カテゴリー「26)Meditation in the Marketplace1」の104件の記事

2012/07/15

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<42>「Meditation in the Marketplace1」カテゴリについて

<41>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<42>「Meditation in the Marketplace1」カテゴリについて

 環境問題や一般論からはなれて、より身近な自らの日常、特に仕事を見直してみようと始まったこのカテゴリであったが、思った以上に難しかった。

 iPod・nanoをプレゼントされたことをきっかけにして、図書館から借りた宮下富美夫のヒーリングミュージックCDに始まり、書店で見かけた「ジョブズの禅」が気になってジョブズ追っかけにはまり、あるいはピクサーのCGアニメに見入ってしまったのだった。

 手がかりはいくつも残されたが、あっという間に定量の108の書き込みに到達してしまった。このカテゴリはこのままでは収束できないので、後続のカテゴリで鋭意継続することとした。

 書かれたのは2012年5月26日から7月15日まで。再読したいこのカテゴリこの三冊は次のとおり。

「癒しの音を求めて」 宮下富実夫 1999/06 春秋社

「ジョブズ伝説」 アートとコンピュータを融合した男 高木利弘 2011/12 三五館

「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」 <全球時代>の構想力 池田純一 2011/03 講談社

 なお、宮下富美夫には三冊(+α)の本があるが、いずれも甲乙つけがたく、少ないので、三冊とも再読するチャンスがめぐってくることを祈りたい。だが、実際は、音楽家として彼を評価するベースは、その音楽を聞くことにあるのであり、今しばらくはその音に日々耳を(心を)傾けていたい。

<43>につづく

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ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力<1> 池田純一


「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」 <全球時代>の構想力<1>
池田純一(著) 2011/03 講談社 317P
Vol.3 No.0770

 この本はいみじくも2011年3月20日に発行されている。ということは、すでにその一ヶ月前ほどに書店の店頭にならんだのだろうし、編集が終わったのは1月頃だっただろう。もしあの3・11がなければ、もっともっと話題になってしかるべき一冊だったに違いない。

 いつの間にかジョブズ追っかけにはまった当ブログだが、Meditation in the Marketplaceカテゴリを通過するにあたり、この一冊に出会ったのはとても幸運だった。この本については、たしか高木利弘「ジョブズ伝説 アートとコンピュータを融合した男」( 三五館 2011/12)の中で知ったのだと思う。

 この本は新書としてはかなり重厚なもので、本来ならばハードカバー本になるべき内容である。新書にするなら、おそらく4冊に分冊されてしかるべきだろう。

 「ウェブ」編、「ソーシャル」編、「アメリカ」編、そして「全球」編となるべきであっただろうが、しかしまた、これらを強引にひとつのテーマで結びつけたからこそこの本の魅力がでてきたのだろうから、痛し痒しのところがある。

 当ブログの文脈の流れで言えば、一番関心あるところは「全球」編の部分で、本当はそこだけ読めば事足りたわけだが、他の三部編も、それをフォローしてくれている、という意味では、落とすことのできない内容となっている。

 全球という訳語が正しいのか、あるいはどれだけ流通しているのかは不明だが、私個人としては的確な訳語とは思えない。少なくとも語感としてはイマイチである。もとの語は、1968年にアメリカのカウンターカルチャーの教則本のような形で発行されたスチュアート・ブランド編集の「Whole Earth Catalog」に拠っている。

 日本語のカタカナでホール・アースでもやはり間の抜けた感じになるので、他に的確な訳語もないのだろうが、全地球的というニュアンスで問題はなかろう。

 この60年代の一冊が登場するのは、ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式に講演をしたときに、その締めくくりに使われた「愚かであれ、ハングリーであれ」の言葉が実は、「ホール・アース・カタログ」の終刊号の最後のページから引用されていたからである。

 私もこの本を70年代中盤に見たことがあり、その存在感に圧倒された記憶がある。このカタログ雑誌に影響されて日本でもいくつかの本がでているはずだが、たとえば、宝島社からでている「別冊宝島」シリーズなどは、その影響が大きい。

