「ビジネス・ツイッター」 世界の企業を変えた140文字の会話
メディアシェル・イスラエル/滑川海彦 2010/03 日経BP社/日経BPマーケティン 単行本 438p
Vol.3 No.0120☆☆☆★★
日本語版のツイッターは2008年4月とたいへん早くから提供されている。ツイッターの創業者たちによれば、メッセージに使用されている英語以外の言語を調査したところ、日本語が圧倒的に多かったからだということだ。これ以後、ツイッターは日本語版を新機能の実験室として使っている。新機能や改良はまず日本語版に登場してきた。日本のユーザーが新機能を期に入れば、やがてツイッターの生まれ故郷、カリフォルニアのシリコンバレーにいるわれわれもそれを使うことになる可能性が高い。p1「日本語版への序文」
日本語版へのリップサービスと見ることもできるが、この文章が書かれた2010/01当時でも、そうであったとするならば、確かに、今年は日本語ツイッターが爆発する頃合いである、と言えなくもない。
本書には、ツイッターを通じてさまざまなテーマについて会話する世界中の人々が登場する。仕事、遊び、政治、自身、医療、あらゆることが語られている。ツイッターというツールは国境の壁を取り払う。自分と共通の関心をもつ人々を世界中いたるところに発見できるチャンネルである。p2
この二つの抜き書きの部分にはやや矛盾がある。日本語が多く流通していながら、国境の壁を取り払う、とあるが、ここには、日本がガラパゴス化する大きな要因がある。つまり、日本人は英語が苦手だ。そして、外国人で日本語が自由に読み書きできる人はすくないだろう。
ところが、日本人で英語を読める人は少なくない。140英字程度なら、読めるし、書けるという人は、多分限りなくいる。むしろ、日本人はツイッター村で日本人街を作らずに、もっと英語を使って(もちろん、他の言語でもいいのだが)、もっと、国境の壁をぶち破っていってもいいのではないか。・・・というか、これは私の個人的な目標でもある。
ツイッターは電話にも似ているが、同時にブログにも似ている。ただし、ツイッターのメッセージはブログ記事としてはたいへん短い。ツイッターは、いわゆる「マイクロブログ」を代表するサービスだ。ユーザーは自分の好きなことを何でも発言できる。読者はそう望めばコメントを加えることができる。ユーザーは他の特定のユーザー宛てに投稿することもできるし、投稿を広く世界に公開することもできる。それに対する返信も同様である。p17
この本のタイトルは「ビジネス・ツイッター」だ。図書館のリストを見た時は、ちょっとなぁ、と思った。実際に手に取って見てみると、英語のタイトルは「Twitterville」、つまり「ツイッター村」だ。かなりイメージが違う。日本語のサブタイトルは「世界の企業を変えた140文字の会話メディア」。英語の方は「How Businesses Can Thrive in the New Global Neighberhoods」だ。直訳すれば、「ビジネスはどうすれば、あたらしいグローバルな近所付き合いができるようになるか」というあたりだろうか。
この本、アメリカのいわゆるこの手の本なので、いろいろ具体例がたくさん載っていて、関係者には面白いだろうが、ちょっと興味をはずすと、いらぬ情報のシャワーを浴びることになる。そのなかから何かを学びとることができるかどうか、というところは、まさに、ツイッター的モジュール文化といえる。決して統合型ではない。
市民ジャーナリズムは、われわれの先祖が洞窟で暮らしていたころから存在していた。部族のメンバーは血や果汁で洞窟の壁に狩りの様子を描いた。これも一種の市民ジャーナリズムだ。
市民ジャーナリストは無給のノンフィクション作家だ。洞窟の壁に絵を書いていた先祖より、その末裔は少々背が高くなっているかもしれないが、人間としての本質はあまり変わっていない。ただし、使う道具は信じられないくらい優秀なものに進化した。道具が優秀になれば、使いこなす人間も増える。現代のテクノロジーは、洞窟絵画の時代に比べれてはるかに大量の情報をはるかに遠くに伝達する。p277
