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2009/05/02

感動する脳

感動する脳
「感動する脳」 
茂木健一郎 2007/04 PHP研究所 220p
Vol.2 No.591★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 当ブログへのアクセス者は、ある程度分類することができる。当ブログ<1.0>から継続して来訪する人、某SNSからほとんど身内としてやってくる友人たち。そして、ネット上の検索を頼りにやってくる人たち。この人たちはほぼそれぞれ30%くらいずつ占めている。残り10%は、グーグルロボットや何やら意味不明なジャンクなアクセスもないではないが、ごく微量にとどまっている。

 さて、継続的にアクセスしてくれている人々以外にやってくる「検索」というチャネルもなかなか興味深いので、いつか触れてみたいが、とにかく、当ブログにおいては、この「茂木健一郎」つながりで訪問してくれる人たちが結構いる。これは「オバマ」チャンネルとはちょっと違う。

 本当はオバマ問題もかなり突っ込んでやりたいのだが、現在の流れでは、なかなか触れることのできない雰囲気ができてしまった。であるので、大体において当ブログにおけるオバマに触れているところがすくないので、検索にひっかかかる確率が少なくなる。それに、なんと言ってもネット上にはたくさんのオバマ情報が流れており、圧倒的な情報量のなかでは当ブログの存在などは、あってなきがごとしである。

 それに比べ、たとえば「エコテロリズム」とか「テラフォーミング」などは、当ブログでも、ほとんど一回しか触れていないのに、このキーワードから当ブログへアクセスしてくる人が結構いる。これは、ネット上に情報が少ないからであろう。そういう意味でいうと、「Osho」という文字はかなり使っているのに、このキーワードでようやく当ブログへたどりつくというひとも少ない(笑)。

 その比較でいうと、当ブログは、このところ積極的に書きこんだせいもあろうが、「茂木健一郎」関連のキーワードからのアクセスが結構多い。これだけの流行学者なのだから、ネット上の情報もあふれているのだろうが、それに輪をかけて、この人を検索する人々が多いと推測できる。

 テーマの面白さや類似性から、当面この方の一連の著書には触れていきたいのだが、それは、この同時代性、空間的広がりの可能性の大きさ、という魅力があるからだ。

 今やインターネット時代で、ほとんどのものは家の中のコンピュータ画面で見ることができます。わざわざ足を運ばなくても、短時間で多くのものを目にすることができる。しかしそれはあくまでも画像であることを知るべきです。記憶の一端としては残るかもしれませんが、脳に刻みこまれるような体験としては残りません。この差を理解しておくことが重要だと思います。p47

 当ブログは、読書をテーマとしている限り、美術やお芝居や映画、音楽とは違い、ネットにアクセスして得られるものと、実際に本で読んだ場合とでは、もちろん、本の質感や行間などの大事なクオリアの違いはあるが、本質的にネットつながりで欠損するものは少ない、と考えている。あるいは、ネットつながりでの中の可能性はどこまであるのか、というのが逆説的な当ブログの視座と言える。

 「クオリア」とは、もともとは「質」を意味するラテン語です。私たちが心の中で感じる、さまざまな質感。それらすべてを、脳科学の世界で「クオリア」であると位置づけたのです。p69

 当ブログの目下のキーワードは「トゥリーヤ」だ。クオリアとは似た語感だが、全く意味は違う。起きている。夢見ている。熟睡している。それら三つをすべて含んだ形で、その状態を把握している「私」という状態、それが「トゥリーヤ」と呼ばれているらしい、というところまでやってきた。だから、クオリアとはトゥリーヤの中で感知され得る何かの属性ではあろうが、トゥリーヤを超えたなにかではない、という現在の認識である。

 またTVゲームだけではなく、いろんなことにおいて、本物を体験させることが必要です。たとえば絵画ひとつにしても、今はインターネットなどで簡単に見ることができます。ピカソの絵だってゴッホの名作だって、ボタンひとつで部屋の中でみることができる。でも、それも薄味の感動でしかありません。82p

 当ブログにおいては、ネット上で何かの情報を交換したり、感動したりすることも大切だが、もっと違うことを実験したいと思っているのだ。それは、ピカソやゴッホの「絵」の問題ではない。ネット上のパソコンの前に坐っているひとりひとりが「トゥリーヤ」の状態にいることができるかどうか、というのが主テーマなのである。

 これは当然、なにはともあれ、ネットを抜きに、自分自身が「トゥリーヤ」である必要があるのだが、はて、その「トゥリーヤ」が連鎖した場合、何がどうなるのか、というのが、目下の「コンシャスネスとしてのブログ」という意味合いなのだ。

 自分の世界観やポリシーに合わないものは世の中にいくらでもあります。そうした未知のものに出会った時に、ついついそれを拒否してしまう。一種の精神の免疫系みたいなものができてしまって、異物が入ってこようとしたら排除する気持ちが生まれてくる。これが感動の妨げになってしまうわけです。p115

 当ブログは比較的間口を大きく取ってきたつもりではいるが、拡大期と縮小期があり、いまはどちらかというと、異物を排除しながら、より自らを純化しようという過程にある。だから、茂木健一郎というキーワードにはさまざまなクオリアがくっついているので、どんどん吸収はしてみたいのだが、逆にわずかな差異があったとしても、逆に自らを純化していくうえでは、この差異をより明確化することで、前に進むジェットエンジン燃料になるやもしれない、という期待感がある。いままでも積極的に読みすすめてきたが、彼の本はまだまだある。もうすこし読みすすめてみたい。

 茂木健一郎関連リストを作っておく。 

「脳とクオリア」 1997/04 日経サイエンス社

「意識は科学で解き明かせるか」 2000/03 講談社

「心を生み出す脳のシステム 『私』というミステリー」 2001/12NHKブックス

「脳とコンピュータはどう違うか」 2003/05 講談社

「意識とはなにか」 2003/10 筑摩書房

「脳と仮想」 20004/09 新潮社

「クオリア降臨」 2005/11 文藝春秋

「プロセス・アイ」 2006/01 徳間書店

「感動する脳」 2007/4 PHP研究所

「フューチャリスト宣言」 2007/5 筑摩書房

「芸術脳」 2007/08 新潮社

「脳と日本人」 2007/12 文藝春秋

「思考の補助線」 2008/02 筑摩書房

「脳を活かす仕事術」 2008/09 PHP研究所

「クオリア立国論」 2008/10 ウェッジサイズ

「偶有性幸福論。」 2008/10 ぴあ

「脳はもっとあそんでくれる」 2008/12 中央公論新社

「今、ここからすべての場所へ」 2009/02 筑摩書房

「涙の理由」 2009/02 宝島社 対談

「偉人たちの脳 文明の星時間」 2009/03 毎日新聞社

「化粧する脳」 2009/03 集英社

「疾走する精神」2009/05 中央公論新社

「クオリア再構築」2009/6 集英社 共著

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