カテゴリー「35)センダード2011」の94件の記事

2011/12/22

2011年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

2011年上半期よりつづく

2011年下半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10 

(それぞれの本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの本の感想に飛びます)

第1位
Hukkoku
「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う! 
飯沼 勇義 (著) 復刻版 2011/09 本田印刷出版部 単行本 p234
 

第2位
3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ
飯沼 勇義 (著) 2011/6 鳥影社単行本 208p
 

第3位
【送料無料】震災トラウマと復興ストレス
「震災トラウマと復興ストレス」 岩波ブックレット
宮地尚子  2011/08  岩波書店 全集・双書 63p
 

第4位
【送料無料】東北を歩く増補新版
「東北を歩く」 小さな村の希望を旅する
結城登美雄 増補新版2011/07 新宿書房 単行本 331p
  

 

第5位
Oct
「人や銀河や修羅や海胆は」TheaterGroup“OCT/PASS”
石川裕人・作・構成・演出 2011/10/29 宮城県亘理郡山元町中央公民館大ホールなど10ヶ所以上の被災地仮設住宅などで公演

 

第6位

「宮沢賢治『銀河鉄道の夜』」 NHKテレビテキスト100分de名著
ロジャー・パルバース 2011/11 NHK出版 

 

第7位 
【送料無料】美しい村に放射能が降った
「美しい村に放射能が降った」 飯舘村長・決断と覚悟の120日
菅野典雄 2011/08  ワニブックス   
 

第8位
Photo
「その時、閖上は」写真集
小齋誠進 2011/08 有限会社印刷センター 

 

第9位
Fight
「宮城県気仙沼発!ファイト新聞」 
ファイト新聞社 2011/07 河出書房新社

第10位
【送料無料】ガイガーカウンターGuideBook
「ガイガーカウンターGuideBook」 放射能から身を守る!!
日本放射線監視隊 2011/06 フレックスコミックス
 

次点
【送料無料】今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電
「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」 NEWTON別冊
ニュートンムック 2011/08 ニュートンプレス

2012年上半期へつづく

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ニーチェから宮沢賢治へ<1>永遠回帰・肯定・リズム 中路正恒

Ni
「ニーチェから宮沢賢治へ」 <1>永遠回帰・肯定・リズム
中路正恒著 1997/4  創言社 四六判 / 238頁 
Vol.3 No.0571★★★★★

1)「ニーチェから宮沢賢治へ」。いいですね、このタイトル。当ブログの流れから言えば、このままでもいいし、「宮沢賢治からニーチェへ」であっても、決して可笑しくない。あるいは「ニーチェと宮沢賢治」でもいいだろうし、「ニーチェあるいは宮沢賢治」でも可笑しくない。「ニーチェ=宮沢賢治」でも場合によっては可だ。とにかくこの二つの存在に対しての論を、いろいろ聞いてみたい。

2)と、勢いづいてはみても、この本は、そう単純な本ではない。1949年生まれの「哲学者」中路正恒の48歳時における、自らの哲学の流れにつけた命名で、そもそも自分では「永遠回帰と肯定とリズムについての思索たち」と名づけていたものだが、友人の示唆を受けて「ニーチェから宮沢賢治へ」となったのだった。

3)一冊の本としてみても、ニーチェと宮沢賢治の間には、フェデリコ・フェリーニ、山中智恵子、森鴎外、伊藤静雄、などなどが挟まっている。

4)本書には、心地よいリズムが波打っている。そのリズムが、ともすれば乱雑に投げ出されたような幾つかのテーマを一気に読ませてしまう魅力となっている。

5)永劫回帰というニーチェのテーマは、肯定も否定もされ得ないテーマなのだが、本書のサブタイトルに敢えて「肯定」という文字が記されているのは、否定すべきなにかに光があたっておらず、肯定すべきものを羅列しているからだろう。あるいは、ボーダーラインにありながら、あえて肯定すべきものとして自己の領域に引っ張ってきてしまうのは、本人の力量でもあろうが、多少は「若さ」によるところも多いだろう。

6)最後に、わたしの将来をだれよりも案じながら、4年前の10月にこの世を去った父に、わたしの、哲学者としてのささやかな出発点となるこの本を、ささげたい。1997年3月6日 p229「あとがき」

7)ともすれば観念的な「わたし」「わたしたち」が語られる本であるが、ちらっと、本人の下世話な意味での実存が見え隠れする一瞬である。それにしても48歳にして「ささやかな出発点」とするような本を出すのは少しく遅すぎはしないだろうか。息子の将来を「だれよりも案じた」父、という時、賢治の父を思い出すし、すでに30代に手が届こうとする子供達を抱えている私にも、胸騒ぎする共通項が思い当たる。

