エニアグラム(基礎編)
「エニアグラム」(基礎編)あなたを知る9つのタイプ
ドン・リチャード・リソ /ラス・ハドソン 2001/10 角川書店 全集・双書 332p
Vol.2 No.640★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆
この手の本はもともと読む気がなく「グルジェフ&ウスペンスキー」関連リストにも入れていなかった。結構好感を持って読み進めた(その証拠に★5にしている)前田樹子「エニアグラム進化論」のなかで、これらの性格判断への流れが酷評されていた記憶があるので、へぇ~そんな流れがあるのか、と気にもとめないでいた。
ところが、 某学校図書館でこの本を見かけてしまったので、これは何かの縁と借りだすことに。裏表紙の内側に貼り付けられている貸出履歴のカードを見ると、なかなか頻繁に借りだされているようで、私が当ブログで取り上げる本の中としては、決して無名な人気のない本とは言えないだろう。ある年代層、つまり、10代とか20代とか、あるいは女性層に人気があるのかもしれない。
パラパラめくってみて、私は疑問山の赤鬼と化してしまった。ふむ、なんじゃこりゃ。大体において、この「基礎編」という奴が気に食わない。一時我が世の春を謳歌した「セミナー」産業の、「ベーシック」コース、「アドバンス」コースを連想させる。ベーシックコースなら、簡単そうだから、まずここから始めよう。ベーシックコースが終わったら、必然的にアドバンスコースを受けたくなる、というシステムである。
さらには友人知人への紹介プログラムでも組み込まれていれば、これ間違いなくひと昔前のアメリカ的産業のひとつにすぎない。しかし、かといってざっとググってみるかぎり「上級編」とかのネーミングではほかの書物は流通していないので、それはちょっとこちらのうがった見方かもしれない。だとしたら、なお「基礎編」などとネーミングすべきではなかったのではないか、と、さらに思う。
本書を手にとるまで気がつかなかったが、この本の翻訳者はC+Fワークショップの「代表」二人になっている。この団体からは、過去数十年に渡ってセミナーの案内などのDMなどが飛び込でいたので、それなりに存在は知っていたが、内状はよく知らない。分かりたくない、というのが本音かも。
C+Fと銘打つ限り、その「創始者」である吉福某とのなにがしかの関係があるのだろうが、具体的にはなにも知らない。しかし、たしかこのC+Fワークショップを根城に、吉福もホロトロピック・セラピーとやらを展開していたはずだから、まったく無関係とは言えないだろう。むしろ、ふ~ん、結局は彼もセラピストになりたかったのね、と、ちょっと怪訝な気分になったことは確かだった。
さて、人間の性格を9つのパターンにわけてしまうというのは、かなり乱暴な話ではある。100人には100人のパーソナリティがあるという当ブログの方針としては、70億人には70億人の性格があり、人生があるはずだ、というのがまずもっての考え方である。
しかるに、血液型のような、わずか4パターンにわけてしまうこともあり得る。A型は几帳面だが内気、B型は外交的だが気まぐれ、O型はリーダーシップはあるが粗暴、AB型は天才型で個性的、などなど、言われてみれば、ああそうかな、と思ってしまうところがあるからタチが悪い。このデンでいくと、たとえばナントカ女史の六星占術とやらよりも、3つもパターンが多いのだから、こちらのエニヤグラム(もどき)の方が確率が高い、などということにもなりかねない。
いやいや、占いごとなどもまんざら馬鹿にはできない。私なども西洋占星術でホロスコープを作って、たまに他人の運勢を占ったりするが、これがよく当たる。とくに人間関係はほぼズバリだ。恋愛運などは、もう私にまかせてくれ、というほど、自信がある。太陽とともに、その人の火星と金星をみることによって、こうこうこうでしょう、というと、私の「ご宣託」を否定できる人はまずいない。
家族関係なども、どうしてそこまでわかるの、と言われるほど、よく当たる。何故だかはわからない。自分でも半信半疑だ。よくわからんが、こうこうこうでしょう、いま、ひょっとすると、この子供さんはこうなっていませんか? などと小首をかしげながら聴くと、あら~~、そのとおりですセンセイ!、なんて絶叫されちゃう(大笑)。
もうずいぶん前に、今この家族はこうだけど、占いでは、将来的にはこうなる運命なんだよなぁ、などとつぶやりたりしていると、それから何年も経過してみると、本当に自分が「予言」した通りになったりしているから、自分でもびっくり。
まぁ、だからそのような性格判断も、根拠なしとはしないが、もしこのエニヤグラム性格判断とやらも、その類なら、なにもいまさら新しいシステムを身につけなくても間に合っているなぁ、という気分になる。ましてやエニヤグラムを性格にあてはめてみるのはどうなんだろうねぇ・・。
