« オバマノミクス | トップページ | まじめ領事の泣き笑い事件帖 »

2009/04/03

プロセス・アイ<2>

<1>よりつづく

Photo
「プロセス・アイ」 <2>
茂木健一郎 2006/01 徳間書店 単行本 316p
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 
当ブログにおいて、科学、芸術、意識の、三っつのスペクトルについて★がすべて5つつくというのはめずらしい。もっとも、このうえにレインボーカラーや、星6つなどという禁じ手を次々と編み出す当ブログにおいては、決して終着点、というわけではない。しかし、科学や芸術はともかくとして、意識に焦点を集めた本としては、稀有な本というべき一冊であろう。

 「フューチャリスト宣言」「意識は科学で解き明かせるか」などしか茂木本は読んでいないが、なんとも溜飲が下がった一冊だった。出たのが06年の1月、どの時点で書かれた本なのか分からないが、著者にとっての小説としては処女作ということだから、その後も展開があるかもしれない。すくなくとも、脳科学者の肩書が先行する著者だが、ここであえて小説という形を取る必要を感じたのだろう。

 「しかし、過去に様々な薬物を使用して、あるいは激しい修行の末、あるいは他の理由で、意識の変性状態に陥ってきた人たちは、沢山いたではないですか。彼らは、宗教を生み出したり、幻想的な芸術を生み出したりした。あるいは、20世紀の後半のように、ニューサイエンスや、スピリチュアルというようなジャンルを生みだしてきた。両方とも、科学的には何の果実も結びませんでしたが。この間、意識に変性状態になった人は沢山いた、しかし、彼らのうちの誰一人として、アインシュタインやゲーデルが厳密なロジックの積み重ねの末生み出したようなものを生み出すことはできなかった。私が言いたいのは、もう実験はたっぷりやった。意識の変性状態が、新しい知的価値を生み出す可能性は、過去の実験によって否定されているということです。」p187 

 登場人物のひとりによて語られるこのセリフは、ある意味においては「意識」にすり寄った好意的な結論ではあるが、科学的な見方の現実的な厳然とした事実でもある。しかし、物ごとをさらに深化させるには、意識を意識の立場から語る必要がある。この小説の試みは「プロセス・アイ」という仮空の理論を借りることによって、その語りかけをなそうとしているのだ。

 当ブログにおいては、そのジャーナルの対象を、一般的な公立図書館で、ごく当たり前に読まれている本を中心に、読書を続けている。一部のトンデモ本や難解な理論の本、あるいは高価な芸術品の模造品であったとしても、公立図書館の開架コーナーにある程度であれば、いとわず論評の対象としている。

 そのような態度にあって、2009年の時点として、図書館の利用者の目に触れる本は、おのずと限られてくる。そして、その視点や思考パターンや情報量というものも、おのずと共通認識のなかに収まっていくのである。

 そのようないわゆる一般的な常識的な知的冒険者の視野にはいってくるテーマを、この小説は、うまくトータルに網羅してみせている。オープンソースや金融工学、シャーマニズムなど、当ブログにおいて、ランダムに脈絡なく追っかけてきている分野のそれぞれが、この小説のなかでは、破綻せず共存することができている。

 そして、最終段における、Oshoも絶賛するミハイル・ナイーミの「ミルダッドの書」を彷彿とさせすような筆さばきに、著者のなみなみならぬ才能と、テーマの選定の秀抜さを見せつける。小説を積極的に読んできたとはとても言えない当ブログでは、この小説を、小説として正当に評価することは出来かねる。しかし、漠然とした思いで模索してきた当ブログが、やや顕在化しかけてきたテーマとするところを、著者は、小説としてズバリ書きだしている、と思える。

 研究者としての著者の業績についてはほとんど何も知らないし、また、今後の可能性についても知るところではない。しかし、少なくとも、この著者が、NHKテレビや週刊誌の類においても、頻繁にその素顔をさらし、なおかつ、積極的にその手法を取っているかのような点について、なるほどと、ちょっと腑に落ちた面がある。著者についてもうちょっと、追っかけてみよう。

|

« オバマノミクス | トップページ | まじめ領事の泣き笑い事件帖 »

45)クラウドソーシング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: プロセス・アイ<2>:

« オバマノミクス | トップページ | まじめ領事の泣き笑い事件帖 »