ターシャム・オルガヌム<3>
<2>よりつづく
「ターシャム・オルガヌム」(第三の思考規範)―世界の謎への鍵 <3>
P.D. ウスペンスキー , 高橋 弘泰 , 小森 健太朗 2000/06 コスモスライブラリー 単行本
当ブログにおける「(仮称)ブッタ達の心理学」研究、探究の旅において、すでに重要ないくつかのキーワードに出会ってきたが、かなり使い方が難しいだろう、と思われる言葉に「意識」がある。
これは我が師Oshoの「英知の辞典」(意識)の分類にまずは依拠すべきであろう。
1、ジャグルット---目覚め
2、スワプナ---夢見
3、スシュプティ---夢見のない深い眠り
4、トゥリーヤ---「第4」「サマーディ」「悟り」
この用語や分類は、必ずしもOshoの独創ではないし、他の文献に多く見られる分類法だが、ここは師の言葉への依拠度を高めたい。
さて、この分類は、たとえばウスペンスキー「人間に可能な進化の心理学」における「人間の4つのセンターと7つの範疇」などとは、どのように対応しているだろうか。
こちらの「ターシャム・オルガヌム」も、なかなか大書であり、いっときに目を通すのは目がチカチカしてくるのだが、我が師のこの4分類を手掛かりに歩を進めていけば、全体を理解するには至らないまでも、全体像を把握する大きな手掛かりにはなる。
前半の「次元」論なども、この本が書かれた時代背景などから考えれば大変興味深いが、なにも大槻義彦教授の指摘を待つまでもなく、n次元の話はあまり深入りするほどでもなさそうだ。ミミズが1次元に生きているわけでもなく、海岸のヒトデが2次元に生きているわけでもない。人間も、ミミズも、ヒトデも3次元に生きている。3次元だから、1次元や2次元に戻れる、というものでもなく、3次元から4次元、n次元へと、簡単に行けるものでもないし、思考のトレーニング以上に深入りすることは、今回は避けよう。
リサ・ランドール「ワープする宇宙--5次元時空の謎を解く」なども興味深いところではあるが、上の「意識の4分類」で言えば「1、ジャグルット---目覚め」にかなり偏った話だ。
ところでこの書「ターシャム・オルガヌム」の後半になってくると、実に微妙な話がつづく。
どんな意識の形態が存在するのか?
インド哲学は意識の4つの状態を区別する---眠り、夢、目覚めた状態、そして絶対意識の状態---「トゥリヤ(Turiya)」---である。(アニー・ベサント「古の智恵」より)
G・R・S・ミードは、テイラーの翻訳によるプロティヌスの序文において、古代インドのアドヴァイタ・ヴェーダンタ(不二一元論)徹学の教師であるシャンカラチャリアの用語と、プロティヌスの用語を結びつけて論じている。p288
この辺あたりから、用語の統一と具体的な例を突き合わせていけば、それほど理解することは困難ではなさそうだ。
一滴の水が海を吸収するという感覚が起こるのは、意識は決して消滅しないため、すなわち意識は決して消失したり絶滅したりしないためである。意識が消えるように見えるのは、実際には形を変えただけであり、これまでの意識と類似したものではなくなり、その存在を確認する手段を失ったということに過ぎない。p291
「一滴の水が海を吸収するという感覚」というのは、Oshoの本のタイトルにもなっている「THE SUN RISES IN THE EVENINNG」という感覚と通じるものであろう。
第23章「宇宙意識と新しい人種」の巻末には「意識の4つの表現形態についての表」が4ページにわたってまとめられているのは興味深い。「時間と空間の感覚」、「心理学」、「論理学」、「数学」、「行動の種類」、「道徳性、「意識形態」、「知識形態」、「様々な存在」などについて、4つの形態を対応させて例示している。
「意識形態」
第1形態---潜在意識、埋もれた状態の意識、眠り、夢のない眠りの意識
第2形態---単純意識、「痛い」と感じるが「自分が痛いということに気づいている」とは言えない、反映された意識状態、 夢、受動的な意識状態
第3形態---自分の意識状態について考えることができる、「私」と「私でないもの」の区別、活動的な意識、さらなる進化意識的でのみありうる瞬間
第4形態---自己意識の開始、恍惚状態、宇宙意識への移行
p422 「意識の4つの表現形態についての表」からの一部抜粋
順番は違っているが、本文の文頭におけるOshoの分類とほぼ同義と考えていいわけだが、当ブログにおける「(仮称)ブッタ達の心理学」においては、Oshoいうところの『4、トゥリーヤ---「第4」「サマーディ」「悟り」』と、「ターシャム・オルガヌム」いうところの『第4形態---自己意識の開始、恍惚状態、宇宙意識への移行』あたりが当面のターゲットということになる。
ところが、「英知の辞典」(心理学)において、「ブッダのなかにして初めて研究することができるもの」p334とされている。当ブログにおいては、「ブッタ達」についての基礎データが決定的に不足している。そこで「心理学のためのブッタ達」を採集(笑)する方法を考えないといけない。
そこで思ったことは、Oshoの「私が愛した本」のなかからブッタ達の本を集める方法だった。そこであらためてリストをながめてみたら、なんと、圧倒的にブッタ達に書かれていることが多く、そこから何人かをリストアップすることはほとんど不可能に近かった。
そこでさらに考えたことは、「仏教」編、「東洋哲学(中国)」編、「禅」編、「心理学」編、「神秘主義」編、「小説(文学)」編、「キリスト教」編、「スーフィー」編、「西洋哲学」編、「その他」編に比較して、圧倒的に貧弱な対応しかできていない「東洋哲学(インド)」編についてだった。
リストのトップに位置しながら、ボリュームも圧倒的に多く、しかも「トゥリーヤ」にダイレクトにつながってくる可能性がある部分なのに、当ブログの取り組みとしてはほぼ絶望的な状態であった。
まず、正しい書名が分からない。本があるかどうかすらわからない。日本語に翻訳されているかどうかもわからない。ましてや図書館になんかあるものか、という絶望感である。しかし、そんなことでいいのか・・・・・・・。
どうやら、新しい問題が浮上してきたようである。
しかし・・・・、手がまったくないわけではない。
あ、それと忘れていけないのは、かの本のなかでOshoは「それでもなお研究することはきわめて難しく、ほとんど不可能に近いと言える」と忠告していることだ。
そして、「その自在な動きを見るためには、あなたもまた瞑想の参加者にならなければいけない」と、付言しているのだった。
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