに、すでに20冊ほどが図書館に入っている。そのほとんどは貸し出し中だが、すぐ読み終わったものが戻ってくる。

3)当ブログとしても、図書館が復活以来、意識して「3.11本」を100冊以上めくり続けてきたが、ついぞ、この本を超える本は無かった。地震や津波を「天」とし、原発や放射線を「地」とした。これらについてのテーマ本は数多ある。しかし、「人」に触れているものは少ない。人間としていかに生きるのか、そのことについて総合的にアプローチし、破綻なく全体が丸く収まっている本は少ない。

4)現在のところ、残念ながら、というべきか、唯一この本だけが、「3.11天地人」を象徴してくれる一冊である。

5)そこには「人」として生きた著者の姿がある。そして、後塵を拝する若輩の私たちに、「人」として生きる道を教えてくれる。

6)ここで「荒脛巾(あらはばき)の神」について簡単に説明しよう。津波から話がそれるようだが、決して無関係ではない。
 この神は日本人祖霊の最古の神で縄文時代から継承されてきた日本古来の源神だった。

 荒脛巾は二つの神が一対となって初めて機能してきた。「荒」は荒神と言って男神であり、光と熱を大地へと送りとどける太陽が男神である。それがのちの「荒神信仰」だった。もう一つ、地上にもたらされた太陽の恵みを大地が受容し、あらゆる生きものたちを生み、繁殖させる女神、それが「脛巾神(はばきかみ)信仰」である。

 熱日高彦神社は「伊具郡衙(ぐんが)」にあった頃の鎮守神といわれてきたが神社であるが、もっと古い時代には「伊具国造」がここにあった。それは縄文時代にあった世界でも最も古いという由緒ある社である。p42「予言された津波 古代の神々と津波」

7)10数年前から、古老より聞いて阿武隈川流域にあるこの熱日高彦神社の存在を知り、参拝もしていた。しかし、この本でもって初めて、その意義を知った。そして、石巻の日高見の誉れを語るものは多いが、この阿武隈流域の古社の希少性も初めて知った。なるほど、しかも、これには「津波」にまつわる大きな話がバックにあったのだ。

8)仙台平野への6回にわたる大規模津波によって、船が航行できる津波水系というべき巨大運河がここにあったことがわかっている。

 その規模は、岩沼~名取一帯で、東西距離は太平洋沿岸から西方丘陵地までは約4.5キロメートル。大衡で約2.0キロメートル、三本木で約3.0キロメートル、古川で約4.0キロメートルと海岸から丘陵に到る東西線は、その地域によってみな違うが、広域の仙台平野から大崎平野の古川に至る南北線は、約百キロメートルにわたって津波水系による運河が自然に形成されていたのである。

 特に東西線で大きな水系を有していたのは、岩沼~名取地方と古川から60キロメートル地方である。広大な海水がこの地方を覆っていた。津波によってできた巨大運河だったともいえよう。p44「同上 古代の神々と津波」

9)こちらはもろに私の生地にかかわる話だが、生家の屋号には「島」がつき、近隣からとついできた祖母の生家の屋号にも「島」がついている。実際、幼い時に遊んだ近くの田畑の中には、7つの島状の遺跡があった。思えば、平野部から切り立っていく丘陵部にも、次から次へと「島」の地名がついている。これは、巨大津波による浸水で、できた海岸線の名残りだったのだ。うすうすとは聞いてはいたが、今回の3.11の事実と、この本によって、ますます明確になってきた。

10)この地方を襲った津波の大きさは、仙台平野一連の歴史津波市場、最大のものであり、地震寝ネルギーを全量放出したと考えられるのである。その津波の波及域は仙台・名取の山岳丘陵下にまで達した。

 この津波は長徳2(西暦996)年に起こった巨大地震(宮城県沖と関連する海溝型の震源地と連動した)による津波で、これを仙台・名取熊野堂津波という。p59「西暦996年(長徳2年)(仙台・名取熊野堂津波=長徳地震)

11)う~む、まさにここで語られているものは、私の住むこの地の話である。

12)ところで、宮城県名取市には熊野新宮寺という名刹が存在する。(中略)当時、東北一円に強い熊野信仰が広まったのだが、その背景には一連の大規模な津波が深く関わっていると考えられる。津波と、更に加わった洪水、飢饉、疫病の流行による災いから人々を救済し、極楽浄土へと導いてくれるのが、熊野信仰であった。名取熊野信仰が東北一円にまで拡まったということは、この地方に住むあらゆる人々が、津波の地獄から這い上がり、極楽浄土を求める強い祈願があったことを意味してはいないだろうか。p60「同上 東北の津波信仰と津波」

