カテゴリー「35)森の生活」の108件の記事

2011/08/04

地球の家を保つには エコロジーと精神革命<3>  ゲーリー・スナイダー

<2>よりつづく

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「地球の家を保つには」 <3> エコロジーと精神革命
ゲーリー・スナイダー (著), 片桐 ユズル (翻訳) 1975/12 社会思想社 単行本 264p

1)3.11以後、1ヵ月半経過して、ブログを再開しようと思い立った時、まず頭に浮かんだのはこの本だった。この本のイメージで、次なる「森の生活」カテゴリが始まった。

2)スナイダーを読み、山尾三省を読んだ。手持ちの本から始め、やがて図書館ネットワークが復活してきたので、ほぼこの二人を完読したと言える。この二人の出会いは、「聖なる地球のつどいかな」(1998)に収められている。

3)スナイダー 電気をつくるのに原子力を使うのは、あまりにも複雑で危険過ぎます。節電をして、もっと安全で効率的に電気をつくるべきです。そのほうがずっと効率的で健康的ですよ。「聖なる地球のつどいかな」p226「科学は美の中を歩む」

4)ようやく図書館ネットワークが復活したのを確認したあと、新刊を読みたくなったが、まだ充実していなかった。なにはともあれ、三陸海岸沿岸部の牡蠣養殖業の畠山 重篤「森は海の恋人」を読みたくなった。そして、「東北を歩く」 結城登美雄を読みたくなった。

5)読書ブログを再開し、昔からの想いを確認し、図書館ネットワークの復興を確かめた。すこしづつ東北沿岸部に想いを馳せたあたりで、「なでしこジャパン」の試合を見た。ワールドカップ優勝で、朝早く起きて、本当に感動した。今でも彼女たちがニュースにでてくると、うるうるする。

6)そこで少し元気になって、そろそろ図書館にも出そろい始めた3.11本を一気読みしてやろう、という、いつもの野次馬根性が湧いてきた。

7)そうこうしているうちに、この書込みで「森の生活」カテゴリも108の定数に到達した。実際の森の生活は、エコビレッジという可能性を見ることはできたが、この社会情勢であり、放射能物質による汚染状況である。東電原発から80キロ圏内における野外活動は、自分一人でも、あるいは他人を誘うことでも、十分熟慮しながらやらなければならない時代に突入してしまった。模様見状態である。

8)しかしながら、ソローの「森の生活」、そしてその後に今日までつづく流れは、3.11以降における一つの確かなビジョンの中に組み込まれてしかるべきものである。

9) エコロジー(ecology)の”eco”(oikos)の意味は”house”。すなわち地上の家を保つこと(Housekeeping on Earth)。 地球の家を保つには」 p226

10)エコ、という言葉はすでに陳腐化しつつある。あまりに安易に使われ過ぎている。しかしながら、原点は「地上の家を保つこと」にある。つまり、私たちのライフスタイルが充分持続可能であることを実践するところにある。

11)せっかくのこの機会であるから、3.11以降にでた本をもう少し読みこんでみよう。そして、天地人の被害の中でも、とくに放射性物質による汚染を含む原発問題をおっかけてみよう。

12)次なるカテゴリは「3.11天地人」となる。

<4>につづく

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わが家も太陽光発電 Asahi original

【送料無料】わが家も太陽光発電
「わが家も太陽光発電」 Asahi original
朝日新聞出版 2010/06 ムックその他 145p
Vol.3 No.0384★★★★★

1)ほんわかムードのムックだが、本気になって太陽光発電を導入しようとするなら、この本は役に立ちそう。

2)阪神淡路大震災直後に検討した時には、いくら補助金があったとしても、まだまだ現実的なプランではなかった。それこそボランティア気分で導入しようとしても、数百万では、一般家庭ではとてもとてもそんな冒険はできなかった。

3)しかし、2009年11月から、余剰電力を1キロワット時当たり48円で買い取ってくれることになってから、かなり現実的な話になってきた。申込時から10年間の限定とは言え、その10年間で十分初期投資を回収できそうだ。この制度は、現在でも続いているのだろうか(あとで調べよう)。

4)初期的な補助金もついているらしい。これは各都道府県や自治体での違いがあるので、自分の予定地の状況を調べなくてはならないが、それでも夢がある。

5)太陽光パネルには、いろいろな種類があるらしい。

・単結晶シリコン

・多結晶シリコン

・アモルファスシリコン

・ハイブリッド型

・CIS、CIGS

6)単結晶シリコンは転換効率は高いが、コストが高くつく。中国のサンテックパワーや東芝が扱っている。多結晶シリコンはシャープ、京セラ、三菱電機などが製品化していて、コストを抑えているが、変換効率は下がるらしい。いずれ導入するなら、これらの違いはキチンと自分なりに整理しなければならない。

7)製造時のエネルギーは1年半から2年で回収できるといわれており、それ以降はすべて収支がプラスになるわけです。p79「太陽電池は本当にエコなのか」

8)ほとんどボランティア意識がないと導入できない太陽光発電システムである。本当にエコなのかどうかを確認しておく必要はある。

9)10年で元を取るのはまだ難しいのが正直なところ。ただ、12~15年という期間があれば、十分回収可能な時代に入ったと言えそうです。p82「最終的に設置コストは回収できるの?」

