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2009年3月の24件の記事

2009/03/31

LOVE in Alaska 星のような物語

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「LOVE  in  Alaska」 星のような物語
星野道夫 2006/09  小学館    単行本 95p
Vol.2 No.557 ★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

この小さな写真集を見ているだけで、火星や土星や月を、人間が住める環境にしてしまおう、などというテラ・フォーミングという試みが、いかに人間の思い上がった発想かを、思い知らされる。これだけの自然界を人間が作れる訳がない。たしかにひとつのきっかけを、ちょっとしたほんの小さな働きかけをすることができるかもしれない。しかし、そのことは本当にごくごくわずかなことだ。

 自然界、あるいは宇宙は、すでに大きな摂理の中で生きている。森にはいり、道をつくり、木を切り倒し、家をつくる。木の実をもぎ取り、小川の水を汲み、畑を作ることくらいは、自然界はいつでも大目に見てくれるだろう。だが、いつか森から人間が去っていった後、森は静かに、ものごとすべてがもとあったままのほうにもどっていくだろう。

 アラスカにあっては、もっと自然は厳然としているだろう。入るべき森はなく、つくるべき道などない。切り倒す木もなく、もぎ取るべき木の実もない。水を汲むべき小川もなく、畑など作りようがない、かもなどと想像したりする。厳寒のアラスカの自然など、このような写真集でしか知りようのない私だが、このむき出しの大自然に囲まれて、人間も生きていることに感動する。

 クマが、鹿が、魚、鳥、トナカイ、山羊、あざらし、そして花々。山並、雪の平原、雲、空、小動物たち、そしてオーロラ。この大自然の中で、人間も生きている。人間も生かされている。ここに生かされている人間たちは、この自然を造り変えようなんて思ってもいないだろう。人間も、生かされている。他の動物たち、植物たち、氷や、岩々や、うさぎや、子供たち。大きな命の連なりだ。

 星野道夫の仕事は、つきることのない大自然の美に支えられている。どこまでも澄み切った愛によって表現されている。「LOVE in Alaska」というタイトルをごくごく素直に受け取ることができる。いや、この本は「LOVE on the Earth」だ。「LOVE」と、ひとこと、それだけでいいかもしれない。惑星探索機「ボイジャー」のようにアラスカに飛び立ち、アラスカに眠った星野道夫の愛のメッセージが届く。

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2009/03/30

迷惑メールは誰が出す?

迷惑メールは誰が出す?

「迷惑メールは誰が出す?」
岡嶋裕史 2008/10 新潮新書 
Vol.2 No.556 ★★★★☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆

 最近でる本のタイトルはツカミが多いが、この本は最初から最後まで、このテーマで真面目に専門的に解説してくれる。もともとこの人の本は真面目な本が多い。専門家でもなければ、真面目な人間でもない当ブログにはちょっと不似合いだが、しかし、「迷惑メールは誰が出す?」というテーマは重要な関心事だ。

 似たようなテーマでは、谷脇康彦の「インターネットは誰のものか」に一脈通じるテーマであり、個人ユーザーとしては、いつも増加するスパムには迷惑しているので、なんとかしてほしい、とはいつも思っている。一番の対策は、メールを有料化すればいいのだろうが、それでは一般ユーザーのメリットも大幅に削減されてしまう。

 最近はメールソフトもプロバイダも、スパムをはじくさまざまな手段が発達してきたので、実際にはそれほど迷惑していないが、ただ、インターネット全体のトラフィックの増大にはほんとに困ったもんだ、と私なりに悩んでいる。私個人が悩んでも何にもならないが、しかし、逆にここにこそ次なる進化のテーマが潜んでいるようにも思う。

 よくよく考えてみれば、Eメールとしてたどりつくものだけがスパムとは言えない。ひょっとすると、場合によっては、こうして私が書いているブログ自体がトラフィックを増やしているわけで、誰かさんにとっては、知らず知らずにスパムになってしまっている可能性もゼロではないのだ。もちろんそうではないことを願うが・・・ (*゚ー゚*)

 こうして迷惑メールという言葉を広義の意味でもスパムと読み替えてみれば、今回ブログのサービス先を変更したのも、このスパム問題がきっかけになったと言えないわけではない。ブログの巡回ソフトや自動レス機能(正式になんというか知らないが)が増えてきて、実際には不要な情報が複製、偽造、乱発されていて、本当に重要な情報が埋もれてしまう事態も発生することになってしまっている。

 思えば、乱雑に散らかった我が机の上と同じような状態で、必要のない情報はどんどん消去し、重要なものだけがくっきりと浮き立つようなシステムづくりが必要になるのだろう。とにかくそう言った意味では、この本はまじめに「迷惑メールは誰がだすのか?」についての対策を考えている。

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2009/03/29

テラ・フォーミング 宇宙コロニーの実現

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「テラ・フォーミング」

宇宙コロニーの実現

ディスカバリーチャンネル 2003/04 ディスク枚数: 1 角川書店 52 分

Vol.2 No.555 ★★★★★ ★★★★☆ ★★★☆☆

 ちょっと帰り足に時間ができたので、ひさしぶりに天文台に寄って、プラネタリウムを見てきた。今年は30年に一度、地球からみる土星の輪がなくなる年回りだそうで、子供たちに混ざって、元気なお兄さんの説明を聞くのも、なかなか良いものだった。

 人類が月に足跡をつけてからすでに40年が経過しているのだが、かならずしも宇宙開発計画は順調に進んできたわけではなかった。現在、宇宙空間で行われている若田光一さんのスペースシャトルでの作業もかなずしも、土星や火星を向いて行われている作業ではない。

 テラ・フォーミングとは、基本的に人類が生活する環境にない、地球以外の星々を、人類が住める環境にかえてしまおうというプロジェクトだが、このDVDを見ていると、その突拍子もない計画も、現在の人類が手にしている科学技術を持ってすれば、決して不可能ではない、と力説されている。

 北朝鮮が、テポドンとやらを打ち上げようとしているが、超音速飛行機コンコルドとか、原子力発電とか、技術的には可能であっても、全体のバランスから考えれば、どうも現在のところはマッド・サイエンスでしかないものも数多い。

 このテラ・フォーミングも、現在のところは、マッド・サイエンスのひとつと数えられてもしかたないだろう。限られた数名の宇宙飛行士を獏大な負担で宇宙空間に飛ばしてやることは、この21世紀初頭においては、まだまだ不要な計画であるように思われる。

 むしろ、地球上に住む人類は、この地上をもっともっとテラ・フォーミングする必要があるのではないか。まだまだこの地上は、融和のとれたテラにはなっていない。オバマが自らの政治指針として上げたのは、教育、医療保険、ソフトエネルギー、の三本柱だった。

 総体的にみた場合、人類はまだまだ、本当の意味で人間になっていない。飢えや疫病に悩む人々はいまだに限りないし、日本のような識字率が高い地域ばかりではない。そして、化石燃料の使いっぱなしの時代には終りを告げなければならない。

 真の意味でのテラ・フォーミングは、月や火星や土星を人間が住めるように作り変えることではないだろう。もちろん、この地球環境を破壊してしまうことではない。むしろ、この地球上に住まわせてもらうために、自らを周囲と調和させることにこそ、その科学力や英知を使う時なのではないだろうか。

