カテゴリー「37)No Earth No Humanity」の108件の記事

2010/08/26

オバマ大統領がヒロシマに献花する日<3> 相互献花外交が歴史的和解の道をひらく

<2>よりつづく 

オバマ大統領がヒロシマに献花する日 (小学館101新書)
「オバマ大統領がヒロシマに献花する日 」 <3>
松尾 文夫 (著) 2009/8 小学館 新書 224p

 ふと気がついてみれば、カテゴリ「No Earth No Humanity」も108目の記事となった。当ブログでは、一つのカテゴリを108でまとめるのを恒例としている。現在は、一つのカテゴリだけを走らせて、細かいテーマ分けをしていない。前回のカテゴリは「One Earth One Humanity」だった。この言葉は、私が24歳の時にOshoから瞑想センターの名前をもらうときに、直接に伝えられた言葉の一説から取ってある。

 しかるに、今回のカテゴリ名は「One」ではなく「No」としておいた。そもそも、ひとつならざる地球があるからこそ、「One Earth」という概念が必要となる。もともとたった一つしかないのだったら、あえてOneを強調することなど、意味がない。ましてや地球という存在を意識することすらおかしいことになる。

 「One Humanity」にしても、そもそも地球人において、人間という存在に、互いの共通理解が存在していたとするなら、なにも今更「One」を強調することなどないのである。その「One」を意識しないことこそ、本来の在り方であるとさえいえる。

 「No Earth No Humanity」。私はこの概念を楽しんだ。そうあってしかるべきだと思う。そして、この概念にぴったりくるのはどんな本だろう、と思って身のまわりを見てみた。以前に読んでしまった本ではあるが、また読みたくなったので借りてきていた本が、この本である。「オバマ大統領がヒロシマに献花する日」。

 現在、朝のテレビドラマ「ゲゲゲの女房」でも、この8月の終戦の日にちなんでなのか、戦争の回顧シーンが多くなっている。左手を失った漫画家の、戦争体験がありありと再現される。「戦争を知らない」と自嘲する私達戦後生まれ世代ではあるが、決して戦争を知らないで暮らしてきたわけではない。

 この本、前回はカテゴリ「地球人として生きる」の中で読んだ。バラク・オバマは、私達の世代よりさらに若い。オバマは、昨年の選挙活動にツイッターの機能をフルに活用したという説がある。が、公式には否定されているようである。

 もっともその後の報道によれば、オバマ大統領自身はツイッターを使ったことがないと語っている。それでも、このツイッターでの発言は、オバマ陣営の担当者から発信されたことは間違いないが。 

 ちなみにオバマ大統領のツイッターアカウント(@BarackObama)は、現在290万人近くものフォロワーがいる。このアカウントがつぶやけば、即座に290万人に情報が伝達される計算になる。 

 しかもRT機能によってそのツイートが転送されれば、ほんの一瞬にして数千万人にまでツイートが伝わる可能性があるのだ。 

 この数は、もはや「つぶやき」を逸脱してテレビ並みのいや、それ以上に大きな影響力を持っていると言っていい。 「携帯& iPhoneツイッターを使いこなす」p032

 いまこのアカウントをチェックしたら、フォロワー数は510万人を超えていた、なう。

 今回この「オバマ大統領がヒロシマに献花する日」を手にとってみた。日本の新書本だから、ある意味、つぶやき的な軽い感覚で手にとることができる。しかしながら、この新書本は、インデックスとして使われるべき一冊であり、その奥には重い多くの深いテーマがあることがわかる。

 著者には他に「銃を持つ民主主義」(2004年小学館)がある。

<4>につづく

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100文字でわかる日本地図

100文字でわかる日本地図
「100文字でわかる日本地図」
青山やすし 2008/02 ベストセラーズ 新書 189p
Vol.3 No.0123☆☆☆★★

 100文字つながりで、「日本地図」まで来てしまったが、はて、こちらは「日本地図」でさまざまな事象をつないではみせたものの、最終的に、当ブログとつながってくるかは、見失いそうな一冊ではある。むしろ、ここからさらに「世界地図」までつながっていると、当ブログとしてはつながりがいい。

 日本国土の北端は択捉島の北緯45度、南端は沖ノ鳥島北緯20度である。この南北に長い地形のおかげで、日本の自然環境はとても多様性に富んでいる。また、中緯度地域のため、四季が非常にはっきりしているのも特徴だ。p14「多様性に富む日本の自然」

 すでに10代で各都道府県を踏破していたと自負していたが、こうして北端、南端、とまで言われると、日本は広い、と言わざるを得ない。

 日本でも地球温暖化の影響は確実に出始めている。ここ10年間の主要4都市(東京、名古屋、大阪、福岡)の猛暑日(35度以上)の日数は、それ以前の3倍に増加した。また、台風の接近数増加も温暖化の影響といわれる。p22「日本での温暖化現象」

 人によって、あるいは見るサイクルによっては、地球はむしろ寒冷化しているとも言われるが、少なくとも、今年の夏は暑い。今朝も暑くて早々と目が覚めてしまった、なう。

 人為的に、動植物が本来生息する土地から離れて移動することで、生態系が破壊される事例が増えている。また、人口の増加によって人間と野生動物の生活圏が隣接したことで、里化する動物などのトラブルも増えている。p34「人間社会が生態系に与える影響」

 この本、100文字つながりとはいうものの、それをインデックスとして、さまざまな情報やデータが満載されている。これって、ホントウに「100文字」理解と言えるかな。

 現在、日本には、ヒロシマの原爆ドームや厳島神社などの文化遺産が11、屋久島と白神山地と知床の自然遺産が3、合わせて14の世界遺産が存在する。一番新しく認定された世界遺産は、2007年6月に決まった石見銀山遺跡。p54「日本が誇る世界遺産」

