カテゴリー「43)ブッタ達の心理学3.0」の108件の記事

2010/04/03

精神の哲学・肉体の哲学

精神の哲学・肉体の哲学
「精神の哲学・肉体の哲学」 形而上学的思考から自然的思考へ
木田元 /計見一雄 2010/03  講談社 単行本  333p
Vol.2 No.1024(最後の1冊)

 当ブログ第二期における1024冊目にして、最後の一冊はこの本ということにあいなった。読みたい本が他にもあり、図書館にリクエストしている最中のものもあってみれば、どの本がもっともこの位置にふさわしいのかを決定づけるのは難しい。

 しかしながら、物事が諄々と進み、実際にその本が手元にあり、しかもその本がごく最近の最新刊であったとするならば、その本をこの位置に置くことになんの躊躇もする必要はない。ましてや、読んで面白く、新しい地平に結びつくようなものであってみれば、まさにこの位置にはこの本がもっともふさわしいのであろうと、結語する。

 1939年生れの精神科医・計見一雄が、1928年生れの「反哲学」の巨匠・木田元に、7回に渡って個人講義を受けるという形になっている。二年ほど前の対談ということだから、およそ70歳の学徒が、80歳の老教授に教えを乞うているわけだ。

 その姿は、仏陀から舎利子へや、Oshoからのマニーシャへの呼びかけにも似て、もっと多くの学徒が聞きたいことを計見が代表して質問し、木田が、懇切丁寧に、これ以上、噛み砕けないというほどに平易に教える。なんとも、その問答が若々しい。後半は、むしろ、立場は逆転し、計見の職業的な見地からの識見に、木田が聴きいる場面も多くなる。

 思考が相対化され、意識が透明化される中で、言葉は失われていくのか。あるいは、意識は意識として意識されるなか、言葉は言葉としてその役割を果たし続けるのか。当ブログ的にとらえてみれば、ZENの中に言葉を無化して解け込んでいくのか、拡大するZENの中で、さらにカラフルな言葉を遊び続けるのか、という切実な課題となる。

計見--そこでは<精神>とか<心>とか<意識>というのはどうなるんでしょうね。

木田--これまたややこしい話になりそうですが、メルロ=ポンティの考え方では、行動のこのレベルにまで達した人間は、一般の動物の様に単に<生物学的環境>に適応して生きているだけではなく、そのつど現実に与えられている環境に、かつて与えられた環境、いつか与えられるであろう環境を重ね合わせ、それらをたがいに切り換えて、現に与えられている環境を、ありうる一つの局面としてもちはするけれど、けっしてそれに還元されてしまうことのないようなもう一次高い構造、つまり<世界>という構造を構成し、いわばそれに適応するようなかたちで生きるようになります。これがハイデガーが言いだし、メルロ=ポンティらも受け継いだ<世界内存在>という人間のあり方なんです。<世界>というのは人間によってつくり出されたシンボル体系としての<構造>ということになりますね。p313

 この本、なかなかそそられる。第三期をスタートさせる時があるとするなら、まずはこの本の再読から始めるのもいいかもしれない。

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バガヴァッド・ギーター<6>

<5>よりつづく
バガヴァッド・ギーター
「バガヴァッド・ギーター」 <6>
鎧淳 2008/03 講談社  文庫 275p

 いま、この時期、自分が自分のために読んで聞かせたい本として選ぶとするなら、この本が最右翼として登場することだろう。季節は春を迎え、内なる衝動が揺動する。怖気づく自分を奮い立たせ、いざ、新たなる内なる道へと進みゆかん。