10)今回の事故で、本当に原発が全て廃炉となり、代替の持続可能なエネルギーに変換しなければならない、と明確になるのなら、わが家も太陽光発電を導入するだろう。ほとんどそれしかない。一家のライフスタイルで考えるなら、当然のコストだと考えることができる。

11)通常、一般家庭に載る太陽光発電のシステムは、出力3~4キロワット程度です。それに対し、1メガワットの発電所となると250~330倍の規模ですから、その並はずれた大きさがわかると思います。p70「日本でも増え始めたメガソーラー発電所」

12)一般家庭ではギリギリの経済性だが、工場などの製造用としてのメガソーラーはどうなのだろう。光がなくなる夜になれば発電しなくなるのだから、安定しないのはしかたないが、バッテリーなどの周辺技術がリーズナブルに提供されるようになれば、もっともっとメガソーラーが普及してしかるべきだ。

13)3.11東日本大震災で被災した沿岸部も、瓦礫かたづけが進行し、準備のできたところから次第に復興プランができあがりつつある。そのプランの中にはメガソーラーを基本的な構造として組込んでいるものもでてきている。

14)自然エネルギーには可能性もあるが限界もある。当然のことだ。しかし、今回、とにかくこれだけの事故を起こした原発はだめでしょう。コストばかりか、汚染源として増え続けるのは倫理的にも問題がある。そろそろ、太陽光発電をシンボルとする持続可能なエネルギーを本気になって考え導入するべき時期に来ていると言える。

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2011/08/03

よくわかる太陽電池 斎藤勝裕

【送料無料】よくわかる太陽電池
「よくわかる太陽電池」 入門ビジュアルテクノロジ-
斎藤勝裕 2009/02 日本実業出版社 単行本 174p
Vol.3 No.0383★★☆☆☆

1)よくわかる、といわれながら、よくわからない。この本、つまりは、よくわかるシリーズの中に加えられた一冊で、よくわかりにくいものを「よくわかるシリーズ」として刊行しているらしい。

2)たしかに二色刷りのイラストを多用し、ホントに分かろうとすれば、分かるようにできているのだろうが、原発のそのシステムに似て、もう、最初から分かろうというモチベーションが湧かない(スミマセン)。

3)しかし、例えば車であるとか、パソコンであったりしても、同じことなのではないだろうか。エンドユーザーたる私たちは、その仕組みはほとんど解明しようがない、というのが本当のところだろう。

4)昔のゲルマニウムラジオや真空管アンプなどであるなら、すこしケのある人なら、すぐ自作したくなっただろう。自作することによって、部品の特性が分かり、途中で失敗しながら、結局は全体を理解し、すこし自分なりに改良を加えたりして、お気に入りの一品を作り上げたはずである。

5)しかし、っ現在のパソコンも自作とはいうものの、10個くらいのパーツを汲みあげるだけのブロック工作になっており、ひとつひとつの整合性を縦横気にしながら組み立てれば使えるようなもので、決して、その仕組みを完全に理解したわけでもなく、自分でよくわかったわけでもないはずだ。

6)車に至っては、現在において自作する人などいないだろう。自作しても公道を走れるようにな代物を作ることは、ほぼ不可能だ。

7)したがって、この本のように、太陽電池について「よくわかる」ようにならなかったとしても、あえて自己嫌悪に陥らないことにする。要は、車やパソコンと同じように、その商品やシステムを自分なりに把握して、自分の生活に組み込めればそれでいいのだ。

8)と、そこまで割り切ってしまうと、この本はほとんど読むところがない。なるほど~、技術革新されているのね~、程度で終わってしまう。

9)この本では太陽電池、という言葉が使われているが、当ブログでは太陽光発電、という言葉を採用する。意味はほとんど同じなのであろうが、「電池」というと乾電池を思い出し、さも蓄電池とセットになっているイメージがある。

10)現在の太陽光発電の欠点は、蓄電が出来ず、また余った電力をコントロールできない、というところだ。

11)わが家が真剣に太陽光発電を検討したのは、今から15年前、阪神淡路大震災の翌年であった。古い旧宅と取り壊して改築することになり、マイホームの設計にとりかかった。震災の直後であったので、住宅メーカーも耐震構造を常に気にしていたし、私たちも見栄えよりも中味を真剣に考えた。

12)構造的には、ほとんど満足できるものであった。今回のマグニチュード9の巨大地震においても、地盤や地域による違いもあったのだろうが、ほとんど被害はなかった。正確に言えばあったのだが、近隣の似たようような住宅に比べると被害は確かにすくなかった。

13)あの当時、太陽光発電を真剣に考えた。安い物ではなかったが、住宅ローンの一部に組み込んでしまえば、なんとかその負担は圧縮できたはずだ。

14)当時は、たしかシャープあたりが技術的に世界一で、システム的には300万円くらいした(今とあまり変わらない)。すでに当時でも補助金制度があって、申し込めば100万円くらい補助されたはず。差額200万円。

15)40前後の、働き盛りとは言え、二人の育ちざかりの子供たちを抱えながら、借金額を200万円増やすのは、なかなか考えものであった。考えてみれば乗用車が一台増えたようなものだし、耐用年数は20年とも30年とも言われたわけだから、まったく採用できない、というものでもなかった。

16)しかし、熟慮の末、結局、太陽光発電にしなかったのは、当時はまだまだ現実味が薄かったからである。

17)まず、一般の電力は導入しなければならなかった。そしてさらに、太陽光パネルを屋根に乗せたとしても、その電力のメーターなどは別途設置しなければならなかった。そして、自宅内の回線であろうと、太陽光で発電してものは、別の配線を使って使用せよ、というものだった。余った電力を電力会社で買い取るなんてシステムは夢のような話だった。