 たとえばその創刊号①は1976年の4月にでているがタイトルは「全都市カタログ First Whole City Catalog」となっている。ちなみに、この号には、当時私たちが出版していたミニコミ雑誌も収録されている。

 さて、この本については、もうすこし継続的に読み進めたいが、当ブログが関心をもつテーマはかなり絞られている。

1)ジョブズはカウンターカルチャーの影響を受けていたのか。

2)パソコンはカウンターカルチャーが生み出したのか。

3)そもそもカウンターカルチャーとは何であったのか(何であるのか)。

4)意識とパソコン(やインターネット)は関連があるのか。

5)今後のネット社会は、どう進化すべきなのか、というビジョン。

 いささか言葉遊びになるが、真善美という三つの基本的な価値になぞらえれば、科学的合理性を追求するGoogleは「真」、ユーザーという人間的なインターフェイスを通じて共同体の構築を進めるFacebookは「善」、触覚を通じた自在性を売りにすることで、ヒューマンタッチを具体化させたAppleは「美」、という具合にそれぞれ基本的な価値を実現していると見ることもできるだろう。p268「真善美のメタファー」

 著者は1965年、静岡生まれである。リアルタイムでは60年代のカウンターカルチャーの波はかぶっていないだろう。2003~2005年当時アメリカに留学したということだが、必ずしも、自らの訴求として60年代的カウンターカルチャーを把握することはできないであろう。

 だから、きわめて意欲的なビジョンを提示してくれているのではあるが、そこここに、どこか豪腕的速球にごまかされてしまい、いまひとつ真実の的を得ていないところが散見される。

 上の真善美のメタファーは、私なら採用しない。当ブログで採用しているのは3コン論。コンテナ、コンテンツ、コンシャスネスの3つだ。ハードとしてのパソコンやインターネットはコンテナ、さまざまなソフト面やアプリ、利用技術などはコンテンツ。

 だが、いまひとつ、コンシャスネスが見当たらず、当てはめるものがない。当ブログはここを探しているのであり、また、すでに仮定あるいは仮想している部分をコンシャスネスとした場合、これら低位のコンテナ、コンテンツにいかにつなげるべきなのかを模索しているといえる。

 全球、とはいうものの、実際は人間は全球を体験することはできない。仮に宇宙から地球を見たとしても、円としては感知できたとしても、球とは感知できない。たとえばグーグルアースでいくらぐるぐる地球地図を回したとしても、裏側を見ることはできない。常に半球しか見ることができない。

 あるいは全球と体験するとした場合、たとえば、口の中に飴玉をほうり込んでしゃぶりまわすようにしなければ、地球を球として体験することはできない。

 つまり、目や耳や手といった感覚では全球にはならない。意識の拡大とはよく言われるが、実際は、意識は拡大などせずとも、すでに最初から最大限であるはずなのである。単に自らの五感に頼りすぎているのが壁なのであって、それを取り払えば、意識そのものが露出するわけだから、拡大などする必要はないのだ。

 そして、ここでもうひとつ付け加えておきたいのは、全球、といった場合の仮想性であって、実際はその中心に人間がいなくてはならない。地球のどこかに二本の足をつけている人間であるならば、すくなくとも半球しかみえないばかりか、自らの視力や聴力の及ぶ範囲のある限定的な部分しか感知することはできないのだ。

 もちろん、インターネットや情報網の発達で地球の裏側の情報まで収集できたとしても、人間としての頭脳は、無限大のCPUとしては活動してくれない。あるいは、脳科学が発達して、その演算してくれたとしても、実際の二本の手と二本の足を持つ、一個の生物としての人間には利用不能な情報が集まり過ぎることになる。

 意識の拡大ではなく、意識そのものを開くこととともに、人間サイズの情報感覚を携えていることこそ、未来の地球人のあり方である。いたずらにフォロアーが何万人、ネットつながりが何百万人と豪語することには、本当は意味がない、と当ブログは主張したい。 

 そのような論点から、この本は、すこし時間をかけて再読、再々読してみたいと思う。

<2>につづく

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ファインディング・ニモ  ピクサー ウォルト・ディズニー