8)著者はこの本で賢治を取り上げるにあたり、「春と修羅」から「原体剣舞連」を引っ張り出す。鹿踊りと並んで、賢治が愛した地元の芸能だ。

9)賢治は、この仮面の人物のペルソナを、この東北の地に伝わる伝説の、悪路王だ、と解釈したのである。平泉の西、達谷の窟に、城塞を構えて立て籠り、征夷の将軍・坂上田村麻呂らに逆らい、そして滅ぼされた賊主、と伝えられる、あの悪路王、として。p208

10)東北、そして野に生きた、という意味では、賢治をまつろわぬ人々の末裔として見ようとするのは、読む者の人情である。

11)賢治の祖先は、京都からの移民である。つまり、賢治の中に流れている地は蝦夷以来の、みちのくの土着ではない。天皇を頂点とするクニに反逆する血ではないのだ。「宮沢賢治幻想紀行」p106「生涯」

12)国柱会の会員として人生を全うした賢治ゆえ、賢治なりの国家観というものがあったはずだが、たしかに反逆する血ではなかったにせよ、天皇を頂点とするクニに自らの理想を見たわけではない。

13)むしろ、クニや蝦夷に対置する以上の存在として、自然をみたのであり、雪の結晶から、銀河や南十字星までの宇宙観に打たれていたのが賢治であった。そして、それを自らの内に見た時、法華経を通じて仏の世界につながり、無や空の世界へと繋がっていった。

14)生の本質的な多数性の、現実に把握され、享受される喜びにもとづく、承認と肯定において、宮沢賢治の思想は、ニーチェの思想と非常によく似た場所にあるのである。ニーチェもまた、生の本質的な多数性の、この承認と肯定によって、意志は根源において一つである、というまやかし的な思想を語る哲学者と対決したのである。p218「『ひとつのいのち』考」

15)二人の思想を似た場所にある、とみるより、当ブログは、あえて、二人を同じ場所においてみる、という試行をしつつある。そしてそれは、まやかしかどうかはともかくとして、「意志は根源において一つである」という場においてみようとしているのである。

16)マンダラとは、基本的には、こうして経験される、宇宙の完全な秩序を表現したもの、ということになるのではないだろうか?---あるいは違うかもしれないのだが。

 ところで、私がここに素描したいのは、こうした宇宙の完全な秩序の経験とはやや異なった経験についてであり、また、宇宙には完全な秩序が存在する、と明言することに、一抹の躊躇を覚えずにはいられない者の、<世界についての思い描き方>についてである。p191「カオスモスの変身装置」

17)多様性の中に秩序を見ようとすることこそ、当ブログにおける当面の課題だったわけで、一連の、いわゆるマンダラシリーズはその試行錯誤の結果である。しかし、そこに根源的なひとつのものを見ようとするところに、多少の無理が生じているのも確かなことだ。

18)カオスモス(Kaosmos)という言葉がある。これはニーチェの造語であったか、なかったか、いまは詳らかにしないが、いずれニーチェ的な概念であり、ごはカオス(混沌)とコスモス(秩序)とを合成したものである。

 世界はカオスでもなく、コスモスでもない。むしろ両者を複合した一つの流れ、と見られなければならないものだ、ということを語っていよう。人はそこでは、究極の世界を見る/見たいという安住に寄り掛かることができない。p192同上

19)たしかに、寄り掛かりたい、という気持ちがないわけではない。終わって、楽になりたい、という気持ちは確かにある。

20)そもそも、限界を超える格闘のなかに、どうして定まった方向などが存在するのだろうか? 段階とは、所詮は真空恐怖に対するまじないのようなものに過ぎないのではないだろうか。

 確認しておくべきことは、自分の限界を超えようとする格闘の現場を離れては、世界の<ほんとうの見え方>など、宇宙の秩序の経験など、何一つ存在しない、ということである。p192同上

21)ここで筆者は<カオスコスモスの変身装置>なる提案を出してくるわけだが、ここからは、各論的であり、それぞれの個性がでるところなので、深追いはしないでおこう。

22)当ブログの言葉づかいで言えば、無であり、空であり、あるいは瞑想であり、あるいはBeyond Enlightenmentである部分が、本著は本著なりのリズムの中で展開されている。あとは、それを自らの実存の中で了解しえるのかどうか、という部分へと進んでいく。