 ヒロシマを世界に誇らざるを得ないのは悲しい遺産だが、しかし、それも「世界遺産」にならざるを得ない現実がある。

 日本古来の宗教は神道であり、また日本は世界有数の仏教国でもある。そのため歴史的に価値ある神社・仏閣も多く、人々の生活に密着している。なかんは世界遺産に指定されたものもあり、観光客の人気を集めている。p158「日本の有名な神社仏閣」

 100文字にまとめてしまえば、そうなるかもしれないが、各者異論があることだろう。日本とはなにか、宗教とはなにか。あるいは生活とは、観光とは、などなど。せめて、みんなで「光」を「観」ることにつながれば、この文字列のつながりも無駄ではない。

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100文字でわかる哲学

100文字でわかる哲学
「100文字でわかる哲学」
鷲田小弥太 2007/02 ベストセラーズ 新書 190p
Vol.3 No.0122☆☆☆★★

 「100文字でわかる『名画』の秘密」は意表をつかれた感じで、なかなかおもしろかった。こちらの「100文字でわかる哲学」も期待はしたのだが、さて、どうだろう。

 アテナイ最大の賢者といわれたソクラテスは、絶対的な真理などないとする考えを否定し、普遍的真理を発見する方法を探求した。そして、「無知の知」を基本とする対話法によって世の中の「定説」をつぎつぎと批判した。p26「ソクラテス--無知の知」

 なるほど、うまくまとまってはいるが、ソクラテスそのものがこの100文字の中にいるような感じはない。期待しすぎか。

 老子は、儒教の教えは人為的であり本来の人の道から外れた諸悪の根源であると批判した。そして法律や道徳などの人工的なものを捨て、自然と共生する無為自然を提唱した。一種のエコロジー思想でこれが道教のはじまりだ。p160「老子--道教」

 ふむふむ。これだけの今日的理解ができていれば、老子を知っている、ということになるか。

 インドの仏陀は、この世は「四苦八苦」であり、そこから逃れるには、現世へのあらゆる執着を捨てた生を送らなければならないと説く。仏教のはじまりである。この厭世思想はインドには根づかずアジア全域に広まった。p156「仏陀--仏教」

 これも、諸説あるだろうが、100文字的理解とするなら、これもまた、仏陀のお姿であろう。

 紀元0年前後に中近東で生まれたユダヤ人イエスは、神と人間が契約で結ばれているとするユダヤ教を批判し、神と人間は愛で結ばれていると説いた。ここからキリスト教が生まれ、以後の西洋哲学に大きな影響を与えた。p48「イエス--キリスト教」

 紀元0年前後、という表現が面白い。ちょうど0年に生まれたのではなく、キリストが生まれたから0年とされたのだがw そうか、キリストは、神と人間は「愛で結ばれている」と説いたのか。あらためて認識。

 オランダの哲学者スピノザは、デカルトの哲学を受け継ぎながら、独特の認識論を展開した。理性は真理を対象にするが、フィクション(虚構)知であり、感性は共通意識を対象とするが、リアル(具体)知であると説く。p86「スピノザ--異例の合理主義者」

 難解スピノザは、なるほどこのようにまとめられるのか。100文字になっても、やはり難解ではある。

 オーストリアの心理学者フロイトは、人間の精神には意識がコントロールできる部分とできない部分があると主張した。後者が「無意識」(超自我)で、それに拘束された人間を解放する「科学」=「精神分析」を提唱した。p122「フロイト--無意識の『発見』」

 当ブログにおいても重要ワード「意識」はこの様な形で登場する。としてみると、やっぱりフロイトははずすことのできない重要パーソンであるか。

 浄土宗の法然の弟子で、浄土真宗の開祖・親鸞は、「南無阿弥陀仏」を唱えて仏にすがることが極楽往生への道だと説いた。悟りは、人間の独力では無理であり、ただ仏の力にすがるしかないという、絶対他力の思想である。p174「親鸞--悪人正機説」

 当ブログがこのまま「意識をめぐる読書ブログ」と言うスタイルを維持していくとするなら、いずれは大きくぶち当たらなくてはならない山脈である。いや大海である。いや、なんだろう、わからない。いまのところ、当ブログは、絶対他力、という表現は好まない。ただ、「神秘」という表現からの理解なら、糸口はつくかもしれない。

 西田幾多郎は西洋哲学の主観と客観の分離を批判し、両者が未文化にある状態を「純粋経験」とした。その純粋経験が自己(意識)の絶対矛盾的自己同一の弁証法的運動によって充実、完成することを「善」(真善美)とした。p188「西田幾多郎--『善の研究』」

 これはちょっと字あまり的で、すこし100文字からはみ出している感じがする。いずれ鈴木大拙や禅との絡みで読んでみたい西田ではあるが、どうしても100文字には収まらないボリューム感が、読み手を遠ざける。

 ふむふむ、ひとりひとりについては、ちょっと食い足らないかな、と思わないでもないが、全体で100文字的理解をしていくと、西洋も東洋も、古代も中世、近代、現代も、ギリシャもローマもヨーロッパも、インドも中国も日本も、なんとなく地球全体が分かった気分になるから、不思議だ。

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2010/08/25

ヤフートピックスを狙え 史上最強メディアの活用法

ヤフートピックスを狙え
「ヤフートピックスを狙え」 史上最強メディアの活用法
菅野夕霧 2010/04 新潮社 新書 191p
Vol.3 No.0121☆☆☆★★

 何を持って、「史上最強メディア」を語るのか分からないが、たしかにヤフートピックスの露出度は高そうだな、ということはピンとくる。先日「ヤフー・トピックスの作り方」という本も読んだ。しかし、それ以上に、「活用」してやろう、という気までは起こらない。

