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2009/04/18

人間に可能な進化の心理学 <3>

<2>よりつづく
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「人間に可能な進化の心理学」 <3> 
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162ページ

 Oshoから「 この小さな本は、サニヤシンすべてにとっての必須の研究対象にならなければならない。」と言い渡されている限り、決して読みやすい本ではないが、Oshoサニヤシンのひとりとして、何度もこの本に戻ってこなければならないだろう。

 通常の言語ではほとんどの場合、「意識」という言葉は、心理活動(マインド・アクテヴィティ)という意味での「知能」(インテリジェンス)という言葉と同義に用いられている。
 実際には、意識とは人間に見られる特殊な「認知」(アウエアネス)能力であり、心理活動とは無関係である。顕著な例として、自分自身のの認知、自分が誰であるかの認知、自分がどこにいるかの認知、さらに、自分の知っていることと知らないことの認知、などが挙げられる。
p27

 この本は小さな本だが、順序だてて学ばれる必要があるだろう。今はただ、パラパラと目につくところだけをメモしていくことにとどめる。

 一般に、人間に起こりうる意識には4つの状態があると言われている。睡眠、覚醒、自己意識、客観意識の4つの状態である。
 意識の4つの状態をもてる可能性があるというのに、人間は二つの状態のなかだけで暮らしている。人生の一部を眠りのなかに過ごし、もう一部を、いわゆる「目覚めている状態」で過ごす。現実には「目覚めている状態」と眠っている状態とのあいだに大差はないのである。
 われわれは、「客観意識」について何も知らずに暮らしている。また、この意識は実験することもできない。第三状態の「自己意識」については、われわれにはこの意識があり、自分は自己意識を持っていると信じて疑わない。実のところ、自分を意識できる瞬間はきわめて稀な瞬間にすぎず、しかもその瞬間でさえ、おそらくこの事実に気がつかずにいる。なぜなら、実際に自己意識が現れたとしても、それが何を意味するのかを知らないからだ。意識の閃きが現れるのは異常な瞬間とか、感情が高ぶった状態とか、危険にさらされたときとか、あるいは非常に目新しく予想もしなかった状況や事態に直面した場合である。あるいは、とくに変わったこともないごくあたりまえのときに現れることもある。だが、ふつうの状態や「正常」な状態では、人は意識の閃きを支配することなど、できるものではない。
p32

 ウスペンスキーは、グルジェフに対する裏切り者というイメージがあり、自分の中ではなかなかそのレッテルをはがすことはできずにいたが、彼には彼の、彼にしかできなかった仕事があった。

 自分の意識状態を変えたいなら、スクールが必要なのだ。それには、まず自分が何を必要としているかを知ることだ。自力でできると考えているかぎり、たとえスクールを見つけても、それを役立てることはできない。スクールは、スクールを必要とし、その必要を自覚している人のためだけに存在する。p50

 ウスペンスキー自身は、けっきょくのちにGのスクールを離れてしまった人間だったが、そのスクールの必要性を説くところは、まるでチベット密教を学ぶためにはラマが絶対に必要だと説かれるところにさえ似ている。ラマ僧の指導もなく、いわゆるスクールという明示的な機能に依存しているわけではない私は、暗示的にOshoやそのネットワークに頼る以外にない。

<4>につづく

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