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2009/04/26

人間に可能な進化の心理学<4>

<3>よりつづく
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  「人間に可能な進化の心理学」 <4>
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p

 それは小さな本だ。その本の名前は「人間に可能な進化の心理学」(邦題)という。ウスペンスキーはその遺書に、自分が死んでからそれを出版するようにと書き遺していた。私はこの男が好きではない。だが私はしぶしぶだが、ウスペンスキーはこの本の中で、ほとんど私と私のサニヤシン達を予言していたと言わなければならない。彼は未来の心理学を予言していた。そしてそれこそは、私がここでやっていることだ・・・・・未来の人間、新しい人間(ニューマン)だ。この小さな本は、サニヤシンすべてにとっての必須の研究対象にならなければならない。Osho「私が愛した本」p151

 まがりなりにブログをやっていると、次から次と追っかけてみたいテーマが登場し続ける。本というジャンルにしただけでも、なんとも魅力的な本がどんどん、どんどん、切りなくやってくる。実は、この<2.0>が始まってからも、ここに書いていない本を何冊も読んでいる。リクエストしている本も、なんとも突拍子もない本を何冊か加えている。

 しかし、と考える。それでは、<1.0>をやめて、<2.0>に移ってきた意味がないではないか。あのまま<1.0>を続けていても、それは蟻地獄だ、と気がついたのだ。それはサンサーラだ。丸い檻の中で走り続けるモルモットのような状態だ。あの無間地獄を脱出するために<2.0>を始めたのだった。

 そこで、コンつながりで、コンテナ、コンテンツ、コンシャスネスの、3コン論を<2.0>のテーマに据える予定でいた。いや、それは変えない。しかし、例のG・O・Dプロジェクトも、素材を準備していくと、次から次と拡散していってしまうことが分かってきた。準備した素材が枕もとにいくつも転がり始めた。面白い。いっぱいある。しかし、これは、一個人が展開する気まぐれ読書ブログには収容しきれない。力量不足だ。

 そこで、つまり、いわゆるコンシャスネス論に特化していくことにした。もちろん、コンテナ、コンテンツという二つのインターフェースはキチンと残す。しかし、エネルギーを注ぐのはコンシャスネス論だ。そう結論した。

 しかし、結論したからと言って、そう簡単なものではない。コンシャスネス=意識、というテーマは、これまた新たなる蟻地獄だ。末広がりに未解決の問題は広がりはじめる。一冊一冊、一人一人言っていることが違う。読みこむだけでも大変なのに、ひとつのプラットフォームに並べていくことでさえ、無限のエネルギーを使い果たす。

 そこで、考えた。なんであれ、「(私家版)Oshoのお薦め本ベスト10」は、当ブログ<1.0>における、ひとつの中間決算だ。たった12冊の本ではあるが、正直言って、私には荷が重い。どこまでも深読みするなんてことは、簡単にできそうにない。だから、この際、さらにこのリストの中から、絞りこむ。

 「サニヤシンたちがすべて瞑想すべき本だ」とされる W・ライヒ 「聞け小人物よ!」は、このリストのトップに位置する。しかし、この本はニーチェ「ツラトゥストラ」やジブラーンの「預言者」に連なっていく本だ。「瞑想」すべき本ではあるかもしれないが、いま当ブログが「研究」すべき本であるとは、決して言えない。

 あるいは、「お勧め本」リストの第3位「サイコシンセシス」は、Oshoによって「サニヤシンが全員読むべきものだ」とは推薦されているが、こちらもきわめて魅力的ではあるが、精神の探究でいうと、往路と復路、くらいの違いがありそうだ。いずれはフロイトを加えた形で読みなおすとしても、まずは、ウスペンスキーから始めて見るのがいいのではないだろうか、と、結論づけてみた。

 ウスペンスキーとグルジェフについては漫然と目を通しておいたが、今後の道筋においてまったく無駄になるということはないだろう。「お勧めリスト」には「宇宙の新しいモデル」が入っているし、リスト外ではあるが「ターシャム・オルガヌム」に対するOshoの評価も半端じゃない。そんなこんなで、なにはともあれ、この表題の本から<2.0>を始めることを決断したのだった。

 しかし・・・・、決断するまでかかった時間よりも、わずかこの162ページの本を読みこむことのほうがはるかに時間はかかるだろう。半端なことでは手に負えない。この本はまるで、数百冊に及ぶ全集における目次のような本だ。

 心理学について語ろう。
 ここで言う心理学とは、一般に心理学と呼ばれているものとは大いに異なっているということを、先にお断りしておきたい。
p11

 せっかく一般論をしようと言っているのに、最初っから一般論じゃぁないよ、と言われれば、もう、この本の言わんとしているところに従っていくしかないだろう。あまりにトンデモ本として偏っているのであれば、最初っから相手にしていないが、また、多少個性的であったとしても、それこそ後に「サイコシンセシス」などで、現代的な一般的な体系に置き換えることができるとするならば、それまで、多少個性的な荒波であったとしても、果敢に向かって行ってみる価値はあるだろう。

 こうした内容を一つに、いや、二つか三つの講座にまとめることはとても無理だった。それで、聴講希望者には、一つや二つの講座を聞くだけなら無意味である、少なくとも5つ、できるなら10の講座に出席しなければこの仕事(ワーク)の概念はつかめないことを前もって断っておいた。p3

 なんだか面倒くさそうだなぁ、と思いつつ、Oshoのウスペンスキーに対する評価を思い出した。

 私はウスペンスキーは好きではない。彼はグルジェフの教えを講義しているときでさえ、校長そのものだった。黒板の前に立って、手にはチョークを持ち、前には教卓と椅子を置いて、まさに校長そのものだ・・・・講義録をひろげ、そのほか何もかも、何から何でもそろっていた。しかもその教え方ときたら・・・・・黄金のメッセージを伝えていたにも関わらず、なぜに彼に惹かれる人間がこんなに少ないのかが理解できる。「私が愛した本」p150

 めちゃくちゃな評価の仕方だが、Oshoなりのユーモアとウィットがないまぜとなって、彼がいかにこの本を愛していたかが、よく伝わってくる。この本を一冊全部読むことすらかなり大変なことだ。最初はざっと読んで、大略をつかんだあとは、さらに、この本の中に、もっとターゲットを絞って行こうと思う。

<5>につづく

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