13)熊野本宮社熊野新宮社熊野那智神社今熊野神社などの古社がすぐ近くにある縁を以前より感じていたが、なるほどそうであったか、と漠とした今までの思いが明確になってきた。

14)今回被災した閖上(ゆりあげ)地区の名前の由来は、海岸線に仏像が「揺り上がった」とこころから付いたとするものがある。その仏像は丘陵地帯にある高館の熊野那智神社に奉納された、と聞いたこともあった。津波と熊野信仰、ますます信ぴょう性は高まる。

15)慶長16(1611)年10月28日、東北地方の太平洋岸に大地震、津波が発生した。この津波は、午前10時頃から午後2時頃まで来襲し、午後5時までには収まった。そして、この津波によって仙台平野一帯は浸水し、平野の耕地、住家は殆ど冠水した。p70「同上 慶長津波と仙台平野の津波伝説」

16)自分の先祖はこの地に400年ほど前から住んでいると聞いているが、まさにこの慶長津波はちょうど今から400年前のこと。我が先祖はこの津波と何らかの関係があるだろう。菩提寺の墓石には、こまかく年代が刻まれているのだが、いままで気にもしたことがなかった。今度、もうすこし丁寧に参拝してみよう。

17)大自然の背後には、はっきりと目には見えない威力が存在していると、縄文人たちは感じとっていた。万物を生み育てると共にすべてのものを破壊する恐るべき大自然の力。そこに私たちは寄り添って生きていくことしか許されないと蝦夷たちは感じとっていたのである。p181「これからをどう生きるか、災害の哲学の構築」

18)著者は「津波学」の構築を訴える。それは、単に津波のメカニズムや予知に偏ったものではなく、「自然科学の分野と人文科学的領域に跨(またが)ったきわめて統合された学」p207(「あとがき」)と見定めている。

19)おそらく、現在よりさらに効率のよいエネルギー変換率が30パーセントを上回る太陽光発電法を用い、その電力を高性能電池で蓄電する方法が最も正解だろうと考えられる。p198「同上」

20)原発、火力、水力、シュールガス、風力、潮力、地熱、など、多くの発電方法に思いをはせながら、著者は太陽光に一番期待しているかのようである。しかし、さらに、進化した発電法に展望をさぐる。

21)東日本大震災直後の2011年4月、英科学雑誌「ネイチャー」の電子版に、光合成で太陽光発電が植物中の水を分解して酵素や電子を発生させるメカニズムを日本の研究者が世界で初めて解明したという論文が掲載された。p198「同上」

22)昭和5年生まれ、現在80歳の方ではあるが、その学究の熱情には、ただただ見上げるしかない。

23)東北はまったく新たに出発するだろう。他の日本の地域とは歴然とした違いを明確に打ち出し、自然と一体でありながら、同時にもっとも高度な技術文明を維持できる。その規範となるべき東北州が誕生するだろう。p200「同上」

24)「3.11天地人」。当ブログにおける100冊を超える3.11関連本のもっともバランスの取れたベスト本として、この本を推奨したい。

<3>につづく

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2011/10/05

方丈記 鴨長明 現代語訳付き <2>

<1>よりつづく

方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
「方丈記」 現代語訳付き <2>
鴨 長明 (著), 簗瀬 一雄 (翻訳) 2010/11角川学芸出版 文庫: 243p

1)3.11以後に出た本でもないし、ごく最近の本でもない。もともと書かれたのは、建暦元年というから1212年。ちょうど900年前のことである。現代語訳で読むと、人間界での出来事は、いつになってもかわらないなぁ、と思う。

2)「いのちと環境 人類は生き残れるか」の柳澤 桂子によれば、よい文学に触れることが大切だという。

3)今すぐみなさんにできることがあります。まず自分の意識レベルを上げるような勉強をしてください。いい芸術に触れることをお勧めします。特に優れた文学を読みよく考えてください。あなたの周囲の人の意識レベルを上げるような会話をして下さい。柳澤 桂子「いのちと環境 人類は生き残れるか」p212

