« 政治とケータイ  ソフトバンク社長室長日記 | トップページ | 芸術脳 »

2009/04/06

エコ・テロリズム 過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ

エコ・テロリズム
「エコ・テロリズム」 過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ

浜野喬士 2009/03 洋泉社 新書 223p 
Vol.2 No.563 ☆☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆  
 

 現状の法が正義を反映していないという意識のもとに、しかし他方では、抗議行動が、形式的には「不法」であるという意識ももちつつ活動する、という意味で、エコ・テロリズムは「ウォールデン・森の生活」(1854年)で知られるアメリカの作家ヘンリー・ディヴィッド・ソロー以来の「市民的不服従」の伝統に属していると言える。p106

 エコ・テロリズム。ここで言われているほど、そんなに結構なものだろうか。シー・シェパードの捕鯨船への体当たりの活動と、ソローの森の生活、では、あまりにかけ離れていると思う。たしかに、物ごとは線の引き方で、対称的になったり、同じカテゴリに属したりする。

 田中真紀子とヒラリー・クリントンでは、男性と女性、という線引きをすれば、たしかに同じ「女性」というカテゴリに属するだろう。マリリン・モンローも女性だ。しかし、それ以外にこの三者をつなごうとすれば、かなり苦労するに違いない。

 グリーンピースやシーシェパードと、ソローの「森の生活」をつなぐとすれば、アメリカの環境問題、という意味では共通項は見つかるかもしれない。だが、不服従とテロリズムでは、対極に属するのではないだろうか。

 これまで見てきたように、ラディカル環境運動が思想史的に見て、市民的不服従の伝統の一部を引き継いでいることは間違いない。  市民的不服従の思想の展開を追う上で、つねに参照されるのは、ヘンリー・ディヴィッド・ソロー、マハトマ・ガンジー、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの三人である。p174

 1977年生まれ32歳の新進の学者に、いきなりこんなことを言われても、当ブログはこの学者さんの独断的言節に、「不服従」的姿勢を行使したい。そもそも、クジラを食べる文化を私は拒否するつもりはない。「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」「グリーンピース・ストーリー」 など、ちょぴりだけ読んでみたが、どれも感心しない。エコ・テロリズムなど、比較の線引きさえ工夫すれば、北朝鮮のノドンやらテポドンやらと、同じカテゴリに入ってしまう。ひょっとすると、この若い学者さんによれば、北朝鮮のテポドンも、不服従の証しだ、なんてことになってしまうのではないだろうか。

|

« 政治とケータイ  ソフトバンク社長室長日記 | トップページ | 芸術脳 »

46)地球人として生きる」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: エコ・テロリズム 過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ:

« 政治とケータイ  ソフトバンク社長室長日記 | トップページ | 芸術脳 »