カテゴリー「16)ボタニカル・スピリチュアリティ」の107件の記事

2015/10/31

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<57>「ボタニカル・スピリチュアリティ 」カテゴリについて

<56>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<57>「ボタニカル・スピリチュアリティ 」カテゴリについて

 ある種、当ブログは、先行すべきテーマというものを失ってしまい、糸のきれたタコのような様相を呈している。あらかじめカテゴリ名となるべきテーマを決めるのだが、108のエントリー記事を書いていく間にどんどんそのテーマが変わってしまうのだ。

 それにきづいた今期は、あらかじめテーマを決めることなく、もっとベタな日付をタイトルにすることにした。いわく「2015/08/27~」であった。

 最初はこれでスタートしたのだが、それほど時間が立たないうちに「ボタニカル」というテーマが浮上し、心の中ではすぐに内定した。しかしそれでもやっぱり「ボタニカル」だけでは弱いので、半ばを過ぎたあたりから「スピリチュアリティ」をつけて、「ボタニカル・スピリチュアリティ」となった。

 このカテゴリの期間にもっとも楽しんだのは、いとうせいこう「ボタニカル・ライフ 植物生活」を原作とした、テレビ番組「植物男子ベランダー」、雑誌「Pen」の中にあった何枚かの素敵な画像、そしてアントニオ・ネグリの「ネグリ、日本に向き合う」だった。

 書かれた期間は2015/08/27~2015/10/31。

 このカテゴリこの三冊については、悩んだが、次の三冊としておく。よりカテゴリ名に寄り添った本が残ったほうが、あとで再読した時に落差を感じないで済みそうだな、という直観である。

「ボタニカル・ライフ―植物生活」 いとう せいこう

「ターシャ・テューダーのガーデン」 Tovah Martin 

「植物図譜の歴史」ボタニカル・アート 芸術と科学の出会い ウィルフリッド ブラント

 次なるカテゴリ名は「ねぇ、ムーミン」とする。別段にムーミンファンというほどでもないのだが、ここのところ二冊のムーミン関連の本が目につき、いつか精読したいなぁ、と思っていたのが、第一のきっかけである。

 そして、ムーミンという具体的なキャラクターの具象性に合わせて、いくつかの他のキャラクター像というものも再検討してみたい。さらには、モノローグであった当ブログにおいて、「ねぇ」という呼びかけとともに、多少はダイアローグの要素を取り入れていこうじゃないか、という反省の念も込めている。

<58>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「ボタニカル・スピリチュアリティ 」編

前からつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「ボタニカル・スピリチュアリティ」

「ボタニカル・ライフ―植物生活」 いとう せいこう

「ターシャ・テューダーのガーデン」 Tovah Martin 

「植物図譜の歴史」ボタニカル・アート 芸術と科学の出会い ウィルフリッド ブラント

後につづく

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「地球の家を保つには エコロジーと精神革命」  ゲーリー・スナイダー<5>

<4>からつづく

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「地球の家を保つには」 <5> エコロジーと精神革命
ゲーリー・スナイダー (著), 片桐 ユズル (翻訳) 1975/12 社会思想社 単行本 264p

 当ブログ「ボタニカル・スピリチュアリティ」を終えるに当たり、今回は、最後の一冊として、この本以外に思い付かなかったので、締めの締めとして、この本を置いておく。

<6>につづく

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「藤森照信×伊東豊雄の住宅セレクション30」(vol.1) <2>

<1>からつづく

【送料無料】藤森照信×伊東豊雄の住宅セレクション30(vol.1)
藤森照信×伊東豊雄の「住宅セレクション30」(vol.1) 
東京建築士会 2006/03 エクスナレッジ  単行本 139p
★★★★☆

