カテゴリー「01)現代世界におけるマインドフルネス2」の97件の記事

2017/03/26

「エデンの東」ジェームス・ディーン主演 / 「ホワイトアルバム」転生魂多火手伝<14>

61gpagb8xol__sl1000_
「エデンの東」
ジェームス・ディーン (出演),    ジュリー・ハリス (出演),    エリア・カザン (監督) 発売日 2010/04販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ 形式: DVD 時間: 118 分
No.3926★★★★☆
------------------------
<13>からつづく
「ホワイトアルバム」
 転生魂多火手伝
<14>エデンの東       
目次 
-------------------------

1)1931~1954に人生を送ったジェームス・ディーン。Dとはまったく違ったシチュエーションだが、生きた時代はほぼ並走する。そして交通事故で亡くなった、というところも同じだ。

2)ただ映画の時代設定はまるで違う。1955年公開の映画だが、時代設定は1917年。 それはそれでいい。幅をひろげておこう。

3)1955年。こういう映画がヒットする時代だったんだな。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「クラインガルテン入門」週末ファーマーのすすめ  TABILISTA編集部

91yav3zoail「クラインガルテン入門」週末ファーマーのすすめ
TABILISTA編集部 (著) 2017/02 双葉社 単行本(ソフトカバー): 128ページ
No.3925★★★★☆

1)いわゆるクラインガルテンという考え方にこだわらなくてもいいと思う。普段、あまり土に触れるチャンスがない場合、ベランダだろうが、裏庭だろうが、市民農園だろうが、とにかく機会をとらえて、プチ農園を楽しむのは人間としての根源的な生き方だ。

2)食糧増産の時代からクラインガルテンの考え方はあり、都市と農村が分離してしまった現代においても、クラインガルテンの考え方は有効だ。どのような形であれ、そのようなチャンスがあるのはよいことだ。

3)現在我が家が建っている場所も、実は裏庭つきの小住宅だった。子供たちが小さいうちは、飼い犬もいて、近所の子供たちも寄ってきて、それはまた楽しい日々だった。30年近い月日のうちに、裏庭にはマンションが建ってしまい、小さな前庭も、車の駐車場になってしまった。

4)どうかするとほとんどがコンクリートだが、わずかに露出する地面にわずかな庭木を植え、鉢物植物を並べたりする。だが、それだけでは、どうも欲求不足になる。

5)この頃、特に3・11後は、年も取ったせいか、土が恋しい。近くに市民農園を借りて、自転車で通う。100区画ほどあるので、自分の畑はごくわずかでも、広い農園をふらふら散歩するだけでも楽しい。

6)クラインガルテンというほどでもないが、ちょっと離れた郊外に数十坪の土地を借りて耕してみる。毎週通うなんて無理だ。せいぜい月1~2回。それでも時には結構な負担になる。そして通ってみても、ほんとに作業できる期間はごくわずか。冬になれば、お休みとなる。

7)夏場は、クラインガルテン(と自称しているだけだが)に行っても、除草するのがせいいっぱい。7~8割の時間が除草にとられ、本当に必要な作業はほとんどできない。近くではどうやら不耕起栽培をしている先輩がいるらしいが、その領域まではまだまだである。

8)この本には、クラインガルテンの基本的なことが書いてあり、県内の施設もふたつ紹介されていた。

9)さぁ、もうすぐ春だな。3年目のわがクラインガルテン体験はどんなものとなるだろうか。楽しみである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <16>Be Here

<15>からつづく

41cm8xavl
「Mindfulness in the Modern World」
How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <16>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
★   工事中

<付録> 

マインドフルネスを支えるための技法5つ 

3、ここにいる

 あなたが意識として成長すると、世界もまたそれにともない変化を始める。直接的に行うべきことは何もなく、すべての変化はほとんど自動的に起こってくる。ただひとつの必要とされる努力は、もっと意識的であることだけだ。

 あなたが行っていることすべてをもっともっと意識的に始めてみなさい。歩くなら、意識的に歩く、あなたのすべての注意深さを歩くことに向けなさい。あなたがまったく意識を忘れて歩くときと、高いレベルの意識を歩くことに向けるときでは、大きな違いがある。

 その違いは根源的なものだ。その違いは外から見てはわからないだろうが、内側においては別な次元への本当の動きとなるだろう。

 ちょっとやってみなさい、例えば、あなたが手を動かすとき。あなたは確かに機械的に動かすことはできる。でも、それを最大の意識をもって、ゆっくり動きを感じながら、そして内側からあなたがどのように動いているか、見ていなさい。

 ちょっとしたこの仕草だけで、あなたは神聖なるものの戸口に立ち、ひとつの奇跡が起こる。これこそ科学の範疇ではいまだとらえ切れていない最大の神秘のひとつなのだ。あなたが決断すれば、手は動きから次の動きへとあなたの決断についてくるだろう。