23)3.11以降に、各方面から立ち上がる宮沢賢治への憧憬を、当ブログなりに、予期しなかった方向転換を経ながら、なんとかわが曼荼羅の中心に賢治を置いてみることは可能であろう、という感触は得た。そして、それにはニーチェを媒介にすると、比較的やりやすいということも分かった。そして、ニーチェに不足しているものが、賢治が持っている、ということも分かったし、ニーチェや賢治を超えて、さらに向こうに歩いていく必要がある、ということもわかった。

24)目の前に展開される、現実としての「センダード2011」もまもなく暮れようとしている。この、多様性の曼荼羅の真ん中に、立って歩き始めなければならないのは、ニーチェでもなく、賢治でもなく、私自身なのだ、ということだけは確かなことのようである。

<2>につづく

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2011/12/21

「宮沢賢治『銀河鉄道の夜』」<3> NHKテレビテキスト100分de名著

<2>よりつづく 


「宮沢賢治『銀河鉄道の夜』」 <3> NHKテレビテキスト100分de名著
ロジャー・パルバース 2011/11 NHK出版 ムック 89p

1)数ある賢治の作品のうち、「銀河鉄道の夜」を代表作としてしまうことは可能なのだろうか。「雨ニモマケズ」や「風の又三郎」、「春と修羅」を初めとして、どれを中心とすればいいか、悩んでしまうほど、沢山の作品があり、また実に多様性に満ちている。

2)この番組では、「銀河鉄道の夜」について語り合う。この作品を中心において、宮沢賢治という人全体について考えてみようとすると、それはそれでできる。

3)私はなぜ私なのか。私はなぜあなたではないのか。いや、私はあなたである。森羅万象の中に私はいる。全ては繋がっているのだ。ベジタリアンだった賢治。動物たちにも、植物にも、風にも山にも星にも自分をみていた。

4)「何と云われても」

何と云われても

わたしはひかる水玉

つめたい雫

すきとおった雨つぶを

枝いっぱいにみてた

若い山ぐみの木なのである

5)水玉や雫、雨つぶや山ぐみの木、というところに、他のどんな言葉を入れても、この詩は成り立つのだった。

6)世界がぜんたい

幸福にならないうちは

個人の幸福はあり得ない 「農民芸術概論綱要」

7)禁欲、という言葉はかならずしも賢治にはふさわしい言葉だとは思わないけれど、あのような生活態度でなければ、たしかに見えてこない世界があったはずである。

8)次回はいよいよ第四回。最終回である。

<4>につづく

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竜のはなし 宮沢賢治


「竜のはなし」 
宮沢賢治/戸田幸四郎 1983/12 戸田デザイン研究室 絵本 1冊 Vol.3
No.0570★★★★★

1)図書館の「子どもの本のあんない」2011冬号のテーマは「竜」だった。

2)こわい竜、かわいい竜、恐竜・・・・。いろんな竜の物語が あつまったよ! 「BOOK TREE」 no.144

3)「ほしになったりゅうのきば」、「おまもりドラゴン」、「のんきなりゅう」、「タツノオトシゴ」、など、幼児向けの竜の本が20冊紹介されている。そればかりではなく、児童書にはコーナーまでできていて、紹介されていない本もたくさんならんでいる。へぇ~、こんなにあるのか。

4)と、あきれついでに一冊借りてきた。こちらの本は「竜」というだけではなく、「宮沢賢治」がキーワードである。賢治には「竜と詩人」があるから、それを翻案したものかな、と思ったが違った。もとは「ポラーノの広場」(角川文庫)に含まれる「手紙一」であり、了解を得て、改題したという。

5)戸田幸四郎の絵がなんともやさしい竜となっている。昼寝をしていた竜はやさしい気持ちで狩人たちに自分の皮を与え、虫たちに肉を与えてしまった。そして死んでしまう。

6)死んでこの竜は天上にうまれ、後には世界でいちばんえらい人・おしゃかさまになって みんなにいちばんのしあわせをあたえました。
 このときの虫もみな、さきに竜の考えたようにおしゃかさまから教えを受けてまことの道に入りました。

7)なるほど、ブッタの前世の話しであったか、とは思うが、この話しは初めて聞いたので、これは賢治の創作であろう。そう思って、青空文庫を見ると、この後に数行つづいている。

8)このようにしてお釈迦さまがまことのために身をすてた場所はいまは世界中のあらゆるところをみたしました。このはなしはおとぎばなしではありません。

9)たしかに「このはなしはおとぎばなしではありません。賢治」とこの本にも巻頭に大きく書いてあった。

10)このお話を、童話や創作、あるいはブッタの前世、というだけで捉えてはいけない。これは実存のお話であり、読む者すべてにかかわる話しであった。

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OSHO ZEN TAROT<24> 独りあること(アロンネス) 

Zen010aloneness  <23>よりつづく

OSHO ZEN TAROT <24>

9. 独りあること(アロンネス) 