 3・11震災の三週間前に読んでいた本。今回、アントニオ・ネグリの「ネグリ、日本と向き合う」の中に、伊東豊雄グループの「みんなの家」がでてきたことをきっかけとして、伊東の「あの日からの建築」( 2012/10 集英社)、「ここに、建築は、可能か」(2013/01 TOTO出版)に目を通したことで、思い出した一冊。

 当然、伊東は、我らが中央図書館の建築を代表作としていることを知っての読書であったが、そもそもこの本はその5年前、2006/03に出ている本だから、必ずしも時機を得た読書だとは言えない。しかしながら、当ブログの流れとしては、グッドタイミングで読みこんでいた一冊と言えるだろう。

 あの時、私はこう書いている。

 この人たちこそ、自分が住むべき家を作ることこそ、仕事とすべきなのだ。施主のことなど考えずに、自分の家を建ててみたらどうだ。自然のなかに、スローでエコで、そして、未来な一軒を。2011/02/20

 一切、全文敬称略で、テニヲハもおぼつかない当ブログではあるが、まぁ、自分のためのブログなのであり、多少失礼とは思いながら、その時の思いをなるだけ素直に残そうとは務めている。だとしても、この文章は、あまり的確とは言い難いが、どこか納得しない自分の心境をメモしておいた、ということになる。

 この本は、長野新幹線の群馬県「安中榛名」駅に隣接した住宅街の実際の土地をテーマとして一般住宅を建てるコンテストであり、審査員としての藤森&伊東の二軒とともに、30軒程のアイディアが紹介されている。

 都市部からは外れた地域ではあるが、実際に存在する住宅街の、やや広めの土地にどのような家を建てるか、という実にリアルな設定なのであり、一般の私たちの暮らしからは、それほど離れた設定ではない。

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 その彼らが3・11以降、どのような発想の転換を迫られたのかは、「あの日からの建築」に描かれているし、また「ここに、建築は、可能か」では、実際にどのような活動を被災地で行なったのかがより図解入りで展開されており、国際的なコンテストでも多いに評価された、ということになっている。

 今回はアントニオ・ネグリの指摘でこの設計家たちの活動に目を向けることになったのだが、はてさて、腹の底から、腑に落ちるような納得感はまだない。3・11の爪痕に対して、建築家グループとして何ができるのか、という問い掛けは間違いないのだが、人間として、3・11後に何ができるのか、という問い掛けにはやや弱いように思う。

 3・11後を問われるということは、3・11以前が問われることになるのである。そういった意味において、3・11で初めて気が付きました、というような機を見るのに敏な世渡り上手な政治家などのような行動は取りたくない。

 そういった意味において、私は、このカテゴリ「ボトニカル・スピリチュアリティ」においては、ネグリの鑑定眼も、最終的には、信頼しきれていないところがある。

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「ボタニカル・ライフ―植物生活」 いとう せいこう<2>

<1>からつづく 

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「ボタニカル・ライフ―植物生活」 <2>
いとう せいこう 1999/03 紀伊国屋書店 単行本 p274 2004/02 新潮社 文庫p399
★★★★★

 前回は2004年発行の文庫本を手にしたが、今回は1999年の初版をめくってみた。もともとは著者自らのサイト・マガジン等で1997/04~1998/03まで連載され、一部雑誌「ガーデン・ライフ」に連載された一連のエッセイをひとまとめにして1999年に刊行されたものである。

 NHKBSテレビ番組「植物男子ベランダー」をたまたま見てしまい、それ以降は病みつきになってしまった。1994年にシーズン1、1995年にシーズン2が放映され、私はそれを順不同ながら、大体一通りみたが、それでもほとぼりがさめず、ネットであちこちに合法か非合法かしらないが、散見される動画を探し出しては、何度も見ている。

 見るたび、なんでこの番組はこんなに面白いのだろう、と考えたがよくわからなかった。他人のエッセイや小説を読むことはあまり得意ではないので、原作としてこちらがあることは分かっていたが、どうも面倒くさいので、読まずに動画ばかりみていた。本の朗読動画というものもあるので、そちらにも手をだし、こちらも面白かった。