「ファインディング・ニモ」 
アルバート・ブルックス  エレン・デジェネレス  アレクサンダー・グールド アンドリュー・スタントン 2007/06 ウォルト・ディズニー・ジャパン DVD 100分
Vol.3 No.0769★★★★☆

 0歳児と一緒にこういうDVDを見るのも悪くはない。もちろん0歳児は初めてみているのだが、この映画のことを知らなかったのは、わが家では私だけ。結構みんな知っているんだなぁ。

 まぁまぁ、面白くないわけでもないが、実際、自分は一体ここで、何でこのDVDを見ているのだろう、と自問する。

 ディズニー&ピクサーのねらい目あたりはなんとか理解できた。なるほどね。

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2012/07/14

Meditation in the Marketplace<10>マーケットプレイスでの瞑想

<9>からつづく

テーマ「Meditation In the Marketplace」

<10>マーケットプレイスでの瞑想

 いつの間にかジョブズ追っかけにハマってしまい、こちらのテーマ文の進みが遅い。枕元には、ハードカバーのジョブズ伝記が6冊あり、まだ見ていないピクサーDVDが6本ある。それだけでも、このカテゴリは定量の108を超えてしまう。

 どうもこのカテゴリとテーマはここで終わりそうにない。したがって、次のカテゴリはMeditation in the Marketplace2とし、テーマはこのまま継続することにした。

 タイトルもマーケットプレイスでの瞑想とか、市場の瞑想とか、すこし変化をつけてみようかな、と考えたが、いずれも小賢しい気がする。そもそも市場は、いちば、と読むのか、しじょう、と読むのかで、多少イメージが変わる。そもそもの意味は、市井(しせい)であろうと思われるが、ここで市井での瞑想とするのも、なんだかわざとらしい。

 そもそもマーケットプレイスという語は、この語を最初に聞いた30年前ならちょっと違和感があったが、現在では、スマートフォンなどのアプリの販売方式などで広く一般的に使われる語になった。それだけに、誤解を生んでしまう可能性はあるが、それはそれで次の問題だ。

 さらに問題なのは、せっかく宮下富美夫で「瞑想」への足がかりをつかめたかに思った矢先にジョブズ追っかけに入ってしまい、Meditation=瞑想への突っ込みが以前として進まないままである。ここを何とか突破しないといけない。

 ジョブズの禅、という取り合わせの妙がなんとも良かったのだが、ここで禅としてしまうことには抵抗がある。ZEN、あるいは、カウンターカルチャーの流れの中で、もうすこしこの問題をとらえ直しをする必要があるようだ。

 思ったよりも長引きそうな予感がする。このカテゴリは2のみならず3以降も続くことになるのでないか、と思い始めた。

 それはそれでいいだろう。ブッタ達の心理学、や、市場での瞑想、は、マスターOshoの根幹でもあり、当ブログのターゲットの中心に位置する。この辺を延々とやっていくのも悪くない。

 と、ここで方針を決定し、すこしまわり道を始める準備ができた。

<11>につづく

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2012/07/13

ウォーリー ピクサー DVD


「ウォーリー 」
ジェフ・ガーリン* ベン・バート* エリッサ・ナイト*アンドリュー・スタントン* 2011/07発売  ウォルト・ディズニー・ジャパンDVD 98分
Vol.3 No.0768★★☆☆☆

いやはや、なかなか忙しい作品だ。常に躁状態で、おちついて見ていられない。ストーリー構成も分かるし、CGの素晴らしさもわかるのだが、映画として、一人の観客として、じっくりとひとつの作品の中に入りこむということはできない。

 スターウォーズとか2001年宇宙の旅とかETとか、その他、いくつかの他の作品への伏線があり、それを分かっていれば、なお楽しめますよ、ということなのだろうが、どうもそれがうるさすぎる。それこそ、Think simple で言いたいことをもっと絞り込んでもらわないと、見ているこちらは疲れてしまう。

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2012/07/12

図解スティーブ・ジョブズ全仕事 桑原晃弥


「図解スティーブ・ジョブズ全仕事」 
桑原晃弥 2012/01 学研パブリッシング 単行本 189p
Vol.3 No.0767★★★☆☆

 全仕事とはいうものの、ジョブズの人生を細切れにして教訓的に一口サイズに並べたもの。図解とはいうものの、なにやらわからない漫画をこちゃこちゃとおいただけであり、ほとんど見なかった。

