新しい宇宙像<1>
「新しい宇宙像」 (上巻)<1>
ピョ-トル・デミアノヴィチ・ウスペンスキー /高橋弘泰 2002/06 コスモス・ライブラリ- /星雲社 単行本 406p
Vol.2 No.636★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
「OSHOのお薦め本ベスト10(私家版)」の第4位。2位の「人間の未来の心理学」と並んで、お薦め本の中核を成している本である。「ターシャム・オルガヌム」を含めて、グルジェフ+ウスペンスキーの世界観を示す重要な一冊となる。1980/08「超宇宙論 魂の科学を求めて」 という先訳があるが、抄訳の上、悪訳であるとの評価もある。こちらは満を持しての完訳ということになり、その重みもますます増加する。
秘教という概念は主として高次の頭脳という概念である。この意味をはっきりと知るためには、我々の普通の頭脳(いわゆる天才の知性も含めて)は人間の頭脳の可能な限り最も高度な形態ではないということをまず認めなければならない。人間の頭脳は我々にはほとんど考えられないほどの高みに上昇することができ、我々はその高次の頭脳による活動の成果を見ることができる。piii 「第2版への序文」
1934年の文章であるから、割り引いて考えなくてはならないが、2009年の現在なら、当時よりはるかに脳科学が進歩していて、だいぶそのメカニズムが解明されたのではないか、と推測する。だが、これが割と牛歩の歩みで、ここでウスペンスキーが言わんとしている「秘教」は、いまだに秘教のままであるように思える。
だいたいにおいて、ここで言われているようなことは、必ずしも「アレクサンドリア図書館」に収蔵されていたであろう「書籍」のようなものではないのである。それは人間から人間へと伝えられるようなものでもなく、実際は「教えてくれる人」がいなくても、知ることができるものなのである。秘密の教え、とはいうものの、それは決して隠されているものではない。誰にでも見えるオープンなものなのだが、見えない者には見えない、というだけのことなのだ。
本、本、本。私は読み、見出し、見失い、再び見出し、再び見失う。ついにある全体像が私の頭の中で形成される。私は、世紀から世紀へ、時代から時代へ、国から国へ、ある人種から人種へと伝えられてきた思想と知識の途切れることのない系統を知る。その系統は宗教や哲学の地層の奥深くに隠されている。宗教や哲学といったものは、実際のところ、その系統に属する観念を歪曲したり曲解したものにすぎないのである。p7
さぁ、このへんのウスペンスキーの表現を、「科学」的事実と解釈すべきであろうか。あるいはOshoのように「詩的な表現である」と判断すべきなのであろうか。この部分が「科学」であるとするなら、ウスペンスキーは、この上下2巻(日本語版)の後段で、じっくりそこを証明してくれるだろう。もし「詩的な表現」に留まるとしても、ここに書かれていることの「真理」には、それほどの間違いはないように思える。
ある民族は、内的なサークルという考えに基づいた非常に重要な伝統や伝説を持っている。例えばチベットやモンゴルに伝わる、「世界の王」の「地下の王国」、神秘都市アガルティーに関する伝説のようなものである。それらの伝説が実際にモンゴルやチベットに存在するもので、ヨーロッパの旅行家や「オカルティスト」たちの発明でなければの話であるが。p45
チベットにもモンゴルにも、それなりの関心を示してきた当ブログではあるが、ここで語られている文脈についても「アガルタ探検隊」を派遣して(笑)、それなりの調査をおこなってきた。観音のマントラに導かれて、さまざまな痕跡をたどってみても、実際のところは杳として知られざる世界へと彷徨っていくのみである。
秘教の考え方によれば、人類の歴史において、自力で始まった文明というものはない。偶然に始まって機械的に進行する進化というものはない。機械的に進行するのは退化と堕落の過程だけである。文明は自然な成長によって始まるのではなく、人為的な養成によってのみ始まるのである。p44
ウスペンスキーを科学者として信頼するのか、詩人して注目するのか、あるいは「オカルティスト」の一人と断定するのか、によって、その言葉から受け取られるものは違ってくるが、なにはともあれ、ウスペンスキーはこのように表現していた、ということを覚えておく必要がある。
内面世界の発達、意識の進化、これこそが絶対的な価値であり、人間以外の中では見出せない特質である。
意識の変化、人間の内面的成長、これが「超人への上昇」である。しかし内面的成長は一つの線だけではなく、いくつかの線で同時に進行する。これらの線をはっきりと定めなければならない。なぜなら、それをまぜこぜにしてしまうと、間違った道に行くことになり、袋小路に辿り着いてしまうからである。p169
「超人への上昇」というフレーズは、当ブログの得意とする分野ではないが、ニーチェに大きく影響されているウスペンスキーの当時の文脈からすれば、言わんとするところは理解できる。そして、「まぜこぜ」の危険性も、なおわかる。
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