 今回、現在進行中の「ボタニカル・スピリチュアリティ」カテゴリを締めるにあたり、重い腰を上げて、こちらの原作を一通り読んでみることにした。そして分かった。なぜ、あのテレビ番組が面白いかが。それは、当たり前に単純な答えだった。原作が面白いからである。

 小説がテレビ化されたら、そこには多くの脚色が含まれており、またキャラクターは登場する役者たちの演技力で大きく左右される。このテレビ番組は、大方、かなり脚色されたものであろうと、タカをくくっていた。

 しかしながら、こちらの原作を一読して分かったことは、良くも悪くも、この原作があったればこそのテレビ番組なのだった。だから、あの田口トモロヲ演じるベランダーは、大きくいとうせいこうの実存に大きく影響されているのだった。

 私は、この番組をもっと見たいなぁ、と思って、来年もぜひシーズン3をやってほしいと願っているものだが、しかし、ある意味において、その世界の可能性と限界も、この原作を読んで分かってしまった気がする。

 言っておくが、ベランダーは単に都会の趣味人ではない。空を共有する世界の労働者諸君と連帯をしているのである。このことを忘れてもらっては困る。だからこそ俺は、トロ箱に荷物を入れ、各地の道路を不法占拠するばばあどもにエールを送っているのである。

 階級をわきまえずエセガーデナー気分にひたる日本の頭の悪いプチブルどもと我々は、敵対関係にあるのだ。

 これがベランダー思想というものである。植物主義は幻想を許さない。植物たちを通して社会的現実を凝視し、自らの立場を鮮明にし続ける。

 だからハーブは、俺たちのシンボルでもあるのだ。p211いとう「ハーブ すました雑草」

 洒脱に筆の走る著者であるが、どこまでがシャレでどこまでが本気なのかは、簡単に一線を区切ることはできない。しかし、この冗漫な洒落口と、どこか本音が入り混じった文章の中に、都会のマンションで暮らすバツイチ中年の真摯な本音が混じる。

 私は都会で暮らしていないし、マンションで暮らしたこともない。最適なベランダを探して引っ越しを続けたこともないし、幸い、カタチとしてはバツイチというライフスタイルにはなっていない。むしろ孫たちと暮らす大家族でギュウギュウ詰めで暮らしているのが実態である。

 だから、わがボタニカルライフ、などとこちら本家の言葉を借りて、連載ブログを書いていたとしても、かなりの差があることがわかった。まぁ、これでいいのだ。だから、そういった意味においては限界を知ることができた。

 そしてまた、著者が「べランダーは単に都会の趣味人ではない。空を共有する世界の労働者諸君と連帯をしているのである。このことを忘れてもらっては困る。」などと洒落る時、私は、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」のなかの一説を思い出す。

 走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空は空のままだ。雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体でないものだ。僕らはそのような茫然とした容物(いれもの)の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、呑み込んでいくしかない。村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」p32

 おそらく、男のハーブ道だろうが、マラソン道だろうが、ひとつの「空」に通じているのである。

 当ブログは、アントニオ・ネグリを迎えて、その「コモン」を「コミューン」と読み替えてみる作業に着手しつつある。そして、おそらくそれは、「空」なのだ、と閃くことができた一冊でもあった。

 おなじ名前なのに、いままで著者の本を一冊も読んだことがなかった。いちど、なにかのシンポジウムで一人のパネラーとしての生の著者を拝見しただけである。今後、数ある著者の類書や、著者が師と仰ぐカレル・チャペック「園芸家の一年」などにに目を通すかどうかは、微妙なところだ。