18)仮に太陽光発電で100%が賄えたと仮定しよう。わが家の平均電力使用量は、家族の増減や季節で安定しないが、ほぼ一万数千円というところ。あれから15年が経過したわけだから、12カ月*15年*1万数千円≒200万円、ということになり、見事減価償却はした、ということになる。

19)しかし、現実には、太陽パネルだけでは電力は賄えなかったわけだし、この15年間で停電したのは、今回の3.11を含めてわずかに2回。このために別電力システムを予備として作っておく、というのは、個人の一般家庭ではあまりにもムダであったということになる。

20)しかしながら、5~6年前から、余った電力を電力会社が買い取ってくれるシステムができ、夜間の為に蓄電するシステムもできつつあるように聞く今日、もう一度、真剣に自分のライフスタイルに組み込めるかどうか考える時期が来ているように思う。

21)今回、3.11の大震災で、わが家も4日半の停電に見舞われた。電気が来なけりゃ来ないで、なんとかサバイバルしていくしかないのだが、その間、4年ほど前に太陽光発電を始めた隣の家に助けられた。

22)隣家では、停電していても、テレビを見、ご飯を炊き、シャワーを浴びていた。私は、ケータイに充電してもらったくらいではあるのだが、あの4日半、隣家がうらやましかったのは確かだ。

23)引き続き、太陽光発電をフォローしてみよう。

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自然エネルギーの可能性と限界 風力・太陽光発電の実力と現実解  石川 憲二

【送料無料選択可!】自然エネルギーの可能性と限界 風力・太陽光発電の実力と現実解 (単行本・ムック) / 石川 憲二 著
「自然エネルギーの可能性と限界」風力・太陽光発電の実力と現実解石川 憲二 著 2010/07 オーム社 単行本 p190
Vol.3 No.0382★★★★☆

1)この本、ちょうど一年前に出た本である。したがって、3.11についてはは何も触れていない。どっちかというと牧歌的な、かと言って結構シビアな現実感を持って「自然エネルギー」を見詰めている。

2)自然エネルギー、つまり持続可能なエネルギーを主テーマにしている限り、原子力発電は論外、といわんばかりにほとんどが触れられていない。

3)自然エネルギーの可能性に触れながら、やんわりと、あるいはグサリとその「限界」も指摘しているのだから、原発に最後の最後まで触れないでいて、自然エネルギーも駄目だな、と思わせたら、つまりはアル・ゴアの「不都合な真実」のような、隠れ原発推進派、ということになってしまう。

4)本書の目的はそうではないだろう。3.11以降の今日、この本が改訂されるとすれば、もっと自然エネルギー寄りの表現が多くなるに違いない。要は、自然エネルギーを推進するにしても、より現実的な路線を見据えていかなければならない、ということで、「可能性」を評価する目もしっかり持っている。

5)漠然と、自然エネルギー地水火風、とした場合、まだまだ日本はエネルギー大国だと思わせられる。火山大国の日本は、小さな温泉の数ほど地熱発電の可能性があるのではないか。水力発電は古いシステムのように思われているが、日本のような山国でしかもすぐに海岸線のあるような国では、実は水力発電は非常に効率がよい。

6)この水力発電は、昼夜を問わない安定感があり、しかも、いままで使われてきたシステムを再利用していけるメリットがある。場合によっては、より小型化した水力発電システムも構築されていく可能性がある。

7)地水火風の火となれば、火力発電と来てしまうが、枯渇エネルギーを源とする化石燃料の火力発電は、この際、この本では話題にはしていない。当ブログでは、この火は、あえて「太陽光発電」と読み換えよう。

8)メガソーラーシステムなどで、一気に注目されている太陽光発電だが、今後大量生産され、一般に普及したからと言って、必ずしも万能のシステムではないことは各方面から指摘されている。コストも安くない。

9)しかしながら、今回の原発事故をかんがみ、通常の地球人の感覚なら、「反原発・脱原発」になるのは当たり前のことだ。安いと言われる原発発電コストだが、野菜農家を補償し、牛肉畜産農家を補償し、米生産者を補償し、地域から避難してしまった人々を補償し、なおかつ、廃炉の後の数百年単位の後処理のコストを考えれば、今回、地球人は、しっかりと、脱原発を決意するしかない。

10)そういう前提に立って見れば、ましてや持続可能エネルギーを源とする限り、コストなどは、原発に比べればはるかに安価なものとなる。そう言った意味では、太陽光発電には、まだまだ夢がある。

11)地水火風の風で言えば、風力発電ということになる。こちらもシンボリックではあるが、あまり効率のよいものではないということになるが、地産地消を考え、適材適所を考えれば、何もすべてを風力発電にする必要もない。必要なところにそれを設置すればよいことになる。

12)つまりは、国は、原発を推進したいがために、他の地水火風の可能性を封じてきたのであって、原発は「X」である、とはっきり認識すれば、政策としては、いくつもグッドアイディアが出てきそうなものである。

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プルトニウム発電の恐怖 プルサ-マルの危険なウソ 小林圭二他

【送料無料】プルトニウム発電の恐怖
「プルトニウム発電の恐怖」 プルサ-マルの危険なウソ
小林圭二/西尾漠 2006/10 八月書館 単行本 173p
Vol.3 No.0381★★★★★

