探偵小説の論理学<4>
<3>よりつづく
「探偵小説の論理学」<4>ラッセル論理学とクイーン、笠井潔、西尾維新の探偵小説
小森健太朗 2007/09 南雲堂 291p
いつまでも手元に置きたいが、図書館への返却期日が迫ってきた。再度リクエストするとしても、なにはともあれ、いちど、まとめておかなければならないだろう。
まず、小森追っかけでいきなりこの本を読んだ時は、あんまりにいきなりなので、つんのめってしまって、何も頭に残らなかったというのが本音のところ。むしろ、あちこちの断片が、さまざまな妄想ともいうべきイメージのふくらみをもたらした。
何度かパラパラとめくっているうちに、それなりの狙いが分かってきた。当ブログが過去に彷徨ってきたエリアにすこしかぶらないこともない。クィーンや西尾維新などについては、まったく予備知識がないが、ラッセルやウィトゲンシュタインなどについては、当ブログとしても、継続読書中であった。Osho「私が愛した本」にもリストアップされていることもあり、今後も折を見つけて、また追っかけてみたい。
ウィトゲンシュタインについては、どれということはないが、そのうち、図書館に並んでいる本を片っ端からめくってみたいとは思っている。ラッセル+ホワイトヘッドの「プリンキピア・マテマティカ」については、超難解で分厚い本である、とは察しがついているが、そのうち、あの本をこの手にして体重計に乗り、その重量くらいは体感しておきたい。
ホワイトヘッドについては、大学の講義のレポートで、全然勉強をせず、「テレビをつけっぱなしにしておくと、放送終了後も流れるホワイトノイズというものがあるが云々」と、ヘッドとノイズをかけたコントのような文章を提出して0点をもらったことがある。
こちらとしては割とマジに書いたつもりだったのだが、0点をつけなければならない教員の立場もわかる。シンセサイザーなどは、もともと、あの雑音のようなホワイトノイズから音を作り出し、リズム、メロディー、ハーモニーに作り変えて、あのような素晴らしい楽器として存在しているのだから、私の論旨もまんざらではないとは思うのだが、これは捲土重来、いつかはリベンジを果たさなければならないと、思い続けてきた。
さて、この本を返却するにあたって、当ブログとしても暫定的にメモしてきたあの(なんちゃって)「論理学」を振り返ってみる時期になっているやもしれない。暫定的に書き散らしてきたものであるが、散逸するといけないので、ここで、一まとめにしておく。
「(暫定)カビール達の心理学」フェーズ1
定義a: かもめのジョナサンは、アウトサイダーとして、トゥリアに到達する。
定義b:「マジックナンバー7」にご用心!
定義c:全ての謎は迷宮入りする。
定義d:(なんちゃって)瞑想が唯一、最後の道である。
定義e:(自)意識から始まり(宇宙)意識に至り、更に(自)意識に円環する。
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