 ひとりでいるとき、あなたは独りではいない。ただ寂しいだけだ——。寂しさと独りあること(アロンネス)、そのあいだには途方もない違いがある。寂しいとき、あなたは誰かのことを考えている。

 相手がいなくて寂しいのだ。寂しさはネガティヴな状態だ。あなたは、もし誰かがここにいたらもっとよかったのに、と感じている。友人、妻、母、恋人、夫がいたらと——。誰か相手がいたらよかったのに、その相手はいない。

 寂しさは他者の不在だ。独りあることは自己の現存だ。独りあることはひじょうにポジティヴだ。それは現存、あふれ出る現存なのだ。あなたはあまりにも現存に満ちあふれているので、自己の現存で全宇宙を満たすことができるし、誰かを求める必要もない。
Osho The Discipline of Transcendence, Volume 1 Chapter 2  

解説:

 生において「大切な他者(ひと)」がいないときは、寂しくなるか、それとも孤独がもたらす自由を楽しむか、そのどちらかが可能です。

 自分たちが深く感じている真理をまわりの人たちが支持してくれないとわかったとき、私たちは孤立してつらい想いをすることもできますし、家族、友人、仲間に認めてもらいたいという人間の強い欲求にも耐えられるほど自分たちのヴィジョンは強靭だという事実を祝うこともできます。

 もしあなたが今、そういう状況に直面していたら、「独りあること」の見方を自分がどう選んでいるのかに気をつけ、そして、自分が下したその選択の責任を取ることに覚めていましょう。

 このカードの謙虚な人物は、内側から発する光で輝いています。人類のスピリチュアルな生へのゴータマ・ブッダのもっとも重要な貢献のひとつは、弟子たちに「自らの光となりなさい」と強調したことです。

 究極的には、どのような仲間も、地図も、あるいはガイドもなく、暗闇を進む自分たちの道をつくる能力を、私たちひとりひとりが自分の内側で開発しなければならないのです。Copyright © 2011 Osho International Foundation

<25>につづく

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2011/12/20

野の道―宮沢賢治随想<3>  山尾三省

<2>よりつづく

Photo_2
「野の道―宮沢賢治随想」 <3>
山尾 三省 (著) 1983/01 野草社 単行本: 234p
★★★★★

1)賢治を巡る旅も、いつの間にか50冊以上になりつつある。重複する内容のものもあれば、時代を経て古色蒼然とした研究もあった。思わぬところで賢治の名前が飛び出したり、あるいはその記念館まで足を運び、原稿を復元したものを入手したりもした。

2)科学者としての賢治、表現者、芸術家としての賢治、そして、信仰者、あるいは法華行者、あるいは野にある菩薩としての賢治、の姿もおおまかになぞってきた。

3)その中にあっても、当ブログにおける賢治の旅は、三省のこの一冊から始まったことを考えれば、時折、三省のことが想いをよぎり、何度も、この原点に戻ってくることになる。

4)賢治研究の書はあまた在るが、この「野の道」は格別の一冊である。すでに30年前の本ではあるが、いや、30年前の本であるからこそ、三省がいかに賢治を深く見つめていたか、賢治を友とし、賢治と一体化し、そしてまた、三省は三省として、いかに生きたのか、ということがあらためて深く偲ばれる。

4)当ブログ三省関連リストでは、比較的早い時期にこの一冊がでている。だが、賢治に対する予備知識がすくなかった私は、できれば飛ばし読みしたい一冊であった。この本の中に、三省の消息を探し、部族の記録を読み、周辺の情報を嗅ぎ取ろうとしていた。むしろ、賢治にかかわる部分はややもするとおざなりしか読めなかった。

5)しかし、いまは違う。すこしづつ賢治の作品に触れ、その評論に触れ、そして、3.11後における、大きなファクターとしての賢治の姿を期待し、この本から、三省を通した賢治の姿を読みとろうとしている。

6)賢治という実存を、三省という実存を通して読みとろうとしている。読みとろうとしているのは私なのであるから、私もまた、私の実存を賭けてそれらを読みとらなければならないのはもちろんである。賢治や三省を読みとるということは、私が私自身の実存を生きる作業でなければならないのである。

7)宮澤賢治は修羅の人ではあるが、彼の修羅は、修羅を超えたものとしての如来性を自覚しているが故での修羅であり、如来から断たれた修辞学としての修羅ではない。p60「マグノリアの木」

