ルバイヤート<1>
「ルバイヤート」<1>世界文学大系〈第68〉アラビア・ペルシア集
オマル・ハイヤーム 1964 筑摩書房 全集 p442
Vol.2 No.614★☆☆☆☆ ★★★★★ ★★★★★
教えてもらわなければ、アラビヤやペルシャ関連の書籍はタイトルさえわからず、どこにあるのかさえ分からず、探そうともしないで終わってしまう。この本もまた、Osho「私が愛した本」の中のジャラルーディン・ルーミー 「マスナヴィ」があるというよ、と教えてもらい、借りてきた本だった。この本、図書館でもいつもは行かないコーナーにあり、なるほど、こういうところにあるのか、と自称・図書館フリークの、館内における行動範囲もすこしづつ広がりを見せている。
この本、11編の作品が合本となっており、オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」が収録されており、まずはそっちのほうに目がいった。「ルバイヤート」はだいぶ前に文庫本で読んでおり、今回も読みこもうと思って、納戸を探していたのだが、小森健太朗の「ネメシスの哄笑」の登場人物たちの書庫と同様な状態になっており、どうやら足を踏みこむと、大変な事態が起きてしまいそうなコーナーに挟まってしまったらしい。
そのうちなんとかしようと思いつつ時間ばかりが経過してしまったが、今回、こちらで読めたのでラッキーだった。所蔵していたのは確か文庫本だったと思うが、この大判の全集のなかでは、三段組みになっており、全296の四行詩も、わずか30ページたらずの中に収まっている。
長編ものは苦手な当ブログであるが、このような四行詩だけの本、というのも珍しい。他には仏陀の「ダンマパダ」などもあるけれども、「ルバイヤート」はまた独特のふくいくとした味わいがある。続出する酒や恋人というシンボリズムは、そのまま受け取らずに、その奥を感得すべきだとはわかるのだが、やっぱりどうも、場末の小さなバーを連想する。
小学生の時の新聞配達から始まって、若い時はいろいろアルバイトをしたことはあるが、水商売はやったことがない。せいぜい、手打ち蕎麦屋の出前持ちをやった程度で、自転車に乗りながらザル蕎麦13枚を配達していたというのが今でも自慢のひとつになっているだけだ。若い時は、どうも喧嘩っ早くて、水商売などで客を相手にしていたら、しょっちゅう客と殴り合いなどしていたのではないだろうか。
だけど、今回「ルバイヤート」を読んでいて、いいなぁ、他にやることがなくなったら、駅裏のちょっと入り組んだところあたりに、ほんの数席の小さなバーでもやろうかな、と思った。酒なんぞ、最近気にいった焼酎の2~3本でもおけば、いい。サカナはあぶったイカ(笑)と、近所のおばちゃんが引き売りしている野菜でつくった煮物でもあればいいだろう。で、あとは、カウンターの脇には、この「ルバイヤート」を一冊置いておこう。
たった四行のちいさな詩たちである。ここに引用するのは、なんの苦にもならない。だけど、なんだかそんな自分の行為が恥ずかしく思える。この小さな詩たちは、「引用」される、というようなものではない。歌として唄われ、酒とともに愛でられるべきものである。なんどもなんども、唄っているうちに、次第に意味が変わっていきそうだ。
駅裏の小さなバーのプランはいつのことになるか分からないが、すこしづつ、当ブログを訪問してくれる常連さんも、ひとりふたり、とでてきている。当ブログが、オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」のような、小さなバーのような、そんな雰囲気になっていければ、いいなぁ、と思った。
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おお、心よ、おまえは謎の神秘には達しない、
賢者の域にも達しえない。
酒と盃でここに天国を築こう、
天国に行けるかどうかわからない。
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