 1961年生まれの著者30代半ばの、相当に油の乗り切った若々しい時代の作品である。

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2015/10/30

「わがボタニカルライフ」<21>悠久の時を継ぐ

<20>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<21> 悠久の時を継ぐ

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 樹齢推定1350年を生き抜く仙台最古の樹木カヤの木。

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 樹皮からも沢山の枝がでている。

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 本当に若々しい。

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 根元を見るとたくさんのカヤの実が落ちている。

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 その中には発芽しているものもあり、まだまだ生命力は衰えない。

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 管理者の承諾を得て掘り出してみると、しっかりと大地に根づいている。

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 これを見る限り、確かにカヤの実から発芽しているのだ。

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 カヤの苗をいただき鉢植えにしてみる。

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 わがボタニカル・ライフに、このようなダイナミズムがあるとは、なんともすごい迫力である。

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<22>につづく

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2015/10/29

Architecture. Possible Here? "Home-for-All" Toyo Ito

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「ここに、建築は、可能か」
伊東豊雄、乾 久美子、藤本壮介、平田晃久、畠山直哉(著) ペーパーバック– 2013/01 TOTO出版 ペーパーバック: 184ページ
No.3592★★★★★

 アントニオ・ネグリは2013年3月に来日した際、「3・11後の日本におけるマルチチュードと権力」と題する講演で、伊東豊雄にふれている。「ネグリ、日本に向き合う」p79 ネグリ「コモン・グランドという想像力」

 数週間前(2013年3月)に、日本の建築家・伊東豊雄は彼の仕事にふさわしいプリツカー賞(建築のノーベル賞といわれる)を受けた。受賞を知ったとき、わたしはこの講演原稿を書き始めていた。伊東の作品にわたしはすでにつよい印象を受けていた。

 2012年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で、彼は「ここに、建築は、可能か?」をテーマに、日本館のための建築家グループでつくった「みんなの家」を展示し、金獅子賞を受賞したのである。

 建築家たちは、津波で押し流された多くの町のひとつである陸前高田の被災者たちと対話を重ね、共同住居のプロジェクトを立ち上げた。それは回収可能な材料を再利用した住居の構想であり、被災後の市民たちが共同生活のありかたを想像できるようなものだった。

 建築家たちはこの構想のもとで、市民グループと協力して建築モデルをつくりあげ、それをヴェネチアに展示したのである。そこでは木のピロティの上に住居が建てられ、住居の内部と外部のつながりを維持する、伝統的な日本の家のコンセプトが活かされている。

 「みんなの家」は、伝統的材料の再利用を通して、共通の習慣や伝統的使用法と、コミューン(自治体)における新しい住居モデルとを結びつけようとする。こうしてこのプロジェクトは、わたしたちの文明を再建しうるコモン・グランド(共通の土壌)はいかなるものかという、ビエンナーレの問いかけに応えていたのである。

 この作品には希望の息吹がかよっているのを感じた。破局の恐怖に見合うだけの深い息吹を、すなわち市民たちが共同で新しいかたちの生活、まさに新しい共同生活をつくろうとして発揮した力に見合うだけの、深い息吹を感じた。「ネグリ、日本に向き合う」p79 ネグリ「コモン・グランドという想像力」

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 ここには、3・11後に、三陸との関わりの中で、伊東を初めとする建築家グループが地域の人々とともに、広域からの支援を受けながら、シンボルとなるような「みんなの家」を建設するプロセスが描かれている。

 豊富な画像、図面、英訳文が並列され、見ても分かりやすいヴィジュアルな一冊となっている。

ここに、建築は、可能か

津波によってすべてを流されたまち、
人々は家族や友人を失い、家を失った。
この人々のために、建築は何が可能か。

近代以降、建築家は、個のオリジナリティを根拠に建築を考えてきた。
しかしそれは建築家による建築家のためのエゴイズムではないのか。
建築家は一体誰のために、そして何のために建築をつくるのだろう。

私たちは被災地に一軒の小さな共同の家「みんなの家」をつくることによって、
個による個としての建築家のあり方を根底から問い直そうと試みる。
「みんなの家」は失われた家の記憶を蘇らせる。人々は家を求めてここに集まり、
語り合い、飲み、食べ、心を暖めあう。