1)震災で長く閉鎖されていた図書館が復活し、カウンター近くの紹介本コーナーにあった一冊。温暖化問題をテーマにした本が紹介されていたことはあったが、原発問題本がこのコーナーにあることは珍しい。多分初めてのことだ。

2)野菜、牛肉に続いて、主食であるコメでさえ、放射性物質による汚染の検査が実施されることになった2011年。まさにこんな状況になることを、本当に心配していた人たちがいた。

3)プルサーマルは、プルトニウムで燃料を作り、今の原発(軽水炉)で燃料の一部として使うことです。その計画については、主に危険性に集まっています。プルサーマルによって原発の危険性は確実に増大します。しかし、問題は危険性だけにとどまりません。国際道義上の問題より基本的です。p9「まえがき」

4)今回の東電原発事故は、決して津波被害でメルトダウンしたわけではなく、地震そのもので崩落してしまった可能性が高い。国や東電が明確な情報を開示しない限り明言はできないが、設計やその震度から考えて、十分あり得ることだ。

5)だとするなら、浜岡原発が津波対策ができた後に復活する、などという事態になるとすれば、とんだ茶番劇ということになってしまう。

6)少なくとも活断層に囲まれた日本列島では、原発がある海岸線、いずれにおいても地震は起きうる。マグニチュード8以上と予測されて、今回の3.11はマグニチュード9であったわけだが、原発立地のいずこにおいても、これらの地震が起きる可能性は十分あるのである。

7)原発技術が科学の先端を行くものだったとするなら、地震予知もまた科学の先端を行くものだ。ましてや地震は周期的にやってくるということは歴史的にも明確に記録されている。

8)プルトニウムはもともと地球にはありませんでした。それが最初に人の手で作られたのは原発を作るためです。人類初のプルトニウム利用は、第二次世界単線中、アメリカが原発に落とした原爆でした。一瞬にして数万の住民が殺害され、最終的に約10万人が犠牲になります。しかし、戦後の世界はその未曾有の犠牲よりも破壊力の巨大さに注目しました。大国は鮮烈な核兵器開発競争を繰り広げ、アメリカ以外にソ連、イギリス、フランス、中国が相次いで書くを保有するに至ったのです。p9「同上」

9)日本が国としてプルサーマル(日本の造語)計画にこだわるのは、非核三原則を堅持する姿勢を見せながら、実は、常に、国として、核兵器を開発する技術と能力を誇示する狙いもあったはずである。

10)つかいみちもないまま核兵器1000発分のプルトニウムを毎年取り出そうというのが、六ヶ所再処理工場の計画です。そんな工場を強引に操業させようとすることに、世界に目が厳しくなるのは当然でしょう。また、日本で再処理ができるなら、他の国の再処理が許されない道理はないことになります。六ヶ所再処理工場を動かすことは、他の国にも再処理という核兵器への抜け道をひろげていく役割を果たすのです。p33「プルサーマルのなぜ」

11)この本は共著である。著者紹介だけでも10人のプロフィールが書いてある。いわゆる反原発、脱原発の人々の手になるもので、引用されている文章を拾いあげたら、もっと多くの人々の意見が反映されている。

12)2006年の10月という段階で出された本だが、2011年の3.11については、ほとんど、この本に予言されていたと言ってもいい。今回のマグニチュード9の地震。そして1000年に一度といわれる津波、その大自然の脅威に驚き、なお同時に起きてしまった原発事故で、ようやくその危険性に目覚めた人たちが多い中、このような事故が起きることは、すでに、明確に心ある人々によって指摘され続けてきた。

13)過去の地震活動をみると、東海地震は100年~150年を周期として起きてきたのですが、1845年の安政東海地震以降、静寂を保っており、今や152年(2006年で)経過しています。満期を過ぎ、蓄積されているエネルギーには利息がたっぷりついているはずです。p87「浜岡原発にプルサーマルなど論外!」

14)これだけの指摘をされつつ、強引に進められてきた原発行政。3.11という未曾有の体験を、原発立地である地元のみならず、日本列島全域、やがては地球全体に広げ、未知数の悪影響を与えてしまうことになる。

15)これだけの体験をしつつ、なお原発神話をかざしながら、過去を反省しようとしない国があったとしたら、その国は当然滅亡することになるだろう。そのような国の暴走をとめなかった国民がいたとするならば、結局は、責められるべきは国民ということになろう。

16)そしてその被害は、国を超えて地球全体に及び、時代を超えて子子孫孫に持ち越される。

17)私たちの側は、「狙われる現地」に脅えることなく、各地の闘いの成果に自信をもってプルサーマルを拒否し、六ヶ所村再処理工場の運転を止めていきたいと思います。本書がその一助になることを祈っています。p173「あとがき」

18)ガイガーカウンターを片手に、もう一方の片手に我が子を抱いて、放射能降りしきる空の下を、右往左往している現段階ではあるが、実際には、問題の根はまだまだ深い。自らが今置かれている状況を把握するためにも、もう少し視野を広く取り、具体的に効果的な行動を選択していく必要がある。

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2011/08/02

原発暴走列島 鎌田慧

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「原発暴走列島」
鎌田慧 2011/05 アストラ 単行本 223p
Vol.3 No.0380★★★★★

