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2009/04/30

人間に可能な進化の心理学<6>

<5>よりつづく
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  「人間に可能な進化の心理学」 <6
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p

 一般に、人間に起こりうる意識には4つの状態があると言われている。睡眠、覚醒、自己意識、客観意識の4つの状態である。

 意識の4つの状態をもてる可能性があるというのに、人間は2つの状態のなかだけで暮らしている。人生の一部を眠りのなかに過ごし、もう一部を、いわゆる「目覚めている状態」で過ごす。現実には「目覚めている状態」と眠っている状態とのあいだに大差はないのである。

 われわれは、「客観意識」について何も知らずに暮らしている。また、この意識は実験することもできない。第3の状態の「自己意識」については、われわれにはこの意識があり、自分は自己意識を持っている、と信じて疑わない。実のところ、自分を意識できる瞬間はきわめて稀れな瞬間にすぎず、しかもその瞬間でさえ、おそらくこの事実に気がつかずにいる。なぜなら、実際に自己意識が現れたとしても、それが何を意味するのか知らないからだ。意識の閃きが現れるのは異常な瞬間とか、感情が高ぶった状態とか、危険にさらされたときとか、あるいは非常に目新しく予想もしなかった状況や事態に直面した場合である。あるいは、とくに、変わったこともないごくあたりまえのときに現れることもある。だが、ふつうの状態や「正常」な状態では、人は意識の閃きを支配することなど、できるものではない。p31

 意識の探究者たちは、独自の言葉使いをしていて、必ずしも統一されているものだけではない。むしろ、あえて別な言葉や表現が使われている場合が目につくが、その統合をいたずらに急ぐ必要はないだろう。むしろ、レッテルではなく、そこで言われていることを、もっと直観的に、本質的に、理解、体感しておくことだ。

 ここでウスペンスキーが言っている「客観意識」は、Oshoが「英知の辞典<22>意識」で言っているところの「客体が消えうせて、それと同時に、主体も消えうせる。経験もなければ経験する者もいない」とどう違うのだろう。ここは単に距離を縮めたり、類似のカテゴリでくるめずに、多様性のままに当面放置しておくことにする。

 しかし、ここで把握しておきたいのは、ここで言われるところの4番目の意識の在り方の「4」は、後の「マジックナンバー7」の体系の中の「4」とは違っているので、それとの混同をさけるために、インドの言葉で「4番目」を意味する「トゥリアー」というレッテルを使っておきたい。もちろん、この言葉との類似性から、悟りとかニルバーナなどの用語も、いたずらな先入観をさけるために、あえてイコールとしないでおこう。

 人間に可能な進化という観点から人間を研究することが、いかに重要であるかを理解すれば、心理学とは何か、といった問いに対してまず得られる回答が、心理学とは人間に可能な変化について、その原理と法則と事実を研究する学問である、という事実はおのずと明らかになる。p15

 心理学とは、本当は自己研究のことであり、これを心理学の第二の定義とする。
 心理学は天文学の研究のように、自分自身から離れて研究することはできない。
p34

 この部分についても、言葉としてはなんの矛盾もなく受け入れることができる定義であり、実体がどうであるかはともかくとして、Oshoいうところの「心理学」あたりと、それほど大きく違っているとは思えない。この辺あたりを、当ブログ「(仮称)ブッダ達の心理学」における、「心理学」の字義としておきたい。

<7>につづく

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