思考の補助線
「思考の補助線」
茂木健一郎 2008/02 筑摩書房 新書 237p
Vol.2 No.570 ★★★★☆ ★★★★★ ★★★★★
問題の総量は減らないにしても、見え方が変わるということはある。ちょうど、幾何学の問題で、たった一本の補助線を引いただけで、解答への道筋が見えるように、「思考の補助線」を引くことで、私たちは今までとは少し違った態度で、世の中の謎に向き合うことができる。p022
週刊誌「サンデー毎日」に連載された人物伝、隔月刊の「風の旅人」に連載された紀行文、そしてこちらは筑摩書房のPR誌「ちくま」(2005/06~2007/05)に連載されたものを一冊の新書にまとめたものである。それぞれの掲載誌に合わせた形で、多彩な才能の持ち主が、すこしづつ趣向を変えながら、結局はおなじテーマへのあくなき追求を続けている証拠を示す一冊である。
人物伝や紀行文に比較すれば、こちらはもっとストレートだ。著者の主著や代表作というものにたどりついていない(あるいは避けている)当ブログではあるが、この本一冊だけでも、一つのブログを運営していくうえでのネタ本になるのではないだろうか。当ブログ<1.0>が梅田望夫からスタートしたとすれば、当ブログ<2.0>は茂木健一郎から始める、ってこともできるように思う。
思考の補助線、まさにこの本はその用を満たしてくれる可能性がある。一読者として、いつも前半は張り切って読み、後半はすこしダレぎみになってしまう当ブログであってみれば、この本もまたその傾向があった。後半は、すこし抽象性が高まって飛ばし読みの部分も多かった。しかし、この一冊では、茂木健一郎という当代一の気鋭の学者が何をしようとしているのかをうかがうことができれば、それで十分だ。
ここまでわかったことは、意識やクオリアというキーワードを使いながら、知の全体像を捕まえようとしていること。そしてそれは脳科学という科学の分野のなかに組み込まれようとしているのだが、本当はその枠組みを大きくはみ出してしまうこと。さらには、その探究には多大な障害があり、達成することはほぼ不可能なこと。しかし、それでも、この探究は限りなく有用であること、などなどである。
意識はどのように成立するのか、その第一原因をめぐる議論の行く末は、杳として知れない。
現在までの知見から、意識が脳活動によって生み出されること自体は、疑いようがない。意識が、脳を含む私たちの周囲の物質とはどれほどカテゴリーの異なるものであるように感じられたとしても、それが脳の大脳皮質を中心とする神経細胞の活動によって生じるものであることは間違いないのである。
しかし、その一方で、意識が生み出されなければならない必然性は、一向に分からない。p067
この書は、茂木健一郎という人物の全体像が分かってきた段階で、もう一度再読される必要があるだろう。そして、いま、思っていることは、当ブログ<2.0>を推進させてくれるという意味では、この人物はそうとうに強力な助っ人になってくれそうだ、ということだ。質的にも高いし、量的にも多い。しかし、加えて敢えていうなら、当ブログの最終イメージとは、すこし着地点が違う。いまのところは微妙に違う、という表現で収まっているが、到達点がさらに密度を高めてイメージできるようになれば、その違いは、ひとつの線を境に向き合うほどに、まったく反対の立場になる可能性がある。しかし、それについては今はあまり頓着しないでおこう。
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