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2009/05/11

神秘家の道<7>

<6>よりつづく
神秘家の道
「神秘家の道」 珠玉の質疑応答録 <7>
OSHO /スワミ・パリトーショ 2009/03 市民出版社 単行本 884p

 瞑想は馬車として使うことができる---そしてそれが、あなたの使っている方法だ。ただ自分が集めたゴミを掃除するだけだ。だが、あなたは毎日ゴミを集めることになり、それを毎日掃除しなければならないことになる。瞑想は大きな鳥だ。ところがあなたは、本来の目的とは違う使い方をしている。確かに瞑想そのものにはその仕事ができるのだが。p513

 飛行機は、滑走用のタイヤがついている限り、牛や馬に引かせれば、馬車として使うこともできる。しかし、エンジンがついているのだから、スイッチさえ入れれば自動車として陸地を疾走することもできる。そして、翼がついていることに気づきさえすれば、それは飛行機として、離陸することになる。高く飛ぶことができるのだ。

 だから瞑想が重荷を取り除いてくれたら、また集めないように気を付けることだ。重荷を集める何の必要がある?---単なる無意識にすぎない。そしてあなたが集めるものは、全部がらくただ。あなたはそれを知っている---だからこそ、瞑想でそれを拭い去られたら、新鮮に感じるのだ。とすれば、どうしてその新鮮さを壊す? ゴミを集めてはいけない。そしてその方法は、もっと気づいていること、他のことしているときでさえ、もっと瞑想的でいることだ。これは大変な防御だ。それはどんなゴミが集まるのも許さない。すると徐々に、あなたが集めるゴミは少なくなっていき、ある日、二つの瞑想の間で自分が何もゴミを集めていないのに気がつく。p515

 あちこちで瞑想という言葉に出会う。しかし、他の意識や醒覚などという単語と同様に、意味していることはさまざまで、統一感がない。ざっとみるだけだと、「なんちゃって瞑想」でしかない場合が多い。いや、自分の理解、自分の体験もまた単なる「なんちゃって瞑想」でしかないかもしれない。わかったふりはしないでおこう。

 今や、馬車は自動車になれる---この二つの間には大きな距離がある。もうあなたには、それを運ぶ牛や馬はいらない、それはもっと早く進むことができる。今ではあなたにはスピードもついた。そうしないと、毎日同じことをして、同じまま死ぬことになりかねない。p516

 私の同級生などもすでに50代の半ばになり、1年に何人かの訃報も届くようになった。ずっと年上の父母の世代は当然として、先輩、知人でも、すでに鬼籍にはいった人々もかなりの数になってきている。私の人生の上においても、自分の「死」はごくあたりまえのイベントになりつつある。

 そして他に何も掃除するものがなくなったら、そのとき瞑想は、あなたのエネルギーは、地上での仕事がなくなったために上昇し始める。あなたは離陸できる。あなたは内なる空で鳥になれる。そうなったら、それは単なる元気になることではなくなる。それは成長になる。あなたは成長し、成熟し、より中心に座り、もっと個人的になる。そして高く進めば進むほど、それだけ、新しいことが自分に起こるのがわかるようになる---あなたに春が訪れ、まわり中に草が伸び始める。生のすべてに緑が溢れ、ジュースが溢れる。p517

 当ブログも次第に、高く飛ぶことを意識しはじめよう。

 あなたはその道を見つけた---今度は進み続けなさい。発見すべきことが実にたくさんある。あなたが忘れていた自分自身の領域、忘れてしまっていたあなた自身の帝国だ。それを思い出しなさい。思い出すこともまた、ひとりでにやって来る。
 だから、今起こっていることは良いことだが、充分に良くはない。もっとたくさんのことが可能だ。小さなことで満足してはいけない。
 自分が完全に満足を感じる地点に行き着かない限り、止まってはいけない。
 それこそが、ひとりひとりの個人が神になる進化の絶頂だ。
p516

 

「(暫定)カビールたちの心理学」
「定義d:(なんちゃって)瞑想が唯一、最後の道である」

<8>につづく

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