カテゴリー「05)Mindfulness in the Modern World」の108件の記事

2017/02/12

「続・彫刻刀で楽しむ仏像」関侊雲他<19>

<18>からつづく

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「続・彫刻刀で楽しむ仏像」[釈迦如来・聖観音菩薩] <19>
関侊雲(監修), 河合宏介(写真)  2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 単行本 176ページ

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<20>につづく

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地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<65>「Mindfulness in the Modern World」カテゴリについて

<64>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<65>「Mindfulness in the Modern World」カテゴリについて

1)書かれたのは 2016/12/21~2017/02/12の間の55日。

2)「再読したいこのカテゴリこの3冊」は次の通り。

「続・彫刻刀で楽しむ仏像」関侊雲他   2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 

「2001年宇宙の旅」 スタンリー・キューブリック監督   1968 

「Mindfulness   in the Modern World」OSHO 現代世界のマインドフルネス How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? OSHO 2014/04 Griffin

3)最初からこの三冊で行こうと決めて、最後までこの三冊で進んできた。今後数カテゴリにおいて同じテーマが続くことだろう。

4)英語表記から日本語表記に変えて、次なるカテゴリは「現代社会におけるマインドフルネス」となる。

5)私は2061年に生きているわけでもなく、ましてや3001年に生きているわけでもない。あるいは、1300年前に生きているわけでもなく、2500年前に生きているわけでもない。2017年のこの地球に生きているのである。私が私として。

6)読み方はなんであれ、瞑想でもマインドフルネスでもいい。手垢がつかず、より率直な表現であれば、何事かを成しうる。

7)わがマスターはOSHOである。そう決めて生きてきたのだから、そうならざるを得ない。それが許されてきたのであるし、そうあることこそが自分にとっては一番ふさわしかった。

8)「現代社会におけるマインドフルネス2」 つづく。

<65>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「Mindfulness in the Modern World」編

前からつづく  

再読したいこのカテゴリこの3冊
Mindfulness in the Modern World」

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「続・彫刻刀で楽しむ仏像」関侊雲他   2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 

「2001年宇宙の旅」 スタンリー・キューブリック監督   1968

「Mindfulness   in the Modern World」OSHO 現代世界のマインドフルネス How Do I Make Meditation Part of Everyday Life?
OSHO 2014/04 Griffin

<後>につづく

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OSHO 「瞑想―祝祭の芸術」<7>

Ma<6>からつづく

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「瞑想―祝祭の芸術」 <7>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1981/03 めるくまーる 単行本 440ページ

 死とは、表面的な生、取るに足らぬいわゆる「生」からの扉だ。そこには扉が在る。その扉を通り抜けたら、あなたはもうひとつの生に達する。より深い永遠の生、死なき生、不死なる生に----。 

 だから、実際死ぬこと以外の何ものでもないいわゆる「生」と呼ばれるものから、人は死という扉を通り抜けてゆかねばならない。そうしてはじめて、人は、本当に実在的で活動的な生、不死の生に到達するのだ。 

 しかし、その「扉は非常に意識的に通らなければならない。私たちはこれまで何回も死んできた。が、人は死ぬとき必ず無意識になる。あなたは死を非常に恐れているから、死が訪れる瞬間あなたは無意識になる。 

 あなたは無意識状態でその「扉」を通り抜ける。それからふたたび生まれ、同じナンセンスがそっくり始まる。そしてまたしてもあなたは死とかわかわらない。 

 生よりむしろ死のほうにかかわる人は、「扉」を意識的に通るようになる。それこそ瞑想によって意味さえていることだ。はっきり意識して死という扉を通こと----。意識的に死ぬということこそ瞑想だ。 

 しかし、あなたは死を待つことはできない。また待つ必要もない。なぜなら死は常に存在するからだ。死はあなたの内部に存在する扉だ。それは遠い未来に起こるものではない。それはあなたが到達しなければならないような外部のものではない。それはあなたのなかにあるひとつの扉なのだ。 