8)三省もまた、野の人として、百姓であり、詩人であり、意識の深みを求める実存の人であったすれば、彼もまた自らの如来性を自覚していたことであろうことは間違いない。

9)ここで私たちがよく見ておかなくてはならないことは、彼は世の中に背を向けていたわけではなく、世の中を恨んでいたわけでもなく、結核という、当時にあっては死病を意味する病気の予兆を身内に持ちながら、ひたすら自分の幸福のために、自分の幸福ということは、自分と共にある人々の幸福のために、その道を歩き始めたのだということである。p83「腐植質中の無機成分の植物に対する価値」

10)三省は、ふるさとならぬ異郷としての屋久島で百姓になろうとしながら、決して世に背を向けたのではなく、やはり、自分の幸福のため、自分と共にある人々の幸福のために、その道を歩いていたのだった。

11)ああ誰か来てわたくしに云へ
奥の巨匠が並んで生れ
しかも互いに相犯さない
明るい世界はかならず来ると

と叫んで見ても、自己を神と録した者に他から助けが来るものではない。自己を神と録したこと、祀られざるも神には神の身土があるとうかつにも録してしまったことが業なのである。
p107「祀られざるも神には神の身土がある」

12)一人で野にあることは、松の林の蔭の小さな小屋にいることと変わりはないが、それは、全体と在ることであり、一人の人間性を超えた何かになろうとしている姿でもあった。

13)賢治が一歩深く歩み入った世界は、父と子とか私と貴方とかの個別の世界ではなくて、法華経という法(ダルマ)の世界であった。p184「玄米四合」

14)科学者や芸術家としての賢治の面は高く評価されつつあるが、その心象としての宗教性を明瞭に評価することは容易ではない。それは賢治を見ようとするこちら側の深く掘り下げ、高く舞い飛ぶ力量を問われるからだ。

15)宮沢賢治はブッダによって開示され外化された真理としての法華経を信受した人ではあったが、それだけでは究極ではなかった。開示され外化された真理を、もう一度もとの自然存在のふところへ帰すこと、つまり、自分が愛した山々や森や峠の土の中にそれを埋めること、そうすることによってもう一度、その山々や森や峠から真理が流れ出すことを願ったのである。p208「み祭り三日」

16)三省もまた、部族というコミューン運動の流れや、屋久島で百姓として生きるという暮らしの中に、真理を思い、世界に向かって祈った。

17)私は私の野の道に立ち、この国家社会の内に生活している限りは、定められた法律を守る努力をするし、定められた義務もできる限りは果たす気持ちでいる。それは、怠惰や臆病からするのではなくて、私がガンジーのような非暴力による変革を希んでいるからであり、平和というものを何よりも尊いものであると感じているからである。

 けれどもそれは、国家を守り国家に賛成することではすこしもない。私の希望は国家にはなく、私達の太陽の下、土の上の野の生活にある。p230「野の道」

18)三省が憲法九条の精神性を語り、核エネルギーに強いアレルギーを示す時、それは単に憲法の問題であったり、健康問題だけが関心ごとではなかった。同じく、賢治が、賢治の暮らしや芸術の中で言わんとしたことは、賢治の暮らしや芸術そのものだけのことではなかった。

19)野にあるものは野でしかない。それで充分である。ここには太陽があり土がある。水があり森がある。風が流れている。大きそうな幸福と小さいな幸福とを比較して、それが同じ幸福であるかrないは小さな幸福を肯しとする、慎しい意識がここにはある。宮沢賢治が、「都人よ、来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ」と言ったのは、このような場からにほかならない。p230同上

20)3.11以後、賢治が多く語られる。すでに80年前亡くなった賢治が今でも生きているかのように私たちに語りかける。そして、30年前に三省が語った賢治が、二重写しになって存在しているかのようだ。彼らの実存がまた、それを読む者に、自らの実存に向き合うことを、暗に薦めている。

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2011/12/19

宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り 重松清他


「宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り」
重松清/澤口たまみ/小松健一/著 2011/07 新潮社 とんぼの本 単行本 p127
Vol.3 No.0569★★★★★

1)震災前の昨年に出版された一冊だが、コンパクトでよくわかりやすく編集されている。たくさんのカラーページがイメージをかきたてる。「春と修羅」の一部を読んでいて、ふと気がついたことがあった。

2)あの四月の実習のはじめの日
液肥をはこぶいちにちいつぱい
光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた
  (コロナは八十三万四百……)
ああ陽光のマヂツクよ
ひとつのせきをこえるとき
ひとりがかつぎ棒をわたせば
それは太陽のマヂツクにより
磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた
p72

3)この「光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた」のところの、光炎菩薩とはなんだろうか。検索してみると、当ブログの「如是経 一名 光炎菩薩大獅子吼経 序品 つあらとうすとら」がトップに躍り出て来る。あ、やはりな、と直感がはたらく。