 これは奇跡だ、意識が動きとつながるということだけではなく、動きが意識にしたがい始めるのだ。そのつながりはまだ見つかってはいない。これは魔法だ。これは物事を超えたマインドの力であり、この魔法はすべてのことについて言える。

 一日中、ナニをするにしても、意識なしではやらないように。そうすれば、このちょっとした仕草で、あなたの中に偉大な瞑想が湧き上がってくるだろう。これこそが全存在へと動いていく神聖なる道なのだ。

 さぁ、歩きなさい、座りなさい、聴きなさい、あるいは話しなさい、注意深さを持って。OSHO p246/251

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/25

「ホワイトアルバム」転生魂多火手伝<13>「オン・ザ・ロード」 


<12>からつづく
「ホワイトアルバム」 転生魂多火手伝
<13>ミッション       目次 

Img_9510

-------------------------

41l6yrx94jl
「オン・ザ・ロード」
ジャック・ケルアック (著),    青山 南 (翻訳) 2007/11 河出書房新社 ハードカバー 470ページ 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 
No.3922★★★★☆

1)この本は、過去に当ブログで一度めくっている。メモが残っていないので正確ではないが、ゲーリー・スナイダーおっかけの途中に、「ザ・ダルマ・バムズ (禅ヒッピー改題)」を読んだ時に、そのジェフィー・ライダーをもっと知りたくて読んだのだった。(2011/06/23)直後。

2)しかし、3・11直後の当ブログとしては、エコロジカルな視点へのスライドとしてスナイダー追っかけを始めたとしても、ビートニクおっかけとして「路上」までは拡大できなかった。途中でめくるのをやめ、メモすることもできなかった。

3)しかし、この時の淡い失敗感が残っていたので、そこから発展して今回のD追っかけプロジェクトに発展してきたのだし、3・11から6年経過した今だからこそ、あえてこの問題を再考してみようという気になったのだった。

-----------

81icl3vgvol
「オン・ザ・ロード」 
ジャック・ケルアック (著),    青山 南 (翻訳) 2010/06 河出書房新社 文庫: 524ページ
No.3923★★★☆☆

4)こちらはその文庫本版。同じ翻訳者の単行本がでて、三年後には文庫化されたということだから、相当に人気がでたと思って間違いない。そのタイミングには映画化の話題や、作品がでて50周年とか、そういう繋がりのなかででた一冊だったのだろう。

----------------------

51ptdwdinnl
「オン・ザ・ロード」 スクロール版
ジャック・ケルアック (著),  青山 南 (翻訳) 2010/06  河出書房新社 単行本: 543ページ
No.3924★★★★★

5)そして、文庫本と同時期にでたこちらの本、これはなんなのだろう? スクロール版、とある。スクロール版とはあまり聞きなれた名前ではない。スクロール版、でググってみると、もうそれは、このケルアックの作品のことなのである。

6)つまり、これは、ケルアックがこの路上を最初に書いた時に、タイプライターを打ち続けてあっと言う間に書き上げたという伝説に基づくだろう。タイプライターの用紙を交換する手間を省くために、ロールペーパーにしてタイピングし続けた、という話である。それが、いわゆるスクロール版なのだ。

7)だとしても、なぜにそれがスクロール版、なのか。それは、実際にこの作品が書き上げられてから出版されるまで6~7年の時間がかかり、そのプロセスの中で、実在の人間が実名で登場していたスクロール版ではマズイということで、かなり手が入れられているらしいのである。つまり、実際に出版されたものは改定版なのである。

8)これだけ有名になった小説には、実はこういう原版があったのですよ、と、あとの時代になって公表されたようなものなのだ。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」手帳が、実際の手帳状にして発売されたり、「銀河鉄道の夜」の原稿のすべて(宮沢賢治記念館)のように、原稿用紙そのままで見たい、というファン心理を深く突いたものなのだろう。

Photo_2

      Kenji_2

9)さほどまでに愛されたケルアック。今でも、当ブログとしては、精読しようとは思っていないのだが、ただ、ポイントは、D追跡プロジェクトの中に、この一冊がでてきたというところにある。つまり、それだけ愛されたケルアックとは何か。そこに象徴されているその時代のスピリチュアリティとはいったい何だったのか。

10)ここんとこをキチンと把握しておくために、ある時代からずっと派遣されていたDにおけるミッションだったのである。

「ホワイトアルバム」<14>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ケルアックに学べ」 「オン・ザ・ロード」を読み解く6つのレッスン ジョン・リーランド / / 「ホワイトアルバム」転生魂多火手伝<12>

51esryskwbl「ケルアックに学べ」 「オン・ザ・ロード」を読み解く6つのレッスン
ジョン・リーランド (著)  今井栄一 (翻訳) 2008/07 出版社: スペースシャワーネットワーク (P‐Vine Books) 単行本: 224ページ
No.3921★★★★☆

----------------------------------------
<11>からつづく
「ホワイトアルバム」 転生魂多火手伝
<12>セブンス・アベニュー       目次 
----------------------------------------