 死という事実を受け入れ、それを感じ、それを生き、それを意識するようになるやいなや、あなたは内なる飛び粗を通して落ちはじめる。その扉が開く。そしてその死の扉を通して、あなたは永遠なる生を一瞥しはじめる。死を通してはじめてhとは永遠なる生を垣間見ることができる。 

 ほかに方法はない。したがって実際のところ、「瞑想」として知られているものはすべて意志的な死にほかならない。内なる深化、内なる沈潜、内なる下降、表面から離れて深淵へと入ってゆくことにほかならない。

 むろん、その深淵は暗い。表面を離れた瞬間、あなたは自分が死ぬように感じるだろう。生の表面を自分自身だとみなしてきていたからだ。表面の波はただ水面の波ではない。あなたはその水面の波と自己同化してしまっている。あなた自身が水面になっているのだ。 

 だから水面を離れるとき、あなたは単なる水面を離れるだけではない。あなたはあなた自身を、あなたの存在証明を離れる。過去や心(マインド)、記憶を離れるのだ。あなたは死んでゆく・・・・・。

 そしてあなたにこの意志的な死を死ぬ用意があってはじめて----深く自分を超えて進み、自己を離れて表面を超越しはじめて-----あなたは真実(リアリティ)に到達する。そしてその真実は永遠だ。p216 OSHO 「全面的な欲望:無欲への道」

<8>につづく

 

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「国際SFシンポジウム全記録」 日本SF作家クラブ <1>

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「国際SFシンポジウム全記録」 冷戦以後から3・11 以後へ <1>
日本SF作家クラブ (編集) 巽 孝之 (監修),  2015/08 彩流社 単行本 254ページ
No.3893★★★★★

1)クラーク 「2001年宇宙の旅」の筋書はいま、あなたがご紹介下すったようなわけです。人間とは何かそれ以上にすぐれた存在というものとの接触は(必ずしも常にすぐれたとは限らないでしょうが)SFの一番古いテーマなんですね。

 これはある意味においては昔の昔話的なものからうまれたものかもしれません。たとえば怪物であるとか魔物であるとか、そういったイメージからの産物化もしれません。

 しかし、今日ではそれがひじょうに重要になっているのです。宇宙研究家も、天文学者も生命というのは実は宇宙にたくさんあるのだといいはじめています。

 何億、何十億とある天体の中に生命がないと考えることのほうが不合理な、考えられないことです。

 したがって、われわれ人類というのは、この天体において比較的その歴史は若いわけで、せいぜい数十万年という、宇宙の歴史から考えれば、ほんの一瞬といっていいほどのわずかな歴史しか持っていないわけですね。

 したがって、この実際の全宇宙系の序列から見ると、人類は一番下のほうにあることになる。ですから、いずれ、どこかほかの天体の生物の存在が観測機械でわかるかもしれませんし、また、ここへくるかもしれません。また、われわれのほうが他の星へ行って、そういう生命に接触するかもしれません。

 そんなわけで、こうした人類以外の代物との接触は-----ある場合には人間より優れていることもあるでしょう----もはや単なる空想ではなくて、現実になりつつあると考えていいと思います。p41 アーサー・C・クラーク(小松左京との対談 1970/09/24 NHK教育TV放映)

つづく

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「郷土の文化財」名取市自作教材グループ

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「郷土の文化財」
名取市自作教材グループ DVD 14分45秒 名取市図書館所蔵
No.3892★★★★☆

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1)ついでに借りてきたDVDであったが、大きな収穫があった。実は、現在進行形の彫刻薬師瑠璃光如来が完成したら、次は、茅葺農家のジオラマを造ろうと思っているのだ。先年、遠野に遊んだとき、博物館で見たジオラマで火がついた。

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2)名取の郷の我が生家は当然ながら、曲がり家ではないのだが、ちょうど、この資料DVDにでてくる洞口家と旧中沢家住宅のちょうど中間くらいの大きさだった。

3)これに冠木門(かぶきもん)がついていた。

Photo_34)資料は少しづつ集めているのだが、そうそう1976年当時、近くの工業専門学校建築家の先生が実施調査したデータがあるはずだから、それを探し出して、詳しく再生してやろうと思う。

