カテゴリー「29)Meditation in the Marketplace3」の108件の記事

2012/12/21

2012年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

2012年上半期よりつづく

2012年下半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10 

(それぞれの本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの本の感想に飛びます)

第1位 

「日本のエネルギー、これからどうすればいいの?」 中学生の質問箱
小出裕章 2012/05 平凡社
 

第2位

「福島原発事故」原発を今後どうすべきか
小出裕章 2012/04 河合ブックレット 河合文化教育研究所 河合出版
 

第3位

「原発に反対しながら研究をつづける小出裕章さんのおはなし」子どもから大人まで、原発と放射能を考える」副読本
小出裕章/野村保子 2012/04 クレヨンハウス

第4位

「世界が日本のことを考えている」 
3.11後の文明を問うー17賢人のメッセージ
共同通信社 2012/03 太郎次郎社
 

第5位
Houjou_omote_web
「方丈の海」
石川裕人作・演出 TheatreGroup“OCT/PASS” Vol.34 2012/08~09上演 せんだい演劇工房10-BOX box1 石川裕人年表

第6位

「3・11を読む」 千夜千冊番外録
松岡正剛 2012/07 平凡社
 

第7位
Tera
「愛する地球(テラ)に」
 女神は夜明けに舞い降りる 
羽倉玖美子著 2012/11 本の森  
 

第8位

「寅さんとイエス」 
米田彰男 2012/07 筑摩書房  
 

第9位

「インサイド・アップル」
アダム・ラシンスキー 依田卓巳 2012/03 早川書房

第10位

「スティーブ・ジョブズ」 ポプラ社ノンフィクション
パム・ポラック/メグ・ベルヴィソ 2012/01 ポプラ社

次点

「未来への舟」 --草木虫魚の祈り--
おおえまさのり 2012/09 いちえんそう

2013年上半期へつづく

 

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地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<44>「Meditation in the Marketplace3」カテゴリについて

<43>よりつづく 

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<44>Meditation in the Marketplace3」カテゴリについて

1)すでにこのカテゴリ名は定番化している。当面はこれで行こう。

2)書かれたのは2012/10/27~2012/12/21まで。

3)このカテゴリこの三冊は次のとおり。

「演出家の仕事①」  六〇年代・アングラ・演劇革命
日本演出者協会/西堂行人(編)  2006/02 れんが書房新社 単行本 p269 

「演出家の仕事②」 戦後新劇 
日本演出家協会 2007/05 れんが書房新社 単行本 390p  

「演出家の仕事③」八〇年代・小劇場演劇の展開
日本演出者協会+西堂行人 2009/10 れんが書房新社 単行本  305p

4)ほとんどを石川裕人おっかけに費やした。だいぶ彼のことがわかったが、完了したわけではない。まだまだつづきそうだ。

<45>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「Meditation in the Marketplace3」編

前よりつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「Meditation in the Marketplace3」編 


「演出家の仕事①」  六〇年代・アングラ・演劇革命
日本演出者協会/西堂行人(編)  2006/02 れんが書房新社 単行本 p269

Sen
「演出家の仕事②」 戦後新劇 
日本演出家協会 2007/05 れんが書房新社 単行本 390p


「演出家の仕事③」八〇年代・小劇場演劇の展開
日本演出者協会+西堂行人 2009/10 れんが書房新社 単行本  305p

次につづく

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ウォルター・アイザクソン『スティーブ・ジョブズⅡ』 <1>

<Ⅰ>からつづく


「スティーブ・ジョブズⅡ」 The Exclusive Biography <1>
ウォルター・アイザクソン 井口耕二 2011/10 講談社 単行本 430p
Vol.3 No.0896★★★★☆