1)今更、ケルアックに学べと言われても、一体何を学ぶのか。原書のタイトルは「Why Kerouac Matters」。なんでケルアックが問題なんだよ、てなニュアンスじゃぁないのかい。

2)原題には括弧にくくられたもう一つのサブタイトルがあるが、そこにはこう記されている、「They're Not What You Think」、つまり「彼らは君が思っているような連中じゃないよ」という訳文になる。

 作者はこう言いたいのだ。「ケルアックは君が夢見ているような人間じゃないし、オン・ザ・ロードは自由な旅人の聖書なんかじゃちっともないんだぜ」 かなり大胆不敵、あたしい提案ではないか。p275今村栄一「訳者あとがき」

3)まるでジェームス・ディーンを意識したようなカバー写真だが、たしかに今更ケルアックに心酔してもしょうがないよな。で、ちょっと気づいてジェームス・ディーンをググってみたら、なんと、彼の人生は1931/02/08から始まって、1955/09/30に終わる。なんと、むしろこちらのほうがDの人生の時代背景にぴったりではないか。しかも自動車事故で死亡しているのも共通だ。後日、こちらも追っかけてみようかな。

4)ジェームズ・ディーンが乗っていたシルバーのポルシェ・スパイダー550とはこんな車だったという。

550sl

5)そして事故後は、こんなんなっちゃったらしい。

20101212_1738267

6)さて、こちらの一冊の本文に戻ろう。6つのテーマがある、ということだが、よくわからない。目次を見ると、こうなる。
01.女の子たちの夢とその他のすべて
02.気狂い連中のパラダイス
03.世界の真実はフランス映画にある--愛とセックスの寓話
04.スコット・フィッツジェラルドラルドみたいには遊ばない--ジャズの寓話
05.サルのヴィジョン--黙示録
06.影響--成功と不満

7)あえて言うなら、01の青春譚はもういいかな、と思う。02の若者の彷徨ももういいなぁ。せつなすぎる。05のなんとなく悟りへの道も、もういいかなぁ。06の包括的な部分も、実はケルアック追跡に当ブログの目的があるわけじゃないので、割愛できる。あえて、いうなら、03の部分のフランスとのつながりと、04のジャズの部分だ。

8)ただ、当ブログにとって、フランス流の恋愛譚もあまりお呼びじゃない。むしろ同性愛的なボーイズラブ、あるいはもっと純化された、男同士の友情的なニュアンスに近い。また、ジャズも、ケルアックとりフォード・ブラウンの距離も縮まらない限り、ここは深入りは禁物だぞ。

9)正直言って、ペラペラめくるかぎり、この本は「面白い」。その面白さは、私からみた場合の村上春樹に似ている。あえて私は村上春樹なんぞ読む必要はない。影響を受けたこともなければ、読まなくて損したとも思わない。こんな文学、なくてもいい、と思う。

10)だけど、村上春樹は、Dの今世を他者と共有しようとした場合、役に立つ。誰も自分の人生など同時に歩めるひとなどいない。自分の人生は自分の人生なのだ。自分しかわからない。だけど、それを共有しようとした場合、サンプルとしての村上春樹文学は共通話題として使いやすい。あの時代、自分はここにいて、あなたはここにいたんだな。そんな使い方ができる。ポピュラーな大衆文学とは、そういう役割があるのだろう。

11)ケルアックもその要素がある。彼から学ぶべきことなど、ちっともない。学ぼうとして読んだりはしない。だけど、これだけ人々の話題にのぼるなら、他者とつながろうとするなら、ここを切り口につながっていきやすい。それが大衆文学なのだ。

12)だれも、小説のなかの登場人物なんかじゃない。だけど、共通のキーワードとして、ひとつの基準点として、ケルアック文学があっていいのだろう、という認識になってきた。そこんとこが「面白い」。

13)この本でもそうだが、最近ちょっと気になっているのが、セブンス・アベニュー、という言葉。

14)初めてのオン・ザ・ロードの旅へ出るために、サルは、地下鉄のセブンス・アベニュー・ラインに乗って、ブロンクスの242丁目ストーリート駅まで行った。p32「びしょ濡れのヒッチハイカーの寓話」

15)びしょ濡れのヒッチハイカー、なんてエピソードは自分自身のものを持っているので、他の人の「寓話」など必要ない。だが、なんでか知らないが、セブンス・アベニュー、という言葉がやたらと響く、なんでだろう。

「ホワイトアルバム」<13>につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「オン・ザ・ロード1972」<5>

<4>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p
★★★★★

<5>汽車                 目次 

1)我が家と高館山を大きく二つに分けるように、その間には東北本線の線路が走っていた。小学生当時は蒸気機関車が当たり前で、今でも電車を汽車と言ってしまう。汽車の煙が当たり前にたなびくのが我がふるさとの風景だった。

