地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<62>「Oh my Love 」カテゴリについて
<62>「Oh my Love」カテゴリについて
1)本来このカテゴリは、最初「Osho my Love」と銘打ってスタートしたものだった。カウンターカルチャーでもなければ、エソテリック・ワークでもない。わが道はど真ん中、反でもなければ非でもない。新、あるいは真だ、と見極めた(つもり)でスタートしたカテゴリだったが、途中であっさりと、Oshoというタイトルは捨てた。
2)物事はそう簡単には進まない。ラベルだけ変えても中身は変わらない。あるいはラベルに依存する、その軟弱な体質が見透かされてしまったということであろう。
3)ならば、Loveとはなにか。短刀をのど元に突きつけられて、結局、日々起こる仔細事のなかから、話題はパソコンとクルマに集約されていった。思えば、このパソコンとクルマ、それに庭いじりや市民農園やクラインガルテンにおける畑仕事を加えれば、三大話となり、わが生活を物質化した、ごくありふれた日常となった。これこそがわが愛なのか。
4)このカテゴリは「OSHO ZEN TAROT」の再録から始まった。このカテゴリは、このテーマに終始していけばそれで上がり、というイメージもあった。
5)しかしトンデモない。物事はそう簡単ではなかった。むしろ途中で、話は逆転し、あるいは深化し、すべての「OSHO ZEN TAROT」の閉鎖という道をたどった。そのような依存は、もう許されないところまできている。
6)「再読したいこのカテゴリこの3冊」は次の通り。
「『走る原発』エコカー」 危ない水素社会
上岡 直見 (著) 2015/07 コモンズ
「真説・長州力」1951‐2015
田崎 健太 (著) 2015/07 集英社インターナショナル
「WIRED VOL.24」 特集 NEW CITY 新しい都市
2016/8/9 コンデナスト・ジャパン 雑誌 不定版 日本語
7)そもそも、愛とはなんだろう。
8)もうこの辺で、OSHO回帰するしかないだろう、という観念があった。もうOSHOに立ち返ろう、それがそもそもの「OSHO my Love」のカテゴリ名の発想だった。そして、OSHOを再読し、また「OSHO ZEN TAROT」の再掲だけでもいいのではないか、と安易に考えていた。
9)しかし、愛とは、相手の中に写る自分を見させられるもの。OSHOの瞳を覗きこめば、そこには、私がいるだけだった。なにかOSHOを物質化することなどできなかった。結局、当ブログでのもっともアクセス数の多いOSHO ZEN TAROT を全削除する、ということになってしまった。
10)そこにやおら登場したのが、クルマやら、パソコンやら、プロレスだった。対象はほとんどなんでもいい。そこを見通していくと、結局、そこにつながるものが見えてくる。
11)思えば、愛車とか、愛読紙、などの言い方がある。スポーツにしても、スポーツ愛好会などの表現がある。対象はそれぞれ違っていても、そこに面と向かう限り、かなり正確な自分を、見つめることになるのではなかろうか。
12)Oh my Love。OSHOという鏡に映った自分の姿は、プロレスや自動車やパソコンの姿をしていたけれど、そこをせんじ詰めれば、おのずと自分そのものの本質に通じる一本の道が見えてきた。
13)なかなか面白い結末のカテゴリであった。
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