4)「方丈記」は文学なのか、優れた文学なのか、という問いに、私は即答できないが、思いつくのはこのような作品だ。

5)ソロー関連を読んでも、スナイダー関連を読んでも、「方丈記」はでてくる。当ブログにおいても、なぜか「我が家に手作りガーデンハウス―DIYで建てよう!“小さな家”」へのアクセス数は高い。

6)人間の生き方を考える時、人は、自らの「家」を象徴として考えるのだろう。まさにスナイダーの「地球の家を保つには」こそが、エコロジーと精神革命のキーワードとなるのであろうか。

7)「方丈記」。前回はあまりにも3.11にも匹敵する表現に、ただただ転写するにとどめたが、すこしはコメントを加えておこうと思った。だけれども、3.11を代表させるには、無理がある。

8)「3.11天地人」。まさに「方丈記」は、「3.11人の巻」を切り拓いてもらいたいような一冊だ。

9)静かな夜の明け方に、この道理をよくよく考えて、そこで、私自身の心に向かって問いを発してみる。---長明よ、おまえが世俗から脱出して、山林に入り込んだのは、乱れやすい心をととのえて、仏道を修行しようがためである。それなのに、おまえは、姿だけは清浄な僧になっていて、心はけがれにそまったままだ。

 住む家は、まるでそのまま淨名居士維摩の方丈の小室をまねてはいるが、そこでおまえのやっていることは、どんなに見つもたって、周利槃特の修行にさえもかなうものではないぞ。ひょっとすると、これは、宿業のむくいといsての貧賤がおまえ自身を悩ましているのか。

 あるいはまた、みだりな分別心、なまはんかな知性がこうじて、気が違ったのか。さあ、どうだ。----こうして問いつめた時、私の心は、まったく答えることができない。答えられないのだ。

 残った方法は一つ。ここに、けがれたままの舌をうごかして、阿弥陀如来をお迎えする儀礼もととのえず、ただ念仏を二、三べんとなえるだけ。それで終わったのだ。

 今は建暦の二年、三月の終わりごろ、出家の蓮胤、日野の外山の庵において、この文をしるすのである。p114

10)当ブログのスタイルは、meditation in the marketplace だった。ここにもどっていこう。

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2011/10/04

「スマート日本」宣言 経済復興のためのエネルギー政策 村上憲郎/福井エドワード

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「『スマート日本』宣言」 経済復興のためのエネルギー政策
村上憲郎/福井エドワード 2011/08 角川書店  新書 191p
Vol.3 No.0480★★★☆☆

1)このところ、頁をめくる手が動かない。文字を追う目もショボついて、どうも頭になにも入ってこない。メンドウな仕事が溜まり、血圧は一向に下がる気配がない。図書館復活後、手当たり次第3.11関連を読みこんだが、そろそろtoo muchになってきた。

2)「3.11天地人」カテゴリも現在残すところ数冊。このカテゴリをどんな本で締めようか、と考える時期になった。「3.11後を生きる」という後継のカテゴリのことを考えれば、すこしでも希望が見える方向性に持っていきたいものだと思う。

3)地震・津波、原発・放射線、そして「人」についてのものごと。カテゴリについて考えたが、どうもまだ収まりが悪い。かと言って、あまりいいアイディアもでてこない。ここはあわてずに、のんびりいくことに決めた。

4)この本、「スマート日本」のスマートは、いわゆるスマートフォンのスマートにつながるものであろう。

5)東日本大震災と原発事故が引き起こした電力危機は、我が国のエネルギー政策の問題点を顕わにした。その解決策として注目を集める「スマートグリッド」は、電力のみならず様々な新しいビジネスを育む可能性を秘めている。表紙見返し

6)我が家の電気量を最適化するためにスマートメーターを導入することもいいことだと思うし、持続可能なエネルギーを考える上では、屋根の上に太陽光パネルを乗せたいとも思う。復旧復興のモデルとして、スマートシティ、という概念も悪い物ではないと思う。

7)グリッドとウェブの差異
 スマートグリッドは、モノではない。なんらかの「完成系」があるような技術の話にも限定されない。その上で、さまざまなサービスやビジネスが生まれるネットワークである。

 インターネットはWWW(ワールドワイドウェブ)誕生以来の20年ほどで爆発的にふきゅうしたものの、大まかに行けば、スマートフォンを含むパソコン、プリンタと、せいぜいテレビにつながっている程度である。