当ブログでは「パジャマを着たままパソコンに向かうブログ・ジャーナリスト」を標榜している。ニューヨーク・タイムスあたりが、初期のブロガーを揶揄した言葉を逆手に取ってのネーミングだが、ツイッター時代となれば、この辺はすこし変更しなければならないだろう。
「書を捨てよ、街に出よ」とばかり、「パソコンを捨てよ、モバイルでつぶやこう」と、昨日は、繁華街のソフトバンクの店頭で遊んできた。iPhoneもすごかったが、二台持ちで、通話を期待しないなら、むしろiPadのほうが欲しいと、素直に思った。ほとんど同じ料金なのだから。
しかし、すこし冷静に考えれば、現在のアクセス環境を一気に「かくめい」してしまったとしても、私の場合は転び石になってしまうこともよくある。この辺はすこしゆっくりと歩を進めるべきだと思った。目に見えていない盲点もいくつかあるはずなのだ。
スパム
1)プロフィール画像に若い女性のものを使っている(たいていはブロンド)。加えて露出の多い服装をしている。
2)最近登録したアカウントなのに100人をもフォローしており、逆にほとんどフォローされていない。
3)ユーザー名が文字や数字をでたらめに配置したものになっている。p354
ネット上のサービスである以上、ツイッターも例外ではない。勝間和代が語るツイッター像はいかに偏っているかが判然とする。香山リカとの対談の日本語本がでたのが2010/01。こちらの英語本が書かれたのは、それをさかのぼること一年前2009/01だ。この本を勝間自身は読んでいなかったとしても、ツイッターを日本に紹介したような立場の人物であれば、すくなくともこのようなツイッターの影を部分をキチンと説明しておくべきである。
ツイッターを始める8つのヒント
1)自己紹介をしよう。
2)まず読んで、それから発言しよう。
3)呼んだらフォローする前に何か発言しておこう。
4)有名人のフォローにとどまらず友達を作ろう。
5)スパマーと思われないように注意しよう。
6)お気に入り機能を使ってみよう。
7)ゆっくりと楽しもう。
8)まずは身近なことから考えよう。 p368
超ビギナーである私にはいろいろ耳に痛いところもあるが、当然と言えば当然のことが多い。
初心者向けヒント
○まず安全なスタートを。
○友達をフォローしている人をチェックしてみよう。
○コマンドについても理解しよう。
○ツイッターのユーザー名を告知しよう。p389
これだって、よく考えれば、リアル社会の基本とほとんど何も変わらないのだ。
フォロワーの知恵
○誰かの意見に反対するのはかまわない。しかし、敬意を持って行うように。不愉快な態度を示しては会話が成り立たなくなる。
○気前よく、寛大になろう。与えた以上の見返りがあるものだ。
○忍耐をもって会話を進めよう。誰もがあなたの話に聞き入っているわけではない。自分が会話から離れるからといって「この件についての話は終わった」などという態度を示さないように。
○特に最初のうち、発言の中に何か価値のある情報を入れるように心がけよう。知人が増えてくれば、昼食時のトリビアのようなものでも楽しんでもらえるようになる。p391
などなど、いろいろあるが、よく考えてみれば当たり前のことが多い。ネット社会で鍛えられてきた猛者たちは、すでに実名でネット社会を闊歩し始めているが、これもまた、よくよく考えてみればリアル社会と地続きあって当たり前のことなのである。
フォロワーを減らすことも大事だ。
ここまで何度もフォロワーの数というものが過大に評価されている現状について書いてきた。むしろフォロワーの数を減らすことも、時には有益であると考えている。p398
これも当然のことだ。先日の勝間和代の話などに、私などは当然、かなり批判的である。
ツイッターはいろいろな意味で会話時代の新聞となっている。興味の対象が変われば、フォローする人を変化させることでまたいろいろな話を聞くことができる。ムンバイやガザに関する速報も入ってくるし、演劇や音楽、絵画等につてのお勧め情報も入ってくる。”ツイッタータイムズ”は日々完全に自分好みに調整することもできる。また、いろいろな情報についてこちらから話をしてそれを聞いてもらうこともできるのだ。p402
なかなか夢のあるお話しではある。
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