1)いいたいことはいろいろある。だけど、今夜は暴発ぎみでうまくまとまらない。あとで編集するつもりで、ランダムにメモしておく。

2)ジョブズがパソコンを生み出したとしたら、その最終形はiPadだった、ということはできるのか。

3)だけど、私はどうもアップル派ではない。

4)キーボードは必要だ。工業デザインにそれほど没入はできない。適当にカッコよければそれでいいんじゃないか。

5)ジョブズの仕事は、ジョブズひとりでやったわけではないし、いずれは誰かがやったことではないか。

6)ということは、ジョブズは最終形ではないと感じる。つまり、ジョブズが頑張ったから、そのような軌跡が残ったけれど、それは唯一の必然性ではなかった。

7)そのような時代を、彼は彼として生きた。そこに共感する人々がいれば、それはそれで幸運なことだと思う。

8)だが、彼の理想形は、必ずしも私の理想形ではない。むしろ、いろいろやかましい。

9)彼の人生は他の書籍ですでに語られていることがほとんどだが、やはりこの上下巻二冊を読まないことには、彼の伝記を読んだよ、ということにはならないのだろう。

10)ジョブズは56歳と7ヶ月生きた。石川裕人は59歳と1ヶ月生きた。みんな私の世代だ。そういえば、Oshoも58歳と1ヶ月生きた。みんな早いなぁ。

<2>につづく

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2012/12/19

このようなターゲットの絞り方もあるのか 『演出家の仕事②』 戦後新劇 

Sen
「演出家の仕事②」 戦後新劇 
日本演出家協会 2007/05 れんが書房新社 単行本 390p
Vol.3 No.0895★★★★☆

1)「演出家の仕事①」 六〇年代・アングラ・演劇革命、「演出家の仕事③」八〇年代・小劇場演劇の展開、この二つに挟まれた②だから、七○年代の演劇をまとめるのかと思ったら、そうではない。テーマは戦後新劇である。

2)そもそも新劇とは何か。日本における能や歌舞伎の伝統演劇に対する、西洋ドラマツルギーの影響下で活動してきた新しい演劇のうねりのことである。時にはコミュニズムに影響を受け、時にはそのプロパガンダにさえ利用され、同義とさえ見られる場合さえあった。

3)当然、第二次世界大戦前からそのような活動はあったわけだが、本書においては、敢えて「戦後新劇」というタイトルを使っている。しかし、ほかの「アングラ」とか「80年代」とかのタイトルと同じように、そこにターゲットを絞り込めているわけではなく、そこにフォーカスしつつ、漠然と周囲をにらみこんでいる、という感じの一冊である。

4)もし、わが畏友・故・石川裕人が演劇人ではなく、また石川が自分のブログで「演出家の仕事③」八〇年代・小劇場演劇の展開を紹介していなかったら、当ブログがこの本を読むことはまったくなかっただろう。

5)また、当ブログが純粋に「新劇」に関心を持つこともかなったに違いない。ましてや「戦後」新劇というようなターゲットの絞り込みすることさえ発想できなかった。あえていうなら、石川裕人が、「演劇」にこだわり、「アングラ」にこだわり、その人生を疾走した意味を問うとするなら、「新劇」というものも理解しておかなければならない、という消極的理由によって、この本を読んだのだった。

6)ましてや、文化庁の人材育成事業助成を受けて編集されたシリーズとは言え、①、②、③、という三部作になっていれば、やはり、この一冊に目を通しておかないわけにはいかなかった。

7)当ブログにおいては、若干、苦痛を感じるような読書であった。演劇関連を読んでいると、ネイティブ・アメリカンの一連の著書を読んでいる時のような戸惑いを感じる。例えば、チベット関連を読むとするならば、いずれはチベット密教に集約されていき、マハムドラーゾクチェンあたりに終着すれば、それで一連の読書は完結する。

8)ところが、ネイティブ・アメリカンのスピリチュアリティを、何事かの集約点に終着させようと思っても、延々と終わりがなく、せいぜいティピー・テントやらスエット・ロッジあたりに象徴を見つける以外に、キリがなくなる。