 この本で興味深かったところは、「アップルを創った怪物」のウォズニアックの近況について書かれているところ。

 2011年にジョブズが死に、遺作ともいえるiPhone4Sが発売された日、バロアルトのアップルストアにできた行列の中に、ウォズの姿があった。すでに予約ずみであり、アップル本社に電話でもすればいつでも手に入る身分ながら、あえて並んで買ったのだ。長年の友で同志だったジョブズに対する敬意だったのだろう。p144「忘れられたアップルたち スティーブ・ウォズニアック」

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2012/07/11

アップルを創った怪物 もうひとりの創業者スティ-ブ・ウォズニアック自伝


「アップルを創った怪物」もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝
スティ-ブ・ウォズニアック井口耕二 2008/11ダイヤモンド社 単行本 453p
Vol.3 No.0766

 ジョブズ追っかけだけをしていたのでは、やはり本質を見極めることはできない。ジョブズより5歳上の、もうひとりの創業者ウォズニアックからみたら、こうなる。必ずしもジョブズの批判をしているわけでもないし、新たなる視点を加えているわけではない。当然そうだっただろうということの確認なのだが、やはり世に伝わる誤解は解いておかなくてはならない。

 ジョブズについてはテクノロジーとアートを融合した男という評価が高いが、もともとのアップルⅠ、アップルⅡからして、こちらのウォズニアックからしてみれば、自分が創ったものだ、という自負が強い。この自伝を読んでみれば、それは当然だ、と理解できる。

 
「ジョブズは何も発明せずにすべてを生み出した」 という評価はどこまで正しいかは定かではないが、少なくとも初期にアップルⅠ・アップルⅡを「発明」したのはウォズニアックだろう。少なくともテクノロジー的には、そうであると思える。

 この自伝は、自分がインタビューに答える形でライターがまとめたものであり、キチンと書かれているようでもあるし、ある所はきれいに整理されて提示されているようでもあり、こちらもまた単体では確認しようがないところもあるが、少なくともジョブズ側からの一方的な記述だけでは、アップルの総体は把握できない。

 飛行機事故を体験後、アップルから最低給料をもらいつつ業務から離れたあとのウォズが3回結婚したり、80年代に始めてウッドストックの映画を見て、それを自分でやりたいと、2回もビッグコンサートを開いたのは痛快である。へ~そういうこともあったのか、という思い。82年83年のことだから、オレゴンのラジニーシプーラムの時代ともろに重なっている。

 2回離婚し、3回結婚したということだから、まぁ忙しいものだなぁと思う。使いきれないほどの金がある、というのは、余人から見た場合、やはり理解不能だ。汲々として日々を送る人びととはまるで違った人生を送ったことになる。

 この自伝はウォズニアック55歳の時(2006年)の出版である。ジョブズが亡くなったあとの心境なども聞いてみたいところだが、この論調で行けば、大きく変わることはないだろう。

 とにかく、こういう人生だったのだ。

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2012/07/10

バグズ・ライフ ピクサーDVD


「バグズ・ライフ」 
ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン 1998 DVD 製作国 アメリカ
Vol.3 No.0765★★★☆☆

ピクサー追っかけ 第5作目。バグズという単語は、コンピュータのソフトのバグを連想するが、もともと虫食いの意味なので、バグとは英語で虫のことなのだろう。

 主人公たちはアリなのであるが、小さな虫や昆虫たちが出演する。コンピュータCGはさすがに見ごたえがあるが、映画としては常に「躁」状態で、なんだか落ち着かない一作。

 とにかく、こういう作品も手掛けていたということを記憶にとどめておこう。

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2012/07/09

インサイド・アップル アダム・ラシンスキー


「インサイド・アップル」
アダム・ラシンスキー 依田卓巳 2012/03 早川書房 単行本 272p
Vol.3 No.0764

 日本人の執筆陣によるジョブズ伝やアップル・レポートは、比較的、勝者礼賛で一方的なジョブズ善人主義に偏っている。それは、外側に報道された歴史や日の当たる面を中心に書かれていることによる。