この家をつくるプロセスにおいて、もはや「つくり手」と「住まい手」の境界は存在しない。
現地の人々とわれわれは共に考え、考えながらつくり、
つくりながら考える。時に住まい手はつくり手であり、つくり手は住まい手である。

「みんなの家」はガレキの間から立ち上がってきた植物のように、
「上昇する生命体のような建築」である。
それは仮設の家であるが、復興への強い意志を象徴する。

「みんなの家」は建築家のつくる家でありながら、
個のオリジナリティに固執しない。建築家は住まい手と意識を共有し得る。
個によって個を超えることは可能か。近代を超える鍵がここにある。

私たちはこの一軒の「みんなの家」をつくるプロセスのすべてをドキュメントとして展示し、来訪者に「建築とはなにか」を問いかけたい。

2012年8月28日 伊東豊雄(ヴェネチア・ビエンナーレ日本館入口展示コンセプト文より) p124

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 この本は読みやすく分かりやすい本だが、いっぺんに通読することができない。さまざまな想念が行き来する。特にネグリが、半田也寸志の震災直後の被災地の写真集や、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」 と合わせて語る時、さまざまな思いが乱舞し、なかなかひとつの像にまとまらない。

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 こうして完成したあとの「みんなの家」を見ていると、どこか青森県にある縄文遺跡、三内丸山にあっただろう建築に、さも似てきたようにも思える。

 自分が3・11直後からエコビレッジ構想に惹かれ、3・11後においてはゲーリー・スナイダー「地球の家を保つには」(Earth House Hold、1969年)から読書を始めたのも、どこかここに提示されているテーマに繋がっていくように思える。

 そして、当ブログの現在進行形のカテゴリー「ボトニカル・スピリチュアリティ」にも、深く根底部分でつながっていくようである。

「みんなの家」はガレキの間から立ち上がってきた植物のように、
「上昇する生命体のような建築」である。
それは仮設の家であるが、復興への強い意志を象徴する。 
伊東豊雄p124

つづく

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2015/10/26

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <53>/「市民農園体験記」<44>孫と市民農園

<52>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<53>孫と市民農園

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<43>からつづく

市民農園体験記 

<44>孫と市民農園
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「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 <54>につづく

「市民民農園体験記」 <45>につづく

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2015/10/22

「あの日からの建築」 伊東豊雄 <1>

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「あの日からの建築」 <1>
伊東 豊雄(著) 2012/10 集英社 新書 192ページ
No.3591

アントニオ・ネグリは2013年3月に来日した際、「3・11後の日本におけるマルチチュードと権力」と題する講演で、伊東豊雄にふれている。「ネグリ、日本に向き合う」p79 ネグリ「コモン・グランドという想像力」

 数週間前(2013年3月)に、日本の建築家・伊東豊雄は彼の仕事にふさわしいプリツカー賞(建築のノーベル賞といわれる)を受けた。受賞を知ったとき、わたしはこの講演原稿を書き始めていた。伊東の作品にわたしはすでにつよい印象を受けていた。

 2012年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で、彼は「ここに、建築は、可能か?」をテーマに、日本館のための建築家グループでつくった「みんなの家」を展示し、金獅子賞を受賞したのである。

 建築家たちは、津波で押し流された多くの町のひとつである陸前高田の被災者たちと対話を重ね、共同住居のプロジェクトを立ち上げた。それは回収可能な材料を再利用した住居の構想であり、被災後の市民たちが共同生活のありかたを想像できるようなものだった。

 建築家たちはこの構想のもとで、市民グループと協力して建築モデルをつくりあげ、それをヴェネチアに展示したのである。そこでは木のピロティの上に住居が建てられ、住居の内部と外部のつながりを維持する、伝統的な日本の家のコンセプトが活かされている。