9)演劇関連を読んでいてもこのような倦怠感を感じる。どこまで行けばいいのか、という終着点がみつからない。アングラにおいては寺山修司や唐十郎あたりを象徴的に扱っておけばいいように、どうやら「新劇」においては、スタニスラフスキー・システムとやらに定点を見つけることができれば、一定の収まりはよくなるようではあるが、どうもそれだけでは、全体を理解できない。

10)貝山(武久) もうひとつ、観点を変えるとね、スタニスラフスキー・システムというのがなぜ生まれてきたかという、その演劇史的な見方があると思うんですよ。

 僕はやっぱりね、ギリシャ劇から始まって、中世の宗教劇やエリザベス朝演劇をとおり、それから近世・近代の演劇につながっていく流れのなかで、必要なメソッドとして生まれてきたのがスタ・システムだというのに共感するんですよね。p171「戦後新劇とは何だったか?」

11)とにかく、当ブログにおいては、いきなり戦後新劇などというターゲットの絞り方は無理で、まず、そもそも「演劇」あるいは「劇」とは何か、というところあたりから学び直さないと、なにがなにやら、よく分からないことになる。

12)ふじた(あさや) 日本の場合は、要するに歌舞伎三百年の歴史があって、そこから枝分かれしていって、演劇そのものが興行形態を含めて歌舞伎の様式性をひきずってきたわけじゃないですか。p171「戦後新劇とは何だったか?」

13)場合によっては、このような日本の伝統芸術の歴史を学びなおさなければならない。

14)戌井(市郎) 歌舞伎の旧派に対して新派。歌舞伎じゃなくてその時代の現代劇をやろうというのが新派。新派の出し物は世相劇から文芸作品「不如帰」とか「金色夜叉」。さるいはお涙頂戴の新派悲劇。

 新派から今度は更に、われわれの先輩たちがヨーロッパかrなお近代演劇を取り入れて、そこで新演劇が生まれる。だから、旧派から新派、新派から新しく新劇といいいうことでしょうね。p231「戦後新劇を語る」

15)ここまで来ると、具体的にそれらの一つ一つを知らない外部の人間にとっては、内部の分かる人にしか分からない、撞着的な言い回しということになるのではないか。

16)ふじた(あさや) 旧劇に対して新しいもの、新しいものと作って、「新」が一つじゃ足りなくて、二つくっつけて「新生新派」になったりね。いろいろしながら新劇っていうのができて、これが一つの流れとなってきて、ここからアングラが分かれてる。更にそれが小劇場にどういう形で引き継がれたか分かりませんけど、とにかく新劇をとりあえず否定する形で外へ出て、そこから見たときに新劇っていう言葉が別の意味を持ったと思うんですよね。p234「戦後新劇を語る」

17)こういう語り方は、まったくドメスティックでガラパゴス的である。こういう説明が、地球大で翻訳されたりしたら、外国の人にはまったく意味がわからないだろう。なんでもかんでも「新」をつけてしまえば、合理性があり、正当性がある、という錯覚は、いい加減にしたほうがいい。

18)通念として、劇団四季は左翼の新劇への反逆といわれる。浅利慶太が左翼の政治運動やうたごえ運動に一時没入したのち、離反して四季を結成したとされ、「演劇の回復のために」にも左翼批判的文言が見られるところから、こうした評価が生まれるのには理由があるけれども、左に対する右の反旗とする評価は、四季の歴史的意義を知らず知らずに賤めるものとなる。p324菅孝行「近代日本演劇史への初期劇団四季の貢献」

19)なにはともあれ、当ブログは、石川裕人を通して「演劇」を語るのであり、彼が高校演劇の段階で「新劇」を拒否したのであれば、同時代的に、当ブログも「新劇」は「拒否」することになる。なにはともあれ、石川本人でさえ読んだかどうかわからない本シリーズのこの「戦後新劇」については、そのような背景があったのだ、という程度に感知できればそれでいいだろう。