 第一章

 ドリタラーシュトラ王は訊ねました。

 聖なる大地、クルの野に、戦わんとして蝟集せるわが殿ばらと、パーンドゥの徒は、なにをかなせる、サンジャヤよ。

 サンジャヤは答えました。

 ときに、ドゥルヨーダナ王は、パーンドゥ勢の布陣したのを見て、ただちに、師父(=ドローナ)のもとに歩み寄り、次のように申しました。

 「師よ、ご覧あれ、ドゥルパダの子、御身の賢しき教え子により布陣されたる、これなるパーンドゥの子らの大軍を。

 そなたには、いくさの園でビーマ王、アルジュナ王子にもならぶ、名うての弓取り、猛き武士ユユダーナやヴィラータ王、また大将軍なるドゥルパダ王、

 ドリシュタケートゥ、チェーキターナ、勇猛果敢なカーシー国王、プルジット、クンティポージャ、無双の弓取りシビ国王、

 勇猛無双のユダーマンユ、勇猛果敢なウッタマウジャス、またスバドラー妃の王子や、ドラウパディー妃の王子たち、いずれも由々しき大将軍なる。

 さて、われらがうちの名だたる面々、わが軍勢の将士たち、そを知り給え、バラモンよ。ちなみに、そを御身に告げ申さん。

 御身と、ビーシュマ、カルナ王、一騎当千クリパ王、アシュヴァッターマンにヴィカルナ王、加えて、それにソーマダッタの子、

 その上、さらに、さまざまな武器を押っ取り、わがために、身命惜しまぬ数多の精兵、いずれも百戦錬磨なる。

 ビシューマにより護らるる、これなるわれらが軍は無勢。片や、ビーマ王により護らるる、あれなるかれらの軍は多勢なり。

 されば、あらゆる駆け引きに、もち場、もち場に踏み止まり、御身の方はみなこぞり、ビーシュマをのみ護り給え」。

 彼の猛き心を奮い立たせつ、クルの長老、武威かくれなき大伯父(=ビーシュマ)は、獅子吼して、高らかにほら貝を吹き鳴らしました。p28

<7>につづく

 

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The Zen Manifesto; Freedom from Oneself  OSHO<10>

<9>よりつづく 

 

Manifest The Zen Manifesto; Freedom from Oneself <10> 
Osho (Author) February and April 1989 Publisher: Rebel Publishing House Hardcover 296 pages Language: English
Vol.2 No.1023★★★★★(残り1冊)
Osho最後のZENシリーズ目次  

 The Zen manifesto is not for a particular type, it is for all- for men and for women, and for black and white, and for Hindu and Mohammedan, and for Christian and Buddhist.

  It does not matter what kind of conditioning you have been brought up in, Zen is simply a technique of entering into you veryness.

  The entrance is so deep that nothing remains, and all is found. Osho front flap

  It is time, ripe time for a Zen manifesto.

  The Western intelligentsia have become acquainted with Zen, have also fallen in love with Zen, but they are still trying to approach Zen from the mind. They have not yet come to the understanding that Zen has nothing to do with mind.

  Its tremendous job is to get you out of the prison of mind.

  It is not an intellectual philosophy;it is not a philosophy at all. Nor is it a religion, because it has no fictions and no lies, no consolations.

  It is a lion's roar.

  And the greatest thing that Zen has brought into the world is freedom from oneself. Osho back flap

 

<11>につづく

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魂の科学 <5> Osho

<4>よりつづく 
魂の科学
「魂の科学」 <5>パタンジャリのヨーガ・スートラ
OSHO/沢西康史 2007/04 瞑想社 /めるくまーる 単行本 301p

 この期に及んで、あれも読みたかった、これも何とかしたかった、と念の残ること、はなはだしいが、その中にあっても、特に、この本はもっとなんとかしたかったなぁ、と思う。でも、どうにもならなかったのは、読み手としての、自分の機縁がまだやってこなかったのだろう、と諦めることにする。

私たちは深い幻想のなかに生きている。
希望、明日、未来という幻想のなかに。
人はそのままでは、自分を騙さずには存在することができない。
ニーチェはどこかで、人は真実とともに生きることはできないと言っている。人は存在するために夢を必要とし、幻想を必要とし、嘘を必要とする、と。
そしてニーチェは正しい。
人はそのままの状態では、真実とともに存在することはできない。
これはとても深く理解されなければならない。
というのも、それを理解しないかぎり、ヨーガと呼ばれる探求に入っていくことはできないからだ。
Osho p9

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色はことのは Feel the colors <3>

<2>よりつづく 

Photo_4   
「色はことのは」 Feel the colors <3>
末永蒼生・文 /内藤忠行・写真 2003/10 幻冬舎  単行本 159p

 この時期、この本にはもっと触れたかったと思う。転記すべき個所もまだまだある。だが、この本のある部分がどうも私にストップをかけた。色はことのは。ひたすら文字マンダラを追いかけてきて、もううんざりだな、という時に、あざやかな原色が、それぞれのページからこぼれおちてくるようなこの本には、ほんとにびっくりした。数ある末永本では、この本が最高だな、自分でも一冊ほしい、と思っていた。

 だが・・・、この本に限ったわけではないのだが、著者プロフィールにある1999年ホノルル大学で博士号取得、という文言がどうも気になってしまった。彼の経歴の中で、長崎の高校を卒業して上京してきたことは分かっていたが、その後のことは詳しくは知らないし、あまり知る気もなかった。だけど、気になったのでネットで検索してみると、この大学の「フェイク」な感じがいろいろと表現されている。

 一体、著者はこの大学から学位を得るという、自らの行為の「フェイク」性に気付いていたのだろうか。あるいは、「被害者」なのか? そんなことはないだろう。かなりの長期に渡ってこの経歴が著書に印刷されている。2007年3月にはNHKの「ようこそ先輩」に登場しているので、少なくとも長崎市立諏訪小学校を卒業しているのは間違いなさそうだ。

