単行本: 650ページ 中央公論新社 (2013/3/8)
Vol.3 No.0963★★★★★
1)図書館ネットの新刊本リストにこのようなタイトルが並んでいると、無視はできない。だが実際に手にして見ると、最初にイメージした本とはまったく違った。なんと、650ページである。
2)著者のこの手の本は、何冊か読んできた。
「ぼくはこんな本を読んできた」1995/12 文藝春秋 単行本 311p
「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」 2001/4 文藝春秋 単行本 407p
「ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊」2007/01 文藝春秋 単行本 541p
3)総じての感想は、フムーー、というところである。決して面白くない訳ではないのだが、いまいち焦点のピントがあらぬ方向を向いている。
4)今回、目をとおして思った事は、この人の本は、天ぷらのコロモのようだな、ということ。中身は自分で用意しないといけない。ましてや串カツのようなものだったりすれば、少なくとも串そのものをこの人に求めてはならない。
5)今時、このような本がでるのは、立花隆か松岡正剛くらいだろうが、正直、どちらもイマイチである。松岡のこのシリーズ「松岡正剛の書棚 松丸本舗の挑戦」2010/07 中央公論新社 は127ページだ。
6)何故にこちらの「立花隆の書棚」は、ハンパじゃない写真が加えられているのだろうか。およそ20万冊以上と推定される本棚が写し出されている。この手の企画をこの頃、雑誌などで小さなスケールで見かけるように思うが、ことこの本においてはちょっと悪趣味だと思う。
7)1940年生まれの著者が、仮に70年間平均して本を読み続けてきたとすると、年間2800冊以上読んできたことになる。一日に一日に7、8冊をコンスタントに読み続けることは可能だろう。積ん読やら、速読やら、資料としての部分読みなら、それもあり得るだろう。だが、それらをすべて購入し、手元に蔵書出来る個人など、著者のような特殊な人種以外、まずいない。
8)経費だけでも月数十万。全体では数億円が軽く吹っ飛んで行く。それを保管する空間の維持費を考えれば、尋常な行いとは、とても言えない。
9)そもそもこの人の商売は物書きなのだから、その材料の資材置き場と理解すれば、少しは納得出来る。大工さんが木材を集め、陶芸家が土を集める。鉄工場が金属をストックし、肉屋さんが養豚場を経営する。まぁ、それに近いものと理解することにしよう。
10)1940年生まれの立花隆といい、1940年生まれの松岡正剛といい、もうすでに鬼籍に一歩づつ近づいている世代である。戦後に少年時代を送り、バブルと共に人生を謳歌した世代であり、モノに執着するのは、むべなるかな。
11)彼らの後の世代なら、サッサとITを導入し、蔵書のストックはクラウドに任せ、身軽になって、とっくにノマド・スタイルに切り替えているのではないだろうか。少なくとも、彼らのスタイルを羨ましいと思うのは、彼らと同世代だけだろう。普通なら、こいつら、どこか可笑しい、と感じる筈だ。
12)何はともあれ、この本の中での一番の違和感は、原発推進派的な言動。
13)そこに、スリーマイルで起きた原発事故の後、凍結していた原発新設を近年一斉に認可するようになって、「原発ルネッサンス」と盛んに唱えられているわけです。
日本の東芝がウェスチングハウスという巨大原発企業を買収したのも、その流れに乗ってのことなのです。この流れの中から、アメリカではユニークな原発の開発がいくつか始まっています。その中で一番有名なのが、東芝とビル・ゲイツが一緒に開発をすすめている小型原発です。p111「ネコビル一階」
14)この小型原発の推進派である「ガイア仮説」のジェームズ・ラブロックや、彼に傾倒する「ホール・アース・カタログ」のスチュアート・ブランドを、「勘違いをして、勇み足をしたにちがいない。」と断じている松岡正剛とは一線を画している。
15)現在の日本においてもっとも信頼できる原発科学者である小出裕章氏は、「福島原発事故 原発を今後どうすべきか」(2012/04 河合文化教育研究所)の中で、小型原子炉の可能性を明確に否定している。
16)立花隆の読書ワールドは多岐に渡り、当然ながら、当ブログの関心領域と、大きく重なり合う。臨死体験、ウィトゲンシュタイン、神秘主義、原発、脳、ガイア、ファインマン、性、ウスペンスキー、オウム真理教、数え上げたらきりがない。
17)しかしながら、20万を超えるというその蔵書のまとめが、この本だとして、さて、この本のまとめはどこにあるのか・・・・? 結局、そこは分からない。そしてまた、その疑問符は、わずか3000冊とは言え、読書ブログを書いてきて、そのまとめは一体どこにあるのか、という当ブログの「焦り」でもある。串は串、自前で探さなくてはならない。
18)同じく20万冊の蔵書家ということなら、、私はOSHOの「私が愛した本」に、大きく軍配をあげる。世代も1931年生まれと、立花隆のひとつ上の世代だが、同じく、本に執着したOSHOが、もし現代に生きていたら、そして、これからそれを受け継ぐ私たちは、知を愛するとして、このようなビルまで立てて自らの蔵書を誇ることは、あるだろうか。
19)むしろ、これからは、クラウドに電子書籍として保存し、友人たちと共有することによって、より大きな集合知に至るのではないだろうか。
20)出版界も、もうそろそろ、こんな「くだらん」本を印刷出版するのは、やめたほうがいいのではないだろうか。苦労して撮影された写真群は、たしかに美しいけどね。
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