 地球人としてのアガタ・ザ・テランは、土星や火星を目指さない。むしろ、この地上にあって、いまだ未知なる、真の地球とともに生きるために、自らの内なる存在を、全体と融合することに智慧を傾注する。

 シリウスや冬の大三角、おうし座などをながめながら、夢とロマンははるかな宇宙への旅立って行った。だが、45分間のプラネタリウムの旅行から帰ってみれば、まもなくやってくる春に向けて、それでもやっっぱりまだまだ寒い風の中に立っている、木々たちがいた。

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2009/03/28

昔、革命的だったお父さんたちへ―「団塊世代」の登場と終焉

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「昔、革命的だったお父さんたちへ」 団塊世代」の登場と終焉 林 信吾,  葛岡 智恭  2005/09 平凡社 219p
Vol.2 No.554 ★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆

 ぐぐぐぐ・・・・、このタイトルだけでもう、十分かも。笑いと涙が交錯する。

  先日、NHKテレビで、安田講堂攻防戦とか、日大闘争のビデオをやっていた。あれから40年が経過した。韓国人の女性と結婚した秋田明大は、自動車整備工場をやっており、息子は小学生だ。なんとも、人生の悲哀を感じる。

 61ページの「『いちご白書』でオシマイですか?」あたりでは、まったくこのタイトルだけで、がっくりくる。゚゚(´O`)°゚ ほんとにたまにしかカラオケにはいかないが、カラオケに行けば必ず唄いたくなるのがこの歌だった。(汗

 当ブログでは、荒岱介の一連の本目を通すことによって、あの時代を振り返ってみた。私は団塊の世代の弟分で、いわゆるゼンキョウトー世代ではないが、当時の共犯幻想だけは、いまだに根強く自分の中に宿している。

 よくもまぁ、これだけ戦後史を一気にぶった切ったものだ。この本の著者たちは、私よりさらに年下の世代だ。だからこそ、この団塊世代をこれだけおちょくることができるのだろう。おちょくられるだけの価値ある人たち=団塊の世代もすでに退職年齢だ。お父さんではなくて、立派にお爺さん世代だ。

 彼らは、介護パンツをはきながら、カクメーする気力をまだ残しているだろうか・・・。 

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進化するグーグル 世界を掌握する”未来戦略”

「進化するグーグル」 世界を掌握する”未来戦略”

林 信行2009/1 : 208ページ 青春出版社

進化するグーグル (青春新書INTELLIGENCE)

Vol.2 No.553  ★★★★★ ★★★☆☆


 やっぱり気になるグーグルの進化。ちょっと目を放していると、何か別なサービスが始まっている。これからも大注目。グーグルという企業の稀有性、重要性は今さら確認するまでもないが、この本にざっと目を通して気になるところは、「閉ざされたSNSの世界をオープンに」p153あたりか。 

これまでSNSは、インターネットの人気サービスであるにも関わらず、閉じられたコミュニティーでのやり取りに制限されるために、グーグルからの検索ができず、せっかく集約した知識が活かせずにいた。
 使っている間は便利で楽しいが、後になってから蓄積した知識を再び引き出そうとすると、なかなか大変だった。
 それが、グーグルがOpen SocialというSNSの基盤技術を用意し始めたことで、これからはSNS内の情報についてもグーグルの技術を使って検索できるようになる可能性が出てきた。
 ただし、これはもちろん、SNSの外側からだれでも情報を検索して見られる、ということではない。あくまでもSNSの参加者が、自分が見る権限を与えられている情報を検索できる、というだけのことだ。
 しかし、それだけもこれまで遊びという側面が強かったSNSを、ビジネスにも使える道具に変える重要な要素だろう。
p155

 たしかに私も、某巨大SNSを初め、英語版や、有料版、ブログを設定すると自動的に登録されてしまう友達ゼロの無名SNSまで、さまざま登録してはいるが、横断的な活用はできていない。すでにインフラ化しているサービスではあるが、私は個人的には限界を感じて久しい。だからこそ、ブログサービスのほうでなんとかしたいと奮闘しているのだが、それもまた一難ある。(゚ー゚;

 この部分の改良を望んでいるユーザーは多いだろう。これからもどんどん変化していくだろうが、一体、どう変わっていくのか大注目していたい。この改良によって、個人的にはますます使いにくくなるかもしれない。ググるのは楽しいが、ググられる側になった時、自らの個人情報をどこまで露出するか微妙なところ。私は自分についての情報はある程度制御できるかもしれないが、個人的な人間関係がオープンにされるのは歓迎しない。自分で統御できなくなるからだ。

 昔の悪友は、20年前の私の異性関係をSNS上で暴露したりしたから、現在の彼とは絶交状態。たまたまその情報は私の機能で削除できたからいいけど、もうあんな思いをしたくない。もし削除できない情報が永遠に残って、共有情報としてSNS上でググられるようになったら、それは地獄だ。もちろん、ググる側になれば、スキャンダルのネタはごろごろしていることになるから、楽しいだろうけれど、あまりいい趣味とはいい難い。

 むしろ、自らコントロールできる情報に限定して、最初からブログ上でオープンにしてしまったほうがよいのではないか。そのほうが、あとから削除もできるし、訂正することもできる。このところ、私はSNSの参加には消極的だ。

 ところで、当ブログ<2.0>も、Googleのブログ検索にひっかかり、そこからアクセスしてくれた人たちが到着するようになった。また、最近Googleブック検索で、思いがけない記事を発見したりした。ますます便利になるのかならないのか。とにかく、当分Googleの動きからは目が離せない。

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オバマ「勝つ話術、勝てる駆け引き」

おすすめポイント:
マケインとの対決前に出た本だが、いかにオバマが民主党予備選を戦ったかがわかる。候補者の段階より、すでに大統領として就任した今こそ、その運動を振り返ってみるには、よい資料となる。

オバマ「勝つ話術、勝てる駆け引き」

池本 克之 ,西川 秀和 2008/10 講談社 216ページ 

オバマ「勝つ話術、勝てる駆け引き」

Vol.2 No.552 ★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 これから新しいステージでブログを書いていくとして、どんなところにテーマが絞られていくのだろうか。この<2.0>が始まってごくごくわずかだが(というか正式なスタートは4月1日の予定)、意味あるアクセスを伸ばす意味でも、検索されやすいテーマを選ぶに超したことはない。

 そこでざっと思いつくのが、Googleであり、オバマであった。オバマについては<1.0>ではほとんど取り上げなかったが、ここにきて図書館の関連蔵書も増えてきたので、自分の順番が来れば、すこしづつ読みすすめてみよう、と思う。

ひとことでオバマ本というものの、さまざまな角度からのアプローチがある。オバマの卓越した才能を高く評価する本がほとんどだが、一部のトンデモ本を含めたとしても、やはりなにか新しい世界をつくりだしてくれるのではないか、という期待感をどの本ももっている。

 Google、 Obama、と二つのテーマを並べてみた後、さて、当ブログの当面の三つ目のテーマを何にしようか、と思いを巡らした。ここはせっかくG、O、ときたのだから、G、O、D、という三大テーマではどうだろうか。ということは三っ目のテーマはDで始まる単語である必要がある。Dではじまるテーマでなにかとびぬけた話題はあるだろうか。