4)「光炎菩薩大獅子吼経」は、1921(大正10)年10月に登張竹張(信一郎)がニーチェの「ツァラトウストラ」を抄訳と論評をした一冊である。「春と修羅」の中で、賢治のこの文章が書かれたのは1922(大正11)年とされている。

5)宮澤賢治の「春と修羅」は、ニーチェに触発されて書かれたものではなかったか。

6)賢治が東京の国柱会本部を訪れたのは1921(大正10)年1月。トシの急病の報で花巻に帰郷したのは同年8月だった。

7)一方、同じ国柱会の田中智学に傾倒したのが、「文明批評家としての文学者」の中で、ニーチェの思想を個人主義の立場から紹介した高山樗牛だった。

8)太陽からは光や紫外線のほかに、太陽風と呼ばれる高速の電子なども降ってきていて、それがオーロラなどの発生原因にもなている。太陽風が激しくなって太陽風になれば、大規模な停電などを引き起こすことも知られている。賢治はたぶん、そういったさまざまな現象を踏まえたうえで、太陽マジックという言葉をつかっているのだろう。p73「陽光」

9)この本の解説のような捉え方も可能であろうが、むしろここで「光炎菩薩」と明記している限り、ここはニーチェつながりで捉えて、内的な精神活動の発露、とみるほうが正しいのではないだろうか。

10)そう思って検索してみると、中路正恒の 「ニーチェから宮沢賢治へ―永遠回帰・肯定・リズム」という一冊もあるようだ。うん、そうであろう。

11)「詩人は、夢の種さえ植えればいい。 自分で収穫しなくていい。」という考え方があるとすれば、当ブログにおいては、賢治、とりわけ「春と修羅」をニーチェの影響下において発表されたのだ、と捉えたほうが、これまでの流れに即しているし、今後の展開に大きな整合性がでてくる。

12)賢治が「春と修羅」を書き始めたのは、大正11年の1月であり、ヤスと親しくなっていったのと、ときを同じくしている。そしてその出版は大正13年の4月であり、ヤスが渡米する約1か月前のことだ。ヤスとの切ない恋が「春と修羅」を生み、賢治を詩人にしたと言っても、過言ではないのである。p107澤口たまみ「きみにならびて野にたてば---賢治の恋」

13)その名前は大畠ヤス。

14)当時、二人でゆっくりと野山を散策したりするのは、とても難しいことだったかもしれない。けれども私は、「春と修羅」に収められた詩の内容から、大正11年の6月27日、賢治とヤスは二人で北上山地のどこか---おそらくは種山が原あたりを訪れたのではないかと考えている。あれほど自然を愛した賢治が、愛した女性にもその美しさを伝えたいと願うのは、ごく自然な感情ではないだろうか。p111同上

15)著者澤口たまみには「宮澤賢治 愛のうた」(2010/04 盛岡出版コミュニティー)があるが、近隣の図書館に入っていない。

16)むしろわたくしはそのまだ来ぬ人の名を/このきららかな南の風に/いくたびイリスと呼びながら(中略)測量班の赤い旗が/原の向ふにあらはれるのを/ひとりたのしく待ってゐよう

 決して記すことのできない人の名を、賢治は鼻の名前に託して呼んでいる。こんな山中の開拓地でヤスとふたり、慎ましく土を耕して暮らしてゆけたのなら、賢治はほかに、何もいらなかったのだろう。

 「シグナルとシグナレス」にも記されているのだが、賢治とヤスは二人の恋が追い詰められてゆくなかで、どこかで畑でも耕してゆこうと考えたことがあったようだ。p120同上

17)他人の恋沙汰にあれこれ首の突っ込むのは私の趣味ではないが、賢治の作品を理解するうえでは、これらの背景を理解することも大事なことなのかもしれない。しかしだ。他にも「宮澤賢治と幻の恋人 澤田キヌを追って」澤村修治(2010/08)という本もでている。

18)その気になって探してみると、他にも幾人かの女性の影がチラチラする。賢治も、割とポーカーフェイスのプレイボーイだったりしたら、面白いかもな。ないしは、どちらかと云えばタナトスに傾きやすい賢治ワールドだけに、すこしはタントリックな話題でエロスのほうにバランスをとる必要があるだろう。

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2011/12/18

その時、閖上は 小齋誠進写真集

Photo
「その時、閖上は」写真集
小齋誠進 2011/08 有限会社印刷センター P80オールカラー。A4サイズ。税込み1500円。
Vol.3 No.0568

