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2009/05/07

駒場の七つの迷宮

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「駒場の七つの迷宮」
小森 健太朗 2000/08 光文社 単行本 315p
Vol.2 No.604★★★★☆ ★★★★★ ★★★★☆

 本作品は1985年の駒場の大学キャンパスを舞台に展開する。続編に「本郷の九つの聖域」があるはずなのだが、ググってもでてこないので、未刊なのではないだろうか。いずれにせよ、この作品は構想されてから完成するまで、そうとうに遅れたそうなのだが、私はむしろそこのところに、一抹の安堵感がある。

 1985年の大学キャンパスを舞台にしているとは言え、1995年に起きた事件をモチーフのひとつに用いているのは明らかである。あの事件については様々な文献をめくってみたが、一橋文哉のものしたあの「帝国」についての一冊などは、それこそ深まる迷宮をさらに深くえぐり出そうとする本であり、とても当ブログなどにお気軽にメモなどしておく気にはなれない。

 小森がお気軽なキャンパス・カルチャー風にあの事件を風刺しようとするには、あまりにも問題は深すぎると思う。だから、(はなはだしく)遅れたとするところに、むしろ私は良心を感じ共感を覚えたりする。

 小学生3年生の時の学芸会に、劇の主役にいったん選ばれたのは、私だった。しかし数回の練習ののち、結局、主役の座は私の後の親友となる友人に奪われてしまった。私は、「村の子供3」にコンバートされたのである。あれ以来、私は芸術としての芝居の道は断念した。とかく持ち回った言い方で、芝居やフィクションについて、チクリチクリと苦言を呈しているのは、そのためである。

 この親友は、のちに私が社会保険労務士の勉強する時の教材を販売している会社と同じ名前をニックネームとしている男なのだが、中学校時代には一緒に200ページを超える漫画「肉筆誌」を5号まで一緒に作ったし、3年生を送る予餞会では、10分にわたる漫才のコンビを組んだこともある。ダブル突っ込みでなかなか好評であった(と自分たちでは思っている)。

 その後高校時代には赤テント、黒テント、夜行館をはじめ、さまざまな芝居を一緒に見に行ったが、彼は当時からすでに自らの演劇集団を立ち上げ、多くの仲間や後輩を育て、のちには自治体の芸術選奨を受賞したのだから大したものだ。私はステージには乗らなかったが、ポスターやパンフレットのデザイン、チケット制作としてスタッフに一員であったこともある。私自身は一度、別な演劇集団のステージに立ったことがあるが、この話もなかなか面白い話なのだが、別の機会にゆずる。

 この友人が1995年後半か1996年の初めに、やはりあの事件をモチーフとして一ステージ企画したことがある。一般の評価はどうだったのか知らないが、私はあのお芝居を見て、あの事件をお気軽、お手軽、お遊び風にアレンジすることは、絶対にできないな、と痛感したのだった。あれ以来、私の中では半ばタブー化した題材である。

 今回、小森があえてこのテーマをモチーフとしたキャンパス・ミステリーをモノしたものの、その続編で書かれるべきであろう「問題」も、そうたやすいものではないはずだ。いまだ未刊であるらしいことも、ある意味、そうでなくてはならない、と私は思う。そう簡単に書かれ得るものではないのではないか。「プロの嘘つき」村上春樹は、この問題についてはノンフィクションで対応した。

 時代は入れ子状態であちこち前後するが、1985年、私は30歳を過ぎてから、某K大の通信教育部「哲学と心理学を中心としたコース」の学生になった。夏のスクーリングのために一か月通ったことが懐かしい。だから、1985年の駒場の風景も自分なりの体験として、なんとなく類推することができる。

 さらに、遡ること1980年代前半、私たちは、街中に「瞑想センター」を作ったことがある。7階建てのビルの4階のワンフロア50坪を借りきって、それこそダイナミック瞑想やクンダリーニ瞑想を連日行った。月に何回かは、瞑想キャンプと称して、3日間のグループ・セラピーを開催した。それまで、男性サウナとして使われていたスペースだったが、これがなんとも私たちの目的にぴったりのスペースで大いに楽しんだものだった。