 思いついたのは、DeadあるいはDeath。「死」だ。チベットの死者の書は「The Book of Dead Tibet」あるいは「The Tibetan Book of Dead」と表記されることが多いようだ。DiscoverとかDo(道)などという候補もあるが、ここはDead(あるいはDeath)で行ってみよう。

 もっともGにはGloveやGurjeffなどの頭文字という要素もあるし、OにはOshoも忍ばせている。当ブログで言えば、コンテナとしてGoogle、コンテンツとしてのObama、コンシャスネスとしてのDead、と対応させておこうと思う。この三大テーマから当<2.0>はすこしづつ船出しよう。

 さて、今日はアメリカのサンフランシスコからのアクセスがあったことメモしておく。

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2009/03/27

世界からのアクセス

 <1.0>では、国内のすべての都道府県と、約20の国と地域からのアクセスを確認したが、こちら<2.0>では、地球全域を網羅することを目指している。(◎´∀`)ノ

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 とにかく今日は、まずはインドからのアクセスを確認。ご協力どうもありがとう。LOVE

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「当ブログへのアクセスマップ<世界地図編>」へつづく 2010/03/08 

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2009/03/26

オバマは世界を救えるか

「オバマは世界を救えるか」 

著者:吉崎 達彦 

  • 単行本: 235ページ
  • 出版社: 新潮社 (2009/02)
  • オバマは世界を救えるか

    Vol.2 No.551 ★★☆☆☆ ★★★★★ ★☆☆☆☆

     タイトルは「オバマ」の文字がカラー刷りだが、本書の主テーマは「世界」のほうにある。世界はいったいどうなっているのか、まずはそのことがこの本が言わんとするところだ。

     日本などでは、「肉食動物がいなくなったから、後に残った草食動物同士で仲よくやっていきましょう」という考え方は、割と広く受け入れらるのではないかと思います。つまりハイリスクハイリターンを目指す連中はいなくなったから、後はローリスクローリターンでやっていいというわけです。しかし、それではリスクマネーの供給が滞ってしまいます。結果として、ベンチャービジネスや新興国市場にはお金が流れなくなり、世界経済の成長率は低下することになってしまうでしょう。これはすでに、現実のものとなりつつあることですが。p64

     この本は商社や米国研究所などを経て、「サンデープロジェクト」などにも出演しているというエコノミストの本であるがゆえに、話題はそのようなマクロな世界経済に話題が集中してしまう。

     実際に、ジャングルから肉食動物がいなくなったときのことを考えてみるとよく分かります。瞬間的には、ジャングルは草食動物のパラダイスになるかもしれませんが、時を置かずして植物は食べつくされて、生態系全体が狂ってしまうでしょう。やはりジャングルには、肉食動物や草食など多様な生き物が共存していることが必要なのです。p64

     著者はどんな人なのか知らないが、あまりの極論に亜然としてしまう。人間たちはジャングルに住んでいるわけではない。山からエサ不足で山猿や熊たちが里に降りてきただけで、人間界は右往左往するのだ。町中にトラ、ライオン、ヒョウ、タイガー・・・などの猛獣たちを放てというのは極論だ。にわとり小屋にイタチが忍び込んだだけでも、人間界は破滅する可能性もある。

     もっと言うならば、ジャングルにはハゲタカやハイエナの類も必要です。本物のハゲタカやハイエナが、「死肉を循環させる」という形で生態系にとって重要な役割をはたしているのと同様に、「ハゲタカ・ファンド」は金融の世界を効率よくするために必要な存在です。p65

     AIGが破たんして米国政府の税金がつぎ込まれることになったが、その税金は、役員たちの高額なボーナスの穴埋めのために使われることがあきらかになった。著者がいうような、生態系に必要な役割なんかではない。自然界の動物たちは、自らの胃袋が満たされれば、必要以上に殺生はしない。しかし、人間界のハゲタカたちの欲望に限界はない。

     AIGの子会社であるア☆コなどの、餌とり場になっているのは、高齢者たちのかよわき被保険者たちが多い。まさにニワトリ小屋にイタチを放したよりもはるかにひどい状況になっているのだ。ジャングルの猛獣たちには、それなりのすみ分けがあるはずだ。しかし、著者の言っていることは、たとえ話を使って、人間界を愚弄した話になってしまっている。

     日本では「ハゲタカは存在それ自体が悪」ということになっていて、例えば長銀や日債銀が破綻した際に荒稼ぎをしたファンドのことを、今でも悪し様に言う人が少なくありません。しかし、あのときは国内でリスクマネーを供給できる金融機関がなかったのです。そして誰かがリスクマネーを提供してくれなかったら、その後の金融再生はもっと手間取っていたでしょう。極論すれば、火事を起こしてしまったときは火事場泥棒に来てもらった方がありがたい。そうでないと、いつまでたっても焼け跡の整地が終わらず、再建計画が進まないからです。p65

     もうここまで読んだ段階で、私はこの本に見切りをつけた。火事を起こさないように気を付けることが先なのに、著者はまず火事場泥棒の話から始まっている。火事場泥棒ありき、なのだ。著者は、現実の火事の消火活動にあたったことがあるだろうか。すべての火事場に泥棒がやってきただろうか。火事場泥棒などこなくたって、99.9%の火事場は、キチンと整理されていく。それには普段からの消防団のチームも必要だし、防火クラブのネットワークも必要だ。さまざまな避難訓練も行われている。

     そもそも日本の金融危機は、ハゲタカファンドを含むグローバルマネーが解禁されたことによるところが大きい。つまり、里に猛獣が放たれたところから始まっている。自分で火事を起こしておいて、消火活動にも協力せず、最初から火事場泥棒狙いでは、マッチポンプより始末がわるい。著者の論理は、破綻している。

     著者はオバマに何を期待しているのか知らないが、すくなくとも当ブログが求めているものとは大きく違っているようだ。

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    2009/03/24

    祝・WBC優勝!

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     やっぱぁ、すごかったなぁ。

     心臓がどきどきして、すごく血圧が上がった。

     力道山の流血を見て、ショック死した老人と同じような体験をした。(笑)

     しかし・・・・・・・ こんな写真をみたり、あんなコラージュをみたりすると、かなしくなるなぁ。

     スポーツの世界はスポーツの世界として、綺麗に勝敗をつけて、あまり遺恨を残さず、クリアにいきたいものだ。

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    動画の投稿

    ただいま練習中 

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    神秘家の道 <2>

    <1>よりつづく

    神秘家の道

    「神秘秘家の道」<2>

    販売元楽天ブックス
    楽天市場で詳細を確認する

    書き込みの練習中。

    <3>につづく

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    2009/03/22

    レヴィ=ストロースの庭 <1>


    「レヴィ=ストロースの庭」 <1>
    港千尋 2008/11 NTT出版 単行本 127p
    Vol.2 No.550 ★☆☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★★☆

     足かけ5年、実質3年書いてきたブログからの引っ越しを考えて、あちこちうろうろしている。約20位のブログ・リストを眺めながら、それぞれの特徴をつかみ、マルチポストしたり、使い勝手を味わったりしている。しかし、どれもこれも一長一短があり、どうもいまいち決まらない。

