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2009/03/12

ツォンカパの中観思想<2>

<1>よりつづく 

ツォンカパの中観思想

「ツォンカパの中観思想 <2>ことばによることばの否定
四津谷孝道 2006/11  大蔵出版  単行本  389p 

Vol.2 No.545 ☆☆☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★★★★

 
若いころインドを旅した時に、ビザの延長ができずにすぐ国外に出なくてはならなくなったことがある。通常ならここでネパールでも尋ねたいところだが、私はなぜかスリランカに飛行機で飛んだ。上座部仏教のビパサナを学ぶチャンスがあるかもしれないとという獏とした気持ちだったのだが、意外や意外、そこで出会ったのは南無妙法蓮華経だった。

 まずそれはともかくとして、いきなり飛んだコロンボの空港近くのホテルに一泊したのだが、準備もなく飛んだので、チェックインしたものの、ホテルの中ではなにもすることがなかった。部屋も単調で、テレビもなければ、眺めるほどの夜景もない。若かったせいで気がつかなかったが、土地柄のゆえか、酒を飲むことも発想さえしなかった。

  ふと気が付くと、前の客が置いていったのか、一冊の文庫本が置いてあった。松本清張の小説だった。たしか「点と線」だったのではないだろうか。ほとんど彼の小説など読んだことも、読むことを考えたこともなかった私だったが、他にすることもなく、パラパラとめくりだした。

 その本は私の期待に反して面白かった。非常に面白かった。すでに数か月の長旅になっていたので、そろそろ日本が恋しくなっていたところだ。旅の途中で、思わぬところに日本食レストランを見つけたような気分だった。

 これは面白い、日本に帰ったら、このシリーズをもっと読んでみたい、読破してやろう、などと、相変わらずの単純思考で思ったことだったが、結局、あれから30年も経過しているのに、そして読む気になれば、いくらでも松本清張の小説などころがっているのに、結局は一冊も読まなかった。

 銀行の窓口で、月末などの混雑時に傍らの雑誌などをぺらぺらめくるのだが、通常はめくらないような雑誌のなかに、意外と面白い記事を見つけて、帰り足に書店に寄り、自分用に一冊求めたりするときがある。この現象も、むかしのスリランカの松本清張の小説と同じような状況から生み出されるものと推測される。

 手持ちぶたさで他になにもすることがないとき、傍らに一冊の本があったら、きっとどんな本でも手に取って読みはじめるに違いない。そして、一冊の本になっている限り、必ずや面白いところがあるはずなのであり、必ずや見つけないではおくものか、という貪欲なところが私にはある。

 さて、この「ツォンカパの中観思想」は、やはりそのような状況におかれたら初めて読みだせる本なのではないだろうか、と思う。何冊かの本があったり、他に何か楽しいことがあったら、まずこの本から読もう、とはしないだろう。

 でも、チベットにでも旅し、リュックの中にこの本一冊しかないとしたら、きっとその時こそ、この本が一番の読み時であろう。集中してこの本を読んだらきっと面白い。そうとうに面白い。しかし、この本の面白さを痛感する前に、私には、他のもっとお手軽な面白いものを見つけてしまうのだ。

 せっかくこの本が、500キロも離れた図書館から送られてきているのに、結局は精読する間もなく、返却日になってしまった。なにも内容のあることは書けないが、この本が、ふたたび私のもとを訪れてくれていたのだった。そのこということを忘れないようにするために、このメモを残しておく。

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