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2009/05/05

ネヌウェンラーの密室

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「ネヌウェンラーの密室」
小森 健太朗 1996/01 講談社単行本 301p
Vol.2 No.599★★★★☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 「ローウェル城の密室」を読みながら、思いだしたことはもうちょっと長かった。そして、こちらの「ネヌウェンラーの密室」をめくりながらも、私のあの失われていた記憶がひとつひとつ、タロットカードをめくるようによみがえってきた。当ブログにおけるブログ・ジャーナリズムの小さな見せかけ用の看板もなんだか怪しくなってきている。当ブログは次第次第にメタフィクション化していくのである。

 <1.0>においては、当ブログは、さまざまな思考錯誤を繰り返した。しかし結論としては、モノローグ、つまり、つぶやきシローであったと言える。当ブログは栃木県限定ではないので、ナマリは特にないとは思うのだが、誰かに向けて話すという作業は、すでにあきらめていた。しかし、<2.0>においては、おなじシローでも、マギー司郎に学ぼうというのである。いや別に茨城弁を学ぼうというのではない。メタフィクションとやらを学ぶのである。

 <2.0>では、誰かに話し掛ける。話す相手を特定するのだ。では誰に話すのか。それは決めていた。孫に話すのである。グルジェフは、「ベルゼバブの孫への話」という難解にして珍妙な話を残したが、当ブログもそれに倣うのだ。しかし、私にはまだ、孫はない。したがって、タイトルは「Bhaveshのまだ見ぬ孫への話」となる。

 二人の子供のうち、一人は結婚したがまだ子作りに励んでいるふうでもなく、もうひとりの子供は、この連休に彼女を初めて連れてきたばかりだ。彼らに、いきなりオレの孫は、いつ生まれることになるのか、と聞くこともできない。未定である。未知とも言える。いや、生まれないかもしれないので、不可知とも言える。生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないのである。

 未知であり不可知である、我が孫になぜ話しかけるのか。まったく気の早い話だが、私は、万が一「名前はじいちゃんがつけて」な~んて言われたら、迷わずすぐつけられるように、いくつかの候補まで考えているのである。その中の一番気にいった名前で、私のアバターはすでに動きだしている(笑)。

 子どもたちはOshoのもとまで連れていって、サニヤシンにまでしたが、それって、幼児洗礼みたいなものだから、その後は一切なんの強要もしていない。彼らはこの世にOshoという人物が過去におり、どうやらうちのオヤジは若くしてそいつにハマったらしい、という程度の認識しかないだろう。自分の道だとは思っていないかもしれないが、あるいは、いつ突然、彼らの身の上に、なんらかのコンバーションがおこるかは、わからないので、ここも不可知領域としておこう。

 さて、孫が生まれたとしても、爺いの話を聞いてくれるのはいつのことになるだろう。おとぎ話のひとつやふたつなら3歳にでもなればOKだろうが、ちょっと込み入った話なら、10歳くらいまでは待たなければいけないだろう。いや、14歳くらいか、そのくらいまで待ってみようか。しかし、それまでこっちの爺いの方は生きているだろうか、生きていたとしても、意識はしっかりしているだろうか。死んだ子の齢を数える、というのは聞いたことあるけれど、まだ生まれぬ孫の齢を数える、というのも、なんとも奇妙な所業ではある。

 これはゆっくり待ってばかりはいられないぞ。思いついた時にすこしづつメモしておこう。と当ブログ<2.0>は始まった。

 しかし、またまた問題が持ち上がった。もし孫が結局生まれなかったらどうしよう。孫が生まれたとしてももし、子どもたちみたいに、爺いの残した話なんて興味ないよ、なんてそぽを向かれたらどうしよう。その時のこともちゃんと考えてある。その時は、私自身が生まれ変わって読むことにしようではないか。

 いや、希望としては転生してこないはずなのだが、それは未定だ。未知、不可知の世界である。万が一、未来に転生した場合、私は、自分の前世が残した「地球人スピリット・ジャーナル」を読むだろう。そして、前世でやり残したところから、再スタートするのだ。文書として残しておくと、失われてしまう可能性も高いが、こうしてネット上に残しておけば、地球上どこに転生しても、ネットで見ることができるしネ。

 日本語じゃぁ、日本語圏に転生するしかないか。いやいや、次の世に転生するころには、翻訳ソフトもモノになっているだろう。なんとかなるはずである。この作戦はうまくいくだろう。そして、さらに分かったことがある。私の活性化された脳みそは、更なる隠された記憶、忘れられていた記憶を呼び起こしてしまったのだ。実は、私が、この作業をするのは初めてではない。

 実は、この私にも過去世があった。そして、思い出してしまった。私は過去世において、おなじ作業をしていたのである。しかも複数回。私は、「まだ生まれない孫への話」をすでに何回か残していたのである。あのお話群はどうなったのだろう。あの当時の孫たちに読まれたのだろうか。役にたったのだろうか。役にたっていたらよし、役にたっていなかったら、ちょっと悲しい。

 ここは、役に立っていなかったかもしれないお話群を探しにでかける必要がある。少なくとも6つのお話を残していたはずだ。だいたいの在りかは今世においても、もうすでに大体の目安をつけてある。168冊、あるいは、その中よりも、もっと少ない中に隠れているはずなのだ。そして、過去からの5冊と、今回かかれる1冊の、未来からやってくる1冊、全7冊において、このシリーズは完結することになっている。

 メタフィクションとして、読まれるだろう。そして、「ネヌウェンラーの密室」を読みながら、そんなことを考えていた。実はこの小説、読みだし始めたのは妻の方が先だった。すっかり集中したまま長いこと読みふけっていたようだったが、しだいにウットリとなって胸元に本を抱えたまま寝入ってしまったようだ。すっかり夢の次元に誘われたのだ。

 私は、そっと妻の手元から本をはずし、しずかに読み始めた。妻が目をあけるまで、しばし時間があるだろう。それまですこし読みすすんでおこう。そして何食わぬ顔でもとに戻しておく。これで、なんとか、同じ本についての感想を話し合うチャンスが巡ってきた。熟年カップルが失っていた、ささやかな会話が、もどってくるかもしれない。妻の意見も大事だ。妻の意見もおおいにとりいれようではないか。かの書のタイトルも変えなくてはならない。「Bhaveshと妻のまだ見ぬ孫への話」。

 いくらにわかごしらえのメタフィクションとは言え、なんだか、またまた怪しい雲行きになってきた(笑)。

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