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2009/05/02

宗教詩ビージャク カビール

宗教詩ビージャク
「宗教詩ビージャク」 インド中世民衆思想の精髄
カビール /橋本泰元  2002/06 平凡社 文庫 408p
Vol.2 No.592★☆☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★★

 次第に「私が愛した本」東洋哲学(インド)編の読み込みを始めようと思う。「小説(文学)」編が当ブログにとっての表鬼門なら、こちらのインド編は、さらに込み入った裏鬼門ということになる。文学編はメンドクサそーというのが最も大きな障害だが、インド編のほうは、もう「わかっている」気になっているという落とし穴がある。

 もともと青年時代にインドを旅したのは、ヒッピーにあこがれたこともあるが、もちろん、目的は仏教であった。ブッダガヤやスリランカなどの仏蹟を訪ねて、それなりの体験をしたから、もうそれでインドは仏教でしめくくり、という傾向がなかったわけではない。

 まして、我が師Oshoはさまざまな潮流に触れながらも、主トーンは仏教にあり、ましてや禅宗になにごとかの重きを置いていた。もともと自らが日本においての仏教や禅宗の風土でそだったものだから、インド系列は、もうZENでオシマイ、という早合点がなかったとは言えない。

 だがしかし、「(仮称)ブッダたちの心理学」のおっかけを加速するにあたって、ふと考えてみると、自分は決して、それほど仏教を知っているわけではないことを、あらためて痛感することになった。あるいは、もっと困ったことに、なまじ「ブッダ」という単語を使っていると、いかにもブッダについて何事か知っているかの如く自己欺瞞に陥ってしまうのである。

 そこで、かの仮称を、ここから暫定的に変更することにする。「(暫定)カビールたちの心理学」というのはどうだろう。(^-^;

 「仏陀の心理学」とすると、ゴータマ・ブッダの心理学的把握と勘違いしそうなので、一般名詞としてのブッダを採用して「ブッタたちの心理学」としたのだが、ひとつ問題が持ち上がった。この「心理学」をより明瞭に把握しはじめると、一般名詞としてのブッタでは、あくまで概念的であって、架空のコンセプト、ということにもなりかねないことが分かってきたのだ。

 だからこそ、「トゥリーヤ」へと到達した実在の存在たちの力を借りることが必要になってきたので、当ブログでは、上記のインド編からその境涯を採集することにしたのだ。つまり、カビールたち、というのは、実在のリアリティ性の高い彼らの代表であるカビールの名前を借りたのであり、とりあえず読むべき図書として一番最初に私の元にやってきたのがこの本であった、ということなのだ。であるがゆえに、暫定である。今後、さらにより実態に沿ったかたちで変更されていく可能性はたかい。

ラマイニー 2
1 個我として一者が内部にいる。内部で光が輝いた。
2 意欲という女が生まれた。その名前はガーヤトリーであった。
3 その女に3人の息子ができた。
  ブラフマー、ヴィシュヌ、マヘーシュラヴァラ(シバ)であった。
 p17

 このマヘーシュヴァラと言う単語と、ヘーヴァジュラという単語を連想して、ごそごそとマインドがうごめきだす。しかしまぁ、ここは、あまりそういう形でマインドを使うべきではないだろう。

14
9 身体と心をもって崇拝せよ、私の帰依者よ。実にカビールは真実を説く者。
p27

 ここで語っている私は誰か。カビール本人か、カビールの体を借りた神か。帰依者とは、カビールへの帰依者ではなかろう・・・などと、ここはここでのアルファベットに適応するよう努めてみる。

84
サーキー 自ら己に目覚めなければ、私が言っても怒るばかり。
       カビールは言う、自ら目覚めなければ虚妄も真実もない。
p74

 この詩篇は、もともと口伝や詠唱で伝えられたものではないだろうか。ましてや文献化され日本語されれば、現代人にも意味はすこしは分かるが、本当の意味や美しさは、失われてしまっているに違いない。そのような可能性を想定しながら、読み進める。

サバド 7
2 光り輝く宝石、不壊で無比、客もなく持ち主もいない。
p81

 うむ、どこかで聞いたことのあるようなフレーズ。出典はここだったか・・。

26
1 兄弟よ、多くのことをどうして語ろう、私の[考えを理解する]友人は稀なり。
p96

 この本、小さな本だが、だんだんとトーンが太くなる。

49
1 よくよく考えよ、パンディットよ、涅槃の境地を、夕刻を過ぎてどこにあるのか太陽は。
p112 

 THE SUN RISES IN THE EVENINNG」というフレーズを思い出した。

104
6 とても喧嘩っ早く、見よ、とても狡賢い、見よ、六派徹学が衣服を纏っている。
7 カビールは言う、聞け、人々よ、帰依者よ、虚栄の魔女が全世界を喰らう。
p149

 ここで大事なことは、こういう経典があって、それを読んでいて、いくつかのさざ波が自分の意識のなかに立ち始めている、という物事全体を見ている自分がいる、ということだ。

サーキー
161 目覚めた姿が個我である、[正師の]言葉は白い硼砂である。
    黄色の滴と赤い水[で身体ができる]、カビールは言う、誰か[これが]分かるか。
p161

 チベット密教の潅頂の儀式を連想した。チベット密教はインド仏教の正統な後継者であってみれば、カビールの詩と底触していることは当然なことだろう。

331 心の秘密を知る者は誰も見つからなかった、見つかった者はみな我欲に満ちた者ばかり。
    カビールは言う、天空が裂けたら、裁縫師にどうして縫えようか。
p200

 使われているシンボリズムには、一読しただけではわからないシステムが隠れている可能性もある。このコンパクトな本の後半は、詳しい訳注や解説となっている。興味深くはあるが、ここは、あまりそちらのほうにマインドを使うのは、今回はやめておこう。詩は詩として、素直に味わうことに慣れよう。

 Oshoは語っている。

 11番目。私が11番目に選んだのは、「ビジャーク」だ。「ビジャーク」は、カビールの歌集だ。ビジャークは「種子」を意味する。そしてむろん、その種子は微細で、非常に微細で目に見えない。それが芽を出し、木にならない限り、人には見えない・・・。 Osho「私が愛した本」p193

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