 アップルという企業は、特に、1997年にジョブズがアップルに返り咲いて以来は秘密主義を強め、その内部のことがレポートされることがほとんどなかった。内部にいる人間であっても、その全体を知ることがなく、その秘密主義こそが、アップル商品の爆発的な人気を得ていた要因のひとつにも挙げられている。

 企業秘密は、どの企業でもあり、むしろ当たり前のことなのではあるが、アップルにおいてはそれが極端に徹底していて、それがジョブズの性癖によるところでもあり、また、彼が失敗から学んだ経営哲学であったのかもしれない。また、かなり特異な社風ができあがってしまったのは、ジョブズがCEOとして21世紀になってから成功し続けてきていたからだともいえる。

 それに対して、この「フォーチュン」誌記者である著者は、より内部の事情をレポートしている。他の軟弱なカリスマ礼賛の本にはない、鋭い視線が、アップル内部に、そしてジョブズに向けられる。

 それは何も批判の材料をこしらえているわけではなく、一般的な経営理念からややもするとはずれ勝ちなジョブズ=アップルの経営が、本当はどうであったのか、実は彼のほうが正しかったのか、単に運が見方しただけなのか、あるいは他の企業も学ぶべきなのか、さらには、ジョブズなきあとのアップルの今後を占うよすがともなりうるからである。

 たしかに偉大だが「とんでもなくすばらしい」わけではないアップルは、これから輝きを失うかもしれない。だが、がっかりするのはアップルにいつも過大なものを要求する信者だけだ。それ以外の人は、これまでもアップルにそれほど期待していなかった。長い目で見れば、私たちはたんにすばらしい製品を買い続けるだけである。p264「最後にもうひとつ」

 ジョブズ追っかけもだいぶ進んでいる。毒食わば皿までと、まだまだあるジョブズ本をもうすこし読み進めてみようと思う。だが、右往左往しながらも、結局はいままでジョブズやアップルに持っていたイメージは、基本的には間違ったものではなかった。

 社員のひとりひとりが、アップル内部において十分に働きやすい職場だと思っていただろうか。民主的経営をせよとまでは言わないまでも、ともすると、一般的な経営理念や労働環境から外れた道を歩んでいたかもしれないアップルとジョブズは、今後、新たに再検証されるだろう。

 そして、その中でもやはり、iPadをはじめとする一連の製品群と、アップルというとてつもない「世界一」の会社と、世紀の「天才」スティーブ・ジョブズという人間の築いたトリニティは、おおいに話題として取り上げられることは間違いない。

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2012/07/08

スティーブ・ジョブズ奇跡のスマホ戦略<2>

<1>よりつづく


「スティーブ・ジョブズ奇跡のスマホ戦戦略」<2> ポスト・Jobsのプラットフォーム戦争の勝者は?
石川温 2011/12 エンターブレイン 単行本 255p
Vol.3 No.0763★☆☆☆☆

 こちらは徹底したコンテナ論。コンテナ---コンテンツ---コンシャスネス、この三位一体のバランスを重要と見る当ブログとしては、興味が湧かないわけではないが、これではあまりの片手落ちの一冊と見る。

 内容もiPhpne、アンドロイド、ウィンドウズフォン、などの激闘をレポートするのが主であって、スティーブ・ジョブズの名前を冠したのは、時の人ジョブズが亡くなった直後に出版することになった経緯が大きく影響しているようだ。

 巻頭と巻末で ジョブズに触れてはいるが、それは一冊の本として、後付の本のタイトルにふさわしくなるように、ちょっぴり化粧直しをしました、という程度のものだ。

 ひさびさにコテコテのコンテナ論を読んだが、さて、ここに来て気になるのは、リナックス陣営のことだ。アンドロイドはリナックスをベースにしているらしいし、アップルのOSもユニックスをベースにしている。だから、それらの中にリナックスのうごめきは反映されてはいるのだろうが、どうも、話題にはなりにくい。すくなくともこの本ではまったく無視されている。

 少なくとも、この本で紹介されているようなジョブズだけなら、別に当ブログが遅ればせながら、ジョブズ本を追っかける必要はまったく感じない。

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