1)この3月末に加筆され、5月に発行された本ではあるが、初出は1977~2009年にそれぞれ出版された6冊の本からの抜粋を改稿し、また、書き下ろしが加えられた本である。

2)3.11後の緊急を要する出版であってみれば、タイムリーにドキュメントとしてまとめることはむずかしい。また、原発問題は、必ずしも新しいものではなく、一般的には大きな話題にならなかったとしても、一貫して問題視する人びとによって告発され続けてきた。

3)だから、原発に関して言えば、あえて3.11以後に特筆すべきことなど、本当は少ない。3.11原発事故など、起こるべくして起きていることなのだ。そう言った意味において、実に啓発的な強烈な角度で原発問題をえぐりだす一冊である。

4)原発を平和時の「軍需産業」として、産業発展の「起爆剤」にする。それが財界首脳の原発にたいする位置づけだった。原発にまつわるキナ臭さは、核武装の軍需産業へ転換するのでないか、という怖れとともにある。p5「はじめに」

5)原発問題は、核兵器や、沖縄の基地問題、イスラエルや中東の領土問題などと並んで、一地球人たる個人では、どうにもならない問題である。考えても無駄で、現状を受け入れて、なんとか自分の居場所を確保していかなければならないような、実に不愉快で、直視することができないような問題だ。

6)それは反対して方向性が変更になる、という程度の問題ではなく、正視すれば正視するほどその課題の問題点が果てしなく見えてきて、いても立ってもいられなくなるほどの難問である。であるがゆえに、なんの解決策も見つけることができない個人においては、ついつい目をそむけ、だんまりを決め込むことが多くなってしまうテーマである。

7)しかし、それでいいのか。この本を読んでいると、心底からそう改心させられる。これだけの事実があり、これだけの間違いがまかり通っている。瞬間的なことではなく、ずっと、少なくとも50年近くに渡って、トンデモないことが起き続けているのだ。なんとかしなくちゃならないことは、多くの人は気付いている。しかし、ほとんど、どうにもならないところまで、物事は進行してきているのだ。

8)わたしが原発を批判するのは、そのすべてが不正だからである。コスト高なのに安いと強弁する建設過程であれ、危険そのものを安全と言い抜ける運転時であれ、大惨事寸前を「異常なし」と発表する事故対応であれ、すべて一貫してウソである。ウソと不正が原発推進のエネルギーだった。
 こうした体質だからこそ福島原発のような大事故が起きても、いっこうにきちんとした情報がでてこない。それは国際機関がいら立つほどだ。
p154「東電の発表はウソだらけ」

9)著者は1938年青森県生まれのルポライター。70年代初めから原発問題に取り組んできたという。よく聞く名前のようでもあるが、詳しくは知らない。しかし、この本(実は著書6冊のダイジェスト+書き下ろし)を読んでいると、実に、原発がいい加減に推進されてきたかがよくわかる。

10)時には、著者の舌鋒が激しすぎるので、もうすこし穏やかな表現でもいいのではないか、と思いたくなるが、推進派のまるでいい加減なやり方と、大勢の無関心派(時には私もこの範疇にはいる)の居眠り状態を告発するには、この程度の激しい口調がちょうどよいのかもしれない。

11)じゃあ、どうすればいいのか。一個人にできることなど限られている。これだけのブラック団に対抗することなど不可能に思える。ほとんどお手上げである。

12)だがしかし、今回の3.11天地人において、「身に降る火の粉は払わにゃならぬ」。他者を盲信し、無思考状態になってはいけない。すくなくとも、直視する勇気が必要だ。できる範囲で情報を取り込み、自分なりに整理してみる必要がある。

13)この本、そういった意味では、この日本列島における原発史の問題点の要所をまとめて教えてくれる。そしてまた、腹の底から原発や推進派に対する怒りをプロボークしてくれる一冊である。

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2011/08/01

災害そのとき人は何を思うのか 広瀬弘忠他

【送料無料】災害そのとき人は何を思うのか
「災害そのとき人は何を思うのか」 

広瀬弘忠/中嶋励子 2011/07 ベストセラーズ 新書 190p
Vol.3 No.0379★★★☆☆

1)3.11天地人の中では、この本は人の範疇にはいる。災害・リスク心理学を専門とする人びとの、3.11を受けての、調査を含むレポートではあるが、より人に焦点が合っており、これまでの研究や学説を紹介する形になっている。

2)災害心理学は、災害時における人間の心理や行動を研究するだけでなく、人間や社会のあり方が、実際に、災害の被害を大きくしたり小さくしたりするメカニズムを明らかにしようとする学問分野である。p3「はじめに」

3)人間を量としてとらえようとしている限り、旧来の心理学的傾向性が強く、必ずしも、「思想としての3.11」のように、思想、哲学、宗教の方への探究が進むわけではないのであるが、地としての原発事故が、早期に解決方法に向かわず、右往左往してしまっている現状への鋭い指摘となっている面はある。

4)人は災害を恐れる半面、災害が起こることを期待してしまう傾向がある。この感情を「ウェイティング・ディザスター」と呼ぶ。
 災害は害のみを与えるものではないという考え方がある。台風やハリケーンは渇水を防ぎ、地震や火山の噴火も新しい生命の胚胎を生み出し、落雷によって火災が起きれば、森林の枯れ木が燃えるが、新しい木が芽吹く。
p77「災害を待つ心理」