2)その線路の向こうには、線路と並走するように、東(あずま)街道が走り、また線路と我が家の間には、国道が走っていた。つまり、我が家の周辺は実は、交通流通の大動脈の要所にあり、戦後の高度成長に向けて、次第にその風景を変貌させようとしていた。

3)高舘山から閖上に向かって直線的に走っていたのは、浜街道と言われていた生活道で、一番近くのバス停の名前になっていた。浜街道、今考えれば、なかなか意味深い名前である。東街道、国鉄線路、国道4号線を断ち切るように浜街道が一直線に山から海に向かって走っているのである。

4)そして、私が生まれて成長し始めた時期、あらたに国道4号線がいっぱいになり、補完としてバイパス道路ができるようになったのである。このバイパスが我が家のすぐ側を走ることになった。その工事が始まったのは私が小学3年生の頃だった。

5)まったくのどかな農村風景、その田園に大型トラックが出入りするようになり、山や川から砂利を運び込んできた。時あたかも、東京オリンピックに向けて、日本は根本からその姿を変えようとしていた。

6)このバイパス道路工事は長い間時間がかかった。おそらく二年か三年かかったのではなかっただろうか。ちょうどその通路にあたった隣家は、我が家の本家でもあったので、移転するのが大変だった。

7)トロッコ工事も続き、ちょうど学校で芥川龍之介の「トロッコ」などを学んでいたので、実に興味深く眺めていた。大型工事車両も入り、ダンプが何台も何台もやってきた。道路に埋設するパイプ類も実に興味深かった。

8)学校にプールもなかった時代であり、夏休みは近くの川でよく泳いだものだが、その川がどんどん大型橋工事で泳げなくなった。その分、小学校にはプールができた。このプールが間に合わない間、同学年の男の子は、海に泳ぎに行って、おぼれて亡くなった。

9)実は、このバイパス工事の完成が、私をして旅へと誘っていたのだった。工事は一気に進むものではなかった。ゆっくりゆっくり進んだ。モータリゼーションが一気に進む前のことであり、走る車も限られたものだった。物流はまだまだ線路を走る蒸気機関車が担当しており、トラックの物流は限られていたのである。

10)ついでに書いておけば、高速道路は、ずっとあとのことで、私たちは雀の森時代に、そのインターチェンジの工事のための測量工事の助手のアルバイトをしたものだ。新幹線は、1981年のアメリカコミューンを訪ねるために上京した時に、初めて乗った。

11)バイパス工事は一気に進んだわけではない。部分部分が少しづつできた。我が家からみれば北部にあるあの名取老女と関連のある烏宮の屋敷も移転を余儀なくされた。部分部分が田んぼの中に砂利道を作り、できた部分からすこしづつつながっていった。

12)砂利道時代から、自転車や歩行者、原付バイクなどが、すこしづつ利便的に使用していた。つながってからも一気に舗装されたわけではない。砂利道で1キロ、2キロとつながり、やがて5キロ、10キロとつながっていった。

13)その頃、自転車やバイクで旅する若者が登場してきた。道路サイドに、大型店舗用の埋め立て地にテントを張った若者がいた。興味津々の小学3~4年の私たちは、遠巻きにしてその若者を眺めていた。

14)つづいて山形から高校生のサイクリング車がやってきた。その日は雨だったので、我が家の農家の庭にテントを張らせてほしい、という。親たちは、それはかわいそうだ、と言って、本宅に入れ、食事を出し、風呂にいれ、布団を出して泊めてやった。これが、私と旅との最初の接触だったかもしれない。

15)やがて、このバイパスも舗装され全線開通し、東京オリンピックも開催され、日本はもう戦後ではない、というキャッチフレーズのもとに、経済成長路線をまっしぐらに走り始めた。

16)その頃まで、私はまだバス以外の交通機関に乗ったことがなかった。親戚はほとんど足で歩いていけるところにあり、遠くの親戚などなかった。最初に覚えているのは、隣の駅にあった竹駒神社のお祭りに行った時、祖父が載せてくれた蒸気機関車だった。小学六年生になっていた。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」<19> / 「机の上はいらないモノが95%」<3> / 「<インターネット>の次に来るもの」 <19>

<18>よりつづく

79421146
「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」 <19>
リズ・ダベンポ-ト/平石律子  2002/09 草思社 単行本 222p
★★★★★

1)またまたこの本が気になる季節となってきた。前回この本をめくったのはちょうど一年前、年度末の超多忙期になると、どうしてもこの本に頼らざるを得なくなるようだ。

2)この本には後継ともいえる本がある。

---------------------

<2>からつづく

9784794216786
「机の上はいらないモノが95%」 <3> 世界一シンプルな整理法
リズ・ダベンポ-ト/川村透 2008/11 草思社 単行本 110p 
★★★☆☆

3)こちらは、前著に続く同じ著者による後継本だが、どちらからと言えば学生向きに書いてあり、また同時進行していたIT環境に合わせて書いてあり、よりデジタルではあるが、その分、いまいち、この著者独特の技法が、生かされ切っているとは言えない。

