ノーバディ・ザ・ブッダ
「ノーバディ・ザ・ブッダ」
宮国靖晟 2002/08 文芸社 単行本 415p
Vol.2 No.581★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆
もしgoogleブック検索というものもなく、ちゃめっ気でキーワードを入れてクリックをしようと思いつかなければ、この本とは出合うことはなかっただろう。これだけ新刊の部類に属するものが、こんなに中身が読まれてしまったら、本体が売れなくなるのではないか、と心配してしまった。しかし、よく見てみると、あちこちのページが飛び飛びになっているので、小説として読むには、やはり一冊の本を手にとらないと、どうにもならない。
「この本を一度読んでみてほしいんだけど」
書斎から持ってきたらしい、黄ばんだ綴じのゆるんだ一冊の本を、サエグサは遼に差し出した。「ノーバディ・ザ・ブッダ」とタイトルが読めた。p39
この小説は、小説でありながら、あちこちに実名がちりばめられている。このサエグサというのも実名であるだろう。6次の隔たりで地球の全人類がつながってしまうという例えでいうなら、この人物は、私と1次の隔たりだ。
では、この作者・宮国靖晟という人物はどうか、というと、まったく知らない人物である。しかし、この1953年生まれの日本人男性である作家と私は、この小説の内容から言って、まずほぼ確実に2次の隔たりのつながりであろうと予想する。つまり、私の友人の誰かは、この作者のことを良く知っているだろうし、実際に会ってもいるだろう。親友でさえあるかもしれない。
小説は小説だ。だから、書かれていることはフィクションと見なさなければならないが、書かれている時代や、背景は、かなりの部分において、私が体験してきたものたちに近い。
その旅でサエグサの得たものは、人間にとって何より大事なことは肉体や知性の完成ではなく、意識の開発、発展、向上、拡大にほかならないということであった。意識の階梯を昇り続けることで、人はやっと者が見えるようになる。はるか遠くまで、地平線の彼方、宇宙の彼方までも見えるようになる。その「意識の成長」に貢献するのは「瞑想」であり、それを抜きにして意識云々を語るのは、底の抜けた水がめに水を注ぎ続ける徒労に等しい、愚かの極致であると、サエグサは語った。p33
この小説の全般で使われている言語体系は、当ブログにきわめて近い。それもそのはず、この小説の背景は沖縄であるが、次にでてくる頻度が高いのが、インドでのプーナ体験だからである。
インドのムンバイ(ボンベイ)から南東100マイル(160キロ)飛行機だと約1時間、鉄道を使うと5時間ほど行ったところにプーナという学園都市がある。そこにオショウ・コミューン・インターナショナルという広大な敷地を持つ瞑想センターがあり、遼はその地で家賃1ヵ月7000円ほどのアパートを借りて3ヵ月その施設に通った。p25
この作家はほぼサニヤシンであることは間違いないだろう。ここに書かれているのはPune2であり、最初のOsho体験は、Oregonであったようだ。
15、6年前まで、アメリカのオレゴン州の山奥に、オショウ・ラジニーシを中心とした広大な、オアシスのようなコミューンがあった。過激なカルト集団だとレーガン政権下のアメリカ政府ににらまれ、無残にもつぶされてしまった。そこに遼と貴之は、まだ知り合う前に、それぞれ独自に訪ねたことがあった。遼は、「これこそ人類の望むべき未来像ではないか」と感動した。貴之はもっと具体的にこのヒナ型をオキナワにつくろう、と仲間を集め、計画を立て、実践にこぎつけた。p166
コミューン願望をもつ友人たちは多い。かくいう私もその一人だ。ましてや、オキナワにコミューンを作ろう、などというスローガンは、ごくごく自然に仲間うちから湧きだしてくることは、それほど想像できないことでない。しかし、その実践には多大な現実的な障壁が立ちふさがる。
「・・・あいつらがもう少し頑張ってたら、新しい世代の土台だけでもつくってりゃ、おれたちがその上にきちんとしたのを築くのはそう難しくなかったんだ、少しでも社会の意識を変えてりゃよ。しかしやってることはままごとだったもんな、ガキのまんまで何ひとつ変わっちゃいねぇ、モラトリアム世代だよ、奴らには自立も何もねえ」p198
団塊世代の弟分、ちょっと遅れた世代であるこの登場人物の感概は、私の感概でもある。同じ時代体験をするとはこうしたものかと納得すると同時に、自らが獲得したかのように思っている自分のキャラクターやパーソナリティも、実は外的な要件によって形成されたものであるかもしれない、という可能性をつよく感じさせる。ここにひとつの共同意識が存在する。
