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2009/03/22

レヴィ=ストロースの庭 <1>


「レヴィ=ストロースの庭」 <1>
港千尋 2008/11 NTT出版 単行本 127p
Vol.2 No.550 ★☆☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★★☆

 足かけ5年、実質3年書いてきたブログからの引っ越しを考えて、あちこちうろうろしている。約20位のブログ・リストを眺めながら、それぞれの特徴をつかみ、マルチポストしたり、使い勝手を味わったりしている。しかし、どれもこれも一長一短があり、どうもいまいち決まらない。

 このままだと、青春時代のガールフレンド選びの悪夢の再来になるかもしれない。彼女の横顔は抜群だが、胸がなぁ~、とか、あの優しさにはまいってしまうが、どうも身長が・・・、とか。超美人だが、すでに噂の彼がいたり、ラブレターをもらったのだが、どうもこちらの趣味ではない、とか・・・。ああ、いい加減してくれ、って、やっぱり彼女にしよう、って、ようやく告ったら、はっきり断られたり。ああ、勘違い。ガクッ。

 このままうろうろしていると、あの悪夢の再来になってしまう。このままでは、いかん。なんとかしなくちゃ、とあせればあせるほど、理想は遠のいていく。ここはあまりに完全を求めず、ポイントを絞らなくてはならない。

 考えてみれば、いままで使ってきたブログも別に最初っからひとつではなかったのだ。5年前に同時進行で4つのブログを使い始めてみた。だが、自然とひとつに絞られていった経緯がある。今考えてみえば、その第一のポイントは、おなじサービスを使っている旧知の友人が何人かいた、ということだろう。

 親しみやすかったし、友人たちのマネをしていれば、なんとか形になっていくかもしれない。わからなかったら、彼らに聞けばいだろう。結局そんなことで、現在まできてしまったのだった。

 友人たちが使っているだけあって、なるほど人気ブログではある。しかし、ちょうど区切りのいいところで回りを見渡してみると、時代は少しづつ変化しており、さまざまな新しい視点からブログ選びをしなくてはならないと感じはじめた。

 今使っているブログの基本性能を備えていて、なお、それを超えているもの、というと、なかなかない。いや、ないのだ。それは無理な話だ。そこにはそこの素晴らしさがある。しかし、それでもなお、どうしようもなく、今後必要だなぁ、と感じているものを、たとえば3つに絞るとすると、次のようになる。

 ひとつは外部のアクセス解析サービスを使えるかどうか。複数の解析サービスを使うことによって、より複眼的に自分のブログを見つめ直すことができる。

 ふたつめは、動画を張り付けることができるかどうか。しかも簡単に。これがなかなかクリアされないことがある。こちらの技術が甘いこともあるし、また裏ワザというものも確かに存在している。しかし、とにかく基本性能として動画を当然のごとく受け入れてくれていること、ここが肝心だ。

 そして、三っつ目には、過去ログのインポート・エクスポート機能を備えていること。これはバックアップを取るために必要でもあるし、将来的にもっと素晴らしい環境ができたら、また引っ越したいというケータビリティを高めたい、ということでもある。すぐには引っ越さないまでも、その可能性があるかないか、で、こちらの姿勢が変わる。

 ほかにも操作性とか、HTMLの受容度とか、アフェリエイトについての姿勢とか、ネームバリューとか、タイムラグのなさとか、スパム対策とか、数えていきけばキリがないので、無視できるところは無視しようと思う。

 とにかく青春時代の悪夢の再来は避けたいところだが、新しく引越しするのだから、せめて、上記3つの基準だけはなんとかクリアしたい。そのような目でテストするのだが、これもまたなかなか一筋縄ではいかないことがすこしづつ分かってきた。

 分かってきたのではあるが、メンテナンスのために休もうと思った期間は3週間。すでにその半分は経過した。あとの残り一週間ほどで、次の引っ越し先をみつけようと思う。当然、見切り発車ということになろう。

 しかし、それもまた人生ではないか。すべて完全なコンテナがあるはずがないし、コンテナが素晴らしかったとしても、コンテンツがダメなら、やっぱりダメじゃん。それにそれに、当ブログが目指すは、コンシャスネス領域。結局は、すべての完全と、すべての不完全をのみこめるほどの広さがある世界であるはずなのである。

 森の禁忌、炭を焼く火、職人のための料理、そして男のように見なされる女・・・・わたしたちは、いつのまにか神話世界の入口に座っていた。木を燃やしてできる炭は男の役割であり、料理の火を使うのは女の役割である。どちらも自然から文化をつくりだすが、ふたつの世界のあいだには境界がある。大著「神話論理」に繰り返し現れる自然から文化への移行、対立する項、そして見かけの逆転という図式が、すぐそばから始まっている。ブルゴーニュの森が、アマゾンの森につながっているのではないにしても、すこし視点を変えるだけで、庭がちがったものに見えてくる。庭は家と森とのあいだにある。それは焼けた炭をもって森から出てきた男たちが通る場所であり、暖かい料理を森へと運ぶ女たちが通る場所である。人間が火をもって通ると、森は焼かれて畑になる。つまり自然が文化へと変化する空間ということになる。「神話論理」は火の起源で始まる。p30

<2>につづく

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