 ニュース・メディアの在り方についてはさまざまな意見があれど、追いきれないほどの雑多な情報をどのように整理するかは、それぞれのセンスが分かれてくるところだろう。ツイッターのような、まるでニュースとさえ言えないようなモジュール化した文字列の中から、ニュースを拾い出すのも技術であれば、各マスコミをさらに統合したヤフートピックスの中に、うまく溶け込むように造るのもニュースの技術なのだろう。

 ニュースリリースの書き方

1)綺麗なリリースを心掛ける

2)できるだけA4一枚に要点をまとめる

3)余計な修飾語は不要

4)嘘は絶対書かない

5)基本情報を正確に書く

6)連絡先を必ず書く P183

1)は当然のようでもあるけれど、そうかなぁ、という気もする。そもそも、店頭に並んだ大根と、畑で採れたての大根では泥の付き方が違う。どちらが新鮮で、どちらが製品価値があるかは、微妙なところ。

2)当ブログのように、長々と書くのもどうかと思うが、ツイッターのように140文字にまとめろ、といわれるのも、なかなか難しい。たしかに読む方になってみれば、レターニュースはA4一枚がべストだ。標準化している。もちろん、B5一枚でもだめだし、A3一枚でもだめだ。

3)については、耳が痛い。

4)嘘、というより、真実を書くのはなかなか難しい。どこまでぼかし、どこまでニュースソースを明かすのか、明かさないのか。プライバシーを何処まで露出するのか、しないのか。ウソとまではいえないまでも、アバウトな書き方は一般には許される。ただ、「ニュース」において、最初っから「嘘」はもちろんNG。

5)これも、一般のブログやツイッターなら、全部そろっていなくてもいいだろうが、ニュースや告知なら5W1Hを中心として、基本情報は正確でなくてはならない。

6)ニュースリリースと、個人ブログ記事などでは当然違っているのだが、信憑性をどこまで必要とするかにおいて、正確に書くことはとても大事なことではある。もちろん、メディア側が「裏をとらない」といけないのだが、「ヤフートピックス」としては、裏をとってから流すなんて作業はほとんどしていないだろう。

 

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Twitterville--How Businesses Can Thrive in the New Global Neighberhoods

ビジネス・ツイッター
「ビジネス・ツイッター」 世界の企業を変えた140文字の会話
メディアシェル・イスラエル/滑川海彦 2010/03 日経BP社/日経BPマーケティン 単行本 438p
Vol.3 No.0120☆☆☆★★

 日本語版のツイッターは2008年4月とたいへん早くから提供されている。ツイッターの創業者たちによれば、メッセージに使用されている英語以外の言語を調査したところ、日本語が圧倒的に多かったからだということだ。これ以後、ツイッターは日本語版を新機能の実験室として使っている。新機能や改良はまず日本語版に登場してきた。日本のユーザーが新機能を期に入れば、やがてツイッターの生まれ故郷、カリフォルニアのシリコンバレーにいるわれわれもそれを使うことになる可能性が高い。p1「日本語版への序文」

 日本語版へのリップサービスと見ることもできるが、この文章が書かれた2010/01当時でも、そうであったとするならば、確かに、今年は日本語ツイッターが爆発する頃合いである、と言えなくもない。

 本書には、ツイッターを通じてさまざまなテーマについて会話する世界中の人々が登場する。仕事、遊び、政治、自身、医療、あらゆることが語られている。ツイッターというツールは国境の壁を取り払う。自分と共通の関心をもつ人々を世界中いたるところに発見できるチャンネルである。p2

 この二つの抜き書きの部分にはやや矛盾がある。日本語が多く流通していながら、国境の壁を取り払う、とあるが、ここには、日本がガラパゴス化する大きな要因がある。つまり、日本人は英語が苦手だ。そして、外国人で日本語が自由に読み書きできる人はすくないだろう。

 ところが、日本人で英語を読める人は少なくない。140英字程度なら、読めるし、書けるという人は、多分限りなくいる。むしろ、日本人はツイッター村で日本人街を作らずに、もっと英語を使って(もちろん、他の言語でもいいのだが)、もっと、国境の壁をぶち破っていってもいいのではないか。・・・というか、これは私の個人的な目標でもある。

 ツイッターは電話にも似ているが、同時にブログにも似ている。ただし、ツイッターのメッセージはブログ記事としてはたいへん短い。ツイッターは、いわゆる「マイクロブログ」を代表するサービスだ。ユーザーは自分の好きなことを何でも発言できる。読者はそう望めばコメントを加えることができる。ユーザーは他の特定のユーザー宛てに投稿することもできるし、投稿を広く世界に公開することもできる。それに対する返信も同様である。p17

 この本のタイトルは「ビジネス・ツイッター」だ。図書館のリストを見た時は、ちょっとなぁ、と思った。実際に手に取って見てみると、英語のタイトルは「Twitterville」、つまり「ツイッター村」だ。かなりイメージが違う。日本語のサブタイトルは「世界の企業を変えた140文字の会話メディア」。英語の方は「How Businesses Can Thrive in the New Global Neighberhoods」だ。直訳すれば、「ビジネスはどうすれば、あたらしいグローバルな近所付き合いができるようになるか」というあたりだろうか。

 この本、アメリカのいわゆるこの手の本なので、いろいろ具体例がたくさん載っていて、関係者には面白いだろうが、ちょっと興味をはずすと、いらぬ情報のシャワーを浴びることになる。そのなかから何かを学びとることができるかどうか、というところは、まさに、ツイッター的モジュール文化といえる。決して統合型ではない。