 弟君の末永朱胤(あかたね)氏はどうなっているのだろうと、検索してみると、なかなかの経歴でアカデミズムの中に生息しているように見える。「2002 年 12 月 パリ第 10 大学博士課程言語科学科博士論文課程修了 取得学位:言語学博士(パリ第 10 大学)」とあるから、この時期、数年の間に、兄弟二人して、博士になったことになる。弟君には、互いに10代の頃に会ったことがあるから、これは慶賀なことだと、素直に祝福したい。

 そう言えば、二人の父親は、家族をおいてフランスに旅立ってしまったのだったかもしれない。そういうことを聴いた気がする。パリ第 10 大学とはどんな大学なのか知らないが、当ブログには、パリ第7大学、というところからアクセスされたことがある(笑)。まぁ、そんなことはどうでもいいが、この兄弟に「蒼」と「朱」の二つの名前を使い分けた、画家の父親の色彩感性が、なんともあざやかだと思う。

 ちょっとやましい気分になった私は、もうすでにこの本を図書館に返却してしまったが、それは、ちょっとやりすぎだったかな、と思う。フェイクはフェイクでいいではないか。そのフェイクさを堂々と生きる在野の「クレヨン先生」が、多少の学位商法を利用しようとしていたとしても、笑ってすませることができる範囲ではないのか、と思い直してみる。

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2010/04/02

Christianity, the Deadliest Poison & Zen, the Antidote to All Poisons OSHO <1>

Christianity
Christianity, the Deadliest Poison & Zen, the Antidote to All Poisons  <1>
Osho (Author) January 1989 Publisher: Rebel Pub. House Hardcover  330 pages

Vol.2 No.1022★★★★★(残り2冊)
Osho最後のZENシリーズ目次 

Faith is not a virtue, and it is not a great contribution to humanity's evolution. Faith is the greatest hindrance in people's search for truth.

Before you go in search you have already been handed a secondhand, dirty faith, and you are told that  just this much is enough; you don't have to search, Jusus has done it for you, Buddha has done it for you.....

Faith simply means hiding ignorance, and it is very cheap.

Truth needs  great energy, great urgency, and a total involvement in the search. Truth is within you, faith comes from outside.

Anything that comes from  outside is not going to help you.

Truth is already alive in you, you don't need any faith, it is faith  which has kept humanity ignorant.

Christianity and all other religions are part of conspiracy to castrate man.

They have destroyed  all the dignity of man, they have given him only guilt and sin. Hence I call Christianity the deadliest poison. OSHO front flap

It is time to get rid of  Christianity - and all  so-called religions, which are different versions of the same stupidity.

Man need absolute freedom from the past. Only then can he live in the moment responsibly, and only then can he create a new future, for the coming humanity - a superman, a better man than the pygmies of the past who were just slaves and nothing else. OSHO back flap

continue to <2>

 

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タルムードの世界

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「タルムードの世界」
モリス アドラー (著), 河合 一充 (翻訳) 1991/07 出版社: ミルトス 単行本 194p
Vol.2 No.1021★★★☆☆(残り3冊)

 避けたかった本だが、どうやらそれは無理なようだ。それは繰り返し鼻を突っ込んでくる・・・・・もちろんユダヤ人の本だ。さもなくてどうしてあんなに長い鼻が持てるかね? 「タルムード」だ。

 なぜ私はこれを避けようとしたのか? これまで私がいつもそうしてきたように、何かユダヤ人に対して反対のことを言えば・・・・そして私はそうし続けるつもだが・・・・、だがほんのいっときだけユダヤ人に反対するのは止めよう。ほんのいっときだがね。まぁ、ちょっとした休暇のようなものだ。

 そういうわけで私はこの本を避けたかった。そこにたったひとつだがすばらしい文章がある。それだけだが。だからそれを引用しよう。そこには「神は恐ろしい。神はお前の叔父さんではない。神は優しくない」とある。ただひとつのこの文章、「神は優しくない、そしてお前の叔父さんではない・・・・」というのが私は気に入っている。これは本当にすごい。その他は、この本は全部たわごと(ジベリッシュ)だ。初めから終わりまであまりに原始的で、投げ捨てるべきものだ。

 この本を放り出すとき、ただひとつこの文章だけは取っておきなさい。自分の寝室にこれを書いておきなさい。「神はお前の叔父さんではない。神は優しくない」とだ----いいかね! それはお前たちが自分の妻や、夫や、子どもや、召使いや・・・・・あるいは自分自身に対しても何か馬鹿げたことをしそうになったとき、自分を正気に戻してくれるだろう。OSHO「私が愛した本」p200

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インテグラル・スピリチュアリティ<8>

<7>よりつづく  
インテグラル・スピリチュアリティ
「インテグラル・スピリチュアリティ」 <8>
ケン・ウィルバー /松永太郎 春秋社 2008/02 単行本 469p

