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2009/05/10

覚醒のメカニズム<2>

<1>よりつづく
覚醒のメカニズム
「覚醒のメカニズム」 <2>グルジェフの教えの心理学的解明
チャ-ルズ・T.タ-ト /吉田豊 2001/01 コスモス・ライブラリ- /星雲社 単行本 506p

 乱読につぐ乱読ゆえ、自分が過去に何を読んだのか、わからなくなってしまう場合がある。そのための記録としてこそのこの読書ブログではあるが、今回もリクエストミスをしてしまった。「覚醒のメカニズム」? お、目新しいな、なんだろう。素適なネーミングだな、と思って予約を入れておいたら、なんだ、過去に目をとおした本でした、と、ちょっとがっかり。

 でも、せっかく手元にきてくれたのだから、もういちどパラパラと目を通した。なんとも素適なネーミングではある。サブタイトルも「グルジェフの教えの心理学的解明」。なるほど、こうでなくてはいけない。かっこいい、と思った。

 原書のタイトルはWaking Up: Overcoming the Obstacles to Human Potential 」。自動翻訳では「目を覚ます: 人間の可能性への障害を克服」となって、まぁ、当たらずとも遠からず。「人間の可能性」というあたりはウスペンスキーの「人間に可能な進化の心理学」を連想するから、これはこれでいいのだろう。

 前回は、かなり乱雑に読み飛ばしたはずだから、これはちょっと大事なことを読み落としているかも、ともう一度目を通してみることに。だが、途中まできたところで、やっぱり、前回同様、食当たりの悪さを感じ始めた。なにかが違う。どこかがおかしいのだろう、と、ちょっと首をひねった。

 概略としては、この本は間違いない。なにかのゼミや研修などで、このテキストが使われるとすれば、私なら大喜びするだろう。これほど限りなく近い形で、表現してくれていることに、自らのなかの未表現の部分が喜んでいる。だが、違う。なにかがさらなる協和音を生み出さない。

 まず、「Waking Up」を「覚醒のメカニズム」と翻訳してしまったのは、いかがなものであろうか。「メカニズム」とは金属的機械の構造のことである。人間を「機械」である、と言い放ったグルジェフの解釈本にしてみれば、「メカニズム」という翻訳もグルジェフ本人に対しては、特段に誤った態度ではないだろう。

 あるいは、要所要所で著者のT・タートも、コンピュータのことを盛んに類推として引用するので、金属的機械の構造の延長としてのコンピュータをイメージしている限り、この「メカニズム」というタイトルには、それなりの妥当性はあろうと思う。

 しかし、この本が書かれた1986年におけるコンピュータとは違い、現在のGoogleを象徴とするネット社会やクラウド・コンピューティングは、限りなく非金属化している。一部のマニアックな手作りPCファンならまだ金属的工作として、メカニズムという言葉にはなじめるかもしれないが、一般の、ごくごく一般のユーザーは、コンピュータを金属的なメカニズムとはとらえていないのではないか。

 「カブトムシが壊れてしまった」という表現があるらしいが、カブトムシは生命体であり、カブトムシが生命体として機能しなくなる場合は、「死ぬ」と表現される。「脳細胞が壊れてしまう」とか「白血球が壊れてしまう」と表現されるときもあるが、実は、脳細胞も白血球も生命体であれば、それは「壊れる」ではなく「死ぬ」と表現されるべきだろう。

 1986年のT・タートの時代は、コンピュータが壊れてしまう、で正しかっただろう。当時、パソコンであれ、スーパーコンピュータであれ、限りなくモノとしての物理的な存在であった。モノとしてのコンピュータが壊れれば、メカニズム全体が機能しなくなるのである。だから、歴史的資料としてのグルジェフ理解としては、グルジェフの意図に即した形での「覚醒のメカニズム」という表現は、むしろ、史実に即した紹介の仕方であると、好意的に評価されるべきだろう。

 しかるに21世紀もすでに最初の10年が経過しようとしている現在、アーサー・C・クラーク描くところの「2001年宇宙の旅」も「2010年」も、とうに読み込み済みの社会に、人々は生きているのである。コンピュータを機械的メカニズムとして理解しているユーザーは時代遅れにならざるを得ないだろう。コンピュータは機械的メカニズムを超えた、別の何かに進化してしまっている。

 メカニズムではなく、プログラムとかアルゴリズムという言葉ならまだ理解されやすいかも知れないが、それでももう手垢のついた古い言葉になりつつある。もし、現在Googleの金属的機械としてのコンピュータ・エリアが破壊されても、地球全体のコンピュータ・システムは、生き延びることができるだろう。マイクロソフト社がそのサービスを停止しても、コンピュータの進化が止まることはない。IBMが倒産しても、それを凌駕する別の会社が台頭するだけだ。

 コンピュータ社会をメカニズムととらえることはすでに間違いで、さらに人間そのものを機械的メカニズムに例えることは、超時代遅れとなっているのだ。歴史的人物としてのグルジェフの言節として「メカニズム」という言葉を多様することは構わない。だが、この生身の、21世紀に生きている、人間、ひとりひとりの覚醒にまつわるものごとにおいて、機械的メカニズムに置き換えて理解しようとするのは、時代遅れとしかいいようがないし、人々を理解させる説得力をもたない。

 つまり、極限すれば、グルジェフは時代遅れだ、と言いたい。もちろん、グルジェフが到達した「トゥリヤ」そのものについてのことではない。2500年前のブッダや数百年前の化ビール達が到達した「トゥリヤ」を、時代遅れだと批難したとしても、その批難者の愚かさがただただ際立ってくるだけだ。

 ただ「マスター稼業」を自らの仕事と任ずる人々が、様々に用いたメタファー、マヌバー、方便は、古くなり得る。グルジェフ貴しとして、グルジェフの小道具類にこだわり続けてはいけない。それは、お芝居の小道具類にすぎない。大道具や大きな仕掛けや、ステージそのものであったとしても、つねに最新のものが工夫されていく必要がある。

 だから、このチャールズ・T・タートの「覚醒のメカニズム」は、書き換えられなければならない。それはグルジェフによるのでもなく、ましてや、チャールズ・T・タートによるものでもなく、21世紀を生きる本人そのひとによって、全面的に改訂されなければならないのだ。

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