     このままだと、青春時代のガールフレンド選びの悪夢の再来になるかもしれない。彼女の横顔は抜群だが、胸がなぁ~、とか、あの優しさにはまいってしまうが、どうも身長が・・・、とか。超美人だが、すでに噂の彼がいたり、ラブレターをもらったのだが、どうもこちらの趣味ではない、とか・・・。ああ、いい加減してくれ、って、やっぱり彼女にしよう、って、ようやく告ったら、はっきり断られたり。ああ、勘違い。ガクッ。

     このままうろうろしていると、あの悪夢の再来になってしまう。このままでは、いかん。なんとかしなくちゃ、とあせればあせるほど、理想は遠のいていく。ここはあまりに完全を求めず、ポイントを絞らなくてはならない。

     考えてみれば、いままで使ってきたブログも別に最初っからひとつではなかったのだ。5年前に同時進行で4つのブログを使い始めてみた。だが、自然とひとつに絞られていった経緯がある。今考えてみえば、その第一のポイントは、おなじサービスを使っている旧知の友人が何人かいた、ということだろう。

     親しみやすかったし、友人たちのマネをしていれば、なんとか形になっていくかもしれない。わからなかったら、彼らに聞けばいだろう。結局そんなことで、現在まできてしまったのだった。

     友人たちが使っているだけあって、なるほど人気ブログではある。しかし、ちょうど区切りのいいところで回りを見渡してみると、時代は少しづつ変化しており、さまざまな新しい視点からブログ選びをしなくてはならないと感じはじめた。

     今使っているブログの基本性能を備えていて、なお、それを超えているもの、というと、なかなかない。いや、ないのだ。それは無理な話だ。そこにはそこの素晴らしさがある。しかし、それでもなお、どうしようもなく、今後必要だなぁ、と感じているものを、たとえば3つに絞るとすると、次のようになる。

     ひとつは外部のアクセス解析サービスを使えるかどうか。複数の解析サービスを使うことによって、より複眼的に自分のブログを見つめ直すことができる。

     ふたつめは、動画を張り付けることができるかどうか。しかも簡単に。これがなかなかクリアされないことがある。こちらの技術が甘いこともあるし、また裏ワザというものも確かに存在している。しかし、とにかく基本性能として動画を当然のごとく受け入れてくれていること、ここが肝心だ。

     そして、三っつ目には、過去ログのインポート・エクスポート機能を備えていること。これはバックアップを取るために必要でもあるし、将来的にもっと素晴らしい環境ができたら、また引っ越したいというケータビリティを高めたい、ということでもある。すぐには引っ越さないまでも、その可能性があるかないか、で、こちらの姿勢が変わる。

     ほかにも操作性とか、HTMLの受容度とか、アフェリエイトについての姿勢とか、ネームバリューとか、タイムラグのなさとか、スパム対策とか、数えていきけばキリがないので、無視できるところは無視しようと思う。

     とにかく青春時代の悪夢の再来は避けたいところだが、新しく引越しするのだから、せめて、上記3つの基準だけはなんとかクリアしたい。そのような目でテストするのだが、これもまたなかなか一筋縄ではいかないことがすこしづつ分かってきた。

     分かってきたのではあるが、メンテナンスのために休もうと思った期間は3週間。すでにその半分は経過した。あとの残り一週間ほどで、次の引っ越し先をみつけようと思う。当然、見切り発車ということになろう。

     しかし、それもまた人生ではないか。すべて完全なコンテナがあるはずがないし、コンテナが素晴らしかったとしても、コンテンツがダメなら、やっぱりダメじゃん。それにそれに、当ブログが目指すは、コンシャスネス領域。結局は、すべての完全と、すべての不完全をのみこめるほどの広さがある世界であるはずなのである。

     森の禁忌、炭を焼く火、職人のための料理、そして男のように見なされる女・・・・わたしたちは、いつのまにか神話世界の入口に座っていた。木を燃やしてできる炭は男の役割であり、料理の火を使うのは女の役割である。どちらも自然から文化をつくりだすが、ふたつの世界のあいだには境界がある。大著「神話論理」に繰り返し現れる自然から文化への移行、対立する項、そして見かけの逆転という図式が、すぐそばから始まっている。ブルゴーニュの森が、アマゾンの森につながっているのではないにしても、すこし視点を変えるだけで、庭がちがったものに見えてくる。庭は家と森とのあいだにある。それは焼けた炭をもって森から出てきた男たちが通る場所であり、暖かい料理を森へと運ぶ女たちが通る場所である。人間が火をもって通ると、森は焼かれて畑になる。つまり自然が文化へと変化する空間ということになる。「神話論理」は火の起源で始まる。p30

    <2>につづく

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    2009/03/21

    韓国のデジタル・デモクラシー


    「韓国のデジタル・デモクラシー」 
    玄武岩 2005/07 集英社 新書 254p
    Vol.2 No.549 ★★★★☆ ★★★★★ ★★☆☆☆

     9.11以降、ネット上における個人の意見の取り上げられ方が違ってきているとは思うが、はて「デジタル・デモクラシー」という概念は成立するだろうか。日本の政治体制も、二大政党をもくろむ二つの政党に「民主」がつき、他の小さな政党も「民主」を掲げているのであるから、それなりの価値があるのだろうが、どうもこれが最終の最上の解決策とは思えないところがある。

     ブログがこれだけ勃興してきて、Vote(投票)からVoice(意見)へ、などという流れもできつつはあるようだが、理想の状態に到達するまでには、気の遠くなるような時間を必要とするように思える。デジタル投票システムでさえ、信頼性のおけるものがまででき上っていない状態で、デジタル・デモクラシーなどがきちんと成立するとは、とても思えないというのが本音である。

     ブログを数値的に計測するGoogle Analyticsをいじっているが、これがなんとも素晴らしいものがある。単純なマーケティングに利用するだけでなく、もっと積極的な「デモクラシー」に使える可能性もあるのではないか、と夢見たりする。

     WBCでサムライ日本と闘う韓国チームには、鋭いものを感じるが、ピッチャーマウンドに自国の国旗を立てたりするナショナリズムは、かなり遅れている、と私は思う。白塗りにした顔に鼻を赤く塗ったりする「日の丸」顔も、とても美的だとは思わないが、まぁ戦争を起こすよりはいいか。早めのガス抜き程度に活用されれれば、それでいいかもな。

     北★鮮のような、強盗居直り国家(と見える・・・)のようなスタイルよりは、同じ民族でも韓国のほうがましなような気もするが、だがしかし、いくら韓国のITインフラが進んでいるからと言って、韓国のデジタル・デモクラシーが理想的なのだろうか、とちょっと疑問に思う。

     オバマの登場については、これからもっともっと評価が厳しくなっていくだろうが、このような政治体制になりつつあるのも、よくも悪くも、「デジタル」な「デモクラシー」が台頭してきるから可能だった、ということができる。しかし、これもまた最終・最上のものではないことは言うまでもない。

     デジタルなコンテナとしての機能が、コンテンツとしてのデモクラシーを助長させているとしても、まだまだこれからだ。スピリチュアルなコンシャスネスへと、このデジタル・デモクラシーがつながりを見せていくのか、まだ道筋はできていない。当ブログはその辺の見極めに関心がある。

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    2009/03/20

    思想としてのパソコン

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    「思想としてのパソコン」
    西垣通 1997/05 NTT出版 単行本 298p
    Vol.2 No.548 ★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