20)当ブログにおいては、むしろ、もっと大きく風呂敷を広げて、例えばグルジェフのワークも、演劇グループという形で展開したのであり、小さな「戦後新劇」などにこだわるより、もっと「演劇」の本質のグローバルな広がりのほうに目を向けるべきではないか、とさえ思った。

21)このシリーズは、なかなか貴重である。当ブログがもし、もっと「演劇」性について、長期にわたって追っかけてみたいと思うなら、いずれ再読してみる価値はあるだろう。 

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2012/12/16

再読したいこのカテゴリこの3冊「Meditation in the Marketplace2」編

前よりつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「Meditation in the Marketplace2」編

Isi
「石川裕人劇作日記 時々好調」 日記ブログ 2005/9/1~2012/09/23

20100131_885617
「石川裕人百本勝負 劇作風雲録」 劇作ブログ2010/02/03 ~2010.06.21

Coco
「ココロ♡プレス」宮城県復興支援ブログ 2011/11~2012/10 宮城県震災復興・企画部 震災復興推進課 new-T編

次へつづく

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地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<43>「Meditation in the Marketplace2」編

42>よりつづく 

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<43>Meditation in the Marketplace2」カテゴリについて

1)当ブログのタイトルが「地球人スピリット・ジャーナル」に自然と固まっていたことに似て、当ブログのカテゴリは自然に「Meditation in the Marketplace」というところに固まってきてしまった。<1>が<2>に続き、このまま<3><4>と続きそうだ。このままずっとフェードアウトしていっても構わないのではないか、とさえ思う。

2)書かれたのは2012/07/16から2012/10/26までの約100日。フェードアウトしつつあるところへ、10月11日、子供時代からの親友である劇作家・石川裕人が急逝したため、一気に当ブログの予定がブッ飛んでしまった。

3)再読したい三冊は、

「石川裕人劇作日記 時々好調」

「石川裕人百本勝負 劇作風雲録」

「ココロ♡プレス」宮城県復興支援ブログ 2011/11~2012/10 宮城県震災復興・企画部 震災復興推進課 new-T編

4)実は、上記三つはネット上のサイトであり、本ではない。ただ、ここは、我が畏友・故・石川裕人の冥福を祈り、この三つのサイトを再読することで追悼としたい。

5)当ブログは、1024冊=Volを3回繰り返して、まもなく3000冊を迎える。タイトルも固まってしまった。カテゴリのテーマも固まってしまった。このあたりで、自然に固定してフェードアウトしていくのか、大きく転換する地点を求めるのか。

6)なにはともあれ、あと数カ月のビジョンは見えてきた。

<44>につづく

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『世界が日本のことを考えている』 3.11後の文明を問うー17賢人のメッセージ<3> 共同通信社

2>よりつづく 


「世界が日本のことを考えている」 3.11後の文明を問うー17賢人のメッセージ <3>
共同通信社 2012/03 太郎次郎社 単行本 271p

1)もういちどこの本を読みたくなった。今度は最初から最後まで一通り読み通した。三度目となれば、全体を通して、とてもわかりやすく、親密な本であることがますますわかってきた。

2)「大災害を生き延びたわれわれもこの世を去らねばならないときが来ます。だからこそ、なくしたもののことばかり考えず、現在に意識を置き人生を築いていかねばならないのです」。いまだ深い傷を抱えるミャンマー南西部デルタ地帯の被災地で、人々を支え続ける3人の僧侶、ウ・プニャ・サラ、アシン・パラ・サミ、ウパニャ・シリが東日本大震災の被災地を思い、語った。p10「人は自分地震を救わねばなりません」