4)だから次第々々に先祖返りして、こちらの本は読まずに、前の本を読むことが多くなった。

5)そして、実はごく最近、この世界を脱皮して、次なる世界へと旅立つことを思いついたのである。

--------------

<18>からつづく  

71jnk7sfvgl
「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 <19>
ケヴィン・ケリー (著),    服部 桂 (翻訳) 2016/07 NHK出版 単行本: 416ページ 目次

6)私はこの本を持ってして、この正月に、リズ・ダベンボードの一冊目の本との決別を宣言したのである。

7)アナログからデジタル化の兆候、そうして、いよいよデジタルへの本格参入。気分的にケヴィン・ケリーはそこまで盛り上げてくれたはずだ。しかし・・・・・。

8)物事はそう簡単には進まない。デジタル化が進めば進むほど、我がアナログ魂は、手作業のサイクルに入り、廃材を加工しての仏像彫刻へと私を駆り立てる。机周辺の状況も決してデジタル化は徹底しない。

9)多いに新しいガジェットや環境を受け入れよう。されど、それだけでは不完全なのである。どうも円周率を3とは割り切れないのである。せいぜい3・14までは残しておきたい。この0.14の魂が声を上げ始める。

10)さて、そうなれば、またまた結局はリズ・ダベンボードの一冊目が本棚から引っ張り出されることになる。

11)何、なにも大変なことが書いてあるわけじゃない。たしかに参考になることは書いてあるのだが、もうすでに何度も読んで頭には入っているはずである。しかも採用できるところと、どうしてもできないことの線引きもすでに終わっている。

12)それでもなお、この本を読むことは、私にとっては意味があるのである。

13)いらなくなった書類を捨て、シュレダーにかけ、視界にはいる夾雑物を減らす。そして1/3になって一息、さらにその1/3になって一息と、その度に周囲はきれいになるのだが、やっぱり、その最後の0.14は残るのである。

14)もっとも、この0.14がなくなってしまえば、それこそデジタルなのだから、多少整理できないものが残ることが結局はよいことなのだ、と受け入れていくしかない。

------------------

15)「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」。ああ、それは私です''`ィ (゚д゚)/

16)「机の上はいらないモノが95%」。あ、それは私の机です。''`ィ(´∀`∩

17)そして、気持ちでは、「<インターネット>の次に来るもの」を期待しつつ、待っている。

18)そんなところに思いをめぐらしながら、年度末の繁忙期を過ごしている。

つづく・・・・・・かもよ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/24

「シンギュラリティ」人工知能から超知能へ マレー・シャナハン著 ドミニク・チェン監訳

713cecjyrhl
「シンギュラリティ」人工知能から超知能へ
マレー・シャナハン著 ドミニク・チェン監訳 2016/01 エヌティティ出版 単行本(ソフトカバー): 268ページ
No.3920

1)SFは今でもインスピレーションの源であり、重要な哲学的概念を探るための素材でもある。しかし、SFが探求するアイデアに対してはより深い処理を行われなければいけない。知的な刺激を伴うとは言え、SFの第一目的は娯楽であり、思考のガイドに使うのは誤りだろう。pi「まえがき」シャナハン

2)シンギュラリティ関連にはある程度目を通したが、同じストーリーを何回も読ませられることと、そもそもその発展プロセスや研究プロセスに直接タッチできない立場であるために、いい加減飽きてしまっていることになる。この本についても、もういいかなぁ、という気分ではある。

3)しかし、これはドミニク・チェンが関与(監訳)している一冊なので、まずは目を通しておこう、という程度の期待値であった。

4)もし人間レベルのAIから超知能への移行が不可避であるなら、その人工知能の基本的な動機と価値観を確実に受け継がせることは良い考えだと言えるだろう。これらの価値観の中には、知的好奇心や、創造、探求、改善、進歩することへの動因も含まれるかもしれない。 

 だがおそらく、他のどの価値よりもまず先んじて教え込まれなければならないものは、他者、そしてすべての感情ある存在に対して向けられる、仏教が説くところの慈悲の心だろう。 

 人間の数々の欠点----好戦的志向、不平等を永続化する傾向、ときおり発揮する残虐性----にもかかわらず、豊かな時代にはこれらの価値は充分、前面化するように思われる。 

 このように、AIが人間的であればあるほど人間と同じ価値観を体現することが期待され、そして人類は、無意味で下等な存在とみなさえるような暗黒の未来ではなく、人間の価値と尊厳が保たれるユートピア的な未来へと進める期待が高まるだろう。p143「AIと意識」 シャナハン

5)科学者や専門家的にシンギュラリティを追いかけるというのはすでに無理で、あるいはSFファン的にも興味を持ち続けることは好みではない。敢えていうなら、こちらが期待しているような着地に近いような道筋がでてきて、ようやく、やれやれとめくるスピードを下げて、熟読してみたりする。

6)意識の「ハードプログレム」とは、(もう一人の哲学者、トーマス・ネーゲルの表現を借りれば)「意識を持つ生物であるとはどのようなことか、なぜそのようであるのか」ということを、科学の言葉で説明しようとする試みである。

 なぜわれわれには主観的な感覚と感情があるのだろうか? 私は今、電車の窓から過ぎていくイングランドの霧がかった田園風景を見ているという主観的な視覚経験は、いかにして私の脳内で発生するのか?