5)こちらは仙台市指定文化財の石垣家住宅

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5)おそらく、母屋の大きなモデルと、屋敷全体のモデルと二通りになるだろう。古い写真も探し出しておこう。

6)冠木門についての記述している家もある。(名取市高舘地区)

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「熊野神社歴訪」 宇井 邦夫

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「熊野神社歴訪」
宇井 邦夫   (著) 1998/11 巌松堂出版 単行本: 305ページ
No.3891★★★★★

1)さらに同社(編注:名取熊野本宮社)の由来の中には、本家争い的な表現も見られる。

当社長岡の郷より当所により紀州より本文に勧請以来高橋伊豆毛が奉仕したが^、その子孫は新宮建立後、防舎株を他に譲渡し、他村で一寺を開いた。

中世乱世の際、種々の変動あり、さらに京師流落の浮屑(僧侶)氏等来り、当地に熊野三社宮(又世は熊野三所権現という。今の熊野新宮社)を建立して以来、当社を単に十二神、甚しきは十二神薬師堂とさえ称するようになった。

こうして当社は、いつしか本宮社或は十二神社と称するに至り、名取熊野堂の熊野社といえば、三所権現、即ち新宮のみが世に知られるようになった。p39「宮城県」

2)この一書は、極めて重要な記述が多く、再読、再再読が必要である。今回は急ぎにて、この部分だけで、他は割愛した。

3)少なくともここで分かることは、「おらが名取の『言い伝え』」(年代不詳 名取市農業協同組合)で伊藤わくり(当時70歳)が語っていたことはほぼ事実であり、薬師十二社権現は、新宮ではなく、本宮のことであることがほぼ確定した。

4)行政などによる記録資料では、三社それぞれに「公平」に記述されているために、細かな状況が省かれ気味であるが、個人や言い伝えでは、そのあたりの細かな機微がキチンと伝えられていることが多い。あらためて、種々な資料にあたる必要を強く感じる。

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「おらが名取の『言い伝え』」 名取市農業協同組合

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「おらが
名取の『言い伝え』」
名取市農業協同組合 年代不明 B5版 64ページ 名取市図書館所蔵 
No.3890★★★★☆

1)「十二神の地名の由来」 熊野堂 伊藤わくり(70歳)

 本宮社は元、「薬師堂十二社権現」と申しておりました。薬師堂とは薬師如来をお祀りしているお堂のことで、薬師如来には十二の脇侍の神将がその如来様の脇に控えているのが定まりです。そのことから「十二神」という部落の名が生まれたと聞いています。参考までに十二神将とは次の神様達です。

一、クビラ大将
二、バザラ大将
三、メキラ大将
四、アンチラ大将
五、アニラ大将
六、サンチラ大将
七、イングラ大将
八、ハイラ大将
九、マコラ大将
十、シンダラ大将
十一、ショウトラ大将
十二、ビガラ大将

 この十二神将は、薬師如来の信仰者を守護する役目を与えられた神々で、その頭には十二支の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を載せています。

 本宮社のご本尊の周りにお建ちになっている小さなお宮には、各々二柱の神様がお祀りされているそうです。

 薬師如来様の信仰は諸悪病を除くという効能・ご利益があるとされて病気を治す神様なのです。十二神様は人間の病ばかり治すのではなく、農作物、とくに稲の病虫害を除くという御利益があるとされ、昔は「烏牛王」(からすご)という御幣を苗代作りの頃部落の氏子に頒布していました。

 この御幣を苗代の水口に挿して、今年の豊作を祈念していた習わしがありました。ありがたいことでした。終わり。(高舘十二神老人クラブ所属)p14

2)この文章を読む限り、名取熊野新宮の本地仏ばかりか、名取熊野本宮もまた薬師如来との縁が深く、「薬師堂」とまで呼ばれていることが分かる。

3)私たちは同じ市内ながら離れた地区だったので、この地域のことを「クマンド」と呼び習わしていたものだが、この地域の中にあっては、さらに細かく呼称がついていたのだろう。