さらには、保養地を兼ねた会員制の大病院もつくりたい、オキナワにはない製薬メーカーもつくりたい、そのノウハウはすべて自分はもっている、農場もつくろう、学校もつくろう、今の教育機関ではろくなものは育たない、ちゃんとした人材をつくる、すぐそばに海があるのだからそれを利用しない手はない、水産大学もつくろう、一級の貿易商も育ててみたい、アメリカのエサレン研究所をしのぐ心理研究所、瞑想センターをこの地につくろう、とすぐそこまでやってきた夢の実現を、少年のように目をキラキラ輝かせて熱っぽく、微塵も失敗することなど疑わないと言った自信にあふれた口調で、遼に語りまくったのだった。p214
しかしまぁ、ここまでくると、その大風呂敷の底は抜けていて、大法螺吹きの一歩手前ということになる。ここにエサレンの名前がでてきたりするところに、同時代性を感じはするが、ここまで語られたら、逆に引いてしまうのが、一般的な感覚だろう。
「どういう住みかかね、あれは。まるで何もない、シンプルというよりエンプティ、空虚という感じだった。ちっぽけなラジカセにチャチなテーブル、ガタのきた籐椅子、何年使っているのかわからない古ベッド、訳のわからない精神世界の本だけは山のようにあって、狂った人間の住んでいる住まいという感じだったねぇ。本物の人間なんて住んでいないような一室だった。まさにノーバディホームと呼びたかったな。きみはまさにノーバディだよ、きみ一人この世からいなくなったところでどうってことない」p300
夢と現実のギャップはつねにある。
そんな生活の中で、遼はインドの神秘家「バグワン・シュリ・ラジニーシ」(後のオショウ)という存在を知った。既成宗教に何の関心もなかった遼だが、友人に無理矢理読まされたラジニーシの本の開いたページの数行に電撃にでも打たれたような衝撃を受けた。これほどの人物がこの世にいたのか、と震えがきた。初めて生きることの意味を教えられたような感動に打ち震え浸った。p358
似たような体験をした人の体験談は山ほどある。しかし、この小説のように一貫してOshoをモチーフの複線に据え続ける小説もそれほど多くないのではないか。幸野谷昌人「エクスタシーへの旅」に通じるものもないではないが、あちらは小説ではないし、すでに四半世紀も前に出版されて絶版になっているものだ。2002年に出版された「現代物」としての本書は、なかなか得がたい価値があると思う。
「・・・インドのぼくのいた所では、ブループで受ける瞑想コースに、フーズ・インWho's In ?というのがあった。あなたの内にいるのは誰か、というコースで、以前はフーアムアイWho am I ? 私は誰かという名称だったんだけど、西洋人にはあまりピンとこなかったんだね、私は誰だと言ったところで、職業とか肩書とか顔とかがあるんだからわかるだろう、ぐらいの認識しか西洋世界では培われないのかな、あるいは科学的、哲学的にとらえようとするんだろう」p383
同じgoogleブック検索に引っかかったのが、かたや「まじめ領事の泣き笑い事件帖」のような実にふまじめな大ねつ造レポートがあったりするのだから、こちらの小説のような、実に真面目なインサイド・レポート小説などが存在してバランスを取るのは、存在の摂理というものであろう。
自分の体が変わり始めていることに気づいた。神経が研ぎ澄まされ鋭敏になり、感情が高ぶり、些細なことで涙がこぼれた。ついぞなかったことだった。自分の中に見知らぬ自分がいるような不思議な感じに包まれることがあった。ふと、インドで学んだ七つの体のことを思い出した。人は意識のレベルがあがるごとに七つの階段を昇っていくということを教えられた。とすると、今自分は次の段階へとあがっていく途上にいるということだろうか、と遼は思った。p392
この作者は、決して自分の作品を書きあげるために、Oshoをモチーフに借りだしたのではない。彼自身が探究者なのである。そして時代の中で、Oshoとともに生きた。そういう意味では、間違いなく彼はOshoのサニヤシンだ。この境涯にある、友人たちは数多い。このスタイルは日本人のサニヤシンに多いと思われるが、決して日本独自というものではない。この共通の認識、共通意識を持っている地球人たちが、現在、数多くこの地球上に存在していることは間違いない。
遼は理英に夕食を一緒にしようと声を掛け、その前に三人でクンダリーニ・メディテーションをしないか、二人よりも三人の方がエネルギーがあがるからと勧めて、隣室にいる美里も呼んで、夕食前の一時間、三人で汗をかいた。p394
3週間の期限まで後2日となった晩、二人でナダブラーマをし、リラックスタイムになって仰向けになった。 p398
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