きけ小人物よ!<1>
「きけ小人物よ!」<1>
W.ライヒ / 片桐 ユズル 1970/11太平出版社 単行本 214ページ
Vol.2 No.583★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★☆
Oshoは「私の愛した本」(西洋哲学含む)で168冊の本について語った。当ブログは3年間で1600冊の本を読んだのに、あちこち横道に入り込んでしまい、まだOshoリスト168冊の3分の1にも達していないようだ。リストの全部にエンカウンターするのは、まだまだ時間がかかる。
あの168冊の中から「(私家版)Oshoのお薦め本ベスト10」が作られていることなど、Oshoは知る由もないだろう。しかも、そのトップにこのライヒの名マニュフェスト「きけ小人物よ!」が掲げられていることなど、なんのかかわりもないことだ、と気にもとめないに違いない。
これは不思議な本だ。それを読む者はいない。この本のことを聞いたことさえないかも知れない。が、これはアメリカで書かれた。その本とは、ウィルヘルム・ライヒの「聴け小人物よ」だ。これはきわめて小さな本だ。だがそれは「山上の垂訓」、「道徳経」、「ツァラトゥストラはかく語りき」、「預言者」を思い出させるような本だ。ライヒは本当はこのような本を書ける人間ではなかったのだが、何か未知なる霊によって乗り移られたに違いない・・・・。
「聴け小人物よ」は、ことに職業的な精神分析家たち、つまり彼の同僚の間に、彼に対する非常な反発を生み出した。というのは彼は誰をも「小人物」と呼んでいたからだ・・・・では彼は自分のことをそれほど偉大だと思っていたのか? そうだった! と私は言いたい。覚者という意味ではなく、ジークムント・フロイトやカール・グスタフ・ユングやアサジョーリたちと同じような意味でだ・・・・彼は同じ範疇の人間だ。彼は偉大な人間だった----もちろんまだ人間ではある。超人ではないが、偉大だった。そしてこの本が生まれたのは、彼の利己主義からではなかった。彼にはそれをどうすることもできなかった。彼はそれを書かなければならなかった。それはほとんど、女性が妊娠するのに似ている。彼女は子どもを生まなければならない。それを書くという考えに抗して、彼はその小さな本を何年間も自分の中に止(とど)めていた。それを書けば、自分にとって地獄になるだろうということがよく分かっていたからだ・・・・そして確かにそうなった。その本を書いた後では、彼はあらゆる方面から非難された。
偉大なものを創り出すということは、この世では犯罪だ。人間は少しも変わっていない・・・ソクラテスを殺す・・・・ライヒを殺す。何一つ変わっていない。彼らはライヒを狂人として非難し、牢獄に閉じ込めた。彼は非難され、狂人とされて、刑務所で死んだ。彼には雲を超えてゆく能力があった。だがそれは許されなかった。アメリカはまだソクラテスや、イエスや、ブッダのような人たちとともに生きることをこれから学ばなければならない・・・・・。
この本は、私のサニヤシンたちがすべて瞑想すべき本だ。私はこれを、無条件に推薦する。 Osho「私が愛した本」p234
ニーチェに始まり、アラン・ワッツに終わる。ジブランを語り、ウィトゲンシュタインを語り、禅を、スーフィーを、ハシディズムを語るOsho。この本に取りあげられた本のいずれがトップということは決定しようがない。いずれもがいずれもの価値を持っている。しかし、当ブログにおいては、この「私のサニヤシンたちがすべて瞑想すべき本だ。私はこれを、無条件に推薦する。」というOshoの言を持って「(私家版)Oshoお薦めの本ベスト10」のトップとした。
私はこの本の翻訳が出版された当時から、この本の存在を知っている。翻訳者の片桐ユズル氏とも、この出版の数年後に会っている。当時私たちが活動していた小さなコミューン(といえるかどうか)を訪ねてきてくれたのだった。彼は後年、Oshoのサニヤシンにもなったと聞くが、その名前までは記憶していない。
今回、これだけ有名な本だから簡単に再読できると思ったが、地元の図書館にはなかった。大学ネットワークでは発見したが、時間がかかりそうだったし、ネットオークションではちょっと高かった。いいやそのうち、古い友人が持っているはずだから借りてこようと思っていた。そしたら、今日、町でいちばん大きな古書店にいってみたところ、やはりキチンと一冊、私を待ってくれていた。
まさにニーチェのツラトゥストラやジブランの予言者を彷彿させるような激しい口調に、どぎまぎとする。日常の「意識」などに拘泥しているのは、小人物の体たらくであるかのように、叩かれる。偶然とは言え、あの「お薦め本ベスト10」のうち、ベスト3が、このライヒを含め、ウスペンスキー、アサジョーリの順になっているのは、なかなか興味深いものがある。瞑想し、研究し、読書せよ、とのお達しである。すべてが、日常意識からの離脱を進めている本だ。どこへ・・・ それをいまさら問うのか、小人物よ。
あなたはいつもあまりにも近視眼的すぎる、小人物よ。朝食から昼食までのことしか考えない。あなたは世紀の単位でうしろをふりかえり、何千年の単位で前向きに考えることを学ばなければならない。p160
または「こんな資本家の、ボルシェヴィキの、ファシストの、トロキストの、国際主義者の、セックスきちがいの、ユダヤ人の、外国人の、知識人の、夢想家の、ユートピアンの、デマゴーグの、きちがいの、個人主義の、無政府主義者のいうことなんかきくな。あなたはアメリカの、ロシアの、ドイツの、イギリスの、ユダヤの意識がないのか?」。
あなたは絶対たしかにこれらのスローガンのどれかひとつを使って、人間的交渉に対するあなたの責任をのがれるだろう。p198
激しい口調の背景には、ライヒが生きた時代が現れており、ひとつひとつの思想は、今となっては、すぐには肯んじえないものが多い。しかし、その物事に対する情熱、人生、人間というものに対する信頼と挑戦の姿勢は、まさにOshoに通じるものがある。
「アメリカはまだソクラテスや、イエスや、ブッダのような人たちとともに生きることをこれから学ばなければならない・・・・・。」Oshoはこの言葉を残して、1980年代のアメリカへの道を昇っていった。 オバマノミクスは、レーガノミクスと類似的に比較される時がある。Oshoと対峙したレーガン時代のアメリカと、オバマが登場したアメリカでは、なにかが変わったのだろうか。そして、わが内なる小人物たちは、どう変化したのだろう。
| 固定リンク
「49)ブッタ達の心理学2.0」カテゴリの記事
- 死ななくてすむ人間関係の作り方(2009.08.17)
- 自分を活かす色、癒す色(2009.07.28)
- 自分力を高める色彩心理レッスン(2009.07.28)
- 色彩心理の世界(2009.07.27)
- ゴーリキー 母(2009.07.25)
コメント
う~ん、こんな本もあったね。
人生の中で、出会い、立ち止まり、再読し、熟読し、座右の書となり、内なる名著となる本は、どのくらいあるものだろう。
その中に、この本は、入るだろうか、入らないだろうか。
投稿: Bhavesh | 2018/08/08 04:57