 「みんなの家」は、伝統的材料の再利用を通して、共通の習慣や伝統的使用法と、コミューン(自治体)における新しい住居モデルとを結びつけようとする。こうしてこのプロジェクトは、わたしたちの文明を再建しうるコモン・グランド(共通の土壌)はいかなるものかという、ビエンナーレの問いかけに応えていたのである。

 この作品には希望の息吹がかよっているのを感じた。破局の恐怖に見合うだけの深い息吹を、すなわち市民たちが共同で新しいかたちの生活、まさに新しい共同生活をつくろうとして発揮した力に見合うだけの、深い息吹を感じた。「ネグリ、日本に向き合う」p79 ネグリ「コモン・グランドという想像力」

 この文章を読んでから図書館を検索したところ、近くの図書館に「ここに、建築は、可能か?」(2013/01 TOTO出版)が収蔵されているので取り寄せ中。その前にこちらの「あの日からの建築」が先に届いた。

 フリーのライターのインタビューを受けて一冊にまとまった本ではあるが、この本は3・11の当日から始まる。

 いちばん気になったのは、私が設計を手掛けた「せんだいメディアテーク」がどうなっているかということでした。丁度翌日の3月12日は仙台で、メディアテークがオープンして10周年記念のお祝いの会があって、仙台市の奥山恵美子市長らとメディアテークの10年間について話す予定になっていました。p17 伊東 「地震発生当日のこと」

 この「せんだいメディアテーク」(略称smt)は私がいつも本やDVDを借りている図書館の本館であり、セミナーやイベントなどで通うことが多い施設である。残念ながら自転車でいける距離ではないので、頻度はそれほど多くはないが、その「近代的」でユニークなたたずまいは、私に、映画「2001年宇宙の旅」を連想させる。

 個人的には、震災前から、当ブログにおいて「プロジェクト567」における重要ファクターになっていたのであり、私も地震直後から、ガラス全面張りのあの施設がどのような状態にあるのか気になって仕方なかった。幸い、直後に友人が通りかかって、外から見る限り、影響はなさそうだ、という情報を得ていたので、ホットしていたのだった。

 グローバル経済によって支配される現代社会では、建築家の論理感や善意をはるかに超えた力によって建築はつくられ、破壊されている。そこにはかつてのような公共空間やコミュニティの場が成立する余地はほとんどない。

 それどころか経済を効率よく循環させるためには、共同体は個に解体せたほうがよい。そのような巨大資本につき動かされる巨大都市に建築家はどう向き合っていくべきなのか、そんなことを考えている最中(さなか)に大震災は起こった。伊東 p3「はじめに」

 「smt」は、地元の一般市民にとっては「超」近代的な建物で、たしかに中央図書館やイベントホール、展示ホールなどの多目的用途に使われているが、それでも私のなかでは、あの建築と、被災地における、木造や再利用物を利用した「みんなの家」には、相当のギャップがあるように感じられた。

 しかし、この本の後半にまとめてある彼の人生ストーリーの中で、なるほどそうであったか、という納得するものがあった。彼は震災後、釜石市の復興にも関わっていく。

 釜石市という自治体は市長以下役所の人たちもかなりリベラルで、市民の声をに耳を傾ける柔軟性を持っています。また住民の意識も高く、住民のなかに、将来の街に関する強いビジョンを持った人もいます。p48 伊東「住民たちの生の声を聞く」

 この市長というのが、知人であり、かつて若いころに一緒にアメリカ・オレゴン州のコミューンに数週間滞在したことがあったので、人ごとだとは思えない。久しくあってはいないが、このように伊東から評価されて、私もなんだか嬉しくなった。また、私の家族も、通信関係の復旧にこの市に長く赴任していたので、私も何度か足を運んだ。

