「ニーチェから宮沢賢治へ」 <1>永遠回帰・肯定・リズム
中路正恒著 1997/4 創言社 四六判 / 238頁
Vol.3 No.0571★★★★★
1)「ニーチェから宮沢賢治へ」。いいですね、このタイトル。当ブログの流れから言えば、このままでもいいし、「宮沢賢治からニーチェへ」であっても、決して可笑しくない。あるいは「ニーチェと宮沢賢治」でもいいだろうし、「ニーチェあるいは宮沢賢治」でも可笑しくない。「ニーチェ=宮沢賢治」でも場合によっては可だ。とにかくこの二つの存在に対しての論を、いろいろ聞いてみたい。
2)と、勢いづいてはみても、この本は、そう単純な本ではない。1949年生まれの「哲学者」中路正恒の48歳時における、自らの哲学の流れにつけた命名で、そもそも自分では「永遠回帰と肯定とリズムについての思索たち」と名づけていたものだが、友人の示唆を受けて「ニーチェから宮沢賢治へ」となったのだった。
3)一冊の本としてみても、ニーチェと宮沢賢治の間には、フェデリコ・フェリーニ、山中智恵子、森鴎外、伊藤静雄、などなどが挟まっている。
4)本書には、心地よいリズムが波打っている。そのリズムが、ともすれば乱雑に投げ出されたような幾つかのテーマを一気に読ませてしまう魅力となっている。
5)永劫回帰というニーチェのテーマは、肯定も否定もされ得ないテーマなのだが、本書のサブタイトルに敢えて「肯定」という文字が記されているのは、否定すべきなにかに光があたっておらず、肯定すべきものを羅列しているからだろう。あるいは、ボーダーラインにありながら、あえて肯定すべきものとして自己の領域に引っ張ってきてしまうのは、本人の力量でもあろうが、多少は「若さ」によるところも多いだろう。
6)最後に、わたしの将来をだれよりも案じながら、4年前の10月にこの世を去った父に、わたしの、哲学者としてのささやかな出発点となるこの本を、ささげたい。1997年3月6日 p229「あとがき」
7)ともすれば観念的な「わたし」「わたしたち」が語られる本であるが、ちらっと、本人の下世話な意味での実存が見え隠れする一瞬である。それにしても48歳にして「ささやかな出発点」とするような本を出すのは少しく遅すぎはしないだろうか。息子の将来を「だれよりも案じた」父、という時、賢治の父を思い出すし、すでに30代に手が届こうとする子供達を抱えている私にも、胸騒ぎする共通項が思い当たる。
8)著者はこの本で賢治を取り上げるにあたり、「春と修羅」から「原体剣舞連」を引っ張り出す。鹿踊りと並んで、賢治が愛した地元の芸能だ。
9)賢治は、この仮面の人物のペルソナを、この東北の地に伝わる伝説の、悪路王だ、と解釈したのである。平泉の西、達谷の窟に、城塞を構えて立て籠り、征夷の将軍・坂上田村麻呂らに逆らい、そして滅ぼされた賊主、と伝えられる、あの悪路王、として。p208
10)東北、そして野に生きた、という意味では、賢治をまつろわぬ人々の末裔として見ようとするのは、読む者の人情である。
11)賢治の祖先は、京都からの移民である。つまり、賢治の中に流れている地は蝦夷以来の、みちのくの土着ではない。天皇を頂点とするクニに反逆する血ではないのだ。「宮沢賢治幻想紀行」p106「生涯」
12)国柱会の会員として人生を全うした賢治ゆえ、賢治なりの国家観というものがあったはずだが、たしかに反逆する血ではなかったにせよ、天皇を頂点とするクニに自らの理想を見たわけではない。
13)むしろ、クニや蝦夷に対置する以上の存在として、自然をみたのであり、雪の結晶から、銀河や南十字星までの宇宙観に打たれていたのが賢治であった。そして、それを自らの内に見た時、法華経を通じて仏の世界につながり、無や空の世界へと繋がっていった。
14)生の本質的な多数性の、現実に把握され、享受される喜びにもとづく、承認と肯定において、宮沢賢治の思想は、ニーチェの思想と非常によく似た場所にあるのである。ニーチェもまた、生の本質的な多数性の、この承認と肯定によって、意志は根源において一つである、というまやかし的な思想を語る哲学者と対決したのである。p218「『ひとつのいのち』考」
15)二人の思想を似た場所にある、とみるより、当ブログは、あえて、二人を同じ場所においてみる、という試行をしつつある。そしてそれは、まやかしかどうかはともかくとして、「意志は根源において一つである」という場においてみようとしているのである。
16)マンダラとは、基本的には、こうして経験される、宇宙の完全な秩序を表現したもの、ということになるのではないだろうか?---あるいは違うかもしれないのだが。
ところで、私がここに素描したいのは、こうした宇宙の完全な秩序の経験とはやや異なった経験についてであり、また、宇宙には完全な秩序が存在する、と明言することに、一抹の躊躇を覚えずにはいられない者の、<世界についての思い描き方>についてである。p191「カオスモスの変身装置」
17)多様性の中に秩序を見ようとすることこそ、当ブログにおける当面の課題だったわけで、一連の、いわゆるマンダラシリーズはその試行錯誤の結果である。しかし、そこに根源的なひとつのものを見ようとするところに、多少の無理が生じているのも確かなことだ。
18)カオスモス(Kaosmos)という言葉がある。これはニーチェの造語であったか、なかったか、いまは詳らかにしないが、いずれニーチェ的な概念であり、ごはカオス(混沌)とコスモス(秩序)とを合成したものである。
世界はカオスでもなく、コスモスでもない。むしろ両者を複合した一つの流れ、と見られなければならないものだ、ということを語っていよう。人はそこでは、究極の世界を見る/見たいという安住に寄り掛かることができない。p192同上
19)たしかに、寄り掛かりたい、という気持ちがないわけではない。終わって、楽になりたい、という気持ちは確かにある。
20)そもそも、限界を超える格闘のなかに、どうして定まった方向などが存在するのだろうか? 段階とは、所詮は真空恐怖に対するまじないのようなものに過ぎないのではないだろうか。
確認しておくべきことは、自分の限界を超えようとする格闘の現場を離れては、世界の<ほんとうの見え方>など、宇宙の秩序の経験など、何一つ存在しない、ということである。p192同上
21)ここで筆者は<カオスコスモスの変身装置>なる提案を出してくるわけだが、ここからは、各論的であり、それぞれの個性がでるところなので、深追いはしないでおこう。
22)当ブログの言葉づかいで言えば、無であり、空であり、あるいは瞑想であり、あるいはBeyond Enlightenmentである部分が、本著は本著なりのリズムの中で展開されている。あとは、それを自らの実存の中で了解しえるのかどうか、という部分へと進んでいく。
23)3.11以降に、各方面から立ち上がる宮沢賢治への憧憬を、当ブログなりに、予期しなかった方向転換を経ながら、なんとかわが曼荼羅の中心に賢治を置いてみることは可能であろう、という感触は得た。そして、それにはニーチェを媒介にすると、比較的やりやすいということも分かった。そして、ニーチェに不足しているものが、賢治が持っている、ということも分かったし、ニーチェや賢治を超えて、さらに向こうに歩いていく必要がある、ということもわかった。
24)目の前に展開される、現実としての「センダード2011」もまもなく暮れようとしている。この、多様性の曼荼羅の真ん中に、立って歩き始めなければならないのは、ニーチェでもなく、賢治でもなく、私自身なのだ、ということだけは確かなことのようである。
<2>につづく
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