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2009/05/10

探偵小説の論理学<3>

<2>よりつづく
探偵小説の論理学
「探偵小説の論理学」<3>ラッセル論理学とクイーン、笠井潔、西尾維新の探偵小説
小森健太朗 2007/09 南雲堂  291p

 これまで、ひととおり小森作品に目を通してみて、翻訳の一部や最近の雑誌類に発表されている短文などは、これから見つけ次第、目を通してみるつもりだ。一度もお会いしたことのない存在ではあるが、文字を通じて表現を続ける存在に対しては、その文字を追うことで、理解を試みることは、それほど間違っているとは思わない。

 ましてや、理解力も十分ならず、論じられている対象についての直接的な細かい基礎知識のないまま、このような本を読むのは、著者に対して失礼になるやもしれないが、私文書や閉じられた空間における講義のようなものでない限り、拙い読者は拙いなりに、読み込んでいくしかない。すべては著者に対して失礼なものでないことを願う。

 チベット密教においては、さまざまな秘教が明かされている現代ではあるが、その道を歩むには、導師であるラマの指導に従うべきだ、とされている。グルジェフ+ウスペンスキーについても、エニヤグラムやエクササイズのような形で秘められた教えが一般に広く公開されつづけているが、ついには、そのスクールのような存在が不可欠になるものと思われる。

 しかるに、ラマにもつかず、スクールにも参入していない私は、その道を歩む上においては、唯一頼むものとしては、Oshoのサニヤス、というシステムしかない。そのシステムを認知し採用するにあたっては、その偏狭化の弊害を知りつつも、むしろ効能の大なるを信じ、自らの道として歩いていこうと思っている。

 そのような自らに強く引き寄せた視点から考えれば、この「探偵小説の論理学」は、Oshoの「私が愛した本」との合わせ鏡と考えてみると、とても面白いと感じている。合わせ鏡とはちょっとほめすぎだとしたら、副読本と考えてもいいだろうか。もっとも副読本という位置まで引きずり降ろしたら、著者ばかりではなく、この本に好意的な読者からもクレームがつくに違いない。

 「論理学」とは、ついには越えられて行かれるべきものとの認識が当ブログにはある。もし、大学の初学者において、論理学の講義として、この教材が使われるなら、その学生たちはとてもラッキーな立場にあるだろう。著者の他のミステリー小説のようなドンデンガエシが待ち構えているのではないか、と用心しつつ読みすすめていって、結局は、ドンデンガエシがないことが、この本におけるドンデンガエシであると分かると、なんとも著者にじんわりとした親近感がわいてくる。

 ラッセル&ホワイトヘッドの「プリンキピア・マティマティカ」や、「哲学探究」や「哲学的考察」をはじめとするウィトゲンシュタインの一連の著書のみならず、クィーン、笠井潔、西尾維新といった人々についての予備知識も決定的に不足しているが、私自身は、なにもそのことを恥じるべきではない、と今は豪語しておこう。無知なるを恥じるべきではなく、探求をあきらめることを持ってもっとも恥ずべき行為だと信じるがゆえに。

 拙いひとり旅の当ブログにおいて、現在は「(暫定)カビール達の心理学」というテーマを掲げてみたところである。実際は、カビール達という単語はあくまで暫定的なものであり、当ブログのタイトルである「地球人」という単語に達するべき概念であろうと推測している。

 しかるに「心理学」という単語は、違和感がありつつも、その言葉のついに到達地点をまだ想定できていない。心理学とは、心理+論理学ということであろうから、心理学を学ぼうとすれば、論理学は基礎として身につけなければならないものである。Oshoは論理学の祖であるアリストテレスを評するにあたって、唯一「詩学」をもって推薦すべき本としている。

 「詩学」そのものの字義はともかくとして、論理学は、ついには詩へと昇華し得るもの、昇華されるべきものと理解しても、そう間違ってはいまい。つまりOshoにおいては、心理学は、ついには心理「詩」にさえ変容されるべきもの、ととらえることができるだろう。それに呼応したかたちで、当ブログはその心理詩は、語られるものでも、聞かれるものでもなく、沈黙をさえ含むものとして理解する。しかも、自らが体験すべきもの、と解釈していったときに、「心理学」という言葉は、ついには「スピリット」という単語に帰結していくことにすることは、まんざら牽強付会とばかりは言えないのではないか。

 つまり、「(暫定)カビール達の心理学」は、当ブログにおいては、ついに「地球人スピリット」という単語に置き換えられてしかるべきだと考えられる。いや、むしろ「地球人スピリット」という既定の目的地点に向って、さまざまな各論を試みている、と言えないこともない。

 さて「探偵小説の論理学」を「地球人スピリット」へ向かう道程の一里塚と考えてみると、なかなか重要な位置を占めている一冊と言える。「ターシャム・オルガズム」を初めとするグルジェフ+ウスペンスキーについての「本丸」にたどりついていないというもどかしさを語る著者p284ではあるが、著者においては、その本丸として、可能な限り、「地球人スピリット」という概念を含めてもらいたいものだと思う。

 ないしは、著者の今後の展開をにらみつつ、当ブログにおける彷徨の方向付けとして、著者のさらなる展開に学んでいきたいと思う。

「(暫定)カビール達の心理学」
「定義c:全ての謎は迷宮入りする」

<4>につづく

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