     ブログを引っ越すとなると、それなりにいろいろ検討すべきことがでてくる。車を買いかえる、プロバイダを変える、パソコンを変える、マンションを引っ越す、それらと同じほどに検討すべきことが多い。

     それにはまず、ブログとはなにか、ということを考える必要がある。もっと突き詰めれば、ブログとは自分にとっては何か、ということであり、さらには自分は誰か、ということに行きつく。

     そしてブログを引っ越すにしても、どんなブログが他にあるのかを知る必要がある。どんなサービスがあり、どんなヘビーユーザーがいるのか。どのような成果が上がっているのか。いままであまり積極的に研究してこなかったので、そのツケが現在に繰り越されてしまった。

     古い書籍では分からないことも、ネットならいろいろな情報がある。あるいはネット情報でも決して新しいものばかりとは言えない。古くとも役立つ情報もいっぱいある。とくにこれからは、複数のブログを活用する可能性もあるので、過去ログのインポート・エクスポート機能も気になるところだ。

     最初はあまり気がすすまなかったが、積極的な意味でのアフェリエイトはどのような形であるべきか。そして、発信だけではなく、受信状態を調べるためのアクセス解析機能なども、検討の重要な要素になっている。すこしづつ検討のターゲットを深めつつ、対象範囲を広げて検討しているが、次第にそのブログという実体の一端が見え始めてきた。

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    2009/03/19

    新教養としてのパソコン コンピュータのきもち

    <1>よりつづく 


    「新教養としてのパソコン入門」  <2> コンピュータのきもち
    山形浩生 2007/07 アスキー・メディアワークス /角川 207p
    ★★★★☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

     3年も同じブログを使い、1500冊ほどの本を読んで、読書ブログとして使いこなしてくると、かなりのルーティン・ワークになり、かなり手なれたもので、頁も量産することが可能になってくる。アクセス数もうなぎ昇りでユニーク・ユーザーもどんどん増えていく。面白いと言えば、かなり面白い局面になってきた。

     しかし、ここでひとまず、ひと呼吸おいて考えてみる。所詮は、アルファ・ブロガーたちに比べれば、じつに大した事のないアクセス数であり、内容とて、それほど誰にも彼にも誇れるような内容では決してない。

     なにか新しい可能性があるのではないか。そこで検討中なのが、あたらしいブログ・サービスとアクセス・アナライザーの設定である。いままでのブログも独自のサービスがついていたが、いまいち使いきったというか、もっと新しいなにか新鮮な機能がほしい。

     そこで、いままでのブログは一時休業して、あちこち見てまわっているのだが、これがなかなかこれぞというとびぬけたサービスはない。結局は、使いきってなれていくしかないのだが、それでもやはり、これから何年か使うとなれば、自分に使い方に一番マッチしたものがほしい。

     そんなわけで、現在のところは、あちこちマルチポストしながら、その機能を比較検討しているところである。どこも一長一短あるが、やはり一番いいのはいままでのところ。なぜなら固定客がいるからだ。そのアクセス者たちとオダをあげていれば、私のパソコンライフ、インターネット人生は、それなりに楽しく送れるだろう。

     しかし、ここで、私のいつもの反逆精神が表面化してきた。とにかくここは何か新しいことを始めようではないか。そろそろ春だしなぁ・・・。

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    2009/03/18

    オバマ・ショック

     
    「オバマ・ショック」
    越智道雄 /町山智浩 2009/01  集英社  新書  202p 
    Vol.2 No.547 ★☆☆☆☆ ★★★★★ ★★★☆☆

     越智は著名なアメリカ学者、町山は韓国籍でありながら韓国語を話せない、日本社会で成長した映画評論家。二人がオバマの登場をきっかけとしてアメリカ社会の歴史、そして、これからのグローバル社会の展望を話し合う。

    町山 オバマという一個人の背後には、ありとあらゆるバックグランドが存在することがわかりますね。

    越智 だから、オバマをひと言で表現するなら「絶対的アウトサイダー」ということになると思うんです。人種、階級、宗教、コミュニティ、家族関係などあらゆる側面で、どこにも帰属してこなかった、あるいは帰属できなかった人ですね。 町山 逆に言えば、どこにでも帰属するとも言えます。演説でもそのことを強調しています。さまざまなアメリカを内包する自分は、バラバラになったアメリカ再統合の象徴だと。 p161

     この本は、当ブログの例えで言えば、コンテナ、コンテンツ、コンシャスネス、の三要素の中ではコンテンツに偏りを見せているが、本来はここからさらにコンシャスネスへと歩み出してほしい一冊である。

     地球人スピリット、とひとことで言ってしまうことは簡単だが、さて、それがどのような形で具現化してくるのか、と問われれば、そうそう簡単なはずはない。オバマの言動には、どこか寸止め的なオーバーアクション的な部分がないでもない。ブラック・ケネディどこか、ヘタすりゃ、ブラック・カーターになってしまう可能性もある。

     それでもやっぱり、ひとつのプロセスとして、オバマの登場は、大いなる希望を感じさせる。今後どのような展開をしていくのか、興味深々だ。そして、オバマにつづき、オバマを超えていく若き政治家たちも登場してくるだろう。さらにもっともっと、多くの新しい若き地球人たちが次から次と生まれてくるに違いない。

     現在は、まだそれはオバマ・ショックと呼ばれる段階だが、このオバマ・インドロームはさらに進化して、もっともっとポピュラーなものになるに違いない。そして、当ブログはさらに、そこから、超政治な、地球人スピリットへとつながるプロセスに関心を持っている。

    越智 キング牧師のような説教師ではないですしね。いずれにしろ、オバマといのは、類型がない人であることは間違いない。彼の演説を見た知人は「まるで彫像のようだ」と評していましたが、私は、大げさに言うと、弥勒菩薩みたいなものだと思いますね。

    町山 宇宙人の次は弥勒菩薩ですか(笑)。

    越智 弥勒は釈迦入滅後56億7000万年後に現前して一切の衆生を救出してくれる「未来仏」ですが、奴隷にされてから400年の辛苦は、心理的に56億7000万年に匹敵するのです。だから、オバマ当選で「アーメン!」と連呼する黒人たちの姿が全米で目撃されている。「ついに未来仏が現れた。生きてこの光景色を見られようとは!」というわけです。さらに言えば、弥勒信仰というのは一種の救世主待望論ですから、戦乱や飢饉のような「国難」が発生したときに起こるんですよ。p196

     すでに地球は、ひとりの救世主によって救われるというようなシンプルな構図にはなっていない。相互に干渉しあって、ひとつのコンシャスネスのネットワークがグローバルな地球全体を包み込むこと、その時こそ、私たちが地球人としての自らのアイディンティを取り戻すときだ。その表れのひとつがオバマ・ショックと呼ばれている。

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    仮想世界で暮らす法

    <1>よりつづく


    「仮想世界で暮らす法」 「Web 2.0」社会でどう生きるか
    内山幸樹 2007/10 講談社 新書 166p

    ★★★★★ ★★★★☆ ★★★☆☆

     足かけ5年、実質3年間、ひとつのブログと付き合えば、愛着が湧いてくるというもの。アバタもえくぼで、いまさらあちこち浮気をしてもどうもにもならん、とは分かっているが、やはり畳と女房は新しいに限る(って、ちょっと失言か)。