1)いやはや、このような写真集をレインボー評価しなければならないのは、極めて心苦しい。私にとっては、もっとも至近距離にある沿岸部の被災風景である。

2)著者は地震直前に駅からバスに乗り閖上に向かっていた。バスの中で被災し、地震で液状化し、家屋の倒壊した貴重な写真が幾枚も掲載されている。この直後に巨大津波が押し寄せ、その風景も一片に押し流された。ほんの数十分の間の極めて貴重な資料となろう。

3)造り酒屋の酒造店の写真も掲載されている。我が家ではこの町には直接の親戚はなかったが、小学生の頃、この酒造店の酒は、我が家の井戸水で作っていた縁で、遊びに行ったりしていた。あの大きな旧家がこのような状態になっている。

4)こんなこと言ってもしょうがないことだけど、地震だけだったら、被害はかなり限定的になっていたはずである。少なくとも死者は限りなく少なかったであろう。その直後の津波が全てを押し流した。

5)貞山堀そばの同業の事務所では、家族も失い、家も事務所も流された。かける言葉もない。

6)閖上大橋のたもとの五差路付近の風景も絶句する以外にない。同じ時刻ころ、この橋の上流の橋を、私もまた徒歩で渡っていた。道端の車のラジオから漏れてきた三陸地方に津波、という情報は耳に入ったが、まさか、私がいる橋の、ほんの下流に、このような津波が押し寄せているとは、想像もしてみなかった。

7)この写真集は、ほぼ自費出版にような形でだされたものだ。協力者として同窓後輩の市議の名前が載っている。

8)巻末に著者の「閖上4丁目の自宅」として4枚の写真が掲載されている。平成18年5月の改築前の家。平成20年の新築の家。そして今年23年4月の被災後の風景。そして、23年6月には更地になってしまった。

9)被災直後の現場からのデジカメやケータイでの撮影は多いけれど、この写真集はかなり本格的なカメラでの撮影のようだ。ここに掲載されなかった写真もたくさんあることだろう。

10)私にはカメラマンマインドがないので、ほとんど写真は撮影していないが、今から5年ほど前に閖上朝市に行った時に、傍らから朝日を撮影した写真が一枚残っている。私にとっては、被災前の貴重な思い出となってしまった。

Sunrise

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宮沢賢治幻想紀行 新装改訂版 畑山博他


「宮沢賢治幻想紀行」 新装改訂版
畑山博(作家)/石寒太 2011/07 求龍堂 単行本 127p
Vol.3 No.0567★★★★★

1)Vol.3の567番目の登場はこの本となった。新装改訂版となっているから、元本がでたのはいつかとひっくり返してみるが、よくわかない。巻末の「主な参考文献」としておよそ200の文献が列挙されているが、最新のもので平成7(1995)年12月。

2)1904生まれの弟清六が92歳(p27)として紹介されているのだから、やはり95~6年発行の本だと思われる。その本が15~6年の時間を経て新装改訂版として再版されたのは、今年の3.11とは無関係ではない。

3)賢治のふるさと、いわゆる彼のいう理想郷ドリームランド「イーハトーヴ」岩手も被害を受けた。
 そんな東北・宮城の瓦礫の中から一枚の描かれた壁画が遺った。その絵(写真・参照)は、「雨ニモマケズ」の賢治の書いた詩の絵・。宮城県の石巻市の大川小学校の児童たちが描いた壁画である。そこには賢治の「銀河鉄道の夜」の絵も遺こされていた。
p121

Amenimomakezu

4)親戚の小父さんは、この大川小学校出身だ。まともにこの小学校の話題ができない。感情が湧き上がってきて、お互いに話しをすることができないのだ。

5)この本は大判のカラーグラフィックス本だが、「幻想紀行」というタイトルにふさわしく、説明しすぎない写真がゾロっとそろっているので、ファンタジックな賢治ワールドがじわっと広がっていく。

6)そのとき西のざらざらのちぢれた雲のあひだから、夕陽は赤くなゝめに苔の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のやうにゆれて光りました。わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いてゐた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行はれてゐた鹿踊りの、ほんたうの精神を語りました。p50「鹿(しし)踊りのはじまり」

7)昨日、ひさしぶりに高台にある友人宅を訪れて、彼らの小学生の子供が、低学年の時から地元の「鹿踊り」チームに参加していることを知った。この子ども、生まれた時から知っている。この子が、もう何年も前から鹿踊りを踊っていたのか。

8)センダードの地は、イーハトーブとは地続きの隣町である。ここでも鹿踊りがあるというのは、当然のことだろうが、いくつのも困難な歴史を超えて、今だに保存されていて、県指定無形民俗文化財にもなっている。

