<C005>からつづく
「Mindfulness in the Modern World」 How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <C006>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials) 本文目次
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1)マインドフルネスを冠する本が店頭に多く並んでいることをブログに書いて、他のSNSでそのリンクをシェアしたところ、Lさんより、次のようなレスをいただいた。
>この手の本が毎年、何十冊も出版される。しかも、以前いたNHKが出版。
>呆れる。
>瞑想は、何の効果があるのか知らない。知っているのは、何の効果も得られず、宗教の
>お題目も同じ。
2)ふむ、なるほどな。それに対する咄嗟の私の返信は、次のようなものだった。
>効果もなければ、功徳もない、と、道元は言ったとか。ただ座れと。
>座ること自体が目的であり、ゴールである。
>まさに禅問答ですね。
3)ネットのオープンスペースにおけるダイアローグは私の得手とするところではない。いつもなにかのきっかけでそのようなチャンスはあるのだが、いつもいつも私は手短に片づけてしまう。ひとつは質問者の真意が正確にわからないことが多くあり、また私が言わんとすることが、はて、その方への返信として必要なのかどうかわからないことが多いからだ。
4)だがしかし、今回はどうも、落ち着きがわるい。決して反論でもなければ対話でもない。ただ、このようなカウンターに対して、私はなんと答えるのだろう、と関心が湧いてきた。この方のおっしゃっていることも妥当性がある。それはそれで、私にとっては何の問題もない。されど、それは私の意見や率直な人生感ではない。なぜ、そうなのか、自分で興味を持った。
5)ふと考えてみる。もっとも一番最初に、どんなことがあったのだろう。三月末生まれの私、8歳になって三日目、4月1日のエイプリルフールの日に、父親が亡くなった。それまで隔離病棟で6年間も闘病していた末に亡くなったので、私はほとんど父親と触れ合った記憶がない。それでも常に10人を超えるような大家族の中で暮らしていたので、寂しいとか、悲しいとか体験はまったくしたことはなかった。
6)しかし、小学三年生の私にとって、人生の最初の疑問、「死」とは何か、という問いかけが生まれた。愛してくれた父が亡くなった寂しさとか、そのゆえに生活が困窮したとか、そいうことではない。単純に、それまでもずっといなかったわけだし、これからも側にはいないのだが、ただ、その「お父さん」と言われる存在が「死んだ」という。それはどういう意味なのだろうか。
7)私の生家のお寺は曹洞宗を離脱した単立寺院だったが、経典や式典などは曹洞宗のものを流用していることが多かった。その中の経典、「修証義」の中の一説が、やたらと心に響き、頭にこびり付いた。
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。
8)それと前後して、ある時、別棟としてあった風呂場で手鏡で自分の顔を見ていて、あれ、これは誰だろう。この顔は私だ。この顔を持った私もいずれは死ぬのだ、そう考えつつ、手鏡を持ったまま外に出た。私の顔が映ったまま、その背景は雲が流れる青空が映っていた。
9)その時、かすかに私の意識はかなり遠くまで飛んでいったように思う。表現的には地球を離れてはるかな宇宙まで飛んでいってしまったようだった。時間にしたら、ほんの瞬間だろう。距離にしても、風呂場の入り口からほんの10メートルも離れてはいなかった。されど、人生の一番最初の大きな体験と言えば、今でもあの風景を思い出す。
10)修証義の経文も、別段暗記したわけでもなく、普段は8歳なり9歳なりの普通の子供であったと思うが、何かの折にまたこの経文をみんなで読む法事などがあると、あ、また出てきた、と、気になることは、確かに気になるのだった。
11)私自身が瞑想という言葉を知ったのはいつだったのか、はっきりとは覚えていないが、10代のうちに知っていたことは間違いない。高校一年の時に、友人が路上で求めたミニコミの中に「瞑想」という言葉があり、これもまた、かなり強い印象を与えてくれた。
12)高校を卒業して、政治活動などを一緒にしていた仲間たちと共同生活をするようになった時、近くには、ニーチェを日本に最初に紹介したとされる高山樗牛ゆかりの「瞑想の松」という景勝地があった。バス停の名前も瞑想の松だったし、バスの行く先も「瞑想の松」循環だった。言葉としては、当たり前に、私たちの生活に、瞑想、という単語がしみ込んできていた。
13)そして、そのまま日本一周のヒッチハイクの旅に出る時、私は自分の手書きの名刺を作り、そこには、瞑想三昧社と記していた。今でもそうなのかもしれないし、あるいは当時の流行りだったのかもしれないが、とにかく私の中の価値基準のかなり高い位置に、「瞑想」という言葉はランクされた。