 私たちは「勧誘」することもなかったし、他から「勧誘」されることもなかったが、たまたま大学に近い住所に位置していたものだから、よく学生たちが遊びにきた。当時Oshoについてのネガティブ情報はなかったわけではないが、圧倒的に日本人社会からは好意的に迎えられていたはずである。まだ実態が知らされてなかったということもあっただろうが・・。

 いろいろな学生が遊びにきたが、たまたま医学部が近くにあったものだから、医学生も遊びに来た。今回この作品を読んでいて、二人の医学生を思い出したので、メモしておく。

 ひとりは、一度理系学部を卒業した後に医学部に入りなおした男だったが、これが軟弱者だった。ほとんど女性の手も握ったこともないようなご仁で、Osho本を読んでやってきたのだが、実際に瞑想しているうちに気分が解放されたのか、女性スタッフに抱きついてしまったことがある。いや別に現在なら「ハグ」と称して、親密さを表す挨拶程度に取られており、金賢姫に会いに行った田口八重子さんのご子息が、二人してハグして、互いの境遇を確認しあった件が記憶にあたらしい。

 この男性はしかし、その直後に自らの行為を深く恥じたらしく泣き出してしまった。自らの行為に罪悪感を覚えたのである。一人で帰宅できないほどに消耗してしまったので、付き添って自宅付近まで送って行ったのだった。迎えにでた母親にもたれかかって、「ボク・・・・、ボク・・・・」と泣きじゃくってしまった。おい、おい20代も半ばもゆうに過ぎて、ましてや、やがては「センセイ」と呼ばれる人の、これが実態かよ、と、呆れかえったものだった。

 もう一人は、もうちょっと凛々しかった。体は小柄だったが、探究心が強かった。しかし、なにか視線に違和感があるというか、いわゆるOshoの雰囲気とはちょっと違っていたかもしれない。彼は積極的に一か月ほど瞑想していたのだが、ある日、カウンセリングを受けたいという。守秘義務があるので、すこしボカして書いておくが、つまり彼はこうしてOsho瞑想センターに通いながらも、例の壺売り集団Tに入りたい、というのであった。

 私たちは「勧誘」もしていなかったが、「追っかけ」もしていなかった。来る者は拒まず、去る者は追わず。実際そうだったはずである。だから、どのような立場であろうと、その人がそのような道に行こうとしているのか、聞いてはおくけれど、それについてのコメントは一切しなかった。それから彼は来なくなったが、あれからどうしたのだろうか。勉強、勉強の生活の中で、世界観が広くない。強い「勧誘」があると、あっというまにある種の色に染め上がっていくのだろう。

 ことほど左様に、瞑想センターのカウンセラーという立場ゆえに見えた人間模様というものがさまざまある。作家たちのような文才とまでは言わないまでも、文学的表現を身につけておけば、いくつかの小説でも書いてみたいとは思うが、ない袖は振れない。あの、人間博物館とも、人間美術館とも言えず、あるいは人間動物園といったら失礼だろうが、人間骨董屋とか、人間リサイクルセンターと言ったら、さらに失礼だが、実にさまざまな人間模様をみせていただいたものだ。

 「駒場の七つの迷宮」を読んでいて、そんなことをいろいろ思いだしていた。そして、ひとつ、一番大事なことをメモしておく。ここで小森はなぜに「七つの迷宮」を持ち出してきたか、ということ。そして続編である作品になぜに「九つの聖域」というタイトルを選んでいるか、ということだ。そこんとこは慧眼なる読者諸氏が推理するところとあいなるわけだが、当ブログのおいて、じつは、この7がひとつのキーワードになっているのである。

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「ラジニーシ・ニューズレター26」p39 1980/11発行 参照