     このまま使い古したブログを、新たな気持ちで更新続けるか、あるいはここで意欲的に新たな地平に再スタートを切るか、微妙な選択を迫られている。ブログに何を求めるのか、ブログは私に何を求めているのか。少しの時間、メンテナンスに時間をかけて、じっくり考えてみたい。

     そもそもネット社会への参加の仕方はさまざまあり、すでに好む好まざるにかかわらず参加させられてしまっているのだが、積極的にネット社会へ参加しようとすれば、ブログは多いなる機会であり可能性でもある。

     ブログには三つの機能を要望したい。ひとつはコンテナとしての機能。自己表現のもっとも身近で便利で説得力ある道具として、使いやすくあってほしい。ふたつ目には、コンテンツとしての機能。表現したいものを不偏不党、自立した個人としての立ち位置を確保し、確認する場として、確立されたものであってほしい。みっつ目にはコンシャスネスとしてのひろがり。全体への統合、存在へのインターフェイスとしてのブログの在り方だ。

     そのような思いを秘めながら、いままでのブログを再点検しながら、ほかの数個のブログにもマルチポストを続けてテストしている。手身近なところから実験しているが、一長一短、これと言った決定打はない。最終的には、本命、対抗、穴馬、と三本に絞って、さらにテストを続けてみるつもり。そこから一本に絞られるのか、三本程度のブログ(あるいは機能)を同時進行させていくのか、今のところは未定。

     ブログとして、まずは、やはりオンオフ、つまり、みずからの記録としての機能と、他者への呼びかけの機能が、うまくかみ合ったものが、最初に要求される。変にブログ独特のカラーに染められるのもちょっと困る。あるいは、書けども書けども、誰にも注目され得ない、というのも情けない。ここがオンオフ可能であることが大事だ。

     次には、アフェリエイトなどの経済活動の可能性と限界性の見極めが大切だ。ブログに、アフェリエイトなどの機能があることはわかるが、所詮、ブログとして機能の10分の1にも満たない魅力であるに違いない。ブログを続けていたら、アフェリエイトのポイントがたまっていたよ、という程度のものでいいはずなのだ。すくなくとも私はそのような態度でいる。

     次には、他者、とくに他者とのつながり。すでに自分のブログでは、日本の都道府県レベルではすべての地域からアクセスされていることを確認しているし、かなりの数の大学や地域プロバイダを通じてサクセスされていることも分かっている。これだけのつながりのなかで、何を自らは発信できるのか。

     地球レベルでも言語の違いを超えてつながりを持ち始めている。すくなくともこの一か月程度で確認したのは20の国と地域からのアクセスだ。かなりのレベルでの絞り込みもできている。このつながりの可能性を伸ばしていきたい。八真するばかりではなく、受信もしっかり行いたい。

     さらには、この機能を通じて、人間とはなにか、人間としてどう生きるのか、真善美とは何か、というところあたりまでつながり得るものを求めたい。すこしてんこもりの欲張りすぎでもあるようだが、まずは転換期でもあるので、すこし理想は高くもっていたほうがいいだろう。

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    2009/03/16

    大学からのアクセス

    大学から当ブログへのアクセス 

    当ブログ1.0において確認できたアクセス履歴の一部を転記しておく。(順不同)

    *.hokudai.ac.jp   北海道大学  
    *.hokkyodai.ac.jp  北海道教育大学  
    *.kitami-it.ac.jp    北見工業大学 
    *.rakuno.ac.jp     酪農学園大学 
    *..akita-u.ac.jp    秋田大学   
    *.iwate-u.ac.jp   岩手大学   
    *.tohoku.ac.jp     東北大学   
    *.mgu.ac.jp  宮城学院女子大学     
    *.ibaraki.ac.jp  茨城大学  
    *.tsukuba.ac.jp   筑波大学    
    *.utsunomiya-u.ac.jp  宇都宮大学   
    *.u-gakugei.ac.jp     東京学芸大学    
    *.toyaku.ac.jp      東京薬科大学      
    *.titech.ac.jp  東京工業大学   
    *.nihon-u.ac.jp   日本大学 
    *.u-tokyo.ac.jp  東京大学 
    *.dendai.ac.jp  東京電機大学 
    *.jichi.ac.jp  自治医科大学    
    *.keio.ac.jp  慶應義塾大学  
    *.sophia.ac.jp   上智大学    
    *.icu.ac.jp      国際基督教大学   
    *.meiji.ac.jp  明治大学  
    *.ritsumei.ac.jp  立命館大学   
    *.toyo.ac.jp  東洋大学  
    *.dokkyo.ac.jp  獨協大学    
    *.toin.ac.jp  桐蔭学園横浜大学    
    *.otani.ac.jp  大谷大学  
    *.shibaura-it.ac.jp  芝浦工業大学  
    *.cuc.ac.jp  千葉商科大学   
    ***.chiba-u.jp  千葉大学 
    *.kaiyodai.ac.jp  東京海洋大学 
    *.tus.ac.jp 東京理科大 
    *.tokyo-med.ac.jp 東京医科大 
    *.ris.ac.jp 立正大学 
    *.sanno.ac.jp  産業能率大学  
    *.waseda.ac.jp   早稲田大学    
    *.niigata-u.ac.jp  新潟大学    
    *.aitech.ac.jp     愛知工業大学      
    *.kobe-u.ac.jp    神戸大学     
    *.hiroshima-u.ac.jp  広島大学    
    *.hju.ac.jp  広島女学院大学    
    *.kochi-u.ac.jp  高知大学    
    *.yamaguchi-u.ac.jp  山口大学     
    *.fukuoka-u.ac.jp    福岡大学      
    *.kyusan-u.ac.jp  九州産業大学    
    *.bukkyo-u.ac.jp  佛教大学  
    *.nda.ac.jp    防衛大学校      
    *.niigata-u.ac.jp  新潟大学 
    *.shobi-u.ac.jp      尚美学園大学     
    *.shizuoka.ac.jp     静岡大学   
    *.iuhw.ac.jp  国際医療福祉大学 
    *.nagoya-wu.ac.jp   名古屋女子大学   
    *.usp.ac.jp     滋賀県立大学   
    *.nara-edu.ac.jp   奈良教育大学  
    *.kyoto-u.ac.jp   京都大学  
    *.osaka-u.ac.jp   大阪大学 
    *.sonoda-u.ac.jp   園田学園女子大学   
    *.kobe-u.ac.jp  神戸大学   
    *.kobe-c.ac.jp   神戸女学院大学 
    *.u-hyogo.ac.jp    兵庫県立大学    
    *.okayama-u.ac.jp  岡山大学   
    *.tokushima-u.ac.jp    徳島大学      
    *.minpaku.ac.jp     国立民族学博物館  
    *.nao.ac.jp  国立天文台    
    *.shinshu-u.ac.jp  信州大学  
    *.juen.ac.jp  上越教育大学    
    *.kanazawa-u.ac.jp 金沢大学      
    *.jaist.ac.jp  北陸先端科学技術大学院大学 
    *.nanzan-u.ac.jp 南山大学  
    *.osaka-cu.ac.jp 大阪市立大学 
    *.baika.ac.jp 梅花女子大学 
    *.notredame.ac.jp 京都ノートルダム女子大学 
    *.kawasaki-m.ac.jp  川崎医科大学  
    *.bunri-u.ac.jp 徳島文理大学  
    *.kagoshima-u.ac.jp  鹿児島大学  
    *.u-ryukyu.ac.jp  琉球大学 
    *.okinawa-u.ac.jp    沖縄大学 
    ****.univ-paris-diderot.fr フランス・パリ第7大学 
    ***.oregonstate.edu  米国オレゴン州立大学  
    ***.washington.edu  米国ワシントン大学   
    **.uta.edu 米国テキサス大学アーリントン校 
    ***.harvard.edu 米国ハーバード大学 
    ***.unige.ch  スイス・ジュネーブ大学  
    ***.ac.uk  英国の大学 どことは特定できないが、
    ***.edu.cn 中国教育网 中国の文部科学省か・・?
    ***.hinet.net  臺灣入門網站 台湾?