 この問題の難しさは、私が同乗者を見たときに生じるある懐疑的な考えに由来している。彼らがいかに振る舞い行動しようとも、たとえ物思わしげに風景を眺め、その美しさについて語っていようとも、その実、彼らは何も体験していないと推察することは、少なくとも論理的には可能なことである。

 私には彼らの個人的内面世界に立ち入ることはできない以上、そもそも彼らにもそれが備わっているとどうして確信することができようか? ひょっとすると彼らは単なるゾンビ、オートマトンなのかもしれない。p147同上 シャナハン

7)オートマン、とは自動人間、という意味だそうだ。

8)意識ある人間レベルのAIの見通しはさまざまな問題を提起するが、意識ある超知能の場合、その影響はさらに大きいだろう。p202「天国か地獄か」 シャナハン

9)保守的な人間中心主義と、ポストヒューマン原理主義との間に、妥協点はあるのだろうか? p210同上 シャナハン

10)正直言って、科学の行く末としてのシンギュラリティへの関心を持ち続けることはかなり苦痛である。その研究手段を持っていないばかりか、それを現実的に自らが確信をもって実証できないところにその原因がある。だが、その「成果」については、一般的以上に関心を持つ続けているのは確かなことだ。

11)この本の翻訳については三人のチャンが参画している。父親と二人の子供、であろう。ドミニク・チェンは、子供、しかもその弟のほうであるようだ。最終的にはドミニク・チェンの名前になっている限り、この本は、彼の「翻訳」チームによる仕事と考えていいだろう。

12)情報技術産業で活動をしていると、「エモーション」や「マインドフルネス」という言葉が重宝される場面に遭遇することが多い。情報技術もインターネットとスマートフォンが全世界に普及する時代に入ってある程度成熟してきており、その新奇性に注目が集まるフェーズから、いかに人間性と整合するように設計できるかという段階に入ってきている。

 その過程で、比較的定量化が容易な目標設定に拠ってきた工学の領域が、いよいよ人間的な価値を模索しはじめるようになってきたとも言える。p261「訳者あとがき」ドミニク・チェン

13)当ブログがドミンク・チェンに注目しているのは、まずはその若さ。1981年生まれ、まだ36歳の新進気鋭の学者(経営者)であるということ。そして、その若さに載せて、シンギュラリティとマインドフルネスという単語を、自由闊達に使い切っているように見えるからである。

14)人工知能(artificial inteligence)という言葉は、二重の意味を投げかけている。知能を人工的に再構築できるのか、という問いと、そもそも知能とはいったい何なのか、という問いである。 

 人間の知能の全容がまだ解明されていないのにもかかわらず、その機械的な再構築を試みようとする過程を通して、逆に人間の知能とは何かということが浮き彫りになってきている。p257「訳者あとがき」ドミニク・チェン

15)当ブログのタイトルは「地球人スピリット・ジャーナル」であり、サブタイトルは「意識と瞑想をめぐる読書ブログ」である。意識については、最終結論はOSHOに依拠しているとして、そこまでにたどり着くプロセスにおいては、これまでの各世界の各界の精神史、並びに最近のシンギュラリティ進化に多いに期待しているところである。

16)また、瞑想については、さまざまな呼び名はあるが、最近のマインドフルネスという呼び名をあえて可としている。せっかく盛り上がってきているウェーブに、あえて茶々を入れることをせずに、積極的に関与してみようという態度である。

17)したがって、当ブログにおける「意識と瞑想」という場合、現在進行形としては「シンギュラリティとマインドフルネス」と読み直しても、かまわない。「シンギュラリティとマインドフルネスをめぐる読書ブログ」でいい。

18)しかし、残念ながらこの二つをバランスよく配合することはなかなか難しい。グッドバランスで紹介してくれる人も少ない。敢えて、当ブログがこの訳者ドミニク・チェンに注目するのは、この人がこの二つのバランスを合わせて持ったニュースター足り得ると認識しているからだ。

19)先端科学にも疎く、最新のマインドフルネスの情報にも疎い当ブログとしては、個別にそれらを追っかけていくよりも、ドミニク・チェン、その人を注目していたほうが、より早く、効果的であるような気さえしている。

20)人工知能を考えることは、すでに私たちの生活に浸透しているさまざまな情報技術を観察することからも可能だ。私たちのネット上の社会生活を支える現行のウェブサービスやアプリの多くの機能が、人工知能が依拠する機械学習を用いている。

