コミケ殺人事件
「コミケ殺人事件」
小森健太朗 1994/11 出版芸術社 300p
Vol.2 No.603★★★☆☆ ★★★★★ ★★★☆☆
当ブログは、確かに読書ブログではあるのだが、読書感想文ブログではない。ましてや評論文化に寄与するような高踏な作業ができるわけでもない。むしろ、ネタを読書に求めながらも、結局は、本を読んだ時に、自分の中からでてきた何事かをメモし続けているだけだから、正統な読書ブログを運営している人々や、ましてや正統なミステリーの読者の人々にとっては、当ブログのような存在は目ざわりであるかもしれない。
しかしながら、グルジェフ+ウスペンスキー追っかけの途中で、翻訳や紹介をしているこの作家について、その全体像を知っておこうかな、と思うと、どうしても、この本をパラパラめくっておかないと、なにかが始まらない感じがする。
コミケ、とはなんじゃいと思う私のような向きには、この本を一回読めば大体のことはわかるようになっている。コミケについて知っている人には、いまさら何を言っているのか、と言われそうだ。こまかいことは省いておこう。
ましてや、このようなミステリー小説を、当ブログのようなトンチンカンな門外漢はどのように扱えばいいのだろう。ストーリーをうっかりばらしてしまえば、ネタばらしになってしまうだろうし、文章を引用すれば、著作権の侵害になるやもしれない。うろうろしていると、タイホされてしまうかもしれない。
では、当ブログにとって、どんな題材が適しているのだろうか。大体1600冊の本を読みこんできてみて感じるのは、一番楽なのは、この半年間に出版された新書本について書くことのようだ。話題もアップデイトだし、大体、分量がすくない。15分もあれば読める本がほとんどだ。種類も豊富なので、選択するのも楽だ。
そのようにして、新書を中心にしてブログを展開してみたが、これがまた、結局、あとから自分のブログを読みなおしてみた場合、なんだかつまらない。どんどん流されていくだけのようで、何の積み重ねもできていないむなしさを感じる。
だから、反動でやたら難しそうな哲学書や宗教書に手を出して、すこしは分かった振りをしたりしている場合もある。自分の守備範囲外の本に手を出して、けちょんけちょんに敗北感を味わったりしたのは1度や2度ではない。
古い本を探し出して、悦に入っている場合もある。古い埋もれた本もなかなか面白い本がいっぱいある。だが、個人的に読書を楽しむだけならいいが、それではブログという形の機能をどう生かしているのか、自分でもよくわからなくなることがある。
ジャンルについても、いまいち定まらない。社会学だったり、心理学だったり、政治だったり、コンピュータだったり・・。しかし、図書館の本のジャンル分けで言えば、手を出しているほうが圧倒的に少ない。知らない、わからない、関係ない、敬遠しているジャンルなどのほうが圧倒的に多い。
結果として言えるのは、ありのままでいいんじゃないか。読みたい本を読み、書きたいことを書く。そんな基本的なことを繰り返していけば、きっと、明るい未来がやってくるヽ(´▽`)/ことを信じて、今日も当ブログは、堂々と我が道を行くのでアール。
「この申込書に書いてある『コミケットの歴史』によりますと、第一回が開催されたのは1975年です。そのときのサークル数は僅か32だそうですから、大教室一つに収まるような規模だったわけです---今とは全然違いますね。おわかりになりますか?」p54
そうであったのか、1975年から始まっていたとは・・・・。1975年といえば、私は21歳。自分たちで手作りのミニコミをつくり、全国に販売していた。いや、口でいうほどカッコいいものではない。一か月アルバイトして三か月の生活費を稼ぎ、次の一か月で、自分たちの共同生活スペースに籠って原稿書き、ガリ版切り、輪転機回し、製本し、全国の定期的読者に郵送する。残りは、一か月をかけて、各地のミニコミ書店においてもらったり、各地にヒッチハイクで出かけては、個人的に販売した。まるで、ちょっとしたフーテンの寅だった。
そしてその一か月間の旅で取材してきたことを、アルバイトしながら原稿にし、また印刷して、発送する。そんな3か月サイクルの生活を約4年間繰り返した。ほとんどの青春時代をそのような生活をに費やしたのだ。ちょうど、他の人々の大学生活と年齢的にも対応する。
しかし、そのような暮らしにも終止符をうつ兆しがみえてきた。それが1975年。Oshoの「存在の詩」だった。この小さな本については、別に書いたからここでは触れない。今回、ここでメモしておきたいことは、もし、あの1975年という年代に、もし、私がコミケに参加するようなノリがあったら、決してインドに出かけようとは思わなかっただろうし、瞑想などにも首をつ込まなかったんではないだろうか、ということ。