 一方、スマートグリッドは、まず、家の中で電気を使う機器のすべてにつながる。そして、冷蔵庫と発電所が会話するようになるのである。ネットワーク上のエンド・トゥー・エンドのコミュニケーションがひとつの特徴である。

 「グリッド」という呼び方は、「ウェブ(蜘蛛の巣)」と同様に、洒落を込めた表現で値トワークを表わしている。「グリッド」とは、ちょうど城壁の内側のような「囲まれた地域」を意味しており、都市あるいはそれよりも少し広い地域をイメージさせる言葉である。厳密な定義はないが、ウェブの場合と比べると、地域性がある。そのため、「グリッドには個性がある」のである。p108

8)この本をめくる前に、まずは福井エドワードの「スマートグリッド入門」(2009)でも読むべきだった。ただ、今のところ、どうも当ブログは、これらのテクノロジーにのめり込むような方向性はでてこない感じだ。

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2011/10/03

シュタイナー 死について ルドルフ・シュタイナー/高橋巌 <1>

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「シュタイナー 死について」 <1>
ルドルフ・シュタイナー/高橋巌 2011/08 春秋社 単行本 282p
Vol.3 No.0479★★★☆☆

1)3.11を挟んで亡くなった、3人の知人の死を考える。

2)一人は昨年から白血病を病んでいた古い知人で、ブログに闘病日記を付けていた。本来が明るい人柄で友人も多かった。明るい日記についつい気がつくことなく過ごしていたが、結局は病院から帰ってくることなく、この春3.11の一月前に亡くなった。友人多数出席の葬儀には、笑いや唄さえあり、若くしてなくなった彼を送り出すにはふさわしい式のようであった。

3)二人目は、中学校時代のバスケット部の部活動で一緒だった同級生。たまに集まる同級会以外に会うことはなかったが、彼は市役所職員として実直な人生を送り、立派な家庭生活を送っていた。その彼は、今回の3.11に沿岸部に勤務していて被災し殉死した。葬儀は時節柄、形としては家族葬ということになったが、市長以下、多数の出席があり、ひっそりとしたものではあったが、立派な式であった。

4)三人目は、震災後半年ほどして亡くなった。人に教えてもらってそのブログには目を通していた。膵臓ガンということで、表面はかなり元気そうではあったが、ひょっとすると本人も覚悟の上か、と思える部分がすくなからずあった。そのお別れ会には、生前を偲ばせる沢山の関係者が列席していた。福島県出身の社会活動家であってみれば、3.11以後にこそ、何事かの活動の場を拡大したがっていただろうことは、容易に推測された。本人の念も残ったことだろうと思えた。

5)人には等しく誰にも訪れる、死。その事実は、どの人間にも同等である。3者には3者の人生があり、この世における接点はほとんどなかっただろうし、それぞれの個性は別ものであったが、死を前にした時、人は等しく厳粛な現実の前に立たされる。

6)3人とも、50代は過ぎたとは言え、平均寿命から考えれば、早すぎた死となる。本人たちも、これでいい、と自分の人生を締めきることができたのかどうか、私にはわからない。

7)かくいう私とて、一人の人間として、死の前に厳粛な面持ちで立たされていることに変わりはない。3.11の前だろうが、その日であろうが、数カ月後、あるいは数年後であろうが、死が厳然と存在していることに変わりはない。

8)2011年の3月11日以降の読者すべての心に、本書が何か大切なものを伝えることができますように。(訳者) pv 「訳者まえがき」

9)シュタイナーは得手ではない。当ブログにおいても「神秘学概論」「シュタイナーの世界」「シュタイナーの宇宙進化論 」、コリン・ウィルソンの「ルドルフ・シュタイナー」、などを手にとるのだが、そこに機縁の深みを感じることはいまだない。

10)今回、3.11以後において、このようなタイトルの本があると知って借り出してはきたものの、今回もまたシュタイナーを深く読み込む前に、あるいはページさえ開く前に返却期日が到来してしまった。それも止むをえまい。しかし、ただただ、こういう本があり、3.11以後の私が、何事か方向を変えようとして、この本を借り出してきては見た、という事実は残る。