 市民ジャーナリズムは、われわれの先祖が洞窟で暮らしていたころから存在していた。部族のメンバーは血や果汁で洞窟の壁に狩りの様子を描いた。これも一種の市民ジャーナリズムだ。
 市民ジャーナリストは無給のノンフィクション作家だ。洞窟の壁に絵を書いていた先祖より、その末裔は少々背が高くなっているかもしれないが、人間としての本質はあまり変わっていない。ただし、使う道具は信じられないくらい優秀なものに進化した。道具が優秀になれば、使いこなす人間も増える。現代のテクノロジーは、洞窟絵画の時代に比べれてはるかに大量の情報をはるかに遠くに伝達する。
p277

 当ブログでは「パジャマを着たままパソコンに向かうブログ・ジャーナリスト」を標榜している。ニューヨーク・タイムスあたりが、初期のブロガーを揶揄した言葉を逆手に取ってのネーミングだが、ツイッター時代となれば、この辺はすこし変更しなければならないだろう。

 「書を捨てよ、街に出よ」とばかり、「パソコンを捨てよ、モバイルでつぶやこう」と、昨日は、繁華街のソフトバンクの店頭で遊んできた。iPhoneもすごかったが、二台持ちで、通話を期待しないなら、むしろiPadのほうが欲しいと、素直に思った。ほとんど同じ料金なのだから。

 しかし、すこし冷静に考えれば、現在のアクセス環境を一気に「かくめい」してしまったとしても、私の場合は転び石になってしまうこともよくある。この辺はすこしゆっくりと歩を進めるべきだと思った。目に見えていない盲点もいくつかあるはずなのだ。

スパム
1)プロフィール画像に若い女性のものを使っている(たいていはブロンド)。加えて露出の多い服装をしている。

2)最近登録したアカウントなのに100人をもフォローしており、逆にほとんどフォローされていない。

3)ユーザー名が文字や数字をでたらめに配置したものになっている。p354

 ネット上のサービスである以上、ツイッターも例外ではない。勝間和代が語るツイッター像はいかに偏っているかが判然とする。香山リカとの対談の日本語本がでたのが2010/01。こちらの英語本が書かれたのは、それをさかのぼること一年前2009/01だ。この本を勝間自身は読んでいなかったとしても、ツイッターを日本に紹介したような立場の人物であれば、すくなくともこのようなツイッターの影を部分をキチンと説明しておくべきである。

ツイッターを始める8つのヒント

1)自己紹介をしよう。

2)まず読んで、それから発言しよう。

3)呼んだらフォローする前に何か発言しておこう。

4)有名人のフォローにとどまらず友達を作ろう。

5)スパマーと思われないように注意しよう。

6)お気に入り機能を使ってみよう。

7)ゆっくりと楽しもう。

8)まずは身近なことから考えよう。 p368

 超ビギナーである私にはいろいろ耳に痛いところもあるが、当然と言えば当然のことが多い。

初心者向けヒント

○まず安全なスタートを。

○友達をフォローしている人をチェックしてみよう。

○コマンドについても理解しよう。

○ツイッターのユーザー名を告知しよう。p389

 これだって、よく考えれば、リアル社会の基本とほとんど何も変わらないのだ。

 フォロワーの知恵

○誰かの意見に反対するのはかまわない。しかし、敬意を持って行うように。不愉快な態度を示しては会話が成り立たなくなる。

○気前よく、寛大になろう。与えた以上の見返りがあるものだ。

○忍耐をもって会話を進めよう。誰もがあなたの話に聞き入っているわけではない。自分が会話から離れるからといって「この件についての話は終わった」などという態度を示さないように。

○特に最初のうち、発言の中に何か価値のある情報を入れるように心がけよう。知人が増えてくれば、昼食時のトリビアのようなものでも楽しんでもらえるようになる。p391

 などなど、いろいろあるが、よく考えてみれば当たり前のことが多い。ネット社会で鍛えられてきた猛者たちは、すでに実名でネット社会を闊歩し始めているが、これもまた、よくよく考えてみればリアル社会と地続きあって当たり前のことなのである。

 フォロワーを減らすことも大事だ。
 ここまで何度もフォロワーの数というものが過大に評価されている現状について書いてきた。むしろフォロワーの数を減らすことも、時には有益であると考えている。
p398

 これも当然のことだ。先日の勝間和代の話などに、私などは当然、かなり批判的である。

 ツイッターはいろいろな意味で会話時代の新聞となっている。興味の対象が変われば、フォローする人を変化させることでまたいろいろな話を聞くことができる。ムンバイやガザに関する速報も入ってくるし、演劇や音楽、絵画等につてのお勧め情報も入ってくる。”ツイッタータイムズ”は日々完全に自分好みに調整することもできる。また、いろいろな情報についてこちらから話をしてそれを聞いてもらうこともできるのだ。p402

 なかなか夢のあるお話しではある。

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2010/08/24

Twitterマーケティング 消費者との絆が深まるつぶやきのルール

Twitterマーケティング
「Twitterマーケティング」 消費者との絆が深まるつぶやきのルール
山崎富美/野崎耕司 2009/10 インプレスジャパン/インプレスコミュニケーションズ 単行本 223p
Vol.3 No.0119☆☆☆★★

 ここまでくると、自分もだいぶ教育されたというか、洗脳されたなぁ、と思う。はっきり言って面白い。この本はすでにほぼ一年前の本だが、実態はもっと進んでいることだろう。

 「本」という媒介を通して更新していると、次から次へと過去へのアクセスになってしまう。まさに白ヤギさんと黒ヤギさんのお手紙ごっこになりやすい。もちろんツイッターだって、メールの交換に変わりはないが、限りなくタイムラグがゼロに近いので、その情報メルティングが劇的に早い。

