新しい宇宙像<2>
<1>よりつづく
「新しい宇宙像」 (上巻)<2>
ピョ-トル・デミアノヴィチ・ウスペンスキー /高橋弘泰 2002/06 コスモス・ライブラリ- /星雲社 単行本 406p
ウスペンスキーの他の書物にも言えることだが、この本も一巻の形は成しているが、書かれた時期やテーマがまちまちなものを、再編集して、ひとつにまとめているものが見受けられる。この書もまさにそのような成り立ちをしており、先駆的に日本で翻訳された「超宇宙論」が部分的な抄訳で終わってしまったことは、必ずしも一方的に責められるべきものではない。ただ、確かに「超宇宙論」は分かりにくく、読者もどう受け取ってよいのか、戸惑いはあったはず。ちなみ私も、出版当時すぐに購入してのだが、よく読みこめなかった記憶あり。
上巻の後半おいては、東洋文化に深い関心を寄せつつも、西洋文化の中での活動家らしく、キリスト教についての独自の解釈が続く。
秘密を守るという考え方は、秘教ではエネルギーを保存するという考えに関係している。沈黙、秘密は、閉じた環、すなわち「集積所」を創造する。この思想は、すべてのオカルト体系に行き渡っている。沈黙を守る能力、または必要なことを必要なときにだけ言うという能力は、自分自身を支配する最初の段階である。スクールの仕事では、沈黙を守る能力は、達成すべき特別な段階である。p276
当ブログにおいては、「ジャーナル」を表題の一部に用いている以上、知り得たものはオープンに公表し共有する、という姿勢を保っている。だが、知り得ないものは知り得ないし、語り得ないものは語り得ない、ということは当然なので、守秘義務や個人情報保護などの観点以外にも、文字やメディアの能力を過信しているものではない。
しかし、真理とは露わになっているもので、誰にでも知り得るものである、という信念に変わりはない。トップ・シークレットは、オープン・シークレットだ。いたずらに秘密めいたことを語ることによって、何事かの付加価値をつけようという姿勢が世にあるとするなら、それは肯んじえない。
タロット・カードについての興味深い論点も展開されている。当ブログにおいても「カモワン・タロット」のほか、いくつかのカード類についても読みこんでいるが、これらが帯びている意味性は、色や形、位置に、よってさまざまあり、一概にどの解釈が正しい、とは言えない。ウスペンスキーの解釈がどうの、というより、ここにおいてウスペンスキーが、タロットについての考察に大きくスペースを取っている、ということを記憶しておけば、それでことは足りるであろう。
ヨガの紹介についての段においても、必ずしもウスペンスキーの独自の解釈の展開ということではなさそうだ。
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