11)読み込まずとも、この本の存在を感じることによって、当ブログのベクトルの方向性がしなやかに変化する。

12)前述の3人の知人の死とて、外部から語れることは僅かである。語ることさえ憚られる。ただただ、その事実の前に厳粛な気持ちになるだけである。ましてや、3.11における二万人を超える死者行方不明者の人々のことに思いをめぐらせば、当ブログにメモし得ることなど、何ひとつなく、ただただ無力感に打ちひしがれるだけである。   

合掌

<2>につづく

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チベット密教瞑想入門  ソナム・ギャルツェン・ゴンタ <1>

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「チベット密教瞑想入門」 <1>
ソナム・ギャルツェン・ゴンタ 2011/08  法蔵館 単行本 261p
Vol.3 No.0478★★★★☆

1)現在の流れで言えば、唐突という感じもするが、実際は、当ブログの全体の流れはこちらのほうに傾いていた。「チベット密教」関連一覧リスト 「ダライ・ラマ」関連リスト「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」 とか「マンダラをさらに深く知るために」など、あるいはOM MANI PADME HUM一覧など、気の向くまま、図書館から借りだした本をメモしてきた。

2)ここに来て3.11関連本を100冊以上読んでみて、ちょっと息切れ、そんな時、新刊コーナーに「チベット密教瞑想入門」などといタイトルが並んでいると、ついつい読みたくなる。

3)本書は1996年に金花舎から出版された「チベット密教の瞑想法」に基づいて内容を見直し、帰依についての詳しい説明と、「ガンデン・ラギャマのグル・ヨーガ」についての解説、そして、曼荼羅供養についての実際の実践法の詳細説明などを新しく付け加え、偉大なる四つの前行の教えすべてを揃えたものになっています。pviii「はじめに」

4)チベット密教瞑想入門、とはいうものの、この本は極めて総合的であり、必ずしも初心者用の入門書ではない。基本中の基本がキチンと語られており、チベット密教もまた仏教であるならば、これは仏教の基本中の基本が書かれている本ということになる。

5)チベット密教であるならば、それは瞑想と切り離しては考えることはできないので、仏教の真髄を表わしながら、また、この本こそ、チベット密教の文化の骨格をキチンと把握している本もない、というくらい緻密である。

6)さて、しかしながら、仏教があり、チベット密教が、システムとして外在していたとしても、そこに人間がいなければ、なんの役にも立たないことになりかねない。現代人、とりわけ地球人において、さて、仏教やチベット密教が、避けては通れない、唯一の道になっているか、と問われれば、必ずしもそうとは言えない。

7)つまり、ひとりの地球人が人間として生きていくにあたって、仏教徒であり、自らの道としてチベット密教を選びとるとするならば、この本にこそ帰依すべきである、とさえいえる。あるいは、道として選択できないまでも、何事かの魅力を感じることができるとすれば、この本から人はチベット密教を学び、仏教をまなび、人間そのものの生き方を学ぶことができる、ということになろう。

8)折に触れ、タイミングを見て、このような本に出会えることはうれしい。手元にあっても、なかなか機縁がないと読み込めない。少しでも、半分でも、途中からでも、このような本を読みこめるということは、人間として幸せなことである。

<2>につづく

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2011/09/30

なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎 クライン孝子

【送料無料】なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎
「なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎」
クライン孝子 2011/09  海竜社 単行本 221p
Vol.3 No.0477★★★☆☆

1)長くドイツなど海外に在住する、1939年生まれのご高齢の「国際ジャーナリスト」を称される方の一冊なれど、ヒネた読者のひとりとしては、なんだか主旨一貫しない本だな、と感じる。

2)日本人よ、世界を良く見てみなさい、と「教えて」くださるのはうれしいが、その比較される日本というものの認識がやや違っているので、この人の語る「世界」も、すこしずれているのではないか、と疑念が沸き起こる。

3)本の主旨としては、ご本人も脱原発だし、日本も近未来的には脱原発するしかないでしょう。だけど、ドイツなど一部を除いて、原発まっしぐらなのよ。エネルギーのない日本は原発にしか頼れないでしょ、とおっしゃっている。

4)この人の矛盾は、「国際ジャーナリスト」という肩書を自らに許しているところにある。

5)「国」に頼るかぎり、戦争が必要であり、核兵器、核武装が必要になり、原発が当たり前のエネルギー源とならざるを得ない。

6)逆に言えば、原発を廃止し、核兵器をなくし、戦争をなくしていくには、「国」をなくすしかないのだ。

7)この方のハートは「地球」にあり、ひとりの「地球人」として発想しておられるが、頭脳における情勢の分析は「国際ジャーナリスト」としての「国」から離れられない。ハートと頭が分裂しているのだ。