4)それにしても、お薬師様は人気があるものだ。

5)残念ながらこの自主出版のパンフレットには発行年が記していない。1988~1990年頃に発行されたものと推測される。その当時の70歳とすれば、現在の2017年からさかのぼること100年くらい前に生まれた方だろうか。

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「熊野信仰と東北」 名宝でたどる祈りの歴史

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「熊野信仰と東北」
 名宝でたどる祈りの歴史
「熊野信仰と東北展」実行委員会 2006/07 東北歴史博物館内 大型本 p223
No.3889★★☆☆☆

1)この展覧会での熊野神楽の公演はDVDとして名取図書館に収蔵されている。

2)閖上浜に揺りあがった神仏像は、719年に高館山に羽黒飛竜権現として祀られることになった。名取老女が熊野三者を勧請したとされる保安4(1123)にさかのぼるところ400年前である。

3)つまり名取高館山は、熊野信仰の聖地となる前は、出羽三山の修験道の影響下にあったと思われる。

4)羽黒とは、羽黒山のことであろうが、羽黒とは黒い羽根、つまりカラスを意味することになる。出羽地方にそびえた三山(あるいは四山)は、それまでの経過はともかく、やがて熊野信仰と習合していくことになったのだろう。

5)出羽三山の開山は千四百年余前の推古元年(593年)といわれています。第32代崇峻(すしゅん)天皇の御子である蜂子皇子が、聖徳太子の勧めにより、宮中を逃れ、越路(北陸道)を下り、能登半島から船で海上を渡り、佐渡を経て由良(現鶴岡市)の浦に辿りついたところ、三本足の大きな鳥が飛んできて、羽黒山へ導いたといいます。山形県HPより

6)出羽三山に湯殿山が加わったのはのちのことで、最初は月山、羽黒山に鳥海山(あるいは葉山)が三山と称されたようだ。それぞれに本地仏がある。

7)熊野三山の本地仏は、聖観音、薬師如来、阿弥陀仏、とされるが、このトリニティに出羽三山も対応することとなり、名取熊野三山もいずれ対応することとなる。

8)聖観音とは、観世音菩薩のことであろうか。

9)現在確認できているところでは、名取熊野新宮の本地仏は薬師瑠璃光如来であり、観世音菩薩への道もそれなりについている。しかし、当ブログとしては、いまだ阿弥陀仏は模索中である。縁があるのかないのか。トリニティはつながるのか、つながらないのか。

10)さて、羽黒飛竜権現の、飛竜とはなにか? 閖上浜から光となって名取高館山に夜な夜なとんだという故事から飛竜の名を賜ったのだろうか。

11)この神仏像は、今でも熊野那智神社にあるという説と、神仏分離令のもと、別当寺の奥州三十三観音霊場第一番の紹楽寺の御堂に保存されているという説があるが、秘仏ということで公開されていない。これからの散歩探索の楽しいテーマになりそうだ。

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「オープン化する創造の時代」著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論 ドミニク・チェン

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「オープン化する創造の時代」著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論
ドミニク・チェン   (著) 2013/06 (カドカワ・ミニッツブック) Kindle版 ファイルサイズ: 1475 KB
No.3888★★☆☆☆

1)この本(?)、図書館の司書にリクエストしたが、確認できないと拒否された。よく見えれば、これは電子本でしか存在しないので、図書館に取り寄せてもらう、ということはできないのであった。

2)ネット上ではサンプル版を見ることができるので、その雰囲気を知ることはできる。値段も少額なので全文読めないわけではないが、そこまでして私はこのドミニク・チェン追っかけに夢中になることはできなかった。

3)これで現在一般に流通しているこの書き手の本には一通り目を通したことになり、残る一冊「シンギュラリティ」人工知能から超知能へ( マレー・シャナハン 2016/01 NTT出版)は監訳なので、著書とはいいがたい。あとがきなどに意味ある一句などを見つけたりするかもしれないが、今となってはあまり期待しないでおく。

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