韓国のデジタル・デモクラシー
「韓国のデジタル・デモクラシー」
玄武岩 2005/07 集英社 新書 254p
Vol.2 No.549 ★★★★☆ ★★★★★ ★★☆☆☆
9.11以降、ネット上における個人の意見の取り上げられ方が違ってきているとは思うが、はて「デジタル・デモクラシー」という概念は成立するだろうか。日本の政治体制も、二大政党をもくろむ二つの政党に「民主」がつき、他の小さな政党も「民主」を掲げているのであるから、それなりの価値があるのだろうが、どうもこれが最終の最上の解決策とは思えないところがある。
ブログがこれだけ勃興してきて、Vote(投票)からVoice(意見)へ、などという流れもできつつはあるようだが、理想の状態に到達するまでには、気の遠くなるような時間を必要とするように思える。デジタル投票システムでさえ、信頼性のおけるものがまででき上っていない状態で、デジタル・デモクラシーなどがきちんと成立するとは、とても思えないというのが本音である。
ブログを数値的に計測するGoogle Analyticsをいじっているが、これがなんとも素晴らしいものがある。単純なマーケティングに利用するだけでなく、もっと積極的な「デモクラシー」に使える可能性もあるのではないか、と夢見たりする。
WBCでサムライ日本と闘う韓国チームには、鋭いものを感じるが、ピッチャーマウンドに自国の国旗を立てたりするナショナリズムは、かなり遅れている、と私は思う。白塗りにした顔に鼻を赤く塗ったりする「日の丸」顔も、とても美的だとは思わないが、まぁ戦争を起こすよりはいいか。早めのガス抜き程度に活用されれれば、それでいいかもな。
北★鮮のような、強盗居直り国家(と見える・・・)のようなスタイルよりは、同じ民族でも韓国のほうがましなような気もするが、だがしかし、いくら韓国のITインフラが進んでいるからと言って、韓国のデジタル・デモクラシーが理想的なのだろうか、とちょっと疑問に思う。
オバマの登場については、これからもっともっと評価が厳しくなっていくだろうが、このような政治体制になりつつあるのも、よくも悪くも、「デジタル」な「デモクラシー」が台頭してきるから可能だった、ということができる。しかし、これもまた最終・最上のものではないことは言うまでもない。
デジタルなコンテナとしての機能が、コンテンツとしてのデモクラシーを助長させているとしても、まだまだこれからだ。スピリチュアルなコンシャスネスへと、このデジタル・デモクラシーがつながりを見せていくのか、まだ道筋はできていない。当ブログはその辺の見極めに関心がある。
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