 被災して家や家族を失った人々に対し、自分はどんな言葉で語りかけることができるのだろうかと考えました。これまで建築家として自分の建築の妥当性を語ってきた言葉で被災した人々に話しかけることはできない、と思ったからです。

 「みんなの家」を思いついたのはそんな動機からです。「みんなの家」、なんと凡庸でなんと閃きのない名前だと思われるかもしれません。でも被災地の高齢者と話すにはこのわかりやすさしかないと思いました。p66伊東「『みんなの家』というプロジェクト」

 この「みんなの家」にネグリは共鳴したのだが、それはイタリア・ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を受賞したことにも大きな要素があるだろうが、ここにおける「みんな」という「コンセプト」が、ネグリがいうところの「コモン」とも大きく共振したからであろう。

 2012年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展において、私は日本館のコミッショナーを務めることになりました。日本館の展示は毎回、国際交流基金の予算でまかなわれます。今回コミッショナーとして私が選んだテーマは「ここに、建築は、可能か」でした。p84 伊東「ヴェネチア・ビエンナーレと陸前高田の『みんなの家』」

 この建築展や賞の重み、あるいはその作品の内容は、それが中心にまとめられている「ここに、建築は、可能か」という本があるので、そちらをめくる時に、もうすこし細かく理解することにする。

 オープニングの8月29日朝、私たちは日本館の展示によって、最高の栄誉である金獅子賞を獲得することができたのです。p92 伊東

 3・11直後であるという状況が「みんなの家」に注目があつまる要因にもなったのだろうが、その受賞があったがゆえに、この話題はネグリにまで届いている、と解釈することにしよう。 

 現在の資本主義が技術万能の近代主義の年をつくり上げていて、建築家はその経済、資本を目に見える形にする、その道具になり下がってしまいまいた。ほんとうに情けないことですが、例えば中東のドバイにオイルマネーが集中しているとなると、世界の著名建築家はみなドバイに集まる。

 そこで、こんな超高層のオフィスやハウジングのプロジェクトを提案したと、自慢し合っています。それはひどく空虚なことです。そうした状況のなかでは建築が資本の論理でつくられる以上、常に新しいものが求められます。古いものは壊し、新しいものが求められる。そうしなければ市場経済では生き残れないと誰もが信じています。

 いわば目に見えない資本を視覚化する役割を担うのが建築家であって、彼らはその資本の蓄積される場所を求めて移動を繰り返す。それが現代建築家なのです。p169 「資本主義と建築」

 このあたりの伊東の述懐を聞いていると、ネグリが、もう一人の日本人、宮崎駿「風立ちぬ」に触れて、国家と技術に対する葛藤を思ったように、伊東のこのあたりのハートがネグリに繋がっているのだろう。資本や国家のための建築ではなく、「みんな」のための家、それこそコモンなのだ。

 「スペースさえ用意すれば、コミュニティの実現は誰かがやってくれるでしょう」と思いこんでいて、建築家がコミュニティを提案すれば、それで理想の社会が実現できると考えているのです。ひとりの社会人として自分が社会とどう関わっていくかという自覚も感じられない。

 なぜ現実の都市で建築家が思い描いたコミュニティがうまくつくれないかを考えることは、単に共用のスペースを提案することよりもはるかに意味があることだと思います。p102 伊東「アカデミックな建築教育におけるコンセプトとは」

 単的に言えば、仏つくって魂いれず、という状態だろう。翻って考えるに、ネグリの「コモン」もまた、概念が先行するのではなく、実際にそのような実体があり、また要求があるからこそのコモンであるべきだ、という反語にもなるだろう。

 「みんなの家」で学んだことの意味は、すごく大きいと思います。自分が他者と何かを共有できるという確信、つまり仮設に住んでいる人たちに対して、お互いに共有できるものがあるという確信を得ることができました。

 ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展でも、目指すところは一緒です。建築化のエゴイズムをみんなで乗り越えられれば、きっとその先には、かなり特異な表現でも、個を超えた個に行き着けると思います。まだまだ試行錯誤は続くでしょうが、おそらくそれが次の時代の建築になっていくはずです。p184 伊東「新しい建築の原理へ」

