スパイダー・ワールド 神秘のデルタ
「スパイダー・ワールド」―神秘のデルタ
コリン ウィルソン, 小森 健太朗 2001/12 講談社 新書: 422p
Vol.2 No.611★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
「賢者の塔」の続編であり、超長編の後半部分という位置づけ。もともとコリン・ウィルソンはこの小説を若年層向けに書いたようであり、1987年に原書が出版されているという。しかし、日本では2001年に翻訳出版されており、ひょっとすると、当時、日本のみならず世界中に盛り上がった「ハリー・ポッター」シリーズなどに刺激されて、出版の企画が加速したのではなかったのだろうか。
そんなことを思いついてしまうほど、コリン・ウィルソンのあとがきなどのコメントに、著作権やら前渡し金やらの話題がでてくる。彼流の「俗」さがどこまでもつきまとい、独特の雰囲気が醸し出される。
小説としては今回読んでいないので、いつかウィルソンつながりで、目を通す時もあろうかと思う。巻末にはおよそ90冊ほどの日本語に訳された本のリストが載っている。当ブログでも何冊か読んだが、これだけの本を全部読むことは、ないだろう。むしろ、これだけのリストを見せられると、最初っから、ちょっと萎えてしまうところがある。
彼の作家生活は長い。著作も膨大になるのも当然だろう。しかし、と思う。一生に一冊しか残さなかった老子などがいる。いや老子は、一冊も残すつもりはなかった。弟子たちによって書きとめられにすぎない。それでもたった一冊のなかに、籠められたエネルギーは甚大なものがある。いや、数少ない言葉だったがゆえに、重い重い言葉になる、ということさえあり得る。
沈黙を保った真理体験者たちの報告もある。何も残されなかったのか。沈黙そのものが残されたのか。コリン・ウィルソンの多弁は、はて、同時代人たちにどのように理解されてきたのか。後生、彼の言葉の密林は、どう解釈されるのか。たとえば、彼の何十万語は、もっと分かりやすい形でまとめられ得るものなのか。そして、そこには何が残されるのか。
いろいろ疑問やら不審やらが、ないではない。しかし、当ブログの手のとどく研究テーマではないかもしれない。いつかは、そんなことを思いつつ、コリン・ウィルソン山を登りはじめるときがあるかもしれない。
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