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    2009/03/15

    <異説>親鸞・浄土真宗ノート <1>


    「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」 <1>
    玉川信明 2004/04 社会評論社 単行本 306p
    Vol.2 No.546 ★☆☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★★☆

     稀有なスタイルを持った著述家・玉川信明が逝って数年が経過した。あらためて振り返ってみると、ユニークなOsho本4冊を残した著者らしく、この親鸞本も<正統>派から見れば、<異説>ということになるのだろう。しかしまた、他力本願の親鸞においての<正統><異説>とは一体何か、ということになるが、ここであえて自ら<異説>と名乗ることによって、著者は自らに自由を与えようとしている。

     その<自由>さは、さらに拡大し、親鸞の宗教観に対する自らを考えを補強する形で、「インドの和尚への架空インタビュー」という途方もない手法を編み出す。これが実にユニークというべきか、暴挙というべきか、まるで高橋信次の霊界通信のような言葉づかいになっていることに、大いに笑える。

     ----僕がかねがね不思議に思っている疑惑は、第18願では、法蔵菩薩が人類がみな救われねば、自分も成仏しないと語っているところです。それが明らかに人類は救われていないにもかかわらず、いつの間にか法蔵が阿弥陀如来として仏になっているところがわからない。

    和尚 それが「教相判釈」(きょうそうはんじゃく・教えを再解釈する)と呼ばれるものですね。仏教には8万4千とも数えられる法門があります。古代の法門はブッダ一人であったものが、年を経るごとにブッダの本音は聞けないことになる。ブッダ入滅後の言葉でも記憶第一とされたアーナンダが語っている部分ですら、本当にブッダの説法かどうか怪しい。そこへ入滅後さらに数多(あまた)の判釈が割り込んできて、余計にそれが本当のブッダの言かどうか不明になっています。そこへ一介の人間にすぎない親鸞が心底からよりかかって、規定し直しているわけですから、大乗仏教の粋(すい)は本当に浄土真宗にあるのかどうか、分からないのです。p131

     この部分だけを抜き出しても、ここで語られている「和尚」が、いわゆるインドの「Osho」のことだと気づくひとは皆無だろう。著者はマリオネットや腹話術を駆使しながら、結局は自らの<異説>を展開していくことになる。

     イニシエーションの時に、Oshoの指が私の額に触れ、個人ダルシャンのときに私の指が彼の足に触れた、というレベルではあるが、肉体的コンタクトもあり、自らの耳で彼の話を聞き、自らの口で彼に質問した経験のある自分としては、自らのOsho像とは、実はあまりに似つかない言葉使いや印象に、苦笑せざるを得ない。

     しかしまた、玉川信明という人が、日本にいながら70の齢に達し、晩年に至って日本語訳にされているあらゆるOsho本に目をとおして、青年時代から傍らに存在した親鸞を語る、という所業は、とてつもなくユニークだ。誤解をされないようにキチンと説明したうえで、その自説を展開するスタイルは、自称「プロの嘘つき」である村上春樹の小説や、SFなどのフィクションが許容されると同じように、この本は、独創性という意味では目を見張らせるものがある。まさに<異説>である。 

     親鸞については、いくつかの角度から切り込んでいくチャンスがあったが、当ブログ<1.0>においては、深く入っていくことはできなかった。一つには、機縁の問題であり、一つには力量の問題であり、一つにはタイミングの問題である。最初の最初から批判的に親鸞に切り込んでいくほどの余裕はもともとない。また、親鸞について通り一遍以上の素養がない。そして、読書ブログ、1日1冊1万字というキャパシティの中で、こと親鸞を取り上げて追っかけることは、当ブログとしては、一日たりとも第一義になったことはない。

     しかし、こうして玉川が先鞭をつけてくれたことにより、インターフェースはわずかながらできたと解釈できる。あとは、もうすこし時期を待とう。

    <2>につづく

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    2009/03/14

    意識は科学で解き明かせるか


    「意識は科学で解き明かせるか」 脳・意志・心に挑む物理学
    天外伺朗 /茂木健一郎 2000/03 講談社 新書 197p
    Vol.2 No.545 ★★★★☆ ★★★★★ ★★★★☆

     「意識は科学で解き明かせるか」という命題について、拙速的に即答すれば、それは「できない」という答えにならざるを得ない。それはこの本のもととなった対談が行われた1998年だろうが、この本が出版された2000年だろうが、あるいは、当ブログがようやくページをめくっている2009年であろうと、変わりがない。それはまだ時期が熟していないからか、あるいは、そもそもこの命題に限界があるのか。

     天外伺朗・茂木健一郎という二人のソニーに関係のある「科学者」が「意識」について考える。この本で言われているところの「意識」という言葉が、当ブログとしてもとても使いやすい。このテーマこそ、当ブログが探索していた言葉づかいということになろう。

     茂木 脳科学をやっている立場からいえば、脳を物質として扱っている限りはいいのですが、心を科学的な学問の対象にしようとすると、まだ非常なアレルギーがあるんですよね。 私はいつもこれを「刺身のつまの意識」と言っているんですが、脳科学者は90パーセント以上の時間は、ふつうに物質的に脳を扱って、最後の最後に「ところで意識は不思議ですね」とか「そのうち解きたいですね」とか何とか言うんですよね。それに正面から本気で取り組もうとすると、そこにタブーがまだあって、そこらへんが面白いですね。いかにニュートンが提出した機械的な宇宙観というものが、宗教にも似た位置を占めているかということなんですよね。ニュートン的な世界の外、たとえば心の問題を問い始めた瞬間に、科学者でなくなってしまうかのような風潮が依然としてあるわけです。p54  

     茂木については、いつも気になるのだけど、まとめて追っかけたことはなかった。どんな位置にあるどんな人物なのだろう。だが、この一冊を読んだだけでも、彼が存在している立ち位置というものが、とても微妙であり、また貴重でもある、ということがよくわかる。

     天外 我々が意識について語るとき、常識的に考えて、意識がすべてだということからいろいろな話をすすめています。しかも、意識と脳の関連といのは、まだまったくわかっていない状況です。けれども、私は、実はたいへんなことがすでに発見されていると思います。これはぼぼ事実と言っていいことだと、私は思っています。すなわち、「意識の拡大」という現象です。