5)誤解を恐れず、この際だからメモしておこう。震災直後、街全体が、さまざまな非日常の風景に見舞われたのだが、ことのほか気になったのは、普段、引きこもりとか、孤立したライフスタイルを持っている人たちが、割とニコニコ(表現が違うかもしれない)と人々の中にでてきたことである。

6)普段からの日常があまりにも息苦しく、居場所を失って引きこもりになっている人たちもいるかも知れない。そのような人々にとって、普段と違う風景は、なにか別の可能性のある世界として見えていたのではないか。社会が平静を取り戻すと、次第に彼らの姿もみえなくなったように思うのだが・・・。

7)2012年に何事かのシンボリックなものを見ている人たちもいる。2011年のこの震災を彼らは彼らなりに見つめているのだろう。

8)人は生き残るようにプログラミングされている。生存が危ぶまれているような過酷な状況に置かれても、なんとかして生き抜こうという習性を持っている。飢餓や災害など、これまでに経験したことのない、または想像したことのない生死にかかわるような危機的状況においては、たとえ他者を犠牲にしてでも自分だけは助かろうと、あらゆる手段を用いて生き残ろうとする。p110「『パニック』の心理」

9)この本、なかなか面白いのだが、どうも一般的な常識について、学術的なカタカナ用語を冠することによって、整理されていくだけで、ここ、というところのズバリな突っ込みが少ない。

10)パニックを過度に恐れる必要がないのは、われわれだけではなく、情報を提供する側も同様である。大きな災害や事故の際、大勢の人びとに混乱を起こすまいとして、すなわち「パニック」を起こすまいとして、情報の発信を遅らせたり、事実を過小に伝えたりすることがしばしばある。
 これを「エリートパニック」と呼んだりする。
p130「同上」

11)すでに死亡しているのに、子供達が駆けつけてくるまでの二次災害を恐れて「チチキトク」のような電文を打つ心理に似ているだろうか。それにしても、今回の原発事故にせよ、中国の電車事故にせよ、情報が開示されないのは、発信側の都合によるように思う。「パニック」のエネルギーが自らに向かうのを恐れているかのようだ。

12)多くの災害は人間の行動や心理と深く結びついている。私たちは複雑にからみ合った関係を解きほぐしていく必要があるのだ。p187「あとがき」2011年6月30日

13)どうにか理解しようと、あちこち抜き書きしてみるのだが、いまいちフィットしない。3.11天地人のうち、人の分野に入るのは、今しばらく時間がかかりそうだ。まずは天である地震・津波を把握し、地としての原発事故全体像を捉え、その後にこそ人としての3.11が見えてくるのかもしれない。

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原発と人間 朝日ジャーナル 2011年 6/5号 週刊朝日増刊

週刊朝日増刊 朝日ジャーナル 原発と人間 2011年 6/5号 [雑誌] 
「原発と人間」 朝日ジャーナル
週刊朝日増刊2011/ 6/5号 雑誌 
朝日新聞出版 p146 
Vol.3 No.0378

1)3.11以降、2週間で書かれた川村湊「福島原発人災記」、1カ月後にまとめられた河出書房新社「思想としての3・11」に比較すれば、この雑誌に書かれた記事が、1ヶ月半~2カ月後にまとめられただけあって、極めて方向性が明確にだされた印刷物となった。

2)3.11を包括的にとらえることはなかなか難しい。当ブログは敢えて、「3.11天地人」としてとらえたい。天は地震や津波。地は原発事故。人は、地球人としての意識の在り方。この雑誌においては、天や人はとりあえずおいておいて、地に焦点をぴったり合わせた。それだけに、論調もかなり強く、明確だ。

3)執筆陣はざっと数えて40弱。ほとんどが3.11以前から原発問題について論評してきた人たちだ。なんとも煮え切らない西澤潤一や、一般人としての坂本龍一などの文章も寄せられている。坂本龍一の文章は、一般人としての私等の気持ちをもっとも代弁してくれている。もし私が求められるなら、こう書くしかないだろう、というお手本のように思う。

4)その他は、ほぼすべて、専門家たちと言っていいほどの執筆陣である。もちろん3.11以後、わずか2カ月しか経過していない段階とは言え、河出書房新社「思想としての3・11」よりはるかに的確な指摘が随所に見られる。

5)「原発を知るためのブックガイド106選」(p86)なんてものもついてはいるが、今はあえて過去の本を読むよりも、3.11以降に出された本のほうが真実味があり、また緊迫性がある。

6)広瀬隆、小出裕章、田中三彦、故・高木仁三郎、吉岡忍、などの面々が並ぶ。ひとつひとつが数ページの短い文章になっているので、食い足らない部分も多いが、また、一気に読みやすくもある。

7)天としての地震津波は敢えて甘受しなければならない配剤だ。人としてのスピリチュアリティや意識は、ある意味、各個人のまったくの自由だ。しかし、地としての「原発事故」は、相手や「敵」がいるだけ、文章がまとまりやすい。

8)それでは「原発事故」の何処に今後焦点を合わせていけばいいのか。行政か、電力問題か、農産物や電力不足にあえぐ工業などの、他の産業に対する影響か。

9)身に降る火の粉ははらわにゃならぬ。まずは、今後、多分死ぬまで、年間1ミリシーベルトの放射線を浴び続けることになる我が身のことから始めなくてはならない。自分は一体、どのような境遇におかれているのか、そこのところがまだ把握しきれていない。