9)自分のセロを買いこんで、わざわざそれを持っての何度もの上京。でも、けっきょく最後には、ゴーシュのようにうまくはならなかった。
 東京は賢治にとっては夢の畑。あまりにもやりたいことが多すぎたのだ。
 でもそれでいいのだと筆者は思う。
 詩人は、夢の種さえ植えればいい。
 自分で収穫しなくていい。
p71 「夢の種を播いた場所」

10)たしかにこの本はうまくできている。一冊を持っているだけで、実に縦横に賢治ワールドにアクセスできる。ひとつの曼荼羅化されていると言っていい。

11)ふと思った、賢治ワールドをOsho「私の愛した本」と並べて読み進めるのも可能なのではないだろうか。例えば「よだかの星」「かもめのジョナサン」との繋がりで読むなんてのどうだろう。

12)思えば、「私の愛した本」に登場してくる「ツァラトウストラ」「不思議の国のアリス」、タゴールの「ギーターンジャリ」カリール・ジブランでさえ、賢治ワールドとの繋がりで読み進めることができるかもしれない。

13)「宮沢賢治と云ふ人は何処の人だか、年がいくつなのだか、なにをしてゐる人なのだか私はまるで知らない。しかし、私は偶然にも近頃、その人の『春と修羅』と云ふ詩集を手にした。近頃珍しい詩集だ、----私は勿論詩人でもなければ、評論家でもないが----私の観賞眼の程度は、もし諸君が私の言葉に促されてこの詩集を手にせられるなら直にわかる筈だ。(中略)

 この詩人は、まったく特異な個性の持主だ。芸術は独創性の異名で、その他は模倣から成り立つものだが、情緒や、感覚の新鮮さが失はれてゐたのでは話にならない。(中略)

 若し私がこの夏アルプスへでも出かけるなら、私は”ツアラトウストラ”を忘れても”春と修羅”を携へることを必ず忘れはしないだろう」(辻潤「惰眠洞妄語」) p110「売れなかった二冊の本---『春と修羅』と『注文の多い料理店』」

14)辻潤をして、ここまで激賞させている賢治とは、一体何者だったのだろう。そして、いま、ポスト3.11の2011年、2012年の中で、賢治はどのように立ちあがってくるだろう。そのことに思いを馳せるには、この「宮沢賢治幻想紀行」は、大いに示唆的な一冊だと思う。

15)この本で特筆すべきなのは2点。両親とも宮沢家の出身である、ということと、賢治はまつろわぬ人々の末裔ではない、ということ。

16)賢治の両親は、ともに姓を宮沢という。父方も母方も宮沢家である。祖先をたどってゆくと、一人の人物にで行き当たる。つまり遠縁の一族なのだ。その人物とは誰か。江戸中期の天和・元禄年間に京都から花巻にくだってきたといわれる、公家侍の藤井将監(しょうげん)である。この子孫が花巻付近で商工の業に励んで、宮沢まき(一族)とよばれる地位と富を築いていった。(中略)

 いずれにしても、賢治の祖先は、京都からの移民である。つまり、賢治の中に流れている地は蝦夷以来の、みちのくの土着ではない。天皇を頂点とするクニに反逆する血ではないのだ。p106「生涯」

17)この本の著者たちが、なぜにここを強調したのか、そのことは敢えて深追いしないでおこう。東北ということで、まつろわぬ人々の末裔とみたてようとする潮流もないわけではないが(私もその一人)、そこのところに賢治をおいてしまっては、賢治の意味がなくなるだろう。ここの意味を、もうすこし後で考えてみたい。

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2011/12/17

「2010年」 監督:ピーター・ハイアムズ <3>  

<2>よりつづく 

「2010年」<3>
監督:ピーター・ハイアムズ  1984年製作 米113 min 日本公開1985年
★★★★★

1)またまた、このビデオを見てしまった。「2001年宇宙の旅」の続編。小説ではさらに続編があるのだから、いずれはそちらも読みたいと思いつつ、ついついビデオを見てしまう。

2)ストーリーや配役などはもうどうでもいい。3.11を経過した2011年においても引きこまれてしまう。

3)”宇宙にも生命が”
いつか新しい太陽の子と
古い太陽の子は
友達になるだろう
いつの日か 人は
空を見上げて言う
”我々はこの世界の”
”間借り人にすぎない”
家主は契約更新と
警告を与えてくれたのだ

4)さすがにコンピュータ周りのハード面は古びて見えるが、だからこそむしろHALなどの知性を備えたソフトがいまだに越えられない目標としてあるように思う。

5)自然の中で生き、地球の上に生きていく私たちは、これからどう生きていくのか。そのことをあらためて突きつけられる。

<4>につづく

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