きけ小人物よ!<2>
<1>からつづく
「きけ小人物よ!」<2>
W.ライヒ / 片桐 ユズル 1970/11 太平出版社 単行本 214p
ウスペンスキーの「人間に可能な進化の心理学」を追っかけてみることは、それなりに興味深い。6とか7とか、1とか2とか、3とか4、あるいは5とか、いろいろそれなりにイメージはある。詳しく追っかけたことはないので、この際、もう少しブラッシュアップすることも悪くはないだろう。しかし、人間というものはそもそも、なぜにそんなことに興味をもつのであろうか。自分が1や2であったとして、あるいは3や4を垣間見たとして、なぜに5や6があることに気づき、7に到ろうとする願望が生まれるのか。
当ブログにも、決して多くのアクセスではないが、それなりに訪問者がある。ほとんどは、数日間のアクセスで過去へと消えていくのだけれど、「テラ・フォーミング」や「エコ・テロリズム」と並んで、決して派手ではないがポツポツとアクセスが続いているのが「昔、革命的だったお父さんたちへ」だ。なんともアイロニーなこのタイトルに惹かれるのだろうが、「お父さんたち」自身が忸怩たる思いで、その晩年を過ごしているからでもあるはずだ。
「きけ小人物よ!」W・ライヒ。団塊の世代のお父さん、お母さん、少なくともあの青春時代を「生きた」と実感できる「全共闘世代」なら、この名前を知らないはずはない。
あなたは「小人物」「平凡人」とよばれる。あたらしい時代「平凡人の時代」がはじまったといわれる。それをいうのはあなたではないのだ、小人物よ。それをいうのはかれら、大国の副大統領たち、出世街道の労働指導者たち、悔いにみちたブルジョワ家族のむすこたち、政治家たちや哲学者たちなのだ。かれらがあなたに未来をあたえ、しかもあなたの過去についてはたずねない。
あなたはおそるべき過去の子孫なのだ。あなたの遺産はあなたの手のなかで燃えているダイヤモンドだ。このことこそわたしは、あなたにいいたいのだ。p24
Oshoはこの本について、「私のサニヤシンたちがすべて瞑想すべき本だ」と語っている。決して、「サニヤシンすべてにとっての必須の研究対象にならなければならない」とか、「サニヤシンが全員読むべきものだ」とは言っていない。もちろん「詩的な本だが、私のヴィジョンにきわめて近い」とも言っていない。しかし、「私のサニヤシンたちがすべて瞑想すべき本だ」と言っている。
この本は、ダイヤモンドなんかじゃない。もちろん、ダイヤモンドの原石なんかじゃない。原石どころか、ただの岩石だ。ゴロっと転がっている岩石だ。だが、この岩石こそ瞑想される価値がある。
Oshoはマルクスの「資本論」について、わざわざ愛すべき本としてとりあげながら、「それを読まないように」とさえ注意書きしている。コミューンという概念の中でそのコミュニズムについて深い共感を示しながらも、一定の距離を置きつづけている。当ブログは、どうもいまいち納得いかないまま、マルチチュードなどという、変種の概念に望みをかけたりしている。
なにはともあれ、「きけ小人物よ!」は、「昔、革命的だったお父さん、お母さんたち」にとっては甘酸っぱい香りがいっぱい込められているはずだ。論理も情報も、時代も、立場もまったく変わってしまっている。しかし、表面の一皮をむけば、中身は本物だ。瞑想すべきエネルギーがむんむんしている。ダイレクトな湯気が漂っている。
まことに、人間は汚れた河に似ている。みずから汚れることもなく、汚れた河を吸収しえんがためには、すべからく海でなくてはならぬ。
きけ、われなんじらに超人を教う。超人こそはかかる海である。その中になんじらの大いなる軽蔑は没し去りうる。ニーチェ「ツァラトウストラかく語りき(上)」竹内道雄訳p19
本家のニーチェにさえ連なるこのパトス。いったいこのパトスはどこから来るのか、という疑問もともかくとして、この鬱勃たるパトスがなければ、「人間に可能な進化の心理学」など問う意味は何もない。Oshoはまるで、このエネルギーをダイナミック瞑想で引火しようとしているかのようだ。このW・ライヒの岩石が燃え始まる。
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