 もし、このままの成長が続けば、2010年には日本がツイッターの最大普及国になるとされいわれている。さらに、2010年から2011年にかけて、日本におけるクリティカルマスのキャビズム(16%)を超える可能性も出てきた。普及次第では、メールに取って変わるだけでなく、携帯電話やインターネット上のもっとも一般的なコミュニケーションプラットフォームになる可能性すらあるのだ。p5

 ちょっと前までの私なら、このような表現は信じなかった。あるいは興味なかった。考えてみれば、メールの活用方法は、圧倒的なジャンクメールやスパムに埋められて、本当に楽しい個人メールなどは、最近、鳴りをひそめていた。そういった意味で、たしかにツイッターは、久しぶりに楽しいな、と思わせる部分がある。

 男女比は58対42で男性が多く、年代は35~49歳のユーザーが全体の45%、50歳以上が17%(つまりユーザーの6割以上が35歳以上)と日本ではさらに年齢層が高めである。p28

 いままでの経験では、ネットサービス・ユーザーの平均値は、30歳前後であったと思うが、ツイッターの場合は、後ろのほうに5歳ほどずれているようだ。つまり、すでに50代も後半に突入している私などの世代でも、比較的「恥ずかしくなく」参加できるメディアのように思う。

 企業サイトや企業ブログ、写真や動画共有サイト、メールマガジンやSNSなど、いままで使ってきたオンラインツールやサービスとツイッターを連動させると、その威力もいっそう高まる。p42

 それほどコングロマリットにするつもりはないが、少なくとも、当ブログとツイッターの連携は割とスムーズにできそうである。また、新しい可能性も生まれてくる予感がある。

 日本はモバイルのみしか使わないという人たちもいますから、モバイルの可能性は非常に大きいと思います。p63

 たしかに、ブログをケータイだけで更新し続ける人は少ないだろうが、ツイッターなら、むしろケータイやモバイルからだけということは、大いに有り得る。

 すでに知人のツイートを読み落とさないようにするためにフォロワー相手の数を減らしたり、よほどそのツイートに興味の持てそうな相手を絞ってフォローすることに決めたりしているユーザーも多いだろう。p89

 これも大いにあり得る。私もそうした。さまざまな機能やアプリを使えば、「知人のツイートを読み落とさない」ようにするには、なにもフォロワーを減らさなくてもできる方法はたくさんある。勝間和代がいうように、無形文化資産として、フォロー数を無限に増やす、という方法は、やはり愚かしく思える人も多くいるに違いない。

 ただ、このメディアはどう使うかは人それぞれなので、100万、1000万とフォロワーを増やしたい、と思っている人もいるかもしれないし、今のところ、それを積極的に否定すべきではない。

 古いメディアを使っていた人が新しいメディアに興味を持たないと、次のメディアは流行らないんですが、最近はブログからツイッターに切り替える人も出始めていますね。これは、やはりブログと比べて手間が減るからだと思います。p104

 実は当ブログ<3.0>も、ツイッターで展開するのがいいのではないか、と思い始めた。それは手間が省ける、というだけではなく、そのメディアの特性として「なう」な部分や「属人」性が強いこと、軽く、早いことなど、がプラスされる。

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禅の逆襲 生老病死のなかの仏教

禅の逆襲
「禅の逆襲」 生老病死のなかの仏教
有馬頼底/對本宗訓  春秋社 2010/04 単行本 163p
Vol.3 No.0118☆☆☆★★

 この本もまた春秋社か。昨今において、ちょっと気になるような仏教書の出版元を見ると、この出版社であることが多い。なるほど、この出版社だからこそ、このテーマでこの時期にでたか、と思え納得することがたびたびある。陰にはそれだけの優秀な編集スタッフがいるのであろうし、それなりの経営努力があるに違いない。

 お寺さんたちも、生きて現代に存在している限り、現実と対処していかなくてはならない。禅が語られているこの本において、各論的には、さまざまな意見を言わせていただきたいとは思うが、とにかく、現代に生きる、という現実において、このような人々がいるのだ、と認識することができることは、大変うれしい。

 現実の生活の中では、まずは出会うことはない人々だ。たしかに対談の片方の方は私と同じ年齢だし、もともとお二方とも日本に生活をされているかぎり、物理的にお会いできないことはないだろう。しかし、そこに縁や必然性がなければ、生きてある空間の距離は縮まらない。しかしながら、このような、本、と言う形で表現されることによって、知らないでしまった世界が、ぐっと身近に感じられるのだから、まんざら本というものは簡単に捨てるわけにはいかない。

対本 畏敬という場合は良い意味の畏れですが、通常、畏れとは不安なり恐怖なりですね。ですから、「施無畏(畏れなきを施す)」というのは、不安なり恐怖なりを取り除いてさしあげようというわけです。禅では「無畏の請願」とも言いますね。p46

 私はこの三文字には、私なりの思いがある。必ずしも明言したり、額装して壁に掲げたりはしないが、それはまた、私の生涯の請願でなくてはならない。

対本 無畏のお話ですが、仏教では安心ともいいますね。心を安んじる、心を落ち着かせる、ということですが、とても大切なことです。禅では達磨と慧可の安心についての問答が、よく知られております。p52

 同じ物事でも、表現のされかたや、語る人によって大いにニュアンスが変わってくることがあるが、すくなくとも、ここでこの話題がでるべきだろうという時に、タイミングよくその話題がでてきたりすれば、話しは早い。

有馬 作家として大成されたから、それで良かったけれども、「やはり水上(勉)さん、仏飯をいただいて、人間は最後まで仏飯の恩義を忘れてはいけませんね」。「そうよ」と、おっしゃっていただきました。p72