 IOSとは何か 
 IOSとは、「統合作動システム(Integral Operating System)のことである。情報ネットワークの世界では、オペレーティング・システムとは、さまざまなソフトウェアを作動させる基礎的なシステムのことである。
ケン・ウィルバー p6

 過去15年ほどの間に、コンピュータが日常生活に入り込み、私たちの生活のありようは一変したと言っても過言ではない。もともとまったくのシロートながら、これらのIT関連の変化にも、自分なりの関心を寄せ続けてきた。とくにパソコンの進化や、OS論争、とくにリナックスの登場などにも強い刺激を受けた。

 当ブログにおいても、そのカテゴリ名に OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2 等と残っているように、そのオペレーティング・システムとやらに、何事かの期待や幻想をもったことは事実である。それらの思い込みや試みは決して功を奏したとは言えないが、雑然と散乱している事象をすこしづつ統合する役割として、その発想自体は大いに役立ってくれたと言える。

 統合への衝動として、マンダラ的指向性も役立ってくれた。いくつもの、当ブログなりのマンダラを描いておいたが、これらもまた、いつかはその統合的パワーを生み出してくれるに違いないと、個人的には密かに期待しているところである。

 もともとケン・ウィルバーは得手ではないが、この時期、これだけ惹きつけられるということは、もともと彼自身が持っているパワーがあるのだろうし、それに引き寄せられてしまうこちらにも、何事かの不足感があるに違いない。

 この本においても著者のやろうとしている方向性は分かるのだが、それを逐一検証していくまでには至っていない。その妥当性も、正統性も、いまだ不明なままだ。しかしながら、魅力はいまだに色あせてはいない。

 当ブログ、第二期もほぼ数量が定量に近づいている。残る期間にこの本一冊を読むことさえ容易ではないが、それでも、やっぱり気になる一冊として、ここにメモしておく必要はあるだろう。捲土重来、再読を期す。

<9>につづく

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NO MIND: The Flowers of Eternity OSHO<4>

<3>よりつづく 
Nomind
NO MIND: The Flowers of Eternity <4>
OSHO 1989 Publisher: Rebel Pub. House Hardcover pages Language: English
Vol.2 No.1020★★★★★(残り4冊)
Osho最後のZENシリーズ目次 

Flowers are showing,
a new breeze.....
a fresh fragrance,
an open sky full of stars.
A sense of etrenity....    
To know this
is all there is to know. back flap

 

<5>につづく

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シヴァ・ブリ・ババ ベネット OSHO「私が愛した本」<71>

<70>からつづく    
Photo  
「私が愛した本」 <71
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p

「シヴァ・ブリ・ババ」ベネット

 1冊目の本は、ベネットによるものだ。彼は英国人、完璧な英国人だ。その本はまったく知られていないインドの神秘家シヴァ・ブリ・ババについてのものだ。世界はベネットの本を通して初めてのこの人を知った。

 シヴァ・ブリ・ババが、最も稀なる開花のひとりだったことは間違いない。実にたくさんの白痴たちが大聖者(マハトマ)のふりをしているインドにあってはなおさらのことだ。インドではシヴァ・ブリ・ババのようは人を見つけるのは本当の幸運か、もしくは大変な探求の賜物だ。インドには50万人のマハトマがいる。これは実際の数字だ。こういう群衆の中に本物の人物を見つけるのはほとんど不可能だ。だがベネットは、いろいろな意味で幸運だった。彼はグルジェフを発見した最初の人間でもある。それはウスペンスキーでもなければニコルでもない、他ならぬこのベネットだった。p229

 ベネットが出会ったとき、シヴァ・ブリ・ババは非常な老人だった。彼はほとんど110歳に手が届くほどになっていた。彼は本当に鉄でできていた。彼はほとんど1世紀半も生きた。彼は7フィートの長身で、110歳になりながらも老衰の兆しを見せていなかった。彼は自分で肉体を離れる決意をした。それは彼の決定だった。

 シヴァ・ブリ・ババは寡黙な人だった。彼は教えることをしなかった。特にグルジェフとその途方もない教えを知った者にしてみれば、シヴァ・ブリ・ババの許にいることはごく平凡なことに思えたはずだ。ベネットは本を書き、そして再び師を探し求め始めた。その時シヴァ・ブリ・ババは、まだ死んでもいなかった。p233

 彼の最上の著述は、「シヴァ・ブリ・ババ」だ。ベネット本人は馬鹿者であるにもかかわらず、猿でもタイプライターの上に座らせれば、あちこちのキーをただ叩いているうちに、時には素晴らしい言葉---もしかしたら仏陀のような人にしか言えないような言明---を書くことがあるのかも知れない。だが彼は、自分が書いたものを理解することはない。Osho「私が愛した本」p234

<72>につづく

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