 本書で展開される未知の知性の創発に向けた知能冒険の開始点はすでに私たちの生活のなかに散りばめている。

 監訳者としては、人工知能に代表される現代の情報技術に対して危惧の念を抱くのではなく、むしろ積極的にそのよりよい更新へと読者の想像力が刺激され、専門家以外の堅実な議論が活性化することを願う。p263「訳者あとがき」ドミニク・チェン

21)はてさて、紹介者として の彼に一存するとして、「専門家以外」の当ブログとして、彼が提唱する「積極的な議論」に参加できるだろうか。「読書ブログ」というレベルでは、かなり方向が違うかな、とも思う。されど、その「活性化」を期待しつつ、その素地を醸成するかもしれない一旦を担おうとする姿勢は、まずは許されるのではないか、と願うものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/23

「日本会議の研究」 菅野 完 <3>

<2>からつづく

51mlqjm62kl
「日本会議の研究」 <3>
菅野 完 (著) 2016/04 扶桑社 新書 302ページ
★★★☆☆

1)午前中、参議院でのカゴイケ証人の意見をテレビでほとんど聞いた。午後は衆議院の同人の証言を聞いている。今の気持ちを率直にメモしておこう。

2)まず、証人の誕生日を聞いて驚いた。私と同じ学年なのである。仮にこれが、わが同級生であったなら、おお、すごい奴だなぁ、と素直に思う。こんな環境のなかで、こんなにスラスラと答えることなどできる奴は少ないと思う。

3)この人が素直に、天皇を中心とした国家像というものを「美しい日本」の原型だと思うのなら、そう思うということ自体、へぇ~、そうなんだぁ、と、私は口をつぐむ。

4)そして、マスメディアだけではなく、それについてのSNSなどの個人メディアなどを含め、いい加減な情報を聞いているよりは、はるかに背筋が伸びるような話だなぁ、と思う。

5)私個人としては、若い時分、何かを守る「大義」があるなら、そのことに自らの命を捧げる、ということもあっていいのではないか、と思った。その大義とは、例えば革命とか、あるいは使命とか、ミッションとかの役割として、一人一殺的な、かなりテロルな情念が湧いてきたことはあった。あるいは、そのような心情が、まったくわからないわけじゃない。

6)インドから帰ってきて25歳の時に大病をわずらい、ああ、これで死ぬのかな、と感じた時、結婚もしていなかったし、やるべき仕事もやってしまった後だったので、このまま死んでもいいかなぁ、と思った。

7)だが、そのあと結婚し、子供も生まれ、やりかけた仕事ができてからは、極端に心境は反転した。死んではだめだな、のたれ死になったとしても、なんとかかんとか長生きしなければならない、と執着が湧いてきた。

8)若い時に、時代が時代なら、お国のために死んでいい、と思ったかもしれない。思っただけで、実際は、臆病風が吹いて、何にもできなかったかもしれない。もちろん何もできなかった方の確率が高い。でも、そういう意見や意志を持っている、という人がいるということはわかるし、そういう人の意見は、遠巻きにしながら、聞いてもいい。。

9)でもしかし、この21世紀の初めにあたって、お国のために命を捧げる、というのは違うと思う。私の命などもうほとんど役には立たないが、私の子供や、孫や、さらにその子孫たちが、そのような「美しい」文言に揺り動かされて、自分の人生を棒に振ってほしくない。自分の人生を大事にしてほしい。

10)教育勅語の「美文」の本質をキチンと理解し、決して世の中を戦前のようなものにしてはいけない。そうしたいと思う人がいるのは仕方ない。だが私はそう思わない、ということを主張するしかないし、反対意見の人にも尊重してほしい。

11)私は、私と同じ年齢のカゴイケ証人が、彼流の教育理念にのっとって幼児教育や小学教育を「したい」と思うのは、わかるとしても、そう「してはならない」と思う。なぜなら、カゴイケ証人自身が、お国のために命を捧げるのは構わないが、これから生まれてくるような、新しい命に対して、そのような思想を刷り込んではならない、と思うからだ。

12)刷り込みに関しては、もちろん、私のような考え方も刷り込んではならないと思う。一定程度、証人のような意見を、自然発生的に持ちうる子供だって、いるかもしれない。

13)消防や、警察や、自衛隊、あるいは軍隊、と言ったものが、この世に存在しているからこそ、このようなブログを存続させていることのできる私がいる。だから、彼らの存在が、まったく疎ましいなどとは思わない。ある一定程度、そのような人々が存在することは、必要だと思うし、尊重すべきだと思う。

14)私は、ある一定期間、自衛隊基地内のカウンセラーを務めたことがある。自衛隊員や家族の人々と触れ合うことが任務だった。自衛官になった友人もいるし、3・11以降の自衛隊のみなさん活躍には、多いに感謝した。

