ムラ・ナスルディン物語<2>
<1>よりつづく
「ナスレッディン・ホジャ物語」<2>―トルコの知恵ばなし
護 雅夫 (翻訳) 1965/03 平凡社 文庫: 310p
ナスレッディン・ホジャが本著における翻訳名だが、長いこと(かれこれ35年くらい)ムラ・ナスルディンという名前でなじんできたので、これから、当ブログにおいてはムラ・ナスルディンと統一することにしよう。とは言っても、本文の中では、呼びかける言葉は「ホジャ」だから、ちょっと違和感が残る。Osho本では「ムラ」が採用されていた。
最初から覚悟はしていたが、この小さなジョーク小話集だが、読み込むことはそう簡単なことではない。評論物なら、自分の関心のあるところだけを拾い読みすればいいだろうし、論文や小説でも、大意をつかめれば、あとは流し読みしていけばいい。ところが、小さな小話集なので、登場人物や主人公は限られているとしても、一つ一つの話の中での状況や性格づけがまちまちなので、ぜんぜん気が抜けない。
或る日、ホジャ・ナスレッディンに、
ホジャどん。内儀(かみ)さんと接吻したら、断食を破ったことになるかな? ならんかな?
と訊いたげな。
故人(ホジャ)はニコニコ笑いながら、
新婚ホヤホヤならば破ったことになる。結婚2年目じゃぁ、ちょいとわからん。じゃが、3年目なら、木の板とやるようなもんじゃ。破ったことにゃ、絶対ならんわい。
と答えたげな。 p63
いかにも断食月(ラマダン)があるイスラム社会ならではのジョークだが、全体としては、このような艶話は全体的にすくない。ただ、まだ5分の1位しか読みすすめていないので、後半にある「ホジャと内儀(かみ)さん---とかく女というものは---」などという一項があるので、まだ即断はできない。
なにせ、イスラム社会への関心もいまいち盛り上がらない、ましてやインターネットを中心としたグローバル社会などまだまだ予想さえ難しかった1965年の翻訳である。当時の日本社会の生活環境に置き換えてイスラム社会を理解しようというのだから、土台無理な面が残っている。その言葉使いといい、落とし所の理解の仕方を、当時の日本社会でも理解しやすいように工夫されていることに、翻訳者の苦労を感じる。
イスラムの聖典や聖人たちの世界観もまた関心があるところだが、一般イスラム社会の人々の日常生活も、私たち日本人となんら変わらない日々があるのだ、と理解できるところが、なんとも民俗学的な一冊でもある。
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