エニヤグラムの「図形」を現代の世界にもたらしたのは、間違いなくゲオルギー・イワノヴィッチ・グルジェフです。彼はギリシャ系アルメニア人として、1875年に生まれました。若いときから秘教の知に興味をもち、「魂(ソウル)を変容(トラスフォーメーション)する」という完全な科学が古代人によって開発されたものの、その後失われたと確信していました。p39
この本のターゲットはどの辺にあるのか知らないが、私には、どうも江原某とやらの読者層にも重なって見えてくる。ズバリ言ってしまえば、3~40代の女性を中心とした、いわゆる「スピリチュアル」好きな流れが見えてくるのだが、この層に対して、こういう形でグルジェフが紹介されることにも、なにかの意義があるのであろう、と思う。だが、自分の中では、そうなのだ、と思いこむにはかなりな努力が必要だ。
ナランホはその頃、アメリカ・カリフォルニア州のビッグ・サーにあるエサレン研究所で、ゲシュタルト・セラピーのプログラムを開発していました。イチャーソは、生徒の自己実現の手助けとなるべく、自分で計画した、40日間の集中プログラムを指導していましたが、彼が教えたことの最初のひとつがエニアグラムです。p46
グルジェフやらエサレンやら、つぎつぎと「権威」づけが続く。当ブログにおいても「エスリンとアメリカの覚醒」を読み込み中だが、良くも悪くも、このような状況がエサレンにあったとするなら、いずれ、その評価に対する影響がでてこよう。
この伝統的なスーフィーの教えは、イドリース・シャーが著したものですが、エニアグラムを学ぶことを象徴的に表現しているとも考えられます。p51
ここまで「権威づけ」が続くと、はっきり言って反吐がでる。ここでイドリース・シャーまで出してきたことは、あきらなかなオーバーな表現だろう。すくなくとも、本書のエニアグラムを現代人のための性格判断の道具として使っていこうとする流れとは、イドリース・シャーは別な次元にある。
私たちの存在の基盤は、「本質」ないし「スピリット」ですが、個々人においては「魂(Soul)」というダイナミックな現れ方をします。そして「魂」の特定の側面が性格なのです。スピリットを水にするならば、魂は特定の湖や川と言えるでしょう。そして性格は、その水面に立つ波、または川の凍った氷の固まりです。p53
自分たちのセミナーへ「生徒」として参加する者たちに対してこのような説明をするのは、口伝としては便宜上許されるかも知れないが、文章となって一般に公開されるのは、あまりに奇妙な感じがする。すくなくとも、このような「基礎編」プログラムを頭脳に打ち込まれた生徒たちの行く末が心配になってくる。なぜなら、このセミナーの内部では、このアルファベットやアルゴリズムが通用しても、一般的にはほとんど通用しないだろうからだ。ひとつひとつの言葉があまりに杜撰に使われて過ぎている。
エニアグラムの深い教えのひとつは、「心理学的統合」と「スピリチュアルな目覚め」が、別々のプロセスではないということです。スピリチュアルな感覚がなければ、心理学は私たちを本当に解放することができませんし、自分自身についてのもっとも深い真実に至らせてはくれません。そして心理学がなければ、スピリチュアルな感覚は、自我肥大や妄想、現実逃避に至ることもあるのです。p54
ここで使われている「心理学的統合」とは、アサジョーリの「サイコシンセシス」を直接的に指しているのではないだろうが、そのイメージを遠景として借りていることはまちがいないだろう。もっともそうな話ではあるが、最初のボタンが掛け違っているので、どこまでも腑に落ちない落ち着きなさがつづく。「自我肥大や妄想、現実逃避に至ることもある」というのは、このセミナーを実践して、具体的に多発した事象であっただろうと推測できる。であるがゆえに、まずは本書は読者に対して、ここで一本釘を打っておく必要があるのだ。
意識の発達モデルの先駆者ケン・ウィルバーは、完全な心理学的システムというのは、水平と垂直の両方の次元を説明する必要があると指摘しています。この考え方は、今では明白なことに思えたり、広範囲に使われていますが、筆者のリソが、健全・通常・不健全の各段階を区別し、タイプの垂直の次元を発展させてからの後のことなのです。p107
権威づけというより、もはや、なりふり構わず、なんとか流行の流れに乗って、すでに投下した資本を回収しようとしているビジネス・システムに見えてくる。商売なら商売として、需要と供給のバランスの中で存在しているのなら、別にヨソ様の商売を邪魔する気はないので、もう余計なことは言う気はない。
本書後半におけるタイプ別では、私も自分が対応するだろう項目を読んでみたが、まるで納得感がない。他のタイプの分まで覗いてみたが、こんなもんでいいんじゃろか、と心配になってきた。「縁なき衆生は度し難し」。このセリフ、本書に対する私の捨てゼリフだろうか。それとも、本書が私に対して下した「判断」だろうか。
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