15)しかし、この時期におよんで、教育勅語を基本とした天皇制の国家を作って、美しい、なんて嘆息していることはできない。

16)カゴイケ証人の問答を聞いていて、そんなことを思っていた。安倍晋三首相も、私と同じ年の生まれだ。あの人のやろうとしていることには賛成できない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「日本会議の研究」 菅野 完 <2> / 「さとりサマーディにて」<25>

<1>からつづく

51mlqjm62kl
「日本会議の研究」 <2>
菅野 完 (著) 2016/04 扶桑社 新書 302ページ
★★★☆☆
------------------------
<24>からつづく

「さとりサマーディにて」 

<25>              目次 
-------------------------

1)本日、とある人物が国会に証人として登場する。その結果、どのようなストーリーが新たに出来上がるのか、気にならないわけではない。かと言って、そこから、じゃぁ、そこから何が立ち上がるのか、となると、個人的にはあまり躍り上がってはいられないな、と思う。

2)問題点はなにか。
a.幼稚園、小学校、という教育はどうあるべきなのか。
b.個々の私立教育機関とは、どのような経緯で出来上がってきたのか。
c.そもそも教育勅語は、未来に向かっての指針であり得るのか。
d.政治とは何か。右傾化する政治にはどう対処すべきか。
e.忖度(そんたく)した役人たちの、仕事とは何か。政治家の圧力は?
f.未来に向けての国家ビジョン、グローバルな世界平和への道は、どうあるべきなのか。
g.日本という国家、天皇制という統治システムの賞味期限はどのくらい残っているのか。
h.ジャーナリズムはどうあるべきか。
i.これだけのネット社会になり、個人のジャーナリストが、大手メディアに対抗できるようになったのか。
j.過去、生長の家、谷口雅春の業績とその(悪)影響は今でも残っているのか。
k.日本会議という「黒幕」は、それほどの力を持っているのか。
l.その他

3)だらだらと続けていけば、キリがない。この中でも、当ブログとしてはあえて3つのテーマを拾い上げてみる程度だ。
a.幼稚園、小学校、という教育はどうあるべきなのか。
f.未来に向けての国家ビジョン、グローバルな世界平和への道は、どうあるべきなのか。
i.これだけのネット社会になり、個人のジャーナリストが、大手メディアに対抗できるようになったのか。

4)すべての人間は、子供たちだった。地球の子供たちだ。周囲の大人たちは、子供がその子らしくなるのを手伝う程度で十分だ。幼児教育で偏った思想など刷り込むなど、可能な限り避けなければならない。

5)いまだに、地球ビジョンは明確ではない。されど、国家ファースト主義は、終わりにしなければならない。国家主義を強化することによって、軋轢を高め、戦争の危機などを呼び込むことはまったく愚かなことだ。

6)大手メディアの使い方と限界について周知しておくべきだ。今回の菅野完氏の活躍の全貌はまだ明らかではないが、個人ジャーナリズムが有効に働くなら、これは素晴らしいことだ。

7)キーワードは、地球、人間、スピリチュアリティ、だ。加えて、ジャーナリズムも加えておこうか。結局、当ブログとして強い関心を持っているのは、そのタイトルの通り、地球人スピリットであり、作業としてはジャーナル、ということになる。

8)日本を会議するのではなくて、地球を会議すべきだ。国家を優先すべきなのではなく、人間を優先すべきなのだ。押しつけの精神主義ではなく、自由なスピリチュアリティを育むべきだ。個人として発言できるジャーナリズムが存在することは、大事にすべきだ。

--------------

9)テレビが我が家にやってきた頃など、母は、台所仕事で忙しく動きまわっていたが、画面に天皇陛下が登場すると、ちょっと広い農家の部屋を横切って走ってきて、テレビの前に静座して聞き入っていた。

10)教育勅語など、完全に脳に刷り込まれている。95歳の現在でも、おそらく全文を暗唱できるだろう。

11)出兵して戦死・負傷した配偶者に対する補償として、今でも「国家」からの保護を受けているはずだ。彼女にとって国家の存在は大きい。

--------------

12)95歳の老婆の人生はおそらく最終ラウンドである。もし生きていたらちょうど100歳になったであろう父の生きた時代は、あった。その時代はすでに終わりつつある。

13)戦後民主主義で育った私たちの世代には、国家より個人が優先していることは確かなことだ。されど、国家というものが、暗然として存在していたからこそ、優先できた個人主義がある。

14)はてさて、これから育っていく孫たち、名付けてポスト3・11ジェネレーションにとって、国家はどうあるべきなのか。スピリチュアリティはどうあるべきなのか。

--------------

15)私はこの人生で、OSHOを選び取った。瞑想がキーワードで、普遍性を図るならマインドフルネスという言葉でも構わない。ジャーナリズム、とくに個人で参加できる機能は大いに発展進化すべきだと思う。そのリテラシーもみんなで身に着けるべきだ、と思う。

--------------

16)以上のような観点、立ち位置から、今日の国会の証人の発言を注視していたい。

「日本会議の研究」<3>へつづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