     
    人間は、瞑想したり、ランナーズハイになったり、あるいは滝行のような難行苦行をしているときに非常に特殊な意識状態になります。それを「意識の拡大」と言っています。宗教的な神秘体験や、あるいは臨死体験のときの体験とほとんど同じです。人類の歴史を通して、宗教家はそれを神秘体験として語ってきました。宗教家でも、たいへんな修行をした非常にわずかな人だけの体験でした。一般の人でもまれに、そういう体験をした人がいましたが、そういうことを語ることがありませんでした。体験を語っても、あいつは気が狂ったと言われるのがおちだからで、体験した人もほとんどしゃべらなかったのです。p133

     天外も当ブログ<1.0>でもいくつ読んできたが、そのつど変化自在な顔を見せる多彩な人物ではあるが、相手が茂木だと、かなり本領を発揮して、縦横無尽な知性を使いきって、彼流の「意識」についての思いを語る。しかし、ここにおいての「科学」と「意識」の間には、「芸術」をおかなくてはならないし、「芸術」から「意識」へのリンクも、まだまだ杳としてつかめない、というのが本当だろう。  「最後のそして最大の難問に、突破口はあるか」(裏表紙)。この本ブルーバックスの中の一冊である。なかなか面白い。当ブログ<2.0>における突破口になる可能性が大きい。

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    2009/03/12

    OSHO on Youtube

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    ツォンカパの中観思想<2>

    <1>よりつづく 

    ツォンカパの中観思想

    「ツォンカパの中観思想 <2>ことばによることばの否定
    四津谷孝道 2006/11  大蔵出版  単行本  389p 

    Vol.2 No.545 ☆☆☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★★★★

     
    若いころインドを旅した時に、ビザの延長ができずにすぐ国外に出なくてはならなくなったことがある。通常ならここでネパールでも尋ねたいところだが、私はなぜかスリランカに飛行機で飛んだ。上座部仏教のビパサナを学ぶチャンスがあるかもしれないとという獏とした気持ちだったのだが、意外や意外、そこで出会ったのは南無妙法蓮華経だった。

     まずそれはともかくとして、いきなり飛んだコロンボの空港近くのホテルに一泊したのだが、準備もなく飛んだので、チェックインしたものの、ホテルの中ではなにもすることがなかった。部屋も単調で、テレビもなければ、眺めるほどの夜景もない。若かったせいで気がつかなかったが、土地柄のゆえか、酒を飲むことも発想さえしなかった。

      ふと気が付くと、前の客が置いていったのか、一冊の文庫本が置いてあった。松本清張の小説だった。たしか「点と線」だったのではないだろうか。ほとんど彼の小説など読んだことも、読むことを考えたこともなかった私だったが、他にすることもなく、パラパラとめくりだした。

     その本は私の期待に反して面白かった。非常に面白かった。すでに数か月の長旅になっていたので、そろそろ日本が恋しくなっていたところだ。旅の途中で、思わぬところに日本食レストランを見つけたような気分だった。

     これは面白い、日本に帰ったら、このシリーズをもっと読んでみたい、読破してやろう、などと、相変わらずの単純思考で思ったことだったが、結局、あれから30年も経過しているのに、そして読む気になれば、いくらでも松本清張の小説などころがっているのに、結局は一冊も読まなかった。

     銀行の窓口で、月末などの混雑時に傍らの雑誌などをぺらぺらめくるのだが、通常はめくらないような雑誌のなかに、意外と面白い記事を見つけて、帰り足に書店に寄り、自分用に一冊求めたりするときがある。この現象も、むかしのスリランカの松本清張の小説と同じような状況から生み出されるものと推測される。

     手持ちぶたさで他になにもすることがないとき、傍らに一冊の本があったら、きっとどんな本でも手に取って読みはじめるに違いない。そして、一冊の本になっている限り、必ずや面白いところがあるはずなのであり、必ずや見つけないではおくものか、という貪欲なところが私にはある。

     さて、この「ツォンカパの中観思想」は、やはりそのような状況におかれたら初めて読みだせる本なのではないだろうか、と思う。何冊かの本があったり、他に何か楽しいことがあったら、まずこの本から読もう、とはしないだろう。

     でも、チベットにでも旅し、リュックの中にこの本一冊しかないとしたら、きっとその時こそ、この本が一番の読み時であろう。集中してこの本を読んだらきっと面白い。そうとうに面白い。しかし、この本の面白さを痛感する前に、私には、他のもっとお手軽な面白いものを見つけてしまうのだ。

     せっかくこの本が、500キロも離れた図書館から送られてきているのに、結局は精読する間もなく、返却日になってしまった。なにも内容のあることは書けないが、この本が、ふたたび私のもとを訪れてくれていたのだった。そのこということを忘れないようにするために、このメモを残しておく。

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    神秘家の道 <1>

    path of the mystic
    「神秘家の道」 珠玉の質疑応答録 <1>
    OSHO /スワミ・パリトーショ
    2009年03月 市民出版社 849p
    Vol.2 No.544
    ★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆


     パリトーショ久しぶりの翻訳のように思うが元気そうでなにより。 散歩がてらに紀伊国屋に行って、見かけたので早速お持ち帰り。 一日目を読んだだけだけど、いいなぁ、やっぱり。 OSHOの言葉に長年なじんでしまったから、いい、と感じるのだろうか。それとも、やっぱり、誰が読んでも、いい、のだろうか。
      「意識は、まったく別な方法で発見されなければならない。知性とは思考だ。ところが意識は、無思考の状態で---思考の片鱗すらも妨害になるような、完全な沈黙の中で発見されるものだ。  そうした沈黙の中で、人は自分自身を発見する。」p30

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    2009/03/10

    プロセス・アイ<1>

    プロセス・アイ
    「プロセス・アイ」
    茂木 健一郎 2006/01 徳間書店  単行本  Vol.2 No.543 ★★★☆☆  ★★★☆☆  ★★★☆☆

      茂木健一郎のブログを見たら、今日の日記に次のような事が書いてあった。小説「プロセス・アイ」の部分の一部だが、気になる内容だ。

      20世紀末から始まったインターネット上のオープン・ソース・ムーヴメントにより、共産主義は、少なくとも理念上は、訴求力を取り戻しつつあった。オープン・ソース方式では、その先駆けになったコンピュータのオペレーティング・システム、『リナックス』のように、多くの技術者がボランティアとしてその開発に取り組む。必ずしも、その開発から経済的報酬を得ない。仲間内の名誉や、自分自身の技術力の進歩など、無形の報酬を得ることで満足したのだ。これは、インターネット上に実現した知的財産の共産主義だと言って良かった。

     やがて、オープン・ソース・システムは、多くの分野に広がっていった。デジタル・ネットワーク時代が、ネット上の共産主義を要求したのだ。その結果、少なくともネットワーク上では、共産主義という思想に対する訴求力は強まるように見えた。経済改革がうまくいって、中国経済が規模の上で日本経済を抜いた今日でも、政治制度が中国共産党の一党独裁という形を保てたのは、そのせいかもしれない。

     もっとも、ネット共産主義の主役は、中国ではなく、アメリカだった。かつての共産国が、いまや世界でも有数の資本主義経済の国家であり、一方で、世界最大の経済大国が、同時に最大のネット共産主義の国であるという、19世紀のイデオロギーでは理解できない現実が世界を覆いつつあったのである。

    <2>につづく

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