 とりあえず作家・水上勉の全体評価については置いておこう。一宿一飯の恩義という奴も、とりあえず割り引いて考えておこう。ここで語られる言葉のセンスには、角度がちょっと違っているぞ、と感じないわけではない。しかし、その意味は、その通りだと思う。人間として生まれてきたかぎり、人間として育ててもらったかぎり、他の人々とともに、人間として生きていきたい。

有馬 「禅とは何か」というけれど、わしには、禅とは何もわからへん。禅とはいったい何ですか(笑)。

対本 本当に禅とは何でしょうね。私にもわかりません(笑)。ただ、禅はもっと具体的、積極的に社会とかかわっていかなければいけない。そういうところに、ひとつの新しい展開をもっていかなければならない。そう管長はおっしゃっていますね。「只管打座(ただ座れ)」もいいけれど、社会と隔絶して禅があるのではないと。p107

 よくスピリチュアリティを標榜する人びとのなかには、どこにも属さず、あらゆるものを取り入れる、みたいな表現をすることがあって、それが立派なライフスタイルであるかのごとき自負の念で支えられていることがある。しかるに、このお二方の人生のように、「寺」という具体的な社会的存在との関わりの中で生き、ひとつの仏教や宗派との繋がりを維持しながら、するどく禅を生きていく人々もいる。

有馬 禅というものは生きている人のためにならないとだめですね。仏教が葬式仏教というのは、私はたいへん良いことだと思います。人の最期の場面に携わることは大事なことです。たいへん結構なんですが、ところがそれは亡くなってからの話であって、生前になんとかなるべきではないですか。p114

 葬式仏教ではだめでしょう。これは仏教を批判した言葉である。しかるに、それはそれで受け止めるという現実性を忘れてはいけない。私も最期は、近くのお寺の和尚さんにお経を挙げてもらいながら、墓地に埋葬されることになるだろう。そうしていただきたい。しかしながら、「生前になんとかなるべきではないか」というのは、まさに正論である。

有馬 生きている人のための仏法でないといけない。だからぎりぎりまで生きて、あした死ぬかわからん、あさって死ぬかわからんという、その人のための仏法というものを確立すべきだと思います。p118

 おっしゃることが身にしみます。まさにLive Zenを生きなくてはならない。

 対本氏は、若くして一宗の管長に就任しながら、それを敢えて辞して医学生として学び直し僧医となられた方である。

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2010/08/23

モジュール化の終焉  統合への回帰

モジュール化の終焉
「モジュール化の終焉」 統合への回帰
田中辰雄 2009/12 NTT出版 単行本 272p
Vol.3 No.0117☆★★★★

 早い話が、「モジュール化の終焉」とは「統合への回帰」だし、「統合化の終焉」とは「モジュールへの回帰」なのである。物事には離散集合の歴史があり、そのサイクルを調べることによって、未来を予測しようという試みだ。対象となっているのは、世界市場の中における日本のパソコンやケータイなどの通信事業全般。

 当ブログのいままででてきた用語に置き換えれば、「バザールの終焉」と「伽藍への回帰」、と読み変えることもできるだろうし、「クラウドソーシングの終焉」と「クラウドコンピューティングへの回帰」と読み変えることができないでもない。つまり、分散化と統合化の波をうまいこと歴史順に並べてみようということである。

 統合型製品の代表としてはワープロ専用機が登場し、分散型としてはパソコンが登場する。これって、かなり微妙な分類である。ワープロ専用機はともかくとして、パソコンは、たしかに統合派マックに比べたらwin機は確かに分散型ではあるが、リナックスをOSにしようとする動きに対しては、はるかに統合的である。

 しかるに、単体の製品ばかりではなく、産業構造全体を、そのモジュール化と、統合、という尺度でとらえてみようという試みである。電話産業などは、極めて統合的な産業構造であり、それに比すと、ケータイ産業は分散型である。自動車産業も統合型とみなされる。

 ただ、この価値基準は、かなり曖昧なもので、視点を変えるとどんどん違った意味になってしまうので要注意。自動車などは現在はたしかに統合型であるが、電気自動車が標準になってくれば、モーターさえ調達してしまえばいいわけだから、かなりモジュール化した自由性の効く産業になってしまう可能性がある。

 このスケール基準の中で、著者はケータイやiPhoneなどを引き合いに出していろいろ試論を繰り出すのだが、それはあくまで試論であって、学者によれば、こういう予測もひとつとしてでています、程度の、当て馬的、逃げ兎的、かなりアバウトなものである。実態はなにもともわない、ともすれば空論にさえなりかねない学説にすぎない。

 アルビン・トフラーなら、オーケストラとジャズ・バンドに例えるだろうし、精神世界なら、カソリックとスピリチュアリティに比されるかもしれない。まぁ、かなりいい加減な推論だ。集合と分散。結局は、うまい具合にちょうどいいところに収まってくれればいいだけのことであり、どっちへの極にかたまってしまうのもよくない。

 振れ過ぎた振り子が元に戻るように、どちらへの振れを見せながら、結局は可動的な平均値周辺が一番ここちよい、ということになるに違いない。なんだかもっさりした一冊なので、引用するのさえ、ちょっとためらってしまった。

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勝間さん、努力で幸せになれますか カツマー VS カヤマー 

勝間さん、努力で幸せになれますか
「勝間さん、努力で幸せになれますか」 
勝間 和代 (著), 香山 リカ (著) 2010/1 朝日新聞出版 単行本: 192p
Vol.3 No.0116☆☆☆☆★

 申し訳ないが、香山リカの本はまったく読めない。当ブログが、自らを読書ブログであると認識した当時、数年前のことだが、すでに図書館は彼女の本でいっぱいだった。ひとつまとめて読んでやろうと、一時は努力したのだが、だめだった。おかげで彼女の本は、「当ブログが読んだワースト本ベスト10」のトップを飾っている。