 「個を超えた個」という表現あたりは、ちょっと気になるところである。

 この本には、「せんだいメディアテーク」(smt)についても、たくさん報告されていて、興味深い一冊である。

<2>につづく

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「Pen(ペン) 」2015年 11/1 号 [理想の家グランプリ]

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Pen(ペン) 」2015年 11/1 号 [理想の家グランプリ]
CCCメディアハウス 2015/10 雑誌 月2回刊版
No.3590★★★★☆

 「Pen」はなかなか気になる雑誌である。毎号毎号テーマは違うが、どこか一貫した矜持というものがある。カラー写真が多く外人モデルを活用したおしゃれなページが多い。特にインテリアやハウジングなどの特集も多く、私はそれらに目がいく。

 今回もタブレットの無料アプリでこの号の何ページかが気になり、さっそく近くの書店で購入した。なにが一番気になったかと言えば、やっぱりこの[理想の家グランプリ]とやらのコンテストでグランプリを受賞した住まいが、わが市内にあるお宅だったことである。

 この表紙にあるお宅がその作品である。中には6ページに渡って、その素敵なお住まいが紹介されていて、おお、いいなぁ、と思った。特に、奥さんのお祖父さんが使っていたという古い足踏みミシンが置かれているあたりが、なにかとてもなつかしくなった。

 さてと、この号に対する讃辞はこのくらいにして、結論からいえば、私はおそらくこの本を「永久保存」はしないのではないか、という直観があった。というのも、何回も開いてヨダレを垂らすようなページはなかった、からである。

 この雑誌に収めきれなかった参加作品の300のお住まいの他の情報については、オンラインで見ることができるようだが、私はどうも、そこまで追っかけはしないような気がする。

 このお宅、同じ市内にある建築物だから、検索すればおそらく一度くらいは外から眺めることはできるだろうが、見たら見たで、また感想は大きく違ってくるだろう。だが、他の人にとっての「理想の住まい」は、必ずしも、自分の「理想の住まい」とは限らないな、と思った。当たり前のことだが。

 まず、この家、同じ市内だが北部の丘陵地にある。私は市内南部の平坦地である。まずここに違いがある。そして、このお宅にはどうも子供の気配がない。お二人のお住まいなのかもしれない。二人の小さな孫と暮らす二世帯住まいの我が家には、当然、ピッタリとは言いにくい。

 それに、結果的にはエリアの問題がある。広い土地を求められるエリアと、狭くても交通の便を確保しようというエリアでは、おのずと基本の設計が違ってくる。

 そして一番の「違和感」というか、はてはて、それでどうした、と思ったのは、傍らに「タイニーハウス」ムーブメントがあるからである。3・11後の世界の動きの中で、エコで小さくて、地球に負荷がなく、時にはDIYで作れそうな小さな家が「はやって」いるのである。

 私は、「理想の家グランプリ」にも、「タイニーハウス」にも、両方惹かれるが、結果的には、人生の中で何度も何度も家を建てられるほどの蓄財がある人間でもないので、今の住まいが一番いいなぁ、ということになる。タイニーかつ理想を、今の住まいに、どうとりいれようか、という、そういう視点で、どうしてもこういう作品群をみてしまうのだった。

 そして、このお宅にしても、我が家にしても、決して沿岸部にあるわけではない。沿岸部にあるあの3・11のあとの爪痕のことを考える時に、この雑誌に取り上げられている他の住宅などのゴージャスさを見るにつけ、なにか、ポイントが離れている気がしてしまう。

 いやいや、そういうタイミングだからこそ、理想の家、なのかもしれないが、今日のところは、まず、そのように感じたのだった。今後、この私の感想がどのように変化していくのか、もうすこし注視してみよう。

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