3)この本は、この3人へのインタビューから始まる。

4)2008年5月2日夜から3日にかけ、ミャンマーの最大都市ヤンゴンや南西部エヤワディ管区のイラワジ川大デルタ地帯などを大型サイクロンが直撃した。住民によると、暴風雨により海水が川を伝い、津波のように町や村を襲った。死者・行方不明者は約14万人、被災者は約240万人、被災遺児は数千人から数万人いると見られる。国連食糧農業機関(FAO)は、マングローブ伐採と乱開発が、被害を拡大したとの報告を発表した。p11同上

5)私はたった数年前に起きたこの天災(人災)にどれだけ注意を払っていたことだろう。いや、遠く離れてしまえば、国内の阪神淡路大震災でさえ、リアリティを持って感じることはなかったかもしれない。3・11、今回は身近な、ごくごく近い足元に起きたことだったから、避けるに避けられないこととなってしまった。

6)「あのサイクロンから3年たった今も人々は、喪失の痛みから抜け出せていません。われわれは心と身体を制御できるよう瞑想の方法を教えています。苦しみは過去と未来にばかり思いを置くことから生まれるのです。

 瞑想では、苦しみに意識を集中させるのではなく、生命活動の基本である自分の呼吸に意識を集中させます。心をさまよさせず、現在の自分に集中することを習得するのです。

 これにより、苦しみを完全に忘れることはできませんが、軽減できるようになります。苦痛もまた、永遠ではありません。これが自分を変えるもっともよい方法なのです。

 人は自分自身を救わねばなりません。自分を救うのは自分以外にはないのです。神でもほかの人でもなく、自分自身なのです」(ウ・プニャ・サラ) p17 同上

7)13人に及んでいるインタビューのトップバッターであるこの人々によって、すでに、私が一読者としてこの本から受信すべきことは語り尽くされているのではないだろうか。

8)宗教は言葉だけではなく、行動が伴ってこそ意味を持つのです。善は言葉だけではなく行動を伴って達せられると仏陀はいっています。わたしは僧侶という仕事で奉仕することで、自分自身を救い、心の平安を得ているのです」(ウ・パニャ・シリ) p16同上

9)私は瞑想することによって、自らを救い、カウンセラーという役割で、あるいは日々の仕事で、行動のともなった意味ある活動をし得ているだろうか。

10)「僧侶の仕事は、精神的な痛みを軽減する手助けをすることです。人は、過去の苦しみをすべて忘れてしまうことはできません。現実を受け入れて現在を生き、道徳を守って生きていくことは人生を歩んでいくうえでとても大切なことです。これができれば結果的に亡くなった子供たちを救うことになると、ある母親に話したことがあります」(アシン・パラ・サミ) p17同上

11)ここまでくると定型的な仏教的応答と感じてしまうことになるが、それでも、ミャンマーの被災地という現場にあって、行動をともなう活動をしている僧侶たちの言葉には、計り知れない説得力がある。

12)「・・・40年前の米国やドイツがそうだったように、どの国も減速期を迎えるものです。日本もかつては朝鮮半島、中国の半分、東南アジアを占領し、真珠湾を爆破して米国を攻撃する恐るべき国でした。結局は敗戦に終わりましたが、世界中を驚かせました。

 英国、フランスもかつては世界のまさに頂点にいましたが、今はそうではありません。それでも彼らは依然創造的で賢い人々です。トップでなくなってもよい国をつくっていけるのです」 p212「『希望』のナショナリズム」ベネディクト・アンダーソン

13)人が内面に入るとすれば「瞑想」だろうが、外側で人に対峙するのは「国」なのか、「自然=地球環境」なのか。

14)「・・・・第2次世界大戦のあと、日本は経済再建に成功し、日本人は再び自信を持つようになりました。日本はすべての原子力発電所をチェックし、より安全にするための措置をとるべきだ、とアドバイスします。

 2004年に起きたスマトラ沖地震ではインドにも津波が押し寄せました。だから、インドは地震と津波に耐える原発を設計するようになりました。国家の境遇に見合う技術の開発は、どの国も行っているのです」p191 「科学者は難問に立ち向かえ」アブドル・カラム