14)そうこうしているうちに、私はミニコミ「存在の詩」を通じて、21歳の時にOSHOの瞑想に出合うのであり、それからずっと、私はこの還暦越えまで、瞑想という単語をごくごく身近に感じながら生きてきたのであった。
15)別段に信心深いとか、功徳があったとか、何かが分かったわけではない。まぁ、ごく当たり前の日本人として、ああ、ここまで生きてきてしまったな、というだけである。事故に遭遇したり、大病を患ったりしたが、不思議といまだに生を永らえているのは、必ずしもなにかのおかげだったと確定できるものではないが、守られているのかもなぁ、と思う時はある。
16)私は小学校時代の早い時代からずっと新聞部に属することが多く、長じてジャーナリストになりたい、と夢を記したこともあったが、あの学園紛争の最中に過ごした高校時代に、その夢は色さめたものとなり果てていた。
17)あれ以来、私にはなりたいと思うものがなくなってしまった。自らの生命を維持するための仕事としては、なにかかにかの業務をこなしてはきたのだが、自分の理想とするものは、職業とか、なになにの為というものではなくなってしまった。
18)日本国民には三つの義務があるという。教育(受ける、受けさせる)の義務、勤労の義務、納税の義務。日本国民のひとりとしては、義務教育を受け、日本人として働き、自らの露命をつなぎつつ、余剰があれば納税をしてきた。
19)でも、日本という国家を支えるための自分を、最大限の目標と考えることはできなかった。敢えていうなら、今は地理的に日本というエリアに住んでいる地球人としてのひとり、在日地球人、程度のこことであっただろう。何か、別の「大義」があるはずだ。
20)今は、グローバルな思考が流行っているし、インターネットも大好きだ。国境を越えた友人もいくらかいる。エコロジーを考えたり、ボタニカルなワークに汗を流す。だが、それはそれ、多少規模が違ってきているだけだ。
21)外側ではなく、内なるもの。そんなことを考える時、あの修証義の一説が、また思い出される。
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。
22)私の人生も中盤を過ぎ、後半戦である。師と仰いだOSHOはすでになく、先輩同輩たちも次から次へと、亡くなっていく。私とて、いつまでこの生活を続けているのやら、わかったものではない。もちろん、そんなこと、あの8歳の時から、分かっているはずである。
23)で、人生、生きていることの、最大のテーマは一体なになのだ、という時、私は、スティーブ・ジョブズのように世界一の企業を作ることでも、100メートルを何秒で走り抜けることでもないと、考えている。自分の身の在り方は、ごく当たり前でいい。与えられたものを、大事に、有効活用しつつ、失敗したり、間違ったり。まぁ、とにかく普通でいい。
24)ただ、私は物事の中に埋没し、風景のひとつになりたいと思っているわけではない。私は私として存在していることを常に確認しつつありたい。ある人は、音楽を大切に思うだろう。ある人にとっては政治かもしれない。ある人にとっては、何かの発明とか、発見とか、具体的な目標があるのかもしれない。
25)しかし私にとって、私を私とさせているのは「瞑想」というキーワードである。私がそのワザに優れているとか、習熟しているとか、理解しているなどということは、ほとんどない。怠け者で、人生なにごとも60点合格主義で、特段に誰かに褒められた記憶もなければ、まぁまぁ、失敗は多々あったが、つまはじきされて、村八分になってしまうほどではなかった。
26)しかし、私は私であるな、と自覚できるとすれば、この人生、ずっと「瞑想」というワークでささえられてきたな、と実感する瞬間である。
>瞑想は、何の効果があるのか知らない。知っているのは、何の効果も得られず、宗教の>お題目も同じ。
27)そうつぶやく人がいることは知っている。それは間違ってはいない。間違っているとか、間違っていないとかの問題でもなさそうだ。しかし、私はその意見を採用しない。瞑想は、なんの効果があるのか知らない。そもそもあんまり効果を求めてこなかったからなぁ。でも、何の効果もなかったとは言えない。
28)私は時に南無妙法蓮華経と唱える。インドやスリランカでばかりか、国内でもお世話になった日本山妙法寺の人々と共にいるように思えるからだ。たまにオムマニパドメフムとも唱える。なんの効果があるかは知らないが、私の中のチベットの古層が震えだす。だからどうした。でも、なんだか、ありがたい気持ちになるのは本当なんだよなぁ。
29)私は瞑想という言葉を愛してきた。もちろん禅も、ZENも好きだし、まぁ、一歩譲って、最近はマインドフルネスとやらの言い回しにも慣れようと思って、一生懸命使っている。他の人の意見がさまざまあることは知っている。まったく無関心な人たちがいることも知っている。
30)当ブログは、現在「現代社会におけるマインドフルネス」というカテゴリ名で走っている。当面これでいくつもりだ。このテーマが、当ブログの最終テーマになったとしても、それはそれで納得できるなぁ、と今の私は思っている。
<C007>につづく
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