印度精神文化の研究<2>
<1>からつづく
「印度精神文化の研究」 <2> 特にヂヤイナを中心として
金倉円照 1944/02 培風館 単行本 506p
ジャイナについては、Oshoの出自であるというだけで、あとはそれほどのこだわりはない。当ブログにおいても、一冊だけ「ジャイナ教入門」(2006/8 現代図書)を読んだだけであり、そこから展開しそうなものは多くはなかった。
ということで、まずは「ジャイナ教入門」をまたペラペラとめくってみた。この本、出版されたのは2006/08であり、当ブログがめくったのは2006/12だったのだから、出版されてホヤホヤの新鮮な状態だったと言える。巻末には「日本のジャイナ教研究書」として約20冊ほどの文献が紹介されているが、ここで取り上げている金倉円照の「インド精神文化の研究」は、前から2番目にリストアップされている。
トップは世界聖典全集刊行會というところが出版した本の鈴木重信「耆那教聖典」(1920)で、付近の図書館を検索してみると、実はこれも在庫があることを発見した。なるほど、あまり目にはつかないが、ジャイナはジャイナでおっかけてみれば、かなり深味がある可能性があるな、と分かってきた。
しかしまぁ、ここは、あまり深追いせず、ゴータマ・ブッタの時代には六祖外道の一つとして数えられたジャイナではあったが、地獄への切符でも意味するかのような「外道」という表現は、あまりに極端は評価であろう、と理解する程度でいいのではないだろうか。
ジャイナについては、Osho「私が愛した本」p71のなかでハヴィーラの「ジャイナ・スートラ」にも触れいるが、一般にはマハヴィーラ自身は経典を残していないとされる。その後5~6百年を経て、ウマースヴァーティの「タットヴァ・スートラ」が登場するわけだが、彼自身は白衣派に属するにも関わらず、空衣派の聖人とも目される場合があるようだ。
白衣派と空衣派は解釈が違い、ジャイナ共通の経典とするには微妙な部分が多いのだが、この他に適当な文献がないかぎり、この「タットヴァ・スートラ」は、21世紀に生きる現代人がジャイナを理解するには、大きなひとつの手掛かりになりそうだ。
「ウマースヴァティのヂャイナ教義」以降、約130ページほどをパラパラとめくってみると、金倉本人の解釈の部分を除けば、この「諦義証得経」(タットヴァ・スートラ)も、それほど、理解できないほど難しく書いてあるわけではない。仏典の一部かとみまがうような文脈が並ぶ。翻訳にあたって、仏教用語を多用しているのだから、とっつきかねる、というほどのことはない。
あえていうなら、殺害はするな、とか、嘘はつくな、と言った倫理観の強さが強調されていて、なるほど、この辺がジャイナだなぁ、と感じるのは確かなことである。「密室殺人+探偵小説」などは、まさに、殺人と嘘のアートのようなものだが、ジャイナから見たら、いったいどんなことになってしまうだろう、と、ちょっとヒヤヒヤしないでもない(笑)。
さて、この本のページの他の部分に目を移すと、「ジャイナ哲学の一様相」として「クンダクンダのヂャイナ教義」という一文も加えられている。経典そのものではなく、解説だが、このウマースヴァティと並ぶ、空衣派の聖者とされるクンダクンダについても、初歩的とはいえ、基本的なことは押さえておくことも必要だろう。
つづく
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