 このマークは、上記の瞑想センターをやっていた当時の私たちのセンターの独自のマークであり、私がデザインしたものだ。このマークの中に7が隠れているのを、見つけていただけるだろうか。私には7というのは、生家の屋号の連想から「丸七」というのが正しいと思う。7ではなく、○7なのだ。

 この世が創造されれば、それはひとつの○である。それはゼロでもあり、1でもある。円でもあり空でもある。ここに陰陽二つが発生して、○の中に8が発生する。これが回転すればいわゆる陰陽のマークとなる。回転すれば中心が発生するので、最初の○は、本当はこの8の中の二つの○の接点に位置することになる。

 つまり、1が生じ、2が生じることによって、3が生じているのである。これがマジックナンバー3である。ほとんどはこれで物事は解決する。

 しかしながら、もう少し深く突っ込んでみたい、という探求は誰にも起こりうる。もう一段入れ子状態がすすむと8が二つ重なった状態になる。この状態を良く見ると、7つの○で構成されているのである。つまり3と7は、基本的にここで確認できる。

 つまり、陽の陽、陽の陰、陰の陽、陰の陰。これほとんど世界を表すことができる。もちろん、さらにこれをn回連続して展開しつづけることもできるが、そこまでものごとを複雑に考えたいという人間はそれほどいない。この7つの○でほとんど90%以上の解明度を持っていると判断しても悪くはない。

 ところで、この図全体が回転しているとすると、一番外側にある○の中心は上の8と下の8の接点に位置することになる。

 つまり、一番最初に登場した丸の中心は、ちょうどまん中に存在していることになる。この図での○はつまり回転や円環をあらすものと考えて、その中心点だけをチェックすると、一直線上に7つの点が残るだけだ。

 センターのマークとしてデザインされた外側の△は実は、坐禅をしている姿を表している。つまりマーク上の7つの○は、身体上にあるチャクラに対応していると考えているのである。だから、その伝でいうと、人間はハートチャクラで生まれ、ハートチャクラに留まるべきである、ということを意味している。それが全体的に円環するコツなのである。

 さて、○は2次元的な表現だが、ここでは、実は一直線に並んだ7つの点で表されるのであり、1次元的なものである、と考えることができる。

 もしこの一次元的な○7から21を生み出すにはどうするかというと、x軸、y軸、z軸上に展開すればいいのである。7*3=21。これで完全数21が発生する。もちろん交錯する0ポイントは、ハートチャクラの位置である。

 人間は1次元にも2次元にも生きていない。3次元に生きている。もちろん、数学上は4次元や5次元というものも仮定はできるけれど、1次元、2次元に人間が生きられないとおなじように、人間は4次元にも5次元にも生きることはできない。人間は3次元のありのままの姿が完成体なのである。

 さて、ここでなぜにこんなことを書いているかというと、自説を強調したいがためではない。「マジックナンバー7」については、グルジェフ+ウスペンスキーを初め、諸説ある。どれも説得力があり、魅力にあふれてはいるが、どれにも固執するべきではないと、当ブログは考える。

 もし、ウスペンスキーがグルジェフを超えることができなかったとしたら、それはあまりにもグルジェフのシステムを愛しすぎたがゆえのことである。グルジェフが感知した真理の一端をウスペンスキーは絶対のものとしてしまった。それではいけない。

 グルジェフを愛するなら、グルジェフが真理を感知した「感性」をこそ学ぶべきである。この宇宙から3なり7なり9なり、あるいはエニヤグラムを読みとったグルジェフの感性をもってすれば、ウスペンスキーは、まったく別な体系を感知することができた。そのような姿勢こそが、グルジェフの求めていたものである。

 当ブログにおいては、いままでも、そしてこれからも、7という数字が登場する機会が多くなるだろう。しかし、それにこだわってはいけない。もしそれを感知したら、次の瞬間それを即投げ捨てる、あるいはスルーするコツを身につけなければならない。こだわりは間違いの道である。

「(暫定)カビールたちの心理学」
定義b:「マジックナンバー7」にご用心!
 

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