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2009/05/06

人間に可能な進化の心理学<7>

<6>よりつづく 

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  「人間に可能な進化の心理学」 <7
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p

 この本、薄い本だし、せっかくのOshoの推薦もあることだから、当ブログもサニヤシンのひとりとして「研究」しようと思ったのだ。だが、読むだけなら簡単だが、その内容の、特に後半に納得がいかないものがある。

 「人間に可能な」という部分は、当ブログの「(暫定)カビールたちの」という言葉に置き換えることができる。「心理学」の部分は、ちょっとまだ含味しつくしてはいない。いずれにせよ、「進化可能な」という概念ではなく、実際の存在としての「(暫定)カビール達」のほうが説得力がある。

 そして、この修飾をうける形の部分におけるシステムには、なにやら「マジックナンバー7」が絡んでいる、というのは分かっている。「トリックナンバー7」といってもいいし、「ミステリーナンバー7」と言ってもいい。

 この本においてもウスペンスキーはその「マジックナンバー7」を使って、何事かを説明しようとするのだが、自分ではミステリアスなナンバーとして紹介しているのだろうが、どうもヌメロジー7のトリックに引っ掛かっているような気がする。

 だから、この本の後半は、なんど読んでもすっきり入ってこない。シュタイナーを読んだときと同じようになんとも違和感がある。言っている本人はまじめなのだが、どうも説得力がない。つまり・・・、わかっちゃぁ、いないんではないかな。

 だから、最初はこの本をメインに「心理学」を組立てようと思ったのだが、べつに信用しないわけではないが、メインのもの、スペシャルなものとしては採用しないことにした。当ブログにおいては、「新しい宇宙像」(全二冊)はまだ未読であり、「ターシャム・オルガヌム」の読み込みも始まったばかりであり、ウスペンスキー全体を理解しているわけではない。しかし、ここからはスペシャルなものとして、ここ一点に依拠しよう、という態度にならないだろう。

 「マジックナンバー7」の解明にはいる前に、多少の「メタフィクション」を活用しながら、自分なりの「7」のイメージをメモしておく。

 直前の生において、死の直後、日本を目指した私は北米大陸から太平洋を横断し、目印にしていた小さな無人島を目印にして日本列島にやってきた。着陸地を探していた私の目にはいったのは、7つの小さなピラミッドだった。いや、ピラミッドというにはちょっと小さな土でできた小高い遺跡が7つ、東西に並んでいる姿だった。私の意識は、ここぞ、と決意し、その近くに門構えのある家の中へと飛び込んでいった。

 今生において、私が生を受けた地域は、七島と呼ばれている村だった。家並みの後ろには川の流れにそって、7つの塚があった。言い伝えでは前九年、後三年の役にまつわる伝説があり、その一番西側の塚には社がしつらえてあった。熊野信仰とのかかわりもあるという。

 その村は、親戚縁者が中心となって何百年と経過した地域だったが、それぞれに屋号を持っていた。西とか東とか、あるいは本家の意味を表す屋号の家もあるし、後からやってきたので「間」を表す家もあった。

 私の生家は、単に「丸七」と呼ばれていた。家の印が○の中に七を書いたものだから、そう呼ばれていたのだが、となり村などから呼ぶ場合は、「七島」とは、この「丸七」の我が家を意味した。その七つの塚(ピラミッド)にまつわる、なにかの伝承があったらしく、前生の私は、死後、この「マジックナンバー7」にまつわるエネルギーに引き寄せられて今生の肉体を持ったものと思われる。

<8>につづく

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