10)今日も、巨大津波に襲われた仙台平野の沿岸部に行ってきた。実感として、瓦礫の撤去はかなり進んだという印象を持った。トラック群がかなり活躍したのだ。もちろん、まだまだ爪跡は大きい。だが、あの荒れた田んぼにも、緑の草が覆うようになった。まるでグリーン・ベルトにさえ見え始めた。

11)天としての地震津波はあまりに過酷ではあったが、甘受し、またそれに立ち向かっていく体制を調えて、立ち上がることしかない。いままでの歴史の中でも、もっとも巨大な被害であったとしても、長い時間をかけながら、人々は、その嘆きを、いつかは喜びに変えるだろう。

12)人としての精神性は、どれほど傷つき、あるいは命さえ奪われたとしても、所詮は、人間としての営みの限界性がある限り、これもまた甘受しなければならない運命というものがある。その限界性の中で、人は自らの意識を磨き上げる。

13)しかし、地としての「原発事故」は、どうにも腑におちない。この悲劇を甘受して、ひたすら嘆きの連鎖に逃げてしまうことも、ひとつの可能性としてはある。しかし、もし、今回のこのことを、「3.11という思想」としてとらえ、「原発と人間」として焦点を絞り、「福島原発人災」と明瞭に位置付けることができるなら、これは、人類として、必ずや克服しなければならない課題として浮上する。

14)気は重く、余りに課題は膨大だ。そして今までの経過から考えると、無力感にさえ襲われる。だが、天の下にあり、人として子孫にその命をつないでいく者であったとするならば、地における今回のこの課題は避けては通れない。 

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2011/07/31

福島原発人災記 安全神話を騙った人々 川村湊

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「福島原発人災記」安全神話を騙った人々
川村湊 2011/04 現代書館 単行本 220p
Vol.3 No.0377 ★★★★★

1)必ずしも原発の専門家でも、サイエンスライターでもない著者が、3.11以降、自らの蔵書が書庫の崩壊ということで読めなくなったことを機会に、ネット上で情報を集めて日記風にまとめたもの。

2)3月11日から始まり、3月25日まで綴られている。約二週間だが、激動の二週間だったといえる。出版されたのは4月。実にあわただしい仕事であっただろう。いずこが正しく、いずこが拙速だったかは、パラパラ読みには分からない。

3)しかし、地震や津波、原発事故に対して、ひとりの人間として立ち向かうことはなかなかむずかしく、無力感が漂うが、少なくも、ネットを使って、個人でも、この程度の情報が集められるのだ、という実によい見本だと思う。

4)インターネットの情報(ウワサ)など、絶対信じてはいけません、なんて論調もあるが、これだけ信憑性のある本に仕上がったのは、著者のセンスによるところもあり、また、著者自身が恥じているがコピペに近い、原典の多用によるところが大きい。

5)日本の支配層は、なぜ、それほどまでに原子力政策(原発政策)を推し進めようとするのだろうか。いったい、いつ、誰が、戦後の日本社会において「原子力」を持ち出したのだろうか。広瀬隆はずばり2人の人間の名前をあげている。正力松太郎と中曽根康弘である。

 この読売新聞社の社長で第3次鳩山内閣で科学技術庁長官を務めた男と、第71~73代総理大臣を務めた男の2人が、日本の原子力国策を生み出した張本人といわれるのである(すなわち、いわゆる日本の原子力の”父”だ)。p163「2011年3月23日」

6)こまかいところをほっくり返すのは当ブログの得意とするところではないが、身に降る「放射性物質」は払わにゃらならぬ。これほどまでに身に迫る危険が押し寄せているかぎり、この原子力行政とやらをもうすこし追求していかなければならない。

7)著者はよくやったと思う。一人でネット情報を組みあげるだけで、これだけの世界が浮きあがってくるのだ。3月26日以降も彼の日記を読んでみたくなるところだが、それは国民(ネット市民)ひとりひとりが、自分でできる範囲のことだろう。

8)当ブログは、そういいつつも、いまだにネット情報を第一義としては考えていない。公立図書館の一般開架棚にあるような本が、一番、コモンセンスとして馴染んでくると思っている。だから、ネットサーフィンして自らの思想体系を作り上げようとは思わないし、できない。

9)書籍に寄る限り、一歩も二歩も遅れてしまうのだが、それでも、再読可能であり、一般に流布している印刷物を底本としておくことで、自らの堅固性が保たれるのではないか、という期待を持っている。

10)この期に及んでも、電力会社というスポンサーや、経済産業省、文部科学省、内閣府といった行政の威光が怖いのだろうか。今回の原発震災は、東電だけに責任があるのではない。電気事業連合会に所属する電力会社全体に共同責任(共犯関係!)があるのだ。その落とし前は、彼ら全員にとってもらわなければならないのである。p213「2011年3月25日」

11)当ブログもそう思う。

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2011/07/30

M9大震災サバイバル術100問100答 知れば知るだけ生存率が高まる! 山村武彦

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「M9大震災サバイバル術100問100答」 知れば知るだけ生存率が高まる!
山村武彦 2011/07 成美堂出版 単行本 111p
Vol.3 No.0376 ★★★☆☆

1)防災対策アドバイザーの肩書をもつ人の監修になる本だから、一通り目を通しておいて悪くない。少なくとも、震災は、どこでどのような環境で遭遇するか計り知れない。あらゆる可能性をインプットしておいても、なお、実際の被災状況は、さらに異なるだろう。