15)アブドル・カラムは「インドの核ミサイルの父」と呼ばれる科学者で、2002年から07年までインドの第11代大統領を務めた。1931年生まれだから、Oshoと同じ年にインドで生まれた。電灯もない南部の貧しいイスラム家庭に生まれ、毎朝4時に起きて新聞配達をしながら学校に通った、という。

16)個人的には立志伝中の人であり、素晴らしいライフ・ストーリーを持っていることだろう。しかし、こと核問題については、この本の13人の中では、最右翼である。私個人は、アントニオ・ネグリの「マルチチュード」に惹かれてこの本を手にとったわけだから、まったく対極にある意見であるので、簡単に彼の言説を認めるわけにはいかない。

17)ある調査によれば、あと数十年すると、世界経済ではGNPの順位は、中国、インド、アメリカ、日本、という順番になるという。中国もインドも、「経済」隆興に向かって疾走しているのだ。もし、インドがアメリカや日本を抜いて経済隆興するなら、このアブドル・カラムという人物の仕事は、大いに貢献していることになる。

18)しかし、地球人全体として見た場合、「核」に対する共通認識は、これではまずい。そんな段階はとっくに通り過ぎてしまったのだ。このオムニバス本の中で、この人物のような意見が無視され抹殺されることは好まないが、主流になられては困る。

19)どれだけの日本の言論人、日本の人が、自分の行き方と、現在の世界のあり方とを直接に結ぶ、そのようなあり方を自分の流儀として生きているだろうか。

 わたしが言うのは、もし1メートルの物差しがあるとしたら、どれだけの人が日本で、一方の端のゼロぎりぎりのところと、他方の1メートルギリギリのところの二つを含んで、両手を広げ、自然体で、両端を手に、考えているだろうか、ということである。

 中間の20センチから他方の80センチくらいのところ、日本の社会や政治や経済、文化にあたるあたりを詳しく、深く、考えている人が大半なのではないだろうか。

 日本の言論は、自分に見えない世界の人々への共感と、また社会から見えない自分のない奥のささやかでちっぽけな感情への顧慮の部分で、欠けている。萎れている。

 みんなが似たところにスポットを向け、一方、両端が、暗い。そういうことを、この本に収められた特にアジアとラテンアメリカ、アフリカの政治家、運動家、僧侶、芸術家たちのインタビューから、わたしは、感じる。p267加藤典洋「世界から、そして世界へ」

20)今日は国政選挙である。自らの意見を託するには、どの候補者でも、どの政党でも、納得がいかない。しかし、この選択肢の中から、なにごとかの表現をしなければならない。絶望するには早すぎるだろうが、希望を持ち続けるには、もう時間が少ない。

21)当ブログが、1メートル全体に対して興味を持ち続けることは困難だとしても、加藤いうところの両端20センチのところに対して、「欠けている」とか「萎れている」などと評価されることは好まない。

22)この本はなかなかバランスがいい。そのうち、また手にとってみたくなるだろう。

<4>につづく

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2012/12/15

再読したいこのカテゴリこの3冊「Meditation in the Marketplace1」編

前からつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「Meditation in the Marketplace1」編


「癒しの音を求めて」 宮下富実夫 1999/06 春秋社


「ジョブズ伝説」 アートとコンピュータを融合した男 高木利弘 2011/12 三五館


「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」 <全球時代>の構想力 池田純一 2011/03 講談社

次へつづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」編

前からつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「プレムバヴェシュの孫たちとの対話

Photo
「ベルゼバブの孫への話」 人間の生に対する客観的かつ公平無視なる批判 G・Iグルジェフ

Pon0
「トワイライト・フリークス」 黄昏の対抗文化人たち 山田塊也

Gary_snyder
「The Back Country」 奥の国 Gary Snyder

次へつづく

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