8)しかし、この分裂は、彼女ひとりのものではないだろう。この地球を生きる多くの人々の上に起きている悲劇である。

9)当ブログがこれまで進んできて、大きくぶち当たっているのは「国」という幻想の存在である。国の為に、とか、国家間競争とか、仮想概念を使うことによって、差別がおこなわれている。国家という最も価値の高い大義を振りかざしながら、そこで徹底的に差別され、収奪されているのは、個人としての、ひとりひとりの人間の命である。

10)「原子力は唯一日本が自給可能なエネルギー」(p200)と言ってみたり、「日本よ、なでしこJAPANに続け!」(p216)と言ったりする矛盾は、この方の時代感覚のずれに生じる「国家」観のせいであろう。

11)21世紀において、すくなくとも、今日の人間の生活の仕方において、「家」というものの考え方は大きく変わってきている。家長がおり、親族が同じエリアにかたまって暮らしている、という戦前のスタイルはとうになくなっている。そのようにしたい、と思う傾向は残っているが、実際はそう強要はできなくなっているし、そうしなくても生きていけるスタイルができあがってしまっている。

12)「家」が崩壊している今、「国家」もまた風前の灯と化した概念なのである。「国」があって、「国民」があって、「国際」社会がある、というスタイルには、よくもわるくも、もう戻れないのだ。

13)これからは、「地球」に対峙する「人間」が存在する、というモデルから、全てのことを書きなおしていく必要がある。

14)「国」の中心をなす「天皇」制はどうであろうか。「国」の「国技」たる「大相撲」はどうであろうか。「国民主権」とされる民主主義の糜爛状態はどうであろうか。立て直し、復活させようとしても、もう時代遅れなのだ。

15)よくもわるくも、日本「国」の「国技」としての「大相撲」は廃れていくだろう。そして変わって登場してくる(登場させられている)のは、「サッカー」だ。今や、ワールドカップの大騒ぎを見ても、「地球」技としてのサッカーがその地位を受け継ぎ始めている。

16)クライン孝子は、この本のエピローグで「日本よ、なでしこJAPANに続け!」と発せられている。しかし、そうだろうか。違和感を覚える。ドイツにいる彼女は、たしかに日本に向けてエールを送りたくなるのはわかる。しかし、彼女がエールを送るべきなのは、「日本」なのだろうか。

17)いずれ、日本という「国」はなくなるのだ。それは、アメリカという国がなくなり、中国という国がなくなる、という意味と一緒だ。日本は、アメリカの何番目かの州になることもないだろうし、中国の東端の辺境になることもないだろう。

18)行政や、地理上の区分けとしての地名として、日本や中国やアメリカという固有名詞は残るであろう。しかし、それは便宜上のものである。AさんとBさんの個性を尊重するがゆえに互いに名前で呼び合うことはあっても、二つの個性を戦わせるために名前をつけているわけではない。

19)私は誰か? という問いに対して、ひとりひとりの人間の「意識」に、明確な答えはあるはずはない。「私」はいないのだから。ひとりひとりの自らの「意識」の煮詰めが悪いから、地域や国家という概念を持ち出す輩が横行し、自らの煮詰めが足らない人々が、その概念に振り回される。

20)私は誰か? という問いを突き詰めていくことによって、国はなくなり、原発も、戦争もなくなる。人は、少なくとも21世紀においては、せめて「地球」というひとまとまりの形あるものに最善の「意識」を寄せていく必要がある。

21)そこに行くしか、数多ある難問の解決策はない。この方の本は、なかなか視点がユニークだ。しかし、この本の中に、解決策はない。この方も方向性を見失っている。煮詰めが足らない。

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2011/09/29

原子力村の大罪 小出裕章他

【送料無料】原子力村の大罪
「原子力村の大罪」 
小出裕章/西尾幹二・他 2011/09 ベストセラーズ 単行本 255p
Vol.3 No.0476★★★★☆

1)どういう組み合わせで、これら7人の文章が一冊になったか知らないが、タイトルの「原子力村の大罪」というほど、「原子力村」はクローズアップされていない。原子力村を知りたければ、山岡淳一郎「原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜」のほうが鬼気迫る。