2)これまでは放射性物質に対する防災意識など、原発立地の周辺でしか教育されてこなかったが、今回の東日本大震災においては、逆にそれが裏目にでているようでもある。

3)放射線に関する単位

シーベルト(Sv)人が放射線を浴びることによる影響(その場所に1時間いた場合の実効線量)を表わす単位

グレイ(Gy)物質に吸収された放射線のエネルギーの大きさ(吸収線量)を表わす単位

ベクレル(Bq)放射性物質が放射線を出す能力が放射能で、その量の単位がベクレル

カウント・パー・ミニット(cpm)1分間当たりの放射線を示す単位。数値の大小と人体への影響は関係ない。 p90「原発事故に備えるための基礎知識」

4)ああ、こういうお勉強をしなければならなくなった、ということ自体に驚きと悲しさがともなう。

5)人が胸部エックスCT検査で1回浴びる放射線量は6.9ミリシーベルトですが、一度に100ミリシーベルトを超える高濃度の放射線を浴びるとがんになる恐れがあり、7000ミリシーベルトを浴びれば死に至ります。p90「同上」

6)1ミリシーベルトは1マイクロシーベルトの1000倍。日常生活では単位が大きすぎるのでマイクロを使用することが多い。p90「同上」

7)原発から90キロ圏内の私の生活空間は、ガイガーカウンターで検査してみると、平均0.1マイクロシーベルトだから、一日で2.4マイクロシーベルト。

8)この空間に一年間生活したとして浴びるのは876マイクロシーベルトだから、おおよそ1ミリシーベルトとなる。

9)胃のX線検診  0.6ミリ―シーベルト

胸のX線検診 0.05ミリシーベルト
 p90「同上」

10)ということは、胃の検診を年に2回、胸の検診なら20回の分を、ここに生活しているだけで浴びる、ということになる。半減期や、その濃度の上下もあるだろうから一言では言えないが、このような数値に留意しなければならない時代になったということだ。

11)体重の増減や、血圧の変化を数値化して見続けるのもメンドウなのに、また、あらたなるチェックポイントが増えてしまった、ということになる。

12)国際放射線防護委員会(ICRP)の防護基準とはなに?

万が一事故などにより大量の放射性物質がもれる事態が起こった場合には、緊急被爆状況として「重大な身体的傷害を防ぐ」ことに主眼をおき、一般人の場合で年間に20~100ミリシーベルトの間に放射線量を定めています。p91「同上」

13)つまり、ガイガーカウンターが2.0マイクロシーベルトを超えるようなことがあれば要注意、ということだろう。そこに1年間暮らすようであれば危ない、ということになる。

14)放射線と放射能はどう違う?

放射線とはエックス線やガンマ線、中性子線などの粒子線のこと、放射能とは放射線を出す能力を言います。

懐中電灯に例えると、懐中電灯は光を出す発光能力をもったものであり、懐中電灯は放射性物質、光は放射線、発光能力が放射能となります。放射能は時間とともに減少します。p91「同上」

15)この辺が一般人の私などが、よく理解できないでいる部分。つまり、空中に漂っているのは普通なら光(放射線)なのだが、今回の事故によって、空中に懐中電灯(放射性物質)が沢山放り投げられた、ということになるのだろう。

16)空中を漂った懐中電灯(放射性物質)が風に飛ばされ、雨に打ち落とされて、各地に「ホットスポット」なる汚染地帯を作ってしまった、ということになるのだろう。

17)原子力発電所から放射能もれによる事故が発生した場合、避難すべきかどうかの勧告や指示は国や行政機関が行います。p73「原発事故への対応」

18)そもそも、こういう決まりになっているのであれば、やはり「国」の責任は重い。国民ひとりひとりが、勝手に判断して行動できない限り、国は、キチンと、早め早めの指示を出すべきだ。ここが多くの人が指摘する、今回の国の対応の遅さだ。

19)インターネット上のウワサなどを絶対に信じてはいけません。常にテレビやラジオ、防災無線などで正しい情報を冷静に入手しながら、その間に持ちだす荷物をまとめる等の準備をしましょう。p73「同上」

20)今回の国の対応の遅さと相まって、インターネット上の情報が大いに役だった面もある。いまのところ、なにが「正しい情報」なのかは定かではない。原発や国の公式発表が「正しい情報」だと認識している国民は少ない。だから、ネット上の情報もこまかくチェックしておく必要がある。

21)言い換えるなら、国や原発の公式発表などを絶対に信じてはいけません。常にインターネットや風聞などに留意しながら、その間に持ちだす荷物をまとめる等の準備をしましょう、ということになるか。こう茶化したくなるほど、「正しい情報」が国民に伝わるまで時間がかかっている。

22)体内に取り込まれた放射性物質はどうなる?

放射性物質を口や鼻から吸い込むことを「内部被爆」といいます。とくに人体に影響が大きいのは、ヨウ素131とストロンチウム90です。ヨウ素131は甲状腺に集まりやすく甲状腺がんになる可能性があります。ストロンチウム90は血液を作る骨髄に集まるため、白血病などになる危険があります。

セシウム 全身に行き渡る性質があり、さまざまながんを誘引する要因に

放射性物質とがん  内部被爆をして体内にがん細胞がつくられてもすぐにがんは発症しない。発症するのは約20年後の場合が多い。p93

23)まったく、こまったもんだ。

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