いや、逆説的だが、私はコミケなんぞには絶対に参加しなかっただろう、ということなのだ。なんだ軟弱もんが、漫画かよ。それがどうした。書いて満足して、どれがどうした。などと挑発的に構えだろう。年代は1975年である。深い敗北感が蔓延していたとは言え、まだまだあの「70年安保」から5年しか経過していないのである。連合赤軍の事件や、警察のアパートローラー作戦などで、かつての「活動家」は次第に潜伏化していった。
決して明確なスローガンを持っていなかったり、表面的な活動をしていなかったりしていても、まだまだ意識は「新左翼」という人々は少なくなかった。いまでこそ「昔、革命的だったお父さんたちへ」なんて冷やかされている団塊の世代だが、別に全員が日和ったわけではない。単独爆弾闘争に入っていった猛者もひとりやふたりではなかった。
いや、もういい、やめよう。それらについては、いままでもだいぶいろいろ書いた。しかし、今日、ここにキチンとメモしておかなくてはならないことは、コミケの「第一回が開催されたのは1975年」という事実である。そうであったのか。あの頃、すでにコミケは生まれていたのか。現在、このコミケという奴がどのように成長しているのか知らない。しかし、このコミケやコスプレという文化が、いまや「クールジャパン」というネーミングで、クローズアップされていることは知っている。
そういった大きな時間の中で、今や熟年図書館フリークとなりはてたわが身も、いろいろ変化してきたし、この小説の著者・小森謙太朗も、その人生を送ってきたのだ。ミステリー小説作家としてはデビュー作となる本は、著者にとって記念碑的なものであったとしても、代表作と考えてはならない。
「Gの残影」のあとがきで、著者自身も書いていたが、私もいままで読み込んできた、この著者の作品の中で、好きなのは「Gの残影」と「『夢見』の密室」だ。しかしながら、まだ全作品の半分も読んでいないだろう。もう少し目を通してみないと分からないが、ここで暫定的な感想を述べておけば、著者はまだ、本当の代表作、というべきものを書いていないのではないか、ということだ。
著者は、自らのジャンルの幅広さと可能性を確認しながら、いまだ自らのテーマを固定させていない。まだ見つけてもいない、というのではない。インプットとアウトプットでいうと、まだバランスはとれていないように思えるのだ。これからのアウトプットにどのようなものがでてくるのか、そこのところに当ブログの関心がある。
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コメント
ラオツさん
ぜひ、未翻訳の本を紹介してほしいものです。そのためにも、関心を持っているよ、という声を、ひとりひとりがあげていくことも必要でしょうね。
くたばってしめい、の二葉亭四迷の例えもありますからね。
高校時代に私が考えたペンネームは、宇佐美白村。なんだか占い師のような名前にも思えるけれど、もとは「くしゃみ はくしょん」です。(*^-^)
投稿: Bhavesh | 2009/05/10 21:06
「私が愛した本」にかかわる400冊ほどの蔵書、
すごい!まだ翻訳されていないものがあれば
翻訳してくれればいいですよね
エドガー.アラン.ポーから江戸川乱歩
コリン.ウイルソンから小森健太朗だったら
おもしろいですね
これも迷宮入りかな?
星野あきちゃんに可愛く
訊いてもらいましょうか
P.P.M.D
投稿: ラオツ | 2009/05/10 20:19
ラオツ さん
彼はどうやら「私が愛した本」に関わる本を400冊ほど蔵書しているようですよ。
最後の質問も星野君江探偵事務所に依頼したいところですが、これはどうやら迷宮入り、となりそうですね。
投稿: Bhavesh | 2009/05/09 17:45
小森健太朗さん,本をたくさん書かれたのですね
『私が愛した本』が出版されて以後
TheBook of Mirdad の英語版を
彼から購入した記憶があります
『私が愛した本』の読者であることは間違いない
サニヤシンだったのか
投稿: ラオツ | 2009/05/08 23:22
kousui さん
当ブログとしては未確認です。
第三者の個人的レベルでの内面的な動向はブログという表現形態でも、なかなか扱いにくいし、あまりにもデリケートなお話なので、当ブログとしては、この話題はノータッチでいこうと思っています。
投稿: Bhavesh | 2009/05/08 09:46
「余計なコメントでした」と、反省しています。m(_*_)m
投稿: kousui | 2009/05/08 02:26
また、突然
小森健太朗さんて、確かサニヤシンですよね。
昔、この人の書いたものを読んで
「小森さんは、新しいものや珍しい物好きで
Oshoにも、瞑想にもあまり関心がない人なのだな・・・」
なんて、感想を持ったことを思い出しました。
投稿: kousui | 2009/05/08 00:46