2)「原発のない世界へ」の小出裕章、「福島原発の真実」の佐藤栄佐久あたりはレギュラー出演としても、南相馬市市長の桜井勝延の「東電からもらったのは被害だけ!」あたりは身につまされる。

3)西尾幹二、恩田勝亘、星亮一、という人たちがどういう人たちなのかよくわからないが、7人の最後に登場する玄侑宗久こそ、いかにも「禅的生活」のような蘊蓄話にでもなるのかな、と思ったがそうではなかった。

4)考えてみれば、玄侑宗久もまた福島人として被災しているのであった。語られていることは、現地における被災者としての叫び声だ。

5)いまひとつ焦点の定まらない本ではあるが、ここにおいて、何事かを叫ばずにはいられない、という腹の中から込みあげてくる、各人の憤怒のエネルギーを感じる一冊である。

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2011/09/27

今日から始める山歩き これだけは知っておきたい初心者のための安心マニュア ブルーガイド編

【送料無料】今日から始める山歩き
「今日から始める山歩き」 これだけは知っておきたい初心者のための安心マニュアル
ブルーガイド編 2011/04 実業之日本社単行本 182p
Vol.3 No.0475★★★★☆

1)歩く、というのは人間生活の基本をなす重要な活動だ。「地球の歩き方」なんてシリーズもあるし、「ウォーキング」はダイエットだけではなく、健康を維持するための根幹をなす活動である。時には、「帰宅難民」として歩くことがふいに必要になる時もあるし、脳は歩いて鍛えなさい、なんて人もでてくる。

2)それでも、生活の中に、キチンと歩くこと組み込むことは意外に難しい。

3)山歩きとは、小さな一歩一歩の歩行を何万回と繰り返して大きな山に登り、そして降りてくる行為です。その一歩一歩にベテランと初心者で大きな違いがあるはずはありません。しかし、少しだけ違いがあるのです。この少しだけの違いが積み重なって、山を歩くための「コツ」となるのです。p180「あとがき」

4)普段の生活の中では、ついつい車を初めとする乗り物に頼りがちになり、ついつい歩くことをサボってしまう。いざ一万歩を歩こうとすると、かなりの思いがないとスタートできない。

5)この前の震災の時などのように、普段歩いているコースだと、大体の時間配分が分かるので、帰宅難民になったとしても、比較的勇気を持って歩きはじめることができる。

6)旅行会社やスポーツ用品店が主催するツアー登山に参加するのは、何かと不安が大きいものです。そこでおすすめなのが、街歩きから始めることです。登山の基本は歩くことです。観光地やサイクリングロードを半日程度歩けば、歩くことに自信がつきます。p3「大自然のなかで味わう喜び」

7)車で山越えなどをすると、ここで少し歩いてみようかな、と思わないでもないが、準備不足があって、せいぜい車を止めて、思いっきり背伸びをする程度で終わってしまう。街中のウォーキングもいいが、街の風景ばかりでは、すこし物足りない。たまには大自然の中を歩きたい。

8)山に入ったら携帯電話の電源はOFFにしておくことです。携帯電話は、電源が入っている待ち受け状態では、常に最寄りのもっとも強い電波を探して内蔵のアンテナが回転する仕組みになっています。

 尾根上を歩いているときなどに電源が入っていると、等距離にある電波局のなかからもっとも強い電波を探してアンテナは常に回転することになってしまいます。

 このために、通話しなくても、通常ではありえないくらい早くバッテリーが消耗してしまいます。いざというときにバッテリー切れで通話できないなどということにもなりかねません。p135「携帯電話の注意 山ではバッテリーの消耗が早い」

9)これは3.11でも体験した。町中の基地局が壊滅したために、ケータイがアンテナを求めて、あっという間に消耗してしまった。スイッチオフにしてたために、知人からの受信もできない、ということもあった。ひとつひとつの工夫の組み合わせが必要だ。

10)なんやかんやとこの本を読んでいくと、人間としてのサバイバル力を普段から高めるには、「山歩き」を目標にして、お手軽アウトドアをちょっぴりづつ初めておくのもいいなと思う。3.11以降に出た本ではあるが、この本にはそのことに触れた部分はない。

11)自然観察を含めた「野性の実践」のためには、まずは歩くことから始めてみる必要があるようだ。

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