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2009/05/05

チョイトンノ伝

「チョイトンノ伝」(1) 「チョイトンノ伝」(2)

「チョイトンノ伝」(1) クリシュナ信仰の教祖
「チョイトンノ伝」(2)
コヴィラージュ・クリシュノダーシュ /頓宮勝 2000/11 平凡社 文庫 405p /2001./01
418p
Vol.2 No.600~1★☆☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 教えてもらえなかったら、このチョイトンノが、Osho「私が愛した本」のなかのゴーラングことチャイタニヤだとは、分からない。最初からこの本を探すこともないだろうし、読まないで終わるだろう。情報提供者に感謝。

 紀元前をさかのぼる古くから、主として北インドの民衆の間で、クリシュナ(=ヴィシュヌ)伝説が様々に語られてきた。中世後期、イスラーム政権化の時代に、ベンガル地方において、そのクリシュナ伝説を集大成し、ヒンドゥー教ヴィシュヌ派の新展開として一教団が創始された。本書は、その後、長く大きな影響を与えたこの教団の創始者チョイトンノ(サンスクリット語表記ではチャイタニヤ)の生涯を、詩の形式で伝記に著したものである。p3

 私はチャイタニヤなら聞いたことがあるが、さて、その内容となると意味がよくわからない。人物の名前なのか、神様の名前なのか、地名や技法の名前なのか、さえ、判別がつかない。

 8番目。インドの神秘家ゴーラングのこの上もなくすばらしい本だ。ゴーラングという言葉そのものは「白き人」の意味だ。この人は実に美しかった・・・・。私には目の前に立っている彼が見える---真っ白な、あるいはむしろ雪のように白いその姿が。あまりに美しかったので、村中の娘たちみんなが彼に恋をした。そして彼は独身を通した。無数の女の子と結婚するわけにはいかない。ひとりでもたくさんだというのに、無数の女の子ときては、やれやれだ! 誰だって死んでしまう! 私が独身である理由がこれで分かったかね?

 ゴーラングは自分のメッセージを踊り、かつ歌を歌ったものだ。彼のメッセージは、言葉というより、むしろ歌に似たものだった。ゴーラングは本を書いていない。たくさんいた恋人たち、実際多すぎるほどいた彼の恋人たちが、その歌を集めた。それは最も美しい歌集のひとつだ。私は後にも先にも、あのようなものには一度も出会ったことがない。あれについて何が言えるだろう?---ただ私がそれを愛しているということだけだ。Osho「私が愛した本」98p

 たしかにこの本は美しい。日本語の翻訳で味わうべき本ではないだろうが、漂ってくる香りがまた格別だ。インドの民衆が保ってきた歌や踊りは、日本語や翻訳本では十分に表されてはいないだろう。それに、一遍にはそのアルファベットも理解できないし、全部を読み切ることはできない。今回は、この本がとても身近に存在していることを確認するのが精いっぱいだ。それでも、なんだか、とても美しい。

 この本をめくっていると、私はいつかヒンズーの民衆の中にいる感じになる。ふと30数年前のことを思い出した。24歳の時、私はインドを旅していた。ひとり旅だった。すでに半年もインドで暮らしていたので、ひげも髪も伸びて、すっかりインド体型のスリムなボディだった。Oshoがサニヤシンに与えたオレンジ色のローブと首にぶら下げた108個のビーズのマラは、異邦人の私には単にサニヤシン・スタイルでしかなかったが、南インドの、ほとんど異邦人のやってくることのない土地の人々には、伝統のスタイルであったのかもしれない。

 すでに何週間もひとり旅をしていた。鉄道の長旅の中であまりに美しい風景があったので、見知らぬ駅に降り立った。方角も地名も分からない。ただあるのは、インドの原風景とインド風の文字が描かれた数個の看板くらい。土煙りがたちこめ、石ころがころがる道の両側にある商店街は、なんの商売をしているのかすらわからない。英語なんて一個もない。

 見知らぬ街をとぼとぼと歩きつづけた。子どもたちが走ったり、老婆が坐っていたりする。それでも街のインドより、村のインドのほうが、どこか懐かしい風景に思える。牛がいる。犬がいる。すでに高くあがった太陽が、あくまでまぶしい。バックパッキンの私はとぼとぼと歩いた。

 ふと喉にかわきを感じ、食事をしようと思った。一軒の定食屋風のお店があった。店はあいていたが、他に客はいなかった。声をかけたら、若い青年がうなづいたので、食事をすることにした。店のベンチに腰かけ、バックパックを背中からおろした時、気がついた。私の背中には花がかけられていたのだ。ジャスミンや季節の花々を糸でつないだ花の輪がいくつもバックにかけてあったのだ。

 誰かが私にきづかないように後ろから近づいてきて、そっと花を添えたのだろう。一瞬ぎょっとした私は、ひょっとすると誰かが私をからかっているのかとさえ思った。でも、どうやらそうではなかった。当時、Oshoはすでにインド全土に物議を醸しだしていたが、地方のちいさな村に、そんなことを知っている人など皆無だ。インドの村の風景のなかでは、私はごくありふれたオレンジ色のローブを来た旅人でしかなかった。彼らには私の姿はヒンドゥーのサドーにさえ見えたのかもしれない。

 そのお店も素晴らしかった。目の前がひとつの宇宙だった。かまどで焼いたチャパティーが出された。乗っているのはバナナの木のような大きな葉でつくった皿だ。いや皿とまでいえない。丁度皿に大きさに切っただけの、道端に生えているような木の葉だ。

 食べ終わってチャイを飲もうと思って、その木の葉でできた皿を返そうとしたら、その青年は、そのままテーブルの下に捨ててくれ、という。いぶかしげに思いながらも、言われるままにした。すると、さきほどまで、ゆったりと足を折って坐っていた牛が、やおら起き上がり、ゆったりと私の足元によってきた。そして私がテーブルの下に落とした葉を食べたのである。

 使い終わった皿を洗う手間もかからなければ、発砲スチロール製の食器のように、そのゴミの処理に頭を悩ますこともない。私の使い終わった食器はすぐに、牛の餌になるのだ。静かに離れていった牛は、道の向こうにいって、糞をした。すると、道端で遊んでいた小さな子供が、走っていってその牛の糞を拾った。どうするのかなと眺めていると、その糞を自分の家の壁に貼り付けていた。

 よく見れば、広い壁にはいくつも牛の糞が貼り付けてある。上のほうから順番に随分と乾燥しているようにも見えた。そう、インドの牛の糞は植物性の残留物が多く混じっており、乾燥されたあとは燃料として燃やされるのである。

 そう思ってみれば、先ほどの青年がチャパティを焼いたあのカマドの燃料は、牛の糞を乾燥したものだった。おいしい食事は道端の葉でできた皿に乗り、やがて、その葉の皿は牛の餌になり、燃料となる。そしてまた、そこから、おいしい食事が作られる。目の前で、ひとつのリサイクルが完結していた。

 あの村の人々の暮らしがいまでも忘れることができない。あの村の人々はひょっとすると、今でもあのまま暮らしているのではないだろうか。時間がゆったりと流れている。あの風景のなかでは、たしかにクリシュナが生きている。うたや踊りが聞こえてくるようだ。

 今や日本のインド学の重鎮になっているような立川武蔵やどっかのふまじめな領事がOshoやサニヤシンをからかっている頃、私は、インドの民衆の中で、そんな体験をしていた。チョイトンノ。きょう初めて聞いた名前なのに、なんとも懐かしい。

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