 かたや、勝間和代においても、数年前にたまたま読んだ「東洋経済」で彼女が紹介されており、その推薦本「本を読む本」とやらを読んだのが最初だが、その後、店頭でよく見かけるこの方の本を手にとってはみるのだが、数ページで指から頁をめくる力がなくなる。どうしてだろう。

 勝間和代さんと対談することになったと告げると、口の悪い私の弟は、「日経VS東スポ、って感じだな」とつぶやきました。p182香山

 言い得て妙。少なくとも、お二人より、この弟のセンスに私は近い。日経はまぁ雑誌類ではいろいろとお世話にはなっているが、その限界もわかる。東スポは、床屋の待ち時間に、珍しいのでめくってみる程度。なるほどね、かなりベクトルが違う。この二人を土俵に挙げて、行司役を務めたのは、朝日新聞。まぁまぁ、いい役どころだな。

 勝間 同じことがツイッターでも話題になっていました。ツイッターは、発言を読むために自分のページを登録してくれている「フォロワー」の数がわかるんです。その人に10人のフォロワーがいるのか、300人のフォロワーがいるのか、1万人なのか10万人なのかというのが、誰にでもわかるようになっています。フォロワーの数は、その人のページがいかに人気で読む価値があるかを示す、いわゆる無形文化資産です。

 インターネットによって、それまで持っていても目に見えなかった無形資産が、数値化され、万人に公開されてしまうがゆえに、自分より恵まれている人がいることがわかり、不幸感を加速させてしまいます。p53

 こういう論理はまずいだろうな。ヤフオフだってミクシーだって、それは数量化されている。しかし、多ければいいなんて論理はどこにもない。そして、それはいくらでも偽造できるし、また、それが虚構なものである、と見抜いている人はたくさんいる。そもそも、独立した個人なら、それを見抜かなくてはならない。

香山 ただ、そのフォロワーというのが多いほうが幸せかどうかはわからないですよね。フォロワーが10万人いても、家に帰ったときには誰もいなくて寂しい、という人もいるんじゃないですか。診察に来る人の中には、有名人や経営者でお金もたくさん持っている人もいるけど、でも自分では独りだとか、友達がいない、集まってくる人はみんな金目当てと嘆いている人もいて、「あなたが望んでいまのポジションを目ざしたんじゃないの?」と突っ込みたくなることもある。p54

 香山という人も、よくわかっていない。外でツイッターをやって帰ってきて、家で独り、なんてことはない。家に帰っても独りだから、家でツイッターをやってフォロワーのタイムラインを読むのじゃ。ボケとる。そもそも、独立した個人なら、そこそこで足りているはずだ。足りているなら、誰も精神科など頼りはしない。病人ばかり見ているうちに、ごく全うな人間がみえなくなっているのでは、ありゃぁせんか・・?

勝間 いわゆる2対8の働きアリの法則ですよ。これはモデルを組むとわかりますけれども、全員のアリが働くとハイパー競争になってしまって、アリたちがくたびれてしまうんですね。なので、2割のアリが一生懸命に働いて、残りの8割が適度にサボるぐらいで、実は社会の最適配分になるという理論があるんですよ。p99

 勝間という人も強引である。これは「百匹目のサル」と同じように、ひとつの思いつきによる喩え話であって、それを人間社会にすぐ当てはめるのは無理じゃ。アリだの、サルだのと、根本的に、人間は違う。女王アリもいなければ、サル山のボスもいない。

 百歩譲って、パレートの法則80対20の理論という仮説があったとして、なんでもこれに当てはめようとしてはいけない。これは現代の都市伝説であり、いわゆる迷信の類である。

香山 だとしたら、さきほどの「無駄」だってOKじゃないですか。自分は8割派だと思って、職場でもお茶をすするなり、同僚の悩み相談やグチを聞くなりしながらずいぶんに適当にやってよいことにはなりはしませんかp99

 精神科医という職業も、科学者の一種だと思うのだが、ここでも香山はまんまと勝間の迷信に踊らされてしまう。全体が見えていない。100あるからこその20であり、80なのである。地球の20%は大陸で、80%は海だとしたら、私は海だけでいい、と言ってもそうはならない。体の中の個体は20%は個体で、あとの80%は水分だとして、私は水分だけあればいい、というわけにはいかないのである。

 働いてばかりいるのもおかしいし、サボってばかりいるのもおかしい。全体が見えているなら、こんな発想はでてこないはずなのだが・・・・・。

勝間 私がツイッターで、「こういうことが知りたい」「これってどうなるの?」とつぶやくと、誰も何の得にもならないのに、みんなすごく書きこんでくれます。私がそれを読まないかもしれないし、読んでも「ありがとう」とは言わないかもしれない。それでも書いてくれるのは、やっぱり人の役に立ちたいという気持ちがみんな共通にあって、知っていることは人に教えてあげたくてしょうがいないからですよね。p153

 この人、本当にそう思っているのなら、そうとうの確信犯だ。それこそアスペルガー症候群の可能性がある。であるからこそ、精神科医としての香山が、職業的に放っておけなくて、過剰に反応してしまうのだろう。 

 勝間はたしか津田大介「Twitter社会論」の中で、津田と数十ページに渡って対談していた。ツイッターに参加している人たちは、「誰も何の得にもならないのに、すごく書き込んで」くれているのだろうか。ビジネスの潮流を変えると言われているツイッターなのである。虎視眈眈と利益をどこから生み出そうか、と、魑魅魍魎が跋扈していることを忘れてはならない。すくなくとも勝間は公認会計士を名乗る人物である。ケツの毛を抜くビジネスのプロだ。

香山 でもツイッター的な姿勢が現実社会で普遍的に浸透しているかというと、そうでもないですよね。OSのLinuxが出てきたときも、同じようなことを言われましたよね。しかし、それはネットの中だけ、ある程度の知的な階層のあいだだけ、情報弱者じゃない人たちだけ、にとどまっているような印象を受けますが。そういう限られた人たちの利他的な行動が、現実に食べるにも困っているような人たちにまで浸透していくための突破口はあるのでしょうか。p153

 もうここまでくれば、なんでもありの女子プロレス並みの華やかさである。お互い髪を振り乱しながらのタイツ姿の取っ組みあいが似合いそうだ。せめて、リナックスを語るなら、ストールマンの「フリーソフトウェアと自由な社会」や、トーバルスの「それが僕には楽しかったから」、レイモンド「伽藍とバザール」などを読み直し、いかにこの20年以上のあいだ、フリーソフトウェアやオープンソースが、地球社会の隅々まで恩恵を行き渡らしたか確認したうえで、発言してほしい。

 少なくとも、「職場でもお茶をすするなり、同僚の悩み相談やグチを聞くなり」しているだけでは、リナックスは出来上がらない。それとも「現実に食べるにも困っているような人たち」も一緒になってフリーソフトウェアや、オープンソース活動に参加してくれるのだろうか。「ある程度の知的な階層」の「情報弱者じゃない人たち」が地道に活動してくれているからこそ、私たちはその恩恵を受けているのだし、一つの新しい地球人のクラウドソーシングの理想をそこに見るのである。

 ところで、お二人とも社会的にはそうとうな発言力や立場を与えられている人たちではあるが、それを支持したり、ネットワークでつながっている人が多ければ多いほど、正しくてよいことだ、と私は思わない。ある適度な生活圏を確保する、ある適度なネットワークが機動しておれば、十分だと思う。少なくとも、マイミクやフォロワーの数や、ヤフオクの評価ポイントの数だけで全人格を判断するような一面的独断性は、ご免こうむりたい。 

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月面上の思索 The Way of the Explorer <1>

月面上の思索
「月面上の思索」The Way of the Explorer <1>
エドガー・ミッチェル/前田樹子 2010/07 めるくまーる 単行本 413p
Vol.3 No.0115☆☆☆☆★

 この本、だいぶ前から手元にあるのだが、どうも流れ的にこちらに来ない。延長してゆっくり読もうとしたら、すでに私のあとに何人もリクエストが入っているので、そろそろ貸出期限がきれてしまう。厚い本なので、しかも結構内容のありそうな本なので、すぐには読めない。ここは簡単にメモだけしておいて、機会を見て再読しよう。

 この本でまず面白いと思ったのは、翻訳を前田樹子が担当していること。彼女関連の本は、何冊か読んできた。

「グルジェフ・弟子たちに語る」ゲオルギー・イワノヴィッチ・グルジェフ, 前田 樹子 1985/09 めるくまーる

「人間に可能な進化の心理学」P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる

「エニアグラム進化論」前田樹子 1994/04 春秋社 2008/03

「UFOテクノロジー隠蔽工作」 スチーヴン・M. グリア, Steven M. Greer, 前田 樹子 めるくまーる

「月面上の思索」エドガー・ミッチェル/前田樹子 2010/07 めるくまーる

 この中、「UFO~」が近刊としてあるとは思わなかった。内容も内容だし、近隣の図書館にも入っていないので、すぐには読めないが、前田樹子の、一連の仕事として、一度目を通してみたいと思う。

 本書「月面上の思索」は月世界を歩いた12人の宇宙飛行士の一人、エドガー・ミッチェルの自伝である。NASA宇宙飛行士に選ばれた彼は1971年1月、アポロ14号による月ミッションで、月着陸船の操縦士という大任を果たし、人類史上6番目に月を歩く人になった。p410「訳者あとがき」

 類似のテーマ本としては、立花隆の「宇宙からの帰還」がある。宇宙船には科学者だけではなく、詩人をのせたい、というテーマだ。宇宙旅行から帰ったあと、宇宙飛行士たちはさまざまな進路を選ぶが、エドガー・ミッチェルは、彼なりの「神秘」な道を歩きはじめる。

 当ブログは現在、「iPhoneでツイッター」というテーマの周辺をうろうろしている。これがなかなか新鮮で面白い。これはこれで何かの画期的な局面を開きそうだ、と感じ始めている。しかし、iPhoneはコンテナ論で、ツイッターはコンテンツ論、である、ということにはかわりない。では、何についてつぶやくのか、となると、当ブログとしては、やはり、コンシャスネス論の「意識」を外すことはできない。「意識をめぐるiPhoneツイッター」とでも名付けられることになるのだろうか(爆)。

 ここ数年間、私は講演活動とコンサルタントの仕事で生計を立ててきた。その間ずっと、意識を研究するための遂行中の調査結果を----その中で適したものは何でも----私の研究に吸収してきた。それは概して、一人ひとりが自分自身についていっそう幅広い観点を見つけられるように助力するためだった。p388 エドガー・ミッチェル「未来へむけて」

 宇宙工学やロケット製作はまさにコンテナ論だ。そして、NASAの「月面に人類を届ける」というのは、ひとつのコンテンツ論だ。しかし、その次、「ロケット」で「月に行った」人間は、「どうなるのか」というところに、意識、「コンシャスネス論」がある。

 翻って、卑近な例として、当ブログがぶち当たっている状況を考える。iPhoneという「コンテナ」で、「ツイッター」という「コンテンツ」を使いながら、私たち地球人は、どのような意識「コンシャスネス」へと進もうとしているのか。ここにこそ、当ブログのテーマはあり、遅々たる歩みで有りながらも、大いなる希望を持っている地平がある。

 この本、そういう意味合いをも込めて、いずれ再読することになろう。

<2>につづく

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