覚醒への戦い<2> コリン・ウィルソン
<1>よりつづく
「覚醒への戦い」 <2>
コリン・ウィルソン, 鈴木 建三 , 君島 邦守, 1981/08 紀伊國屋書店 単行本 184p
グルジェフ+ウスペンスキーのワークは、成功したのだろうか、という下世話な関心事は、翻って、Oshoのワークは成功したのだろうか、という問いとなって跳ね返ってくる。ズバリ言ってしまえば、それは成功した。少なくともある誰かがそれを分かった段階で。
グルジェフやOshoのワークは、基本的には客観的に理解し説明しようがない。極めて主観的な世界であり、もしウスペンスキーがわかったと言ったら、わかったのだろうし、わからずに離反したとするなら、それは離反したにすぎなかったのだろう。さまざまなストーリーがあれど、ごくごく煮詰めて考えれば、Oshoとの間における物語は一か月で終わった。満月から次のちょうど満月の夜までのことだった。それで充分であった。
この世においていろいろな経験をした。交通事故で死に損ねた。即死に近い事故だったのに、それこそ奇跡的に一命を取り留めた。医師に余命半年と宣言されても、生き帰ってきた。殺人事件の冤罪に巻き込まれそうになっても、ほぼ無傷に戻った。そのほかマイナスにもプラスにも表現される形で、ワークは次々にさざ波のように押し寄せた。しかし、それはケーキの生地を飾りつけるデコレーションのようなものでしかない。
もっと手ごわくない方法でグルジェフに接近することができないかやってみよう。
まずグルジェフとウースペンスキーとの間の葛藤から始めてみるのがよさそうである。ベネットは書いている。「グルジェフはしばしば、ウースペンスキーがあまりに知的なアプローチで弟子たちを駄目にしてしまっており、彼(グルジェフ)は何の準備もなしに彼のところにやって来た人間の方がうまくやれるとこぼしていた。」 そしてわれわれはすでに、ウースペンスキーは彼らをひどく厳格でいかめしいものにしてしまっているというケネス・ウォーカーの言葉を記しておいた。p144
1931年生まれの二人の著名人、ウィルソンとOshoを分けたものとは、その体験があったかどうかであろう。Oshoの場合はまず体験ありきであっただろう。ウィルソンは、それを体験なしに知的に客観的に理解しようとした。そして著述業として身を立ててきた。その視点、その振る舞いは、それ以上に変えようがなかったのだ。Oshoは本を売ろうとはしなかった。冊数や部数では二人はかなりのものであるが、しかしその姿勢の違いは明確だ。彼は自らの体験を、言葉や象徴での理解ではなく、直接の状況のなかで伝えた。
物を書くだけなら、グルジェフよりウスペンスキーのほうがすぐれていただろうし、一般受けするためならウスペンスキーよりウィルソンの方が心得ている。痛いところ、かゆいところに手を伸ばすすべを知っている。しかし、それはこと「